事務官を迎えよう

 さんざんな結果に終わったハウスパーティーの晩から二日。ヘンリエッタは「んわーーーーやらかしたよなああああ~~~~」と内心悶絶したり自省したりでとにかく忙しかったが、趣味のレース編みや再開した読み書き教室に注力することでどうにか態度を誤魔化していた。


 アイオンの味方になってくれる貴族を見つけようという目論見が失敗に終わったことついては、まぁ飛び込んでみなきゃ分からないことに失敗はつきものだし、痛い目見たからってそれきり懲りて引っ込み思案になるのが一番よくない。ので、一方的な理不尽に耐え忍ぶ必要はないが、自分から挑戦するか否か選べることに関しては、反省は一回すれば充分だというのがヘンリエッタの考えである。


 だから問題は、出会ってまだ間もないのに世慣れしていないアイオンの目の前で魔力暴走しかけたことのほうだ。彼は特に怖がってはいない様子だったけれど、周りが見えなくなるほど怒っているところを見られたのが純粋に恥ずかしい。それにこのイメージを引きずっては、将来彼に良い義理のお姉ちゃん認定してもらえないかもしれない。


 何かしらこう、甲斐甲斐しくて辛抱強い良いお姉さんイメージを獲得するべく行動していくべきだよね。うん。




「ギャレイ宮廷伯からの連絡では事務官が今日こっちに到着する予定だって。諸侯から着任挨拶のお返事も届いたし、アイちゃんの読み書き能力も育ったし、ついにお仕事開始かな~?」


 さっそくてきぱきと書類を整理しつつにっこり笑顔を向ける。イメージ戦略真っ最中のヘンリエッタに、書斎の椅子に腰掛けたアイオンは相変わらず気だるげな横目をくれた。


「事務官ねぇ。可哀想に、そいつ左遷されたわけか?」


 けっと拗ねた笑いを含ませてまたそんなマイナス思考の軽口を叩く。危ない、この言葉がその事務官との初対面で出ていたら滑り出しから大コケしていたところだ。


「募集かけたら志願してきたってギャレイ宮廷伯が書いてたの読んだでしょ? 嫌々来た人じゃなくてやる気ある人が来てくれるんだよ! アイちゃんは上司としてこの人のもとで働くにふさわしいと求められたわけ。もっと嬉しそう、かつ偉そうにしてなって」


 とヘンリエッタが励ましたところで簡単に乗り気になってくれるようなお人柄はしていないのがアイオンだ。ぬーんと素知らぬ顔で聞き流されてしまっている。


 この子ちょっと私のこと怖がらないのにもほどがあるんじゃないか。怯え散らかせとは言わないけど、ザクスビー邸でのようにいつ爆発するとも分からない大魔女への畏怖すらないのはどーなのよ。


「そういや名前なんていったっけか、そいつ」


 頬杖ついて何を呟くかと思えばそこからかいっ。


「イースレイ・クワラだよ! クワラさんちのイースレイくん! 君と同い年の!」


「へえ、同い年の男ね。……って風に大上段に構えたほうが『偉そうに』見えるんじゃねぇの?」


「私の要望に応えただけですみたいに言うけどね、名前も覚える気ない上司は洒落になんないからね?」


 ヘンリエッタの言う偉そうにする、というのは時に「この人なら」と夢を見せてやることまで含んでいる。イメージ戦略の重要性ってやつだ。地位にふさわしく大物ぶるのと相手に無礼をかましたり舐めてかかるのはまったき別物である。そこんとこ分かっていってもらいたいな。


 そうこうしているうちに午前も十時をまわり、イースレイ・クワラが南部行政監督庁に到着する時刻となった。




「イースレイ・クワラと申します。宜しくお願いします、アイオン殿下」




 新任の事務官さんはそう言って折り目正しい礼をした。下級貴族の出らしいが、ひとまずアイオンを軽んじてはいない様子にほっと胸をなで下ろす。クレア・ザクスビーとその一派に続いて彼までろくでもない偏見を持っていたら、即刻ギャレイに代わりの人材を寄越すよう手紙を書かねばならなかっただろう。


 アイオンは父である亡き王配殿下そっくりの、しかし穏やかさからくる物静かさが印象的な殿下と違って刃物のような鋭さのある美形だが、このイースレイも整った容貌をしている。髪の色も眼の色もヘーゼルブラウン。美しい野生の獣みたいな、周りにキャーキャー言われるのにもそれを無視するのにも慣れていそうな確かな自信と独立心の気配。男爵という家格も美形と遊びたい婦人がたにはかえってもてはやされる材料になりそうだ。


 きちんとした礼を受けたアイオンは一瞬だけヘンリエッタに視線を向け、それから気のない感じで手のひらをひらりと振った。


「あー……今のであんたのことは最低限分かったわ。なら今後は俺にそういう礼節はいっさい尽くすな、むしろ全撤廃してくれ即刻」


 む。意外なことを言い出したな。


 顔をあげたイースレイもほんのわずかに当惑の色を眼に混じらせ、「よいのですか?」と聞き返す。アイオンは居心地悪そうに身じろぎして紫色の眼を細め、


「俺は他人の腹の中読むのは向いてねぇし、そういうのいちいち気にすんのも面倒だからな、日常的に接する人間には慇懃に徹されるほうがやりにくいと今分かった。悪意を覆い隠しての丁寧さとの区別がつかねぇ。それで面従腹背やられた日にはたった一個の落とし穴でも致命傷だろ。本当にここでやってく気なら快不快を取り繕わず、素のままでいろ。……要はこいつを見習っとけってことだ、シャクだけど」


 急に指を指されてヘンリエッタは目を丸くした。


「え、えー……でもそれはアイちゃん、義理の姉予定の私が特別枠なんであってさぁ……」


「その義理の姉の座をいまだに諦めてねぇお前は俺に悪感情なくて当然だから雑に扱っていいだろ。何考えてこんな僻地に志願したのか分からんクワラさんちのイースレイは慎重に扱わなきゃまずいだろーが。お前とは天と地の差だな」


「やだーっ! 何で畏怖されるべき魔女かつ可愛いお姉ちゃん枠が雑でイイ判定なの!?」


 自分だけの特等席だと思っていたものがもろくも崩れ去り、躍起になって食い下がろうとするけれど、アイオンは一向にしらっとしている。私が言うのもなんだけど出会ってからそう時間も経ってないのに適応しすぎでは?


 すると黙って見ていたイースレイが吹っ切れたように背筋を伸ばし、


「そういうことなら了解した。俺がギャレイ宮廷伯のお召しに応募したのは、王宮の第八書庫の番で一生を終えそうな木っ端貴族が今よりは確実にマシな未来が拓けるだろうと藁を掴んだだけで、なんら他意はない。が、そちらの境遇を思えば疑ってかかるのはもっともだ。そちらは半信半疑でいる、俺は素でいる、お互い自由にすればいいことだな」


 すらすら、理路整然、淡々。ギャレイの手紙に添えてあった彼の経歴には官僚教育を受けたとあったが、確かにそれらしい性格をしているようだ。


「ちなみに呼び方は『殿下』で構わないのだろうか?」


 とアイオンにドストレート直球を投げる図太さもある。アイオンは首に手を当ててちょっと考え、


「……離宮にいたころ……、ガキのころはストレス溜まるとたまに下町へ抜け出してガキ同士の遊びに混じってたんだが、その名残で同性・同年代のヤツにそう呼ばれると違和感がすげえんだよ。名前呼び捨てでいいぜ」


「ではそれもお互いそのように」


 なるほど、アイオンの王子らしからぬ口調はその下町での経験で醸成されたものだったか。


 納得しつつ、ヘンリエッタのほうはすでにイースレイに裏があるという考えは捨てている。アイオンだってものぐさの自覚があるのだし、いま釘を刺すようなことを言ったのはイースレイへの念のための牽制に過ぎず、長く不信感を引っ張るつもりはないだろう。クレアはだめだったが、イースレイという友人を遠からず彼は得るに違いない。


 私のことは友人……って認識ではなさそうだよなぁ。


「いいね~呼び捨て。私はアイちゃん呼び続けるけど」


「殿下と呼べっつってもお前が聞かねぇだけだろ。……もしかして拗ねてんのか? 女友達いねぇのか?」


「い、いやだって殿下と共通の女友達は全員浮気の容疑者になったり魔力暴走しちゃってあっちから縁切りされたりで……! ていうか見るからに友達できそうで良かったねーってやってるでしょ! 何見てたの!?」


 にこにこしながら拍手しているのが見えないとでも言うのか。別に、私は友達ではないよなーお兄さん殺しかけたとこからスタートだしなー好かれるようなことばっかしてもないしなーとか考えてないし。全然ちっともっ。


 と、イースレイの涼しげな眼がすいとこちらを見た。


 あ、と確信があった。ヘンリエッタはイースレイの眼に宿る色に見覚えがある。理性で押し込めようとしているかすかな恐怖と、それを認めたくないがゆえの嫌悪感。


「……そっちが噂のヘンリエッタ・ブラウトか。さすがにこちらでは罪人らしくおとなしくしているものと思っていたが、公害的な傍若無人ぶりは変わらなかったようだな。俺はともかく、君はアイオンへの態度を改めるべきだろう。自分を省みることができるならの話だが」




 はぁ~~~~??




 ではなく。うんうんそうだね。微塵も物怖じしない、怖がらないアイオンがレアケースなのであって、普通はこういう反応を見せるものだ。


 そうと決まれば脳みそのモードを切り替える。


 ヘンリエッタはこなれた笑みを作り、


「初対面でずいぶんだねぇ。アイちゃんがこれでいいって言ってるんだからほっといてくれない? 事務官の仕事でもないんだし?」


「そうか、自省する能力がないのはよく分かった。王太子殿下がダメならその弟殿下という腹か? 常軌を逸した変わり身の早さには尊敬の念に堪えないな。平民なりの処世術というやつか?」


「うわ下っ世話~。木っ端貴族なんて言うけど言葉で人を傷つける力では上級貴族とタメ張れるんじゃないの、イースレイくん。あと殿下とはダメになってないから。アイちゃん狙いに切り替えたりもしてませーん」


「恋愛脳で人を殺しかける大魔女とやらの思考回路には本当に恐れ入る。少しは現実を直視したらどうだ? 常識的に考えて賢明な王太子殿下がそんな恐妻を娶ると思うか? 君とのいっさいの接触を断っている現状が、殿下が君に恐怖し敵意を抱いている何よりの証だ」


「へ~あの人がそんなタマだと思ってんの? 分かってないね~」


 いやぁほんと、これなんだよねぇ。完璧なにっこり笑顔の裏でしみじみ思う。どういう属性を軽んじる性格なのかの違いはあれど、どこの家でも必修なのかというくらい意地の悪い話し方が標準装備なのだ。現にクレア・ザクスビー一派とイースレイのねちねちした口撃手法はよく似ている。


 アイオンはわずかに目を瞠って驚きに打たれたようにふたりの応酬を凝視している。自分には偏見なく好意的なのにヘンリエッタのことは遠慮会釈なく軽侮するイースレイという見たことのないタイプの登場に当惑しているらしい。まぁそうなるよねぇ。


「あ、そうびっくりしなくていいからねアイちゃん。クレア一派も出会い頭からこんな感じだったでしょ、こういうお貴族様流のゴアイサツって全然ザラだから。こんなんでマジになって魔力暴走なんかしないよ」


 面食らう気持ちは分かるが、広い世の中、色んなタイプがいるんだから割とフツーのことだ。クレア一派のようにふたりともを嫌ってくる人たちもいれば、アイオンには好意的でもヘンリエッタにはそうではない人たちだっている。会う人間みんながまず彼に好意的でない離宮が異常なのだ。


 イースレイも一区切りつけるように腕組みをして「そうだな。頭お花畑の魔女とは性格上どうしようもなくそりが合わないということを早めに確認したというだけだ」と言い放つ。うむ、意見が一致して何より。ある意味では気が合ってるのかなコレ。ぞっとしないけど。


 アイオンはかったるそうに溜め息をつき、


「……そんな心配してねぇよ。イースレイ、そういう挨拶を続けるつもりならもういい。マリオネットに掃除させたお前用の部屋があるから荷物置いてこい。仕事の話はそれからにしようぜ」


「分かった」


 頷くや、すたすたと書斎を出て行く。それにしたって割り切りが早い男だ。今後はいっさい慇懃にしなくていいからと言われても普通はもうちょっと戸惑うものじゃないのか。


 彼の背中が消えていった扉をじとっと見ていると、アイオンが「おい」とそっぽを向いたままヘンリエッタを呼んだ。


「ギャレイ宮廷伯に言って別の事務官寄越してもらうか」


「え、何で? 仕事はできるみたいだしアイちゃんに好意的だしで、そう悪くない人材だと思うよ。ギャレイ宮廷伯はもうひとり魔術師も派遣してくれるって書いてたけど、到着はまだ先になるみたいだからねぇ。イースレイには何としてもここに居着いてもらわないと」


「……。ふうん。まぁ、そうだな」


 そう言ったきり、すっかり興味を無くしたようにアイオンは話を切り上げる。……ん? いやそっか、誰かが突っかかられてる横で自分だけ厚遇されても居心地悪いだけでこれっぽっちも嬉しくないよね。そういう環境で平気な人もいるけど、彼はどう考えてもそんなタイプじゃなかった。あああ、もうあと三秒早く気づいてたらなぁ!


 そうとは知らずアイオンの優しさを無下にしてしまったヘンリエッタは、慌てて顔の前で手を振り振り、


「あーっ待ってやっぱり事務官替えてもらお!? アイちゃんのことも私のことも尊敬してて私と殿下の仲も快く応援してくれる事務官、ギャレイ伯ならきっと探し出せるよ!」


「国中探してもいねぇだろ、そんなヤツ」


「そんなことないってば!」







 書斎に戻ってきたイースレイに現状を説明すると、彼はあらかじめ準備してきていたらしい資料をずらりと机に並べた。優秀なのは確かなようだ。


「王宮の書庫番だったからな、情報へのアクセスはやりやすかった。この南部をざっと見てみたところ、行政監督庁の指導が入るべきところがいくつかある。しかしどこから手を付けるにしろ、準備をしっかりしてから叩かないと逃げられるだけだから、時間はかけるべきだが」


「……そんなに怪しいとこがあんのかよ」


 イースレイは気負った様子もなく、悠然と頷く。


「俺から見ればな。だから行政監督庁としてどこから調査していくべきか決めてもらうには、まず提言者の俺の手腕を信用してもらうところから始めなくてはいけないことは分かっている」


「なるほど。そこを含めてもそもそも時間がかかる仕事なわけか、行政監督庁ってのは」


 イースレイが話す内容も準備してきたことはもはや明らかだった。明確な職分のない預かりの身に過ぎないので、一応この場面ではヘンリエッタは黙ってふむふむと聞いている。


「そうなるな。焦って最短ルートを急ぐと相手の掘った落とし穴に嵌まってし損じる。嫌疑をかけて大々的に調査した後で無実だったと分かった場合も並々ならぬ恨みを買う。慎重さが肝要な仕事だ」


「貴族の恨みなんか想像するだにぞっとするね。女王陛下もことさら厄介な立場に追いやってくれたもんだ」


 アイオンが皮肉めいた顔で笑い、直後、閃いたというように手を口元に当てる。


「ああ待てよ、職務遂行に時間がかかるってことは、何もしねぇでだらだら過ごしててもなんとなーく仕事してる風に受け取られてるし給料も入るってことだろ。最高じゃねぇか。やらなくていいもんはやらねぇに限る……」


「えーやろうよ、せっかくお勉強までしたんだから」


「やめてくれ、こっちの出世に関わる」


 うげ。イースレイと発言がかぶった。思わず視線がぶつかって見えない火花が散るが、ヘンリエッタは先に気を取り直してアイオンへにこにこと微笑みを向ける。


「……だいたいからして女王陛下直々のご下命だからね? ホントあがけるタイミングは絶対見逃さないね~」


「で、毎回お前に潰されてな。はぁ……、めんどくせえ。儲けるためにあれこれ悪知恵絞ってる奴らの不正を糺せとか言われたって、箱入りで通してきたこの俺にそんなおおごとのイメージ掴めるわけねぇだろうが……」


 そうはいっても不満を表に出したことでいったん気は済んだのか、アイオンは椅子の背もたれに体重をかけて唇を曲げるに留めた。




 その矢先、ぱたぱたと窓に雨粒が当たり始めた。一分と経たずに雨音は激しくなり、空は重たい灰色に染まる。


「……雨か」


 三人の眼は自然に窓の外を見た。


 まだ夏を残した暑い日と秋の訪れを感じさせる涼しい日が交互にやってくるような季節の変わり目の南部は天気が不安定で、ときに嵐に襲われる。暴風や高波、悪いときは猛吹雪まで。


 近いうち大きく天気が崩れるのは間違いないだろうが、今回のはどうだろう。


 そう思ったとき、表がにわかに騒がしくなった。

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