ハウスパーティーに行こう
アイオン・レンスブルクは滅多に感情を揺らすことなく生きてきた。
自分の置かれた環境に「なぜ?」と問うのもとっくの昔にやめていた。
兄ハイラントが平民の女と婚約した上に、その女が危険な大魔女だと聞いたときも「なんでよりによって?」とは思わなかった。どういういきさつかは知らないが、とにかく兄貴はその女と結婚することになったらしい。それ以上でも以下でもない情報だ。
魔女ヘンリエッタはハイラントの婚約者ではあったが、平民ゆえにアイオンが離宮から引っ張り出されるような式典には出席を許されておらず、直接対面して話す機会はこれまでなかった。
彼女のほうはアイオンの顔を肖像画で見たのか、それとも宮廷魔術師の仕事中に遠くから垣間見たことがあったのか、一言目には「弟くん」なんてふざけた呼び名で呼びかけてきたが。
けれどさしものアイオンも、兄が浮気して婚約者に殺されかけたと耳にしたときは唖然とした。
兄は最高の治療を受けて命に別状はないというのでやっと安心できた。全く、また処刑台の汚れが増えると思っていたら、今度は女王陛下が理にかなわないことを言い出した。ヘンリエッタを処刑しないというのだ。
その理由――魔力暴走を避けるため女王でさえヘンリエッタに酷いことはできないらしい――は後に彼女本人から聞くことになるのだが、事態はさらに奇想天外な方向へ転がった。
何がどうして俺が、暴走して兄貴を殺しかけた女を預かって南部に行くことになるんだ?
その命令を受けたとき、アイオンの頭に久しく浮かんでいなかった「なぜ?」が無数に生まれた。それのどこが王太子を殺しかけた女にふさわしい罰なんだ? なんで俺が巻き込まれる? 離宮に追い出してもまだ足りないくらい俺が気に入らないのか。
別に逆らおうって気はさらさらない。自分は流されるままでいい。
ただアイオンは、女王にも離宮の人間にも投げかけるのをやめていた「なぜ?」をその魔女に話の流れでついこぼしてしまった。
「仮にも王太子を殺しかけたあんたに対する処分、どう考えても甘すぎるだろ。もしかして女王の弱みでも握ってんのか?」
思わず訊いたことなので、快く回答されるとは特段考えていなかった。第一、あっちは冷遇されているアイオンに関わってはいけない厄ネタのような印象を抱いていてもおかしくない。
しかし恐ろしく厄介で危険な魔女は、面白がってその問いに明快な答えを寄越してきた。
変な女だ。
発端が浮気だそうなので兄のことでわざわざ自分が彼女を責める必要もない。やらなくていいことはやらないに限る。
目に柔らかな長い金茶の髪に灰色の眼をしたヘンリエッタは、色彩の組み合わせこそ市井でよく見るありふれたものではあるけれど、なるほどまぁ際だって可愛らしい少女で、兄はこれにコロッといったのかとは一瞬考えた。反面、人懐こい笑顔と少女らしくほっそりした身体のラインはいざとなったら容易くへし折れるひ弱なイメージしか湧かない。体格も身のこなしもあれでは頼りない。
そう思うと、人を殺せる存在と相対しようが怖くはなかった。
魔力暴走にだけ気をつけていれば充分だろうと思った。
言葉を交わしていくにつれ、魔女としてではないヘンリエッタの輪郭が少しずつ見えてきた。
お節介で押しが強い。
立て板に水とばかりによく喋る。
喜怒哀楽がはっきりしていて、アイオンが何を言っても言い返される。
離宮では人とまともに会話することもまれだったことを差し引いても、人との言い合いが面白いと思ったのは初めてだった。自分がとうてい好感を持たれるような喋り方をしていない自覚はあったので、よく邪険にしないでいられるもんだと考えながら、またぞろ「なぜ?」がよぎるのを、その瞬間に自制しておければよかったのだが、今となっては後の祭りだ。
ヘンリエッタはあれだけのことをしておきながら、ハイラントのことを諦める気はさらさらないようだった。
ハイラントは私のワガママを止められないという彼女の主張を、アイオンは、そうはいっても目移りされた負け惜しみか失恋を認められない意地っ張りかプライドを守ろうとする防衛機制あたりだろうと見ていた。あるいは将来の王妃の座を夢見て研鑽してきた過去が、望みのない夢を手放させないのかもしれない。
しかしアイオンの読みは完全にハズレだった。ヘンリエッタはことあるごとにハイラントの話をして、アイオンにとりなしてほしいと頼んでくる。浮気されたら殺すくらい大好きなんだと態度の全てが言っている。
よぎった「なぜ?」の答えはこうだ。
ヘンリエッタがアイオンを否定しないのは、ハイラントの弟だからだ。
まぁそりゃなあ。別にこっちは構わない。なぜ、と思ったことに答えが見つかるだけ全然マシだぜ。
それから、お節介なおしゃべり女はアイオンに読み書きを教えると言い出した。アイオンがどれだけ渋ったって聞きゃしない。
王宮で花嫁修業に励んできた経歴は伊達じゃなく、ヘンリエッタは知識量も教え方も抜群だった。力を出し尽くして寝落ちするまで詰め込んでくるスパルタっぷりである。国を挙げて甘やかされるべき女を自称するくせに行動選択がやたらと泥臭い。
バカバカしい、代筆で済むものをこんな常識外れのハードスケジュールで学ぶのはただただだるい。
本来自分は何かをできるようになりたいとかいう向上心や克己心とは無縁の男なのだ。ワガママ通すことにかけては一級品、だなんて公言するお前だってそうであるべきじゃないのか? 無茶な夜更かしで体力が削れたらすぐぽっきりいきそうな見た目は飾りかよ。思うところは数知れないが、口では勝てない。勝とうとするなら莫大な労力がかかるのは間違いないだろう。
流されるのが、結局は楽だった。
◆
翌日にはギャレイ宮廷伯の手配によってマリオネットが届き、アイオンとヘンリエッタは身だしなみなどの準備を終えてから馬車に乗り込んだ。昨日のうちにクレア・ザクスビーには『鳥』で一日だけディナーの招待をお受けすると伝えてあるが、アイオンはさてどうかな、と冷めた目で腕組みをする。
「昨日招待を受けて今日の夕飯だけ食いに行きまーす、第二王子は忙しい身なんであしからず、ってか。さぞ気位の高い貴族のとさかに来るだろうぜ」
四つ足のマリオネットが引く三頭立ての馬車は、本物の馬よりもずっと軽快に街道を行く。ザクスビー領は南部行政監督庁舎のある南部王領地に隣接しているから、今回の道のりにはそう時間はかからない。
「言ったでしょアイちゃん、王子様って本来ものすっごーく偉い人で、離宮が異常なだけだって。それでもなおこの程度で怒ってくるヤツがいるなら、それはアイちゃんの態度の端々が『僕を舐め腐っていいですよ~』って言っちゃってるの。見下される隙があったとしても『俺は偉そうにしてて当然!』って態度でいれば、周りの対応も偉い人に対するそれになってくよ」
アイオンの向かいに座ったヘンリエッタは、くりくりした灰色の眼を笑みの形にたわめて彼の皮肉を軽く笑い飛ばす。この脳天気。そんな簡単にいくもんかよ。
アイオンは大きく溜め息をつき、
「……早く帰りてー……」
「まだ着いてもないのに!?」
ぼやき一つに即ぷりぷりし始めた。こんな調子でヘンリエッタの表情はコロコロ変わる。口で勝てないところは面倒だが、彼女と関わってからアイオンの退屈な時間がぐっと減ったのは確かだ。
その顔を見るともなしに見ながら、アイオンは出発前から内心訝しんでいたことを口にする。
「そういや何でお前は着替えてねえんだ?」
昨日ドラクマンの街道騎士団支部でふたりともお呼ばれ用の服を仕立てたのに、ヘンリエッタは普段通り、宮廷魔術師だった頃の制服を着ている。アイオンに「早く着て見せて早く早く! 似合うよ~!」とはしゃぎ回って急かしてきた側が、どうして着飾っていないのか。
いつになったら着替えるんだと不思議がっていたアイオンが実際に訊ねることを億劫がっているうちに、馬車に乗り込む時間が来てしまった。こいつのことだから何か理由があるだろうと思って好きにさせていたのだが。
「そんな古巣の制服のままで、パーティーに来る令嬢のうち何人に勝てる気でいんだよ」
単に容色だけで比較するなら分の悪い戦でもないだろうが、パーティーといったら身につけている物の高価さ、希少さとか、センスの良さとかまで比べる戦いになるんじゃないのか。半目になってアイオンが指摘すると、案の定ヘンリエッタはこちらの好奇心を歓迎するように微笑んでスカートの裾を指先で引っかける。
「私はこれでいいの! 今回はこれが勝負服だからね」
……また次は何を考えているんだか。
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