レディからの招待状

 なんと、ギャレイ宮廷伯からの返信は翌日にはこちらに届いた。さすがだ。


 便箋には流麗な筆跡で「マリオネットと物資に関しては明日にもそちらに届く手筈です。派遣する人材に関しては業務の引き継ぎもありますので、もう少々お時間をいただきますことご容赦下さい」と慇懃に書かれてあり、ようやくヘンリエッタは心から安堵できた。


 自身が教育係のひとりを務めただけあってハイラント派であろう彼が、アイオンに実際どれほど心をかけてくれているのかは分からないし、もしこの仕事の迅速さがヘンリエッタの不興を恐れたものであろうと構わない。まもなくここにマリオネットや物資、人材が届くこと、それが何より重要だ。




 ヘンリエッタによる限界寝落ち読み書き教室はもう今日で四日目になる。


 それぞれの部屋のベッドは掃除をしてもダニがひどく、安眠を遠ざけるものでしかないと初日に分かってしまったから、ふたりとも自室に戻るのを渋って書斎のカウチで過ごすしか為す術がない。新しいベッドもマリオネットなどと同時にギャレイに手配を頼んでおいたが、まだ届いていなかった。状況的に、バカでかくて虫刺されの被害に遭わない素晴らしいこのカウチで何もせずに過ごす手はないし、じゃあまあ勉強しようねーということだ。


 昼間は庁舎の掃除と整理をして過ごし、暇があれば周りを探索して番小屋や氷室、小さな礼拝堂を見つけた(全部ボロかったが)。


 すでにヘンリエッタはこの南部が結構好きになってきている。もちろん早く王都に舞い戻ってハイラントとの関係を修復したいのには変わりないけれど、せっかくだからこっちの暮らしを楽しむ気持ちが生まれてきていた。




 しずしずとした秋の近づきを感じさせる晴れた午後のこと。アイオンがぜーひー言いながら書き上げた着任挨拶を諸侯のもとへ配達してきた『鳥』が丸一日ぶりに戻ってきた。


 諸侯から型通りの返事が各家の『鳥』によって届くのは少し先になると思っていたのだが、なぜだか『鳥』は一通だけ手紙を持ち帰ってきた。いやに早いな。その場で返事を走り書きしたなんてことはないだろうけど。


 ヘンリエッタは書斎の窓辺で黒いくちばしからそれを受け取り、首を傾げる。封蝋に押された印章は、確か……。


 記憶の糸をたどってみてびっくりした。


「んわ! 誰からかと思ったらザクスビー伯爵家だ!?」


「伯爵家? なら、俺も知ってる……か……?」


 とぼけた調子でアイオンも首をひねる。いやそこは自信なさげに言わないでほしいとこなんだけどな。


「式典に呼ばれるような主要な家とは毎回社交辞令として挨拶くらいはしてきたぜ。無感情にこなしてただけだったから具体的に誰々の顔が思い浮かんだりはしてねえけど」


 淡々と言いながら彼は曇りきった壁掛け鏡を濡れ雑巾で力任せにごっしごっし擦り続けている。もうやり始めて二十分近いと思うんだけど、彼の疲れよりも鏡がグキっと曲がってしまわないかのほうが心配だ。力と体力があるのはとってもいいことだが、基本的に物事すべてに斜に構えているアイオンは集中力を欠いてうっかり力加減を間違えがちなのだ。


 ヘンリエッタは「アイちゃんまた『あ』って手が滑って壊しそうだからそれ貸して」と鏡を奪い、


「ザクスビーは代替わりしてから領地経営に成功して、この南部でも経済力は上位の家だよ。でもこんなタイミングでお手紙ってことはアイちゃんの着任挨拶とは別件だよねえ。宛名は行政監督官アイオン・レンスブルク様ってなってる……あ、差出人はクレア・ザクスビー名義だ」


「あそこの令嬢か?」


「そうそう、私は面識ある。なんで伯爵じゃなくてクレア嬢なんだろうね?」


「……行政監督官に宛てられても、まだもう少し仕事始められる状況じゃないんだがな……」


 アイオンはヘンリエッタの手から手紙を受け取り、レターナイフで封筒を切り裂く。彼が手紙の内容に目を通すのを、ヘンリエッタは静かに見守った。用件がなんであれそこには難しい言葉も綴られているだろう。出来ればここ四日の勉強が実っているところを見たいなあ。もし読めない部分があってもあまり気にしないで、やる気をなくしたりしないでほしいな。


 果たして、アイオンは文面をちゃんと理解できたらしい。


 それは良かったものの、彼の表情は壊され損ねたこの鏡のように曇っている。


「……何だこれ。ハウスパーティーの招待状らしいぞ。ハウスパーティーとか行ったことねえよ。いや待て、お前が読めば正しい文面が現れるか? 俺の読解力は付け焼き刃でアテにならない、そうだよな?」


「え!?」


 ハウスパーティー?


 ヘンリエッタもこれにはぱちぱちと灰色の眼を瞬く。そんな唐突な。


 アイオンに促されて自分でも文面を読んでみる。当たり前ながら文章は変化したりしないし、アイオンはばっちり文意を読み取れていたと確認できただけだった。どの角度から何度読んでも伯爵家令嬢からの招待状だ、これは。




 ほとんどの富裕層は王都の邸宅とは別に地方に別荘を構えている。のどかで伸びやかな田園地帯で、比較的カジュアル・アクティブな、王都での華々しいイベントとはまた趣の異なる密な社交を楽しむためである。


 ハウスパーティーもその一種で、地方の自邸に懇意にしたい相手だけを招待し、遠路はるばる足を運んでくれた客人たちと狩猟やゲーム、散策、ボート遊び、ディナーなどに興じる。それなりの日数を押さえることになるので、令息令嬢の縁結びの機会としても大きな役割を持つ。社交界ってホントに誘うほうも行くほうもお金かかるね。




 そこまで考えて、ヘンリエッタはふとクレア・ザクスビーが自分と同年代の未婚のご令嬢という情報を思い出した。でも、もろもろの情報を総合するとどう伝えたものか。


「んん……アイちゃんは正しいよ、勉強が報われて良かったね。間違いなくアイちゃん宛てのハウスパーティーの招待状なんだけどぉ……」


 言葉選びに注意しよう。モテてるモテてないの話で男の子をぬか喜びさせるのはかなり罪深い。折れちゃいけない鼻っ柱がポキッと折れて、性格が変わってしまう子も中にはいる。でももしかしたら、アイオンは世をすねた性格してるから、ヘンリエッタが言うまでも無く自分がモテてるかもなんて期待はポイ捨てしているかも。


「何だよ」


 億劫そうにアイオンが視線を上げる。平常運転、社交界に渦巻く思惑とそこに潜む落とし穴のことなんて気づく必要すらないと思っている顔だ。


 それって良いのか悪いのか。


 ヘンリエッタはちょっと言いづらさを感じながら、しかし笑顔は絶やさず、


「ハウスパーティーってお客さん泊まりで何日もやるものだから、レディから招待が来るってことはラブコールもらったのに等しいでしょ? 色々あって自己評価低い上にその状態で開き直っちゃってるアイちゃんが女の子にモテてる~! めでたい! って盛り上がりたいのはやまやまなんだけどね?」


「盛り上がるなよ」


「でもね、あの~……ちょっと言いにくいんだけど」


 アイオンの幸せに繋がりうる相手に余計な先入観を植え付けることにもなりかねないから、どうしても言葉が尻すぼみになる。本人不在の場でこうして忠告するというのも、結局自分がやられた陰口と変わらない行いのような気もする。とはいえ、自分を軽んじる言い方ばかり達者な彼がノーガードで心の柔らかい部分を晒して接してよい相手なのかというと、正直ヘンリエッタの考えではそうではないのだ。


 考えた末にヘンリエッタは軽く溜め息をついて口を開いた。まぁ多少軽蔑はされるかもな。言うことにしたからには必要経費と割り切ろう。


「まーざっくり言うと、クレア・ザクスビー嬢とそのお友達には王宮でなんやかんやピーチクパーチクあることないこと言われてちょっとうざかった思い出があったりなかったりで」


「……………………へえ?」


 ん? 不思議なリアクション。


 唇をめくるようにして薄く笑みを浮かべるアイオンは初めて見た。彼の鋭く整った顔立ちが急に酷薄さや悪人っぽさを帯び、ヘンリエッタはそんな顔はやめてよと反射的に慌てた。また周りに誤解されて損するよ。


「あ、でもその当時の話ね、当時の! 現状の人となりがどうかは知らないし、そんときの『イラッ』は今アイちゃんにぶっちゃけちゃって先入観植え付けたのでスッキリした程度よ。魔力暴走するほどのことではなかったです。君が私の私怨から出た事前情報を真に受けるような素直なタイプじゃないのはもう分かってるしね、あとは本人と直接お話しして深く知っていったらいいんじゃない? 向こうが君に気があるならの話だけど」


 何もかも面白くないと言うようにアイオンは鼻で笑う。


「まさか招待受けろってのか? 知らない女の家で知らない奴らと何日も泊まりでパーティーなんかやってられるかよ。ストレスで落馬する」


「ハイハイ。だから一日だけだよ。ディナーのお誘いだけ受けたら仕事を理由に固辞しても義理は果たせるでしょ。マリオネットも明日届く予定だし、夕方行って一泊して朝一番で帰ればいい」


 本気で当たらねばならないお客さんはランチでもティータイムでもなく腕によりをかけたディナーに招くもの。王都でもここでも変わらない社交界の暗黙の了解だ。逆に言えば、ディナーのおもてなしに相応の礼節をもって完璧に応じることが相手の顔を立てることにもなる。


「……まぁそりゃね? 私たちふたりとも、まず何かしら不愉快な出来事はあるだろうけど? でもそうなってもいつも通りと言えばいつも通りでしょ。たまには挑戦しなくちゃ変化がないって」


 アイオンのいた離宮はどうもふざけた暗黒空間だったようだし、何も悪いことはしていないのに敵の多い彼には上級貴族の味方がいて損はない。いっとき我慢すればいいばかりか、不愉快が積み重なるようなら無理に下手に出て関係を継続しなくたっていいけれど、最初から味方を作るきっかけをふいにするのは、それはそれでアイオンの損になる。そもそも向こうもお金と労力をかけて企画してるぶん、適当に断ると角が立つイベントだし。


「預かられてる身として私も行くからさ。初めてのハウスパーティー! ふたりで行けば怖くなーい! ねっ!?」


 にこにこと説得にかかるヘンリエッタに、結局アイオンは「俺だけなら別になんも気にしねえよ」と面倒くさそうな溜め息を落として折れた。

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