買い出しに行こう

 この十年ほどでマリオネットの配備が進み、農業生産性が飛躍的に向上したことで、余剰物を交換する市が街道の辻などに立つようになった。


 その市の秩序を守る護衛が雇われ、街道を行き交う商人や技術者もまた、交通の安全を求めて護衛を雇った。


 次第に定住して店を構える者が増え、市場は街となり、規模を増した護衛団は街道や郵便の安全を保証するために武装を許可された国家公認の騎士団となった。


 現在の『街道騎士団』の沿革である。




「アイオン殿下、大魔女ヘンリエッタ様! こうしてお目にかかれるなんて光栄です! お二方がこの南部の行政監督庁にいらっしゃるなら、我が騎士団はお二人の手足となって働かせていただくこともありましょう! ということでこちら、ほんのお近づきの印に! お納め下さい!」


「わぁ~こんなにたくさんいいんですかドラクマン支部長~!?」




 わびしい無一文だったヘンリエッタは、昼前には街道騎士団支部長に山のような「お近づきの印」を差し出されて黄色い声を上げていた。


 各地の街道沿いにある街道騎士団支部なら庁舎からも馬車ですぐだ。しかも王家の紋章を掲げた馬車で乗り込んだのだから、先触れなどなくても女王公認の騎士団はとっても愛想良く対応してくれた。極めつけに、第二王子アイオンと魔女ヘンリエッタが直接足を運んだと分かれば、支部長が応接間へ血相変えてすっ飛んでくるのは必定だった。


 ここの支部長は名をマーティン・ドラクマンといって、ドラクマン男爵家の出だそうだ。目元の笑い皺と気取った感じのない素直な、あるいはミーハーな人柄が特徴的な、四十歳前後の大男。騎士団は実家を継げない貴族子弟の受け皿のひとつでもあるから、構成員には貴族の血を引く者が多い。


「パン、チーズ、ビール、ワイン、毛織物、どれも騎士団印の上質なお品! あーっでもこれは! このあのー金ぴかの! 細長くって重たい金色の金属はさっすがに気を遣わせてしまいましたよね!? 私がさっきレースの編み棒がほしいなんて言っちゃったから! 申し訳ありませんほんとに~!」


「いやいやそんな、それは編み棒ですから! ちょっと太めの! それくらい贈らせてくださいヘンリエッタ様!」


「……」


 アイオンはヘンリエッタとドラクマンの白々しいやりとりを、何やってんだこいつら? という呆れ顔で見ている。


「そうですか? じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな~!」


「ええ、ぜひぜひ!」


 ドラクマンは喜色満面で頷いて、あっと思い出したように口ひげを蓄えた口元をガントレットで守られた手で覆う。


「ああちょっとお待ちを、王都への連絡手段も至急ご入り用とおっしゃいましたよね? この支部に配備されている『鳥』のマリオネットから一体お貸しします! 取って参りますね!」


「何から何までありがとうございます~!」


 急ぎ足で部屋を出て行くドラクマンの背にそう声をかけるヘンリエッタに、黙って見ていたアイオンが呆れと困惑の入り交じった顔で、


「おいどうなってる? 俺たちは現在進行形で賄賂もらってるってことか?」


「そんなわけないでしょ」


 静観をやめるなりとんでもないことを言い出すじゃないか。ウキウキで贈り物を抱っこしていたところに度肝を抜かれ、ヘンリエッタはむっと彼を見上げた。


「そうじゃないならどうして鼻つまみ者の第二王子と王太子を半殺しにしたばっかりの魔女がこんなに媚びを売られんだ。怪しいだろ」


 アイオンは不審がってじっとドラクマンが出て行った扉を気にしている。すぐにも扉が向こうから蹴り開けられて、武装した騎士たちと生きるか死ぬかの切った張ったが始まると思っている様子である。彼なりに経験に裏打ちされた後ろ向き思考なんだろうけれど。


「アイちゃんねえ、王都と離宮が国土の何分の一ぽっちだか分かってる? ノリで第二王子様を冷遇するとか怒らせたら最悪死人が出る魔女に平民だからってうだうだ言うとか、そんな考え方ぜんぜん一般的じゃないんだからね。あそこが世界のすべてじゃないよ」


「あそこがこの国の中心だろうが」


「その外側で自分の生活を持ってる人たちからしたら知ったこっちゃないよ、そんなの。君の冷遇にしても私の魔力暴走にしても、噂はどこまでも流れていくものだけど、みんな私たちに直接会ったってわけでもない。いざ対面したらまずインパクトに呑まれて、それから漠然と、王子様イコール怒らせたら極刑、大魔女イコール怒らせたら魔術で殺される、って考えて低姿勢に出るのが自然だよ。だからこれも賄賂とかじゃなくて、自分の身を守るための正当な『お近づきの印』なの。くれるんだからもらっとけばいいんだよ」


「新任の監督官を初手から罠にはめる気かもしれねえ。自分で自分を摘発すんのはごめんだぜ」


「ちーがーうって」


 疑り深いなあ。人間不信に近いことまで言い出すから、ヘンリエッタも苦笑をこぼしてしまう。万が一アイオンの予想が的中したところで、ヘンリエッタの脅威を印象づければどうにでもなることだ。


 大丈夫大丈夫と言い続ければ、やがて立っていた気が落ち着いてきたのか、アイオンが例のつまらなそうな世をすねた顔になる。


「……いや、あんたが正しいか。そもそも俺が離宮の外のことなんかまともに知るわけねえわ」


 ノータイムでヘンリエッタはかぶりを振った。そんなことでアイオンが自分に見切りを付けるかのような態度を取る必要はどこにもないし、彼のこういう発言は全部華麗に打ち返すと内心で決めたところだ。


「その上でアイちゃんが離宮の闇に染まってないのは美点だよ? 口調は一体どっから仕入れてきたのって感じではあるけどね。友達か知り合い由来だったりするの?」


「さーな。……つーかその物慣れた調子の良さ、財産没収したってあんたにはまるで処罰にならねえじゃねえか。世の理不尽を感じるね、まったく」


「いやぁお待たせしました!」


 と、ドラクマンの明るい声がふたりの会話を終わらせた。軽く息を切らして部屋へ戻ってきた彼は、「どうぞこちらをお使い下さい」と『鳥』のマリオネットをアイオンの腕にとまらせる。黒いボディに青白いラインをぼうっと光らせながら、『鳥』は従順で無機質な眼をアイオンに向けたが、彼のほうはしらっとしていて別段興味も情もない。腕が重いとしか考えていない顔をしている。


 ヘンリエッタは愛想良くドラクマンに感謝を述べ、


「支部長は王都での大規模演習にも参加なさっていると思いますが、王宮との連携はさぞ大変でしょう。仕事の早い事務方というとどなたを思い浮かべます?」


 ドラクマンは口ひげを撫でながらうーんと考える。


「それですと、ギャレイ宮廷伯ですかね。末端にまで指示を行き届かせる方なので何をするでも手配が早いですし、よく気の付く方です」


「ギャレイ宮廷伯ですか……。なるほど、ありがとうございます」


 ギャレイ宮廷伯なら、ハイラントの教育に関わった人物のひとりでもあるので、ヘンリエッタも何度か会話したことがあった。宮廷伯とは主に王宮の行事やマナーを差配する政務官のような国王の側近職で、常時王宮に詰めている。もう五十を過ぎる年齢ではあるけれど、彼は立ち姿ひとつ取ってもたるみを見せたことがない。女王に重用され、誰よりも王宮のしきたりを知悉している圧倒的な有利にあぐらをかいていないのだ。性格のほうは、長年王宮のよどんだ空気を吸ってきても折れないだけのしたたかさがあった印象だが。


 現時点で彼にアイオンに対する偏見や軽視があるのかどうかまでは分からないが、内心はどうあれ仕事をきっちりやってくれればとりあえずは上出来か。最優先は職場環境の改善だ。


 手紙の宛名は彼にするのが良さそうだと、心の中のメモに書き留めた。







 街道騎士団はそもそも市場の秩序維持から始まった組織だから、街道から騎士館へ続く舗装された通りの両脇には、所狭しと店が並んでいる。雑多な食べ物の匂い、人々の笑い声、活気の圧倒的なこと。王都に比べたら小さくても立派な市場で、ヘンリエッタたちは手早く「金のレース編み棒」として渡された金細工の換金と買い出しを済ませた。救急手当てセットを新調するのももちろん忘れない。


 まっすぐ庁舎に戻って昼食を摂り、即、書斎のカウチでの読み書き教室を再開して、早くも時刻は夕方。


 外が暗くなってきて紙に書かれた文字が読みにくくなったことで、ふたりは慌てて書斎の灯りを灯した。




「はいっ、これでひとまず最優先の用事は達成。有能ギャレイ宮廷伯へ宛てて私の名前を添えたからには爆速でマリオネットも物資も届くでしょ。頑張ったね~お疲れさま!」


 もらったチーズがとろけそうに濃い色合いの夕焼けだ。


 美しい文字で綴られた書類に不備がないかじっくりあらため、よし大丈夫と確認したヘンリエッタは心から称賛の拍手を送った。これが最初の実践課題ね~と言いつけたのを、なんやかんや文句を垂れつつもアイオンは見事に書き上げたのだ。ひとたび集中し始めてしまえば彼の呑み込みの速さは目を瞠るものがあった。


「……お前は……文字で人を殺す気かァ……?」


 ぐったりとカウチの背に伸びてぼやくアイオンの髪の鮮やかな色は、書斎を染める夕焼けそっくりだ。


 ヘンリエッタはドラクマンに借りた『鳥』の脚に書類をくくりつけて、開け放った書斎の窓から放す。真っ赤な空をバックに黒く輝くボディが翼を広げる。女王陛下の魔力に守られた『鳥』は風雨などに妨げられずにギャレイのもとへすっ飛んでいってくれるだろう。


 それを見送り、アイオンに向き直る。面白がっていることを隠さない弾んだ声を作り、


「うわ女の子に向かって『お前』呼びだ。別に私は貴族のご令嬢でも何でもない雑な育ちの平民だから構わないけど、ますます精神のメッキが剥がれてくねえ弟くん。それでいーの?」


「だったらお前は妙なあだ名じゃなく『殿下』と呼べって俺に何回言わせんだ。この、人類史上初の文字殺人犯がよ……」


「アイちゃんがおかしくなっちゃった……」


 というかこちらの話がまともに耳に入っていない。脳に到達すらしていない。


 あら。おもちゃにしていい段階は超えちゃってるか、これ。ヘンリエッタは彼の脳みそにちゃんと言葉が浸透するように、人差し指をぴんと立てて語りかける。


「可哀想だとは思うけど、ひとつ目標達成したからって詰め込み指導をやめるわけにはいかないよ。次は南部の領主のみなさんに着任挨拶のお手紙送らないと。今でも遅いくらいなんだから可及的速やかにね?」


「…………」


 アイオンはげんなりという言葉を絵に描いたような表情になるが、実際、昼間のドラクマンはアイオンの着任を知らなかった。このままではいざ食い扶持稼ぐぞーとアイオンが出掛けていって監督官を名乗っても、相手は突然の第二王子の出現に困惑するばかりでちっとも話が前に進まないだろう。これも礼儀であり必要な報連相だ。


 呆然と書斎の天井を眺めているアイオンを、ヘンリエッタは黙って好きにさせた。まぁそうなるのも無理はないよね。


 やがて抜けていた魂が戻ってきたアイオンは、のろのろと身体を引きずるようにしてカウチに座り直した。肺の空気を全て抜ききるような大きな溜め息を長々と吐いた後、倦み疲れた眼を向けてくる。


「……あー書く書く書きゃいいんだろ。けどな、このままいけば勉強漬けの俺はもちろんつき合って指導してるお前だって体力が持つはずねえだろ。当面の衣食住の心配もなくなったんだからお前今夜は休んどけ。お前がいなくたって手本見て書き取りするくらいはしとく」


「へ?」


 そんなことを言われるとは思っていなくて呆気にとられた。


 アイオンはすいっとこちらから視線を外し、興味を無くしたように頬杖をついて黙してしまう。言うだけ言って終わりという態度だ。こらこらこら、照れてるにしたって置いてきぼりはひどい。


「え、えーっアイちゃん! 心配してくれるんだ!?」


「してねえよ、いい加減ひとりの時間がほしいだけだ。予想した中で一番うざい反応どーも」


 振りでも脇腹を小突き回そうとすれば鬱陶しそうに手で制された。


 ヘンリエッタは別に寝不足は平気なたちだが、素直じゃないながらに思いやりを見せてくれたことがうれしくてホクホク顔だ。初対面に比べたらだいぶ心の距離が縮まったんじゃない?


「私なら大丈夫だよ、ありがとね。それより、ね、私たち姉弟っぽくなってきたと思わない? いつか殿下と三人でお茶してみたいな~!」


 調子に乗ってはしゃぐヘンリエッタを、ついにアイオンは完全に無視してきた。ちっ、あっちはあっちで私に慣れてきちゃったな。

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