ド田舎に行こう

「わぁ~これが庁舎~!?」




 南部行政監督庁舎なる建物を初めて眼にしたヘンリエッタがあげた第一声はこうだった。


 一見、感激しているようなセリフだが、その実はもう笑うしかないという空笑いだ。


 季節の移り変わりを報せるように少しオレンジ色がかってきた日差しの下、ゆるやかな坂の上に木々に囲まれて建っている庁舎ときたら、顔に「年季」と強烈な二文字が書いてあるような佇まい。


 いや、良いところにも目を向けよう。もともとは富裕層の別荘だったのを増築したのだろう。広さは充分なのは幸いか。


「俺らここに住み込みだからな」


「へえ~幽霊屋敷の幽霊の気分を味わえるんだ!」


「何言ってんだあんた?」


 かつては綺麗に整えられていただろう前庭に青々と生い茂る雑草を意にも介さず、アイオンは庁舎に向かってすたすた突っ切っていく。王子様が、この環境に尻込みしないのだろうか。


 空元気の冗談を一言で斬って捨てられたヘンリエッタは、一拍遅れて「あ、待ってってば」とその背中を追いかける。




 備品の鎌を装備して前庭に戻ったふたりは、せっせと草刈りをしなければいけなかった。信じられない。これは世界随一の魔女と第二王子がやることじゃない。


「ねえ知ってる? この世に高貴な中腰なんてものはないはずなのよ、弟くん」


 宮廷魔術師という地位におさまってからは久しく縁遠かった中腰姿勢に、懐かしい痛みがこみ上げる。ただでさえ馬車に揺られてダメージが蓄積されているところだからなおさら辛い。


 うつろな目でぶつくさ言うヘンリエッタが放っておけないくらいには鬱陶しかったのか、黙々と作業に徹していたアイオンが腰を戻して嘆息する。


「殿下って呼べっつってんだろ。……けどまあ、うんざりしてきたのも事実か。あんた、それこそ魔術でぱぱっと一面綺麗に出来ないのか?」


「んん、出来るもんならしたいけどぉ」


 この情報もすでに世間に知れ渡ってしまっている事実だけれど、ここまで世事に疎いアイオンにはもしかして見栄を張れないかというかすかな希望を捨てきれない。自然と口調も歯切れ悪くなる。


 しかしアイオンは「文句ばっか言ってんなよ」とオーラで語り、眼で先を促してくる。なかなかの圧。さすがは王子様といったところか。


 仕方が無いので見栄のことは諦めよう。


「あーこれも結構有名な話なんだけどね。私、自分の魔力を自由には使えないの。ここら一面焼き払うなら私がこの草たちに本気でキレなきゃいけないかな」


 類を見ない魔力量を誇る代償なのか、ヘンリエッタは自由意志で魔術をいっさい使えない。何かしらの感情の高ぶりに任せるほかないのだ。それでも、いざ魔力が暴れるままに任せたとき現出する魔術現象の規模が功罪問わず規格外なので、利用価値は天井知らず。この情報がヘンリエッタの処遇について何度議会を紛糾させたか分からない。


 アイオンは目を丸くして、


「なんだそりゃ……」


「ねー。繁茂するのがお仕事の雑草さんたちにキレろって言われてもねえ」


「そこじゃねえよ」


「ていうか、意外って言うなら君もだよ。色んなこと知らないよね?」


 軽口に流れかけた会話をちょいと引き戻すと、アイオンがこちらから視線を逃がして意図された平板さで言った。


「……俺はずっと離宮暮らしで式典とか以外王都には近づかねえ生活だったからな。それこそ有名な話だぜ。未来の義弟になるはずだった相手の不遇を知らなかったあんただって、大概無知だろ」


「……未来の姉弟らしいおそろいっぷりだよね」


「あんたやっぱ脳の構造から凡人とは違うのな」


 危ない危ない。


 アイオンは気が抜けたように淡々とした態度で作業に戻る。ヘンリエッタがにこにこ顔の裏でどれだけ冷や汗をかいているか気づいてはいまい。脳の構造から違うなんて言うが、ヘンリエッタの情緒は普通に人間だし、人並みであるように努力してきた。他人の危ういラインを踏みかけたら必死でお茶を濁す軽口を模索しもする。




 しかし、露骨な不遇か。どう見てもアイオンは今日赴任した様子だし、だというのに庁舎が予め清掃すらされておらず、さっき備品を漁ったときに見た限り他には人っ子ひとりいない。


 それが女王――ないしはその有力な側近かもしれない――による冷遇の一端だったとすれば納得はいく。そんな扱いをする理由はちっとも理解できないが。現時点での印象でさえ、アイオンが国の中枢から排除せねばならないような傾国のバカ王子とは思えない。だいたい監督庁の仕事だって滞ることになるのだし。




「ねえアイちゃん、いちおう私も平民ながらに将来の王配たらんとして猛勉強の日々で自分と殿下のことだけでいっぱいいっぱいだったのよ。アイちゃんのことは今までの分もこれからたっぷり構うから、年下の姉ができる日を心待ちにしてほしいな~」


「アイちゃんって何だ。んで、どんだけ諦め悪いんだ」


 思わずといったように突っ込んでおきながら、いやあんたの思考はよく分からん、もういいわ、と彼は気だるげに会話を切った。全然気づいていなかったが、よくよく観察してみるとものすごいスピードで草を刈っている。強い。高貴な中腰だ。







 肉体労働に終始しているうちにあっという間に日が暮れた。


 こういうのがスローライフってやつなのかな。だとしたら実態はだいぶハード寄りだよな。そんなことをのんきに考えたのもつかの間。


 涼しい風が吹き始めたのに急かされて、最低限の空間にだけ灯りをともす。どうやらアイオンの冷遇っぷりは想像の斜め下をかっとんでいるようなので、念のため残りの油を節約しようとヘンリエッタが思いついたのだ。


 手燭を携えて一通り庁舎内を駆けずり回ったヘンリエッタは、書斎の扉をばんと開けた。我慢できずに魂の叫びを上げる。


「きったなーい! どこもかしこも! アイちゃんほんとにここ前任者が使ってた庁舎!?」


 ヘンリエッタが冒険に出掛けている間に書斎の掃除をあらかた終わらせたらしいアイオンが、窓辺に立ったまま渋々説明する。


「だから殿下……、はあ。いや長らく使われてねえよ。こんな汚くて古いとこ使うわけねえだろ。みんなこっちにイイ屋敷建ててそっちを事実上の庁舎にしてたに決まってんだろ」


「うぐっ……」


 ヘンリエッタは胸を押さえてあからさまにたじろいだ。


 南部行政監督官の実態は華々しい宮廷文化から隔絶された田舎送りの嫌われ役職だが、仮にも王政を僻地にまで徹底させるための王の行政官。貴族どころか、赴任先で地方豪族化しないよう廷臣などが積極的に任じられてきた歴史がある。別荘を建てるくらいの財力は持っていて当然だっただろう。


「私は殿下をアレしちゃって財産没収されたから……」


 その先例に倣うべく、ヘンリエッタは指先をわななかせながら所持金を指折り数えるが、ほぼ無一文になったばかりである。「アイちゃんお金は!?」と縋るように見上げた先で、アイオンはすっとぼけた感じで首を傾げた。


「小遣いってどうやればもらえるもんなんだ?」


「お小遣いとお給料の違いさえ実感できてないし隠しきれない不穏さが漏れ出してるし!」


 絶望と同情心が同時に湧き上がり、ヘンリエッタの心中はそのレアなブレンドで満たされた。どのみちアイオンも、赴任当日の今日はともかく、まもなく本格的に行政監督官の仕事を始めることになる。金銭的にも時間的にも庁舎新築計画は諦めるしかなさそうだ。


 書斎内には仕事机と椅子、本棚、バカでかいカウチソファといった家具はかろうじて残されている。ヘンリエッタはそのカウチの周りを無意味にぐるぐる歩き回りながら、


「うう、せめて掃除だけでも……そうだ、こんなときこそ女王陛下のマリオネットでしょ!」


 ぴんと天啓を受けたように顔を明るくしてアイオンを振り返る。




 女王陛下のマリオネットとは、この国全土の要所に女王が配備している彼女の「手足」のことを指す。


 動力源は女王の魔力で、硬質な黒いボディに青白く光るラインを持つ機械のようなものだ。自我はなく、ただ与えられた命令をこなす機能だけを備えているが、馬などの動物のみならず人間に似た様々な動作性能を有しているモデルもいる。女王が魔術式を開発したものがここ十年ほどで急速に実用化と配備を進められ、国民の生活レベルはおおいに向上した。ヘンリエッタが見いだされるまでは、国一番の魔力量を誇っていたのは女王陛下だったのである。




「ここには何体配備される予定なの? さっき見回ったときは見つけられなかったんだけど、到着が遅れてるのかな? ていうか考えてみたら草刈りとかマリオネットにやらせれば良かったんじゃない!」


 公的な施設にはまず間違いなく充分なマリオネットが配備されるから、この庁舎にだって職員が雑用に煩わされずに済むくらいには与えられて然るべきだろう。


 ヘンリエッタはわくわくと目を輝かせてアイオンに詰め寄る。


 詰め寄られたアイオンは「あー」と煮え切らない声をもらしてバカでかいカウチにどっかりと腰を下ろす。


「……アイちゃん?」


 ……嫌な予感がする。


「あーマリオネット。マリオネットなあ。あの馬車の……馬代わりのヤツ」


「……『四つ足』三体ぽっちでやってけるわけないでしょ……」


 一秒もしないで予感が的中してしまった。


 遙か遠くの景色を想起するかのように視線を投げ、昼間に刈った草の露が沁みた無骨な人差し指をゆんゆん回しながらカタコトで言われた言葉に、ヘンリエッタはがっくり来て膝の力を失った。ここに来る馬車を引いてきたあの四つ足モデルだけしかないなんて、こんなのあんまりだ。国を挙げて甘やかされるべき魔女ヘンリエッタが、アイオンに預かられたとたんに一緒になって不遇をかこつとは。


 第二王子だって常識で考えたらぐずぐずに甘やかされてきて当然の立場だろうに、どうして現実の彼はこんな夏の終わりに、灯りすら節約して、ボロい田舎の屋敷にぼーっと座っているんだろう。将来の国王たるべく王宮でガチガチの教育を施されて育った兄ハイラントとは雲泥の差じゃないか(彼は彼で今は治癒魔術を絶えずかけてもらいながらベッドで唸っていることはいったん横に置いておく)。


 ヘンリエッタも不思議がるより呆れが勝ってきた。


「ねえ怒るくらいしたら? レディがいる場で感情的になるのもなあって気遣ってる? 私は君が怒ったくらいじゃビビんないよ?」


「別に」


 何が「別に」なのかヘンリエッタには分からないが、アイオンはただくせ者めいた頬杖でそう言うだけだった。


 あるいは、お小遣いのもらい方も分からないで育ちきるような長い離宮暮らしが、彼の感性をほとんど無感動の域まで削ってしまったのかもしれない。こっちの可能性がそれっぽそうだ。今日顔を合わせたばかりであまりつつくのも良くないだろう。


 気持ちを切り替えて、ヘンリエッタはアイオンが出がけに王都で調達してきた黒パンの入ったバスケットを掴み、カウチに着席する。


 誰かと相席すること自体も不慣れらしく、アイオンがぴくりと眉を撥ね上げる。あ、失礼な。


「ハイハイごはんはなるべく一緒に食べようね~。味気ない黒パンも気の持ちようでおいしくなるからね~」


「何だよ急に……」


「アイちゃんには至急パワーを充填してもらわないとね」


 隣のアイオンにパンを渡す。残念ながらジャムも調達するという発想は彼にはなかったようだ。


 怪訝そうな視線がこちらをうかがってくる。


「今からでもマリオネットと物資と人材を手配してもらうんだよ。じゃなきゃ始まんない。行政監督官の立場から王都へ正式な要請書類を送ればいい話でしょ」


 これぞクレバーでシンプルな提案。なのに、アイオンはなぜか気乗りしない様子だ。


「俺の名前で送ったところでどっかで無視されて終わりだぞ。無理無理」


「まー正直そうかもしれないけど、そこで私の登場だよ」


 迷惑そうにパンをかじるなかなかに整った顔の前で、ヘンリエッタはふふんと顎をそびやかす。


「君の不満は無視できたとしても私の不満は絶対無視できないからね。横紙破ってワガママ通すことにかけては一級品なの。君と私の連名で出せば大慌てで対応してくれると思うよ?」


「……」


 ありゃ? ここまで言ってもアイオンは気が進まない様子で押し黙る。乗らない手はない提案に何を意固地になっているんだろう、とても不自然だ。アイオンは追及するべきか手を引くべきか慎重に考えた方がいい部類の性格と生い立ちをしているが、この場面ではちゃんと理由を教えてほしい。ヘンリエッタはえっへんのポーズを一度引っ込めて、ちょっと様子を見てみる。じっと見つめて待つことが一番の加圧になることは往々にしてある。


 ややあって、アイオンが降参の溜め息をついた。


「あんた王宮で揉まれてきたんなら、表面上の付き合いってもんを知ってるはずだよな?」


「知ってるけど未来の弟くん相手にやるつもりはないね。で?」


 にこにこ、しかし静かな圧で促すと、ようやくアイオンはぽつりと答えた。




 ――ろくに読み書きできねえんだよ、と。

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