【本編完結】大魔女の恋が終わるまで

花村すたじお

諦めの悪い魔女

 真っ暗だった視界が光を取り戻す。


 すぐには明るさに適応できず、焦点が合わないが、ふたたび向かいに腰を下ろした人物にヘンリエッタが怖じ気づく理由はどこにもなかった。


 ヘンリエッタの眼を覆っていた罪人用の目隠しをほどいてくれた彼は、アイオン・レンスブルク、御年十八歳。この国の第二王子だ。快晴の下を黙々と走るカーテンを閉め切った馬車内には、アイオンとヘンリエッタしかいない。


 ヘンリエッタはにまっと笑い、彼を物珍しげに見る。


「ありゃ? 意外だなー。義弟おとうとくんがお迎えに来てくれたんだ?」


「誰が義弟だ」


 夕焼けのような赤い髪に夜のような紫の瞳。刃のように鋭い印象を与えるとびきり端正な目鼻立ちを、それにミスマッチな弛緩した態度がいくらか軟化させている。アイオンは気だるげな空気をまとい、斜に構えた顔つきをこちらに向けた。


「ヘンリエッタ・ブラウト。俺の記憶が正しけりゃ、あんたとまともに話すのはこれが初めてじゃなかったか?」


 木で鼻をくくったような言い方を隠さない。ヘンリエッタを前にしてもちっとも怯えていないのだ、彼は。


 それだけのことだが、ヘンリエッタを感動させるには充分だった。えらい子だ。希少なおもちゃでも前にしたように目を輝かせ、


「予想外にイイ性格してるっぽいけど、初めてでそんなに腹を割って話してくれて嬉しいよ。ね、君のお兄さん……ハイラント王太子殿下は元気してる?」


「もちろんついこないだまで全身の骨バキバキの半死人だったが、今はあんたの話題をうっかり耳にしない限りは長生きしそうだぜ」


 全身骨バキバキの半死人。改めて単語として聞くと、実行犯のヘンリエッタとしてもすさまじい事態だなと思う。


「あは、怒りはしてもあの人が私にビビって寿命縮めるとかナイナ~イ! とりあえず大丈夫ならよかったよ」


 ヘンリエッタの本心からの安堵の言葉を、アイオンがそのまま受け取ったかは怪しいところだ。


 それでも、皮肉を言いながら白い目で見はすれど、アイオンの気配に怒りや攻撃性はまだ感じられない。ただだるそうにしている。いくらなんでも、兄と兄の婚約者の間に起きた驚天動地の痴話げんかを知らないはずはないだろうに、ずいぶん風変わりな性格をしている。


 彼は抑揚のない声で遠回しなやりとりをぶったぎる。


「……兄貴の浮気で魔力暴走を起こして瀕死の重傷を負わせたあんたを、女王陛下は処刑しないと決めた。だから拘束と目隠しを解かれた今も、あんたは断頭台の景色を見ずに済んでる。理解したか?」


 うん、ここまでは予想通り。ヘンリエッタは軽くうなずきつつ、一番の心配事に言及されなかったため、媚びを売るように両手を顔の前で組み合わせる。


「…………えーと殿下との婚約はどういう扱いになってるの? 早く仲直りしたいんだけど」


「女王から命じることは何もない、ってよ。本人同士で話し合って破談なり破棄なりしろってことだろ。大事な王太子殿下のことだってのに……。そこまで世話焼いてやるほど女王は暇じゃねえってことなのか……。ただし財産は没収されたし、もうあんたは宮廷魔術師の地位にもない。で、兄貴はあんたとの面会を拒否してるから仲直りどころか話し合い以前の問題だな」


「うえええええ……!!」


 大ショック、そりゃそうなるだろうけど色んな意味でどーしよう、と血の気を引かせるヘンリエッタに、マイペースそのもののアイオンが「なあ」と不満そうに声を掛ける。


「なーに!? こっちは絶賛崖っぷちで忙しいんだけど!」


「処刑回避しといてどの辺が崖っぷちだよ。……仮にも王太子を殺しかけたあんたに対する処分、どう考えても甘すぎるだろ。もしかして女王の弱みでも握ってんのか?」


「誰がゆすりやってそうな女よ」


 鼻白むポーズを見せてから、ヘンリエッタは宙に視線を投げる。柔らかな金茶のロングヘアが馬車の振動に合わせて揺れている。


「甘やかされて当然だよ。噂で聞いてない? 私のこと」


 ヘンリエッタはちょんちょんと人差し指で自分の胸元を叩く。しかしアイオンはゆっくり眼を瞬くばかりで察しが悪い。このリアクションにはちょっとがっかりだ。国外に名が轟くくらいには有名人のつもりなんだけどな。


「到底人間が持てるはずのない魔力量してるらしいのよ。この国で一番どころか世界一かもね? しかも感情の高ぶりでその膨大な魔力が暴走しちゃうもんだから、女王陛下でさえ私には厳しくできない。ひどい! あり得ない! って私が暴れたり敵国に鞍替えされたらおしまいだもの、国を挙げて甘やかすのが合理的かつ無難よね。それを踏まえて、だけど。弟くんさ、殿下が私と話し合って穏便に婚約破棄なんて可能だと思う?」


「…………」


 しばらく考え込んだ後、アイオンは遠慮会釈もなく嫌そうな顔をした。


「とんっでもなく厄介な女だな、あんた。一度は兄貴との婚約にこぎつけたのもその恐怖政治のおかげかよ」


「あいにくだけど婚約を申し込んできたのは殿下のほうだよ」


 直近のハイラントととの記憶は、王宮の夜を引き裂く稲光に照らされながら自室の床に倒れ込んだ満身創痍のハイラントを見下ろしていた一部始終だが、そんな甘酸っぱい過去がふたりの出発点にはあったのだ。


 ヘンリエッタが灰色の眼を三日月形に歪め、とっておきの秘密をささやくように明かせば、アイオンはもっと嫌そうな顔になった。


「そういえば、私これどこに連れてかれてるの?」


 不意に思い立って訊ねると、アイオンは気のない表情に戻ってかったるそうに、


「南部行政監督庁。女王陛下に賜った新しい俺の職場」


「なんぶぎょうせいかんとく……」


 ついオウム返ししたのは、その言葉が第二王子の口から出るにはちっぽけすぎて違和感がひどかったからだ。


 南部行政監督庁といったら、国土の南部に封じられた諸侯の仕事ぶりを監督・指導する組織であり、南部行政監督官は国王の指名によって任じられる役職である。お堅い言い方をするとそうなるが、実際のところ南部の諸侯の恨みを買う損な役回りで、とても第二王子ともあろう人間が任される仕事ではない。


「なんでまたそんなド田舎の嫌われ役に第二王子が追いやられるの? あっもしかして、弟くんもなんかやらかしたんだ!?」


「『殿下』と呼べ。そんなわけねえだろ」


 不機嫌そうに強く否定する割に、アイオンはそれ以上詳しく説明しようとはしなかった。代わりにシニカルに口元を歪め、こう言う。


「とにかくあんたは宮廷魔術師はお払い箱になって、俺の預かりになったってわけだ。めでたいことに、仲良くド田舎勤務だな」


「……この期に及んで殿下との婚約は当人同士任せで、しかもいきなり南部行政監督官預かりぃ……?」


 ふたりの王子の間でパス回しされるボールじゃあるまいし、女王陛下は何をお考えなんだか、ヘンリエッタには見当も付かなくなってきた。我ながら扱いに困る存在だという自覚はあるが、輪を掛けて理にかなわない扱いを受けている第二王子殿下に比べればもはや霞む。


 この不合理について真面目に考え込もうとしたところに、さばけきった態度のアイオンが「ほかに訊きたいことは?」と水を差してきて、ヘンリエッタは思考を止めざるを得なかった。


 真顔で腕組みをしてからにっこりと微笑む。


「じゃ、殿下の浮気相手って結局誰だったのか知ってる?」


「それって犯行予告か? 俺は知らねえよ」


 だるいと言わんばかりに脚を組み直し、ヘンリエッタの新しい上司にして未来の義弟(予定)は手のひらをひらりと天に向けた。


 もの寂しくも晴れ渡った晩夏の早朝のことだった。

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