【完結】ペーパームーンの夜に抱かれて(作品240607)

菊池昭仁

ペーパームーンの夜に抱かれて

第1話

 いつものように週明けのオフィスは慌ただしかった。部下の安西直子がやって来て、書類に捺印を要求された。


 「課長、発注書に印鑑をお願いします」

 「わかった」


 私が捺印をしていると、倫子りんこからLINEが届いた。


 

     今日も会いたい



 私は同じ営業三課の島崎倫子と不倫をしていた。

 彼女との関係はもう4年になろうとしていた。

 彼女にも家庭があり、それはいわゆる「ダブル不倫」というやつだった。


 

 4年前、会社の打ち上げの飲み会で、たまたま隣合わせになったのが倫子だった。


 「課長。ウチは結婚して10年間、ずっとレスなんですよ~。だから私はいつも欲求不満なヤバイ人妻なんです、分かりますう? この寂しい女心が?」

 「そんなの島崎のところだけじゃないぜ、ウチだって良くて月1だ。

 この前なんか、どうしてもやりたくて女房にお願いしたら、「仕事とセックスは家に持ち込まないで下さい!」って言われちゃってよお。どこの夫婦もみんな同じだ。

 島崎、いいから今夜はトコトン飲め! あはははは」

 「ハイ、今日はトコトン飲みますよ私。

 後の事はよろしくお願いしますね? 結城課長? うふっ」

 「大丈夫、任せておけ、ちゃんと家まで送ってやるから安心してジャンジャン飲め。そして歌ってみんな忘れてしまえ! ってな? あはははは

 おい岡倉、こっちに生2つ、お替りーっ!」



 その日、私はすこぶる上機嫌だった。

 クライアントとの大口契約を結んだこともあり、かなり酒を飲んだ。


 「課長、もう私、終電逃しちゃい、ましたーっ! どうしてくれる、んですかー?

 課長が、あんまり、飲ませ、るからこんな、になっちゃったん、ですよーだ! ヒック」

 「わかったわかった、じゃあ始発まで近くのファミレスでお茶して始発を待とうじゃないか?」


 フラつく島崎を抱えながら歩いていると、急に彼女が立ち止った。


 「課長、疲れたからここで休んでいきましょうよ」


 そこはひっそりと佇む小さなラブホテルだった。

 歩くのにも疲れてしまった私は、


 (何もしなけりゃ別にいいか?)


 と、軽い気持ちで自分に言い訳をしてホテルに入った。




 部屋に入るといきなり倫子がキスをして来た。私はそれをかわした。


 「まずいよ、ホントにそんな気持ちになってしまうじゃないか?

 ダメだダメだ、俺たちは同僚で家族持ちなんだから。

 今日は君は酔っている、だから早く寝なさい、いいな?」

 「私、結城課長のことがずっと好きでした。入社以来ずっと。

 だからお願いです、1度でいいんです、今夜だけ私を抱いて下さい」


 彼女は真剣だった。

 確かに酒は飲んではいたが、彼女は酔ったふりをしていただけで、本当はシラフだったようだ。

 彼女はワンピースを脱ぎ捨てて下着姿になり、また私にキスを迫って来た。


 「私のこと、嫌いですか?」

 「いや、島崎はいい女だ。でもそれとこれとは話は別だ」

 「お願いです。今夜だけでいいから私を抱いて下さい、強く抱いて欲しい・・・」


 そして私の理性は遂に崩壊してしまった。

 私たちはまるで獣のようにお互いを求め合った。



 私たちの不適切な関係はその時から始まった。

 そして私たちは週1から週2回のペースで不倫を続けるようになっていたのである。 




第2話

 社内にも家族にもバレないように、私たちは細心の注意を払いながら逢瀬を重ねた。

 だが色んなところで私たちが仲睦まじくしているところを何度か目撃され、俺たちの関係は人事部に匿名で密告されてしまった。

 ウチの会社では社員同士の不倫は社内服務規程では完全にご法度はっとだった。

 人事課長は私と倫子を別々に呼んで尋問じんもんをした。


 「こんな写真が送られて来ましたが、これは君と島崎倫子君で間違いはありませんね?」

 

 その写真は私と倫子がホテルに入るところを撮られたものだった。私は観念した。


 「申し訳ありません、彼女をホテルに誘ったのは私です。彼女は悪くありません。

 どうか彼女だけはお目溢めこぼしをお願いします」

 「社内服務規程第21条。「社員同士の倫理違反の関係が発覚した場合、解雇処分とする」。これは分かっていますね? 結城課長」

 「はい、存じております」

 「ではそういうことですので、来月末日を持って営業第三課、結城課長、あなたを解雇します」



 なんとか倫子は会社に残ることが出来たが、私は会社をクビになってしまった。

 後悔はなかった。私は会社にも女房にも未練はなかった。父親はいなくてもカネさえあれば子供たちは育つ。




 倫子とは別れることにした。

 それが人事からの条件だったからである。



 「あなたと別れたくない」

 「仕方がないよ、それが君が会社に残る条件だから」 

 「ごめんなさい。私のせいで」

 「お前のせいじゃない、俺の自業自得だよ」

 「これからどうするの?」

 「田舎に帰ろうと思う。これからは田舎でのんびり暮らすよ。都会暮らしにも疲れたから」

 「私もあなたと一緒に行きたい」

 「倫子に福島の田舎は似合わないよ。君には東京が似合っている」

 「あなたと離れたくないの」

 「俺のを無駄にしないでくれ」

 

 俺は過去の自分と、そして倫子と決別したかった。



 

 福島市に戻り、私は知人の紹介で地元の不動産開発会社に就職した。



 就職して1ヶ月が過ぎた頃、会社帰りに文化通りを歩いていると、偶然中学の時の同級生、井坂洋子に遭遇した。

 洋子は憧れの女子だった。


 「井坂じゃないか?」

 「結城君? 結城達也君なの?」

 「地元にUターンで帰って来たんだ。中学の時以来だな? 27年ぶりか?」

 「もうそんなになるんだね?」


 井坂は年の割には少しやつれて見えたが、熟女としての色香は十分にあった。


 「結城君、結婚は?」

 「3か月前に別れた。俺も遂にバツイチだよ。井坂は?」

 「結婚はしなかったわ、一度も」

 

 井坂は寂しそうにそう言った。


 「ちょっと話さないか? そこの居酒屋で」


 洋子は私の提案に渋々同意した。

 私はこれまでの洋子の人生にいささか興味があった。



 「何にする?」

 「私はウーロン茶で」

 「酒はダメなのか?」

 「得意じゃないのよ」

 「そうか? 俺ばっかり悪いな?」


 私は生ビールを注文した。


 「何か食べたい物はあるか?」

 「特にはないなあ」

 「そうか? じゃあ俺が適当に注文するから、食べられる物があれば摘んでくれ」


 

 枝豆、ぶりの刺身、唐揚げ、ナマコ酢、冷奴に鯨のベーコンとフライドポテトを注文した。

 

 洋子は枝豆とフライドポテトだけを自分の小皿に取った。

 ウーロン茶をストローで飲んでいた。バッグから除菌シートを出して常に手を拭いていた。


 「けっこう神経質なんだな?」

 「何となく気持ち悪くて」

 「結婚を考えたことはなかったのか?」

 「ないわ」

 「一度も」

 「・・・ない。私、男の人が苦手なの」


 井坂はやんわりとそれを否定した。

 下心がないと言えば嘘になる。「あわよくば」と思って誘ったのも事実だ。

 幼馴染は殆ど県外へと出て行ってしまい、私は孤独だった。

 話し相手が欲しかった。


 井坂は自分のことは殆どしゃべらず、俺の話をつまらなそうに頷いているだけだった。

 ポテトを親指と中指で摘みあげ、口をすぼめて食べる仕草に俺は色気を感じた。


 枝豆がなくなり、私が井坂の枝豆を取ろうと手を伸ばした時、突然彼女が声を荒げた。


 「私のお皿から取らないで!」


 私は戸惑った。


 「ごめん、枝豆好きなんだな?」

 「そうじゃないの、私に近づかないで。お願い」


 すると洋子は財布から千円札を二枚出してテーブルに置いて店を出て行ってしまった。

 私は会計をしてすぐに彼女の後を追い駆けた。



 「どうしたんだよ? 俺、何か気に触ることをしたか? だったら謝るよ、ごめん」

 「そうじゃないの、私、病気なのよ」

 「何の病気?」

 「私、HIVに感染しているの。だから私とはもう関わらないで」

 「HIV?」

 「誰にも言わないでね? お願いだから」

 「言わないけど大変だったな?」

 「そういうことだからごめんなさい。

 でも誘ってくれてうれしかった。ありがとう結城君」

 「また、会えないか?」

 「私、感染しているのよ。だから無理。もう私に関わらないで、そっとして置いて欲しいの」

 「でも、俺は井坂とまた会いたいんだ」

 「結城君・・・」


 今思えば、それが俺たちの宿命だったのかもしれない。

 俺は井坂の重い十字架を半分支えることにした。


 


第3話

 俺はHIVの知識が殆どなかった。エイズと何が違うのかも知らなかった。

 簡単に言えば自分には無縁なことだと思っていたからである。


 HIVとはHuman Immunodeficiency Virus その頭文字を取ってHIV、ヒト免疫不全ウイルスと呼ぶらしい。

 このウイルスに感染することでエイズを発症する。


 AIDSとはAcquired Immune Deficiency Syndromeの略だと言う。

 後天性免疫不全症候群。


 発病までにはかなりの潜伏期間を要するらしく、感染してから3ヶ月過ぎて抗体が表れ、無症状が10年以上にも及ぶこともあり、その後にAIDSを発症することもあるという。

 西アフリカで発生し、ロスで原因不明の肺炎での死亡が起きて、謎の免疫不全に人々は恐れおののいた。

 だがその後、研究により様々なことが解明されて、抗HIV薬も開発され、1996年にはHART療法も考案されて死亡率は激減したという。


 感染源はセックスによる体液や血液感染で、感染力は極めて弱いらしい。

 飛沫感染による空気感染や唾液や尿、ましてや感染者に触れたり、感染者が使用した物で、体液や血液以外での感染はないという。

 つまり手を握ったりキスをしたりすることでは感染することはないそうである。

 性交、血液同士、母体感染でしか感染することはないそうだ。

 要するにセックスではオーラルセックスやアナルセックスはせずに、コンドームをすることで感染を予防することが出来るようである。

 血液による感染とはいわゆる覚醒剤の注射器の回し打ちによるものなので、そのリスクは普通はないはずだ。

 血液同士を直接的に合わせなければいいということらしい。

 母子感染は出産時の血液感染によるもので、故に帝王切開での出産であれば感染はしないという。

 それから母乳では育てないこと。母乳は血液の一種だからだ。

 最近ではクスリの効果もあり、普通のように天寿を全う出来るようになったそうである。

 だが洋子の落胆は相当なものだった。



 「俺も色々調べてみたんだ。今現在、世界での感染者は3,800万人、日本では2万人、毎年1,200人程度が・・・」

 「もう止めて、聞きたくない、そんな話」

 「ごめん」

 「私の人生はもう終わったの、私にはもう関わらないでちょうだい。お願いだからそっとしておいて」

 

 洋子は泣いた。

 俺が洋子の背中を擦ると、洋子は俺の手を払い除けた。


 「私に触れないで! あなたもAIDSになるわよ!」


 洋子は俺を睨みつけた。

 だが俺は怯むこと無く強く洋子の手を握った。


 「離して!」


 俺は洋子を強く抱きしめた。


 「そう簡単に感染する病気じゃない。直接な行為をしない限り、感染することはない、俺は平気だ」

 

 洋子は大人しくなった。

 

 「怖くないの?」

 「どうして?」

 「だってAIDSなのよ?」

 「今はそれで死んでしまうことはないそうじゃないか? それに・・・」

 「それに何?」

 「人はいずれ死んでゆくものだ。それが早いか遅いかだけの話だ。

 俺も洋子もいつかは死ぬ。死なない人間はいない。

 そして俺は・・・、お前のことが、井坂洋子のことが中学の時からずっと好きだった。

 それは今でも変らない」

 「結城君・・・」



 その日から俺たちは平日は電話で話したり、メールをしたりした。

 そして週末は一緒に食事をしたり、ドライブをして過ごした。

 少しずつ洋子が笑うようになってくれた。

 俺はそれがうれしかった。

 



第4話

 俺たちは次第に親しくなって行った。

 だが俺と洋子には見えない壁があったのも事実である。

 特に洋子は自分の病気の事を気にしていた。

 手は握らせてくれたが、それまでだった。


 

 ドライブの帰り、サービスエリアの駐車場にクルマを停め、車内で俺と洋子はソフトクリームを食べていた。


 「5年前、大きな失恋をしてね、傷心旅行に独りでロスに行ったの。

 そして自暴自棄だった私は現地の白人と仲良くなり、一夜を共にした。

 その彼がAIDS患者だった。

 帰国してから1年後、何だかカラダが怠くて近所のクリニックに行って、ロスアンジェルスに行ったことを告げると院長先生から 「念のために保健所の検査を受けてみて下さい」と言われ、検査をしたのがHIV検査だった。

 陽性だった。死のうと思った。でもダメだった。

 私は実家を出て独り暮らしを始めた。

 食品工場で働いていたから会社はすぐに辞めたわ。

 そして今は税理士事務所で事務をしているの」

 「なあ洋子、一緒に暮らさないか?」

 「無理よ、そんなの」

 「どうして?」

 「どうしてもよ」


 俺は洋子の肩を抱いた。


 「俺は洋子と暮らしたい」

 「達也君を不幸にしたくない。私はこのままで十分しあわせ。

 だって私の病気を知って私と付き合ってくれているんだもの」

 「だったら一緒に暮らそう。そうすれば生活費は半分で済むんだぜ?

 何なら君は家事だけやってくれればいい。

 家政婦になってくれよ、住み込みの家政婦に」

 「ありがとう、そんなふうに言ってもらえてうれしいわ。

 でもダメ、私が達也に気を遣うから」

 「気なんか遣わないでくれよ」

 「最初はそれでいいかもしれない、でもそのうち必ず気まずくなるわ。

 だって私はあなたに何もしてあげられないのよ?

 あなただって男だから当然「したい」でしょ?」

 「コンドームをすれば平気だろ?」

 「セックスって挿入するだけじゃイヤでしょ?

 舐めて欲しい時だってあるんじゃないの?」

 

 俺はついその光景を想像してしまった。


 「俺も舐めたいけど我慢するよ」

 「それじゃあ私が我慢出来なくなっちゃうでしょ? うふっ」

 「女にも性欲ってあるもんな? でも実際、クスリは飲んでいるんだろう?」

 「もちろんよ」

 「数値は下がってはいないのか?」

 「一応免疫力の低下はみられないとは言われたけど、でもやっぱり不安。

 あなたに移すのは死んでもイヤ」

 「わかった。それならこうしよう、結婚はするけどエッチはしない。

 それならいいか?」

 「バカな人ね? 達也は。

 そうまでしてこんな「AIDSおばさん」と結婚してどうするの?

 もっとちゃんとしたと結婚しなさいよ」

 「俺じゃイヤなのか? 俺じゃダメなのか?」

 「達也が好きだから言ってるのよ! 心を鬼にして!

 私だって達也のことがずっと好きだったから!」

 「じゃあ決まりだな? 俺と結婚して「結城洋子」になってくれ」

 「・・・少し考えさせて」

 「ゆっくり考えろ、時間はたっぷりあるからな?」


 俺たちはまたソフトクリームを舐め始めた。


 (洋子はそんなふうに男のそれを舐めていたんだろうか?)


 「どうしたの? 私のことをじっと見て。何か付いてる?」

 「いや、いい女だなあと思ってさ」

 「ばか」



 それから3ヶ月後、俺たちは婚約をした。

 



第5話

 俺と洋子は俺のアパートで同居することにした。

 独りじゃないということはしあわせなことだ。少なくとも俺は洋子といることがうれしかった。

 会社から帰ると洋子が家で俺を待っていてくれる。

 最初は抵抗があった洋子も安心してくれているようだった。

 将来の不安はあるだろうが、洋子の顔には笑顔が多くなったような気がした。


 「お帰りなさい、お風呂沸いてるわよ」

 「ありがとう、一緒に入ろうか?」

 「ひとりでどうぞ」

 「いいじゃないか、もう夫婦なんだから」

 「駄目よ、まだ籍を入れてないから」

 「あはははは それじゃあお先に」



 風呂に浸かりながら俺は考えた。

 おそらく洋子はまだ拘っているはずだ。

 自分が入る前に俺を風呂に入れてやりたいと思うのは明白だった。

 おそらく洋子は湯船には浸からない。シャワーしか浴びないだろう。

 歯ブラシもコップも反対側に離して置いてあった。

 もちろんタオルもすべて。

 だが俺はそれを指摘することはしない。それは彼女の俺に対する思い遣りだとわかっていたからだ。


 (自然でいよう。洋子のやりたいようにしてあげよう)


 


 風呂から上がると夕食の準備が出来ていた。


 「今日は里芋と大根、それをイカで合わせて炊いてみたの。達也、これ好きだよね?」

 「味噌仕立てでイカのワタも入ったこれは旨いよなあ」

 「大根と里芋にも味が滲みて美味しいもんね?」

 「洋子は料理の天才だな?」

 「天才じゃないけどお料理は好き」

 「歳を取るとこういう料理がうれしくなるよな?」

 「ニシンの山椒漬けもあるわよ、「こづゆ」も作ってみたの」

 「今夜は「会津づくし」だな?」

 「おつまみには最高でしょう? 今日は『花春』にしようか?」

 「そうだな」


 俺たちは日本酒で会津料理に舌鼓を打った。

 テレビは点けずにFMラジオを聴いた。


 「今日職場の田中君が先生と言い合いになっちゃって困っちゃった」

 「そうか? 俺は今日は役所周りで疲れたよ」

 「お疲れ様」

 「お互い様だよ」


 他愛のない毎日の出来事を、こうして洋子と話す幸福なひと時。

 洋子と暮らして本当に良かったと思った。

 


 

 食事が終わり、いよいよ寝ることになった。


 「そろそろ寝ようか?」

 「シャワーを浴びて来るね?」

 「風呂に浸かればいいのに」

 「ううん、私はいつもカラスの行水だから大丈夫」

 



 洋子はダブル・ベッドを持って来た。

 それは元彼とのための物だった筈だ。

 俺はそのベッドの隣に自分の布団をくっつけて敷いた。

 そして歯磨きをするために洗面脱衣場に入った。

 風呂場のくもりガラスに洋子のカラダのシルエットが映っていた。


 (この扉の向こうに裸の洋子がいる)


 俺は歯磨きをしながらこっそりと脱衣籠から洋子の下着を探った。

 だがそれは期待外れな物だった。

 色気のないユニクロのスポーツ下着だったからだ。

 私はそれをこっそりと元に戻し、歯磨きを済ませて寝床で本を読んでいた。



 「ああー、いいお風呂だった」

 「風呂じゃなくてシャワーだろう? 俺も一緒のベッドで寝てもいいか?」

 「ダメに決まっているでしょう」

 「ケチ」

 「ケチだもーん私。うふふ」

 「何もしないから洋子と一緒に寝たいなあ」

 「それならあなたが眠るまで手を繋いでいてあげる」

 「洋子を抱っこして寝たい」

 「わがまま言わないの」

 「わかったよ」


 洋子が着けていた香水の淡い香りがした。

 俺はその香りに欲情し、硬くなった自分に触れた。


 (これ以上洋子を困らせるのは止めよう)


 洋子の手がベッドから伸びて来て、俺は洋子と手を繋いだ。


 「あなたの手、あったかい」

 「お前も温かいよ」

 「ごめんなさいね」

 「何が?」

 「したいでしょう? 本当は」

 「まあな? でもそれが一緒に暮らす条件だからそれでいいよ。我慢する」

 「になってあげようか?」

 「どうやって?」

 「私の裸、見たい?」

 「いいのか?」

 「エッチは出来ないけどそれだけなら・・・、いいわよ」

 「見たい、洋子のカラダ」


 すると洋子はベッドを降りて俺の前に立ってパジャマを脱ぎ始めた。

 洋子はちゃんとピンクのレースのパンティを履いていた。

 どうやらそのつもりで準備してくれていたようだった。


 洋子は恥ずかしそうに背中を向けてパンティを脱ぎ始めた。

 美しい背中とヒップライン、すらりとした長い足。

 痩せていたので股のその部分は空いていた。

 そして洋子は胸を押さえながら俺の方を向いて布団に座った。


 「綺麗だよ洋子、凄く」

 「恥ずかしいなあ・・・」

 「してもいいかい?」

 「どうぞ」

 「洋子もして見せてくれないか?」

 「えーっ、私もするの?」

 「普段は自分でしているんだろう?」

 「そんなことしないもーん。うふっ」

 「見せっこしようよ」

 「ヘンタイ」

 「男はみんな変態だよ」

 「女もだよ」


 すると洋子はそこをそっと開いてクリトリスに触れて見せた。

 そこは濡れて光沢を帯びていた。


 「達也のも見せて欲しい」

 

 俺もパジャマとパンツを脱いでそれを握るとゆっくりと上下させた。

 洋子の手の動きがいやらしく動き始めた。

 

 「あっ イッちゃいそう」

 「早すぎるだろ?」

 「だって、こんなことすると興奮するじゃない?」

 「洋子もオナニーなんてするんだな?」

 「そりゃあするわよ、オナニーくらい。あ あ あん あ やだ、もうこんなになってるう」


 セックスをするよりも段々淫らな気持ちになって来た。

 俺は尚強く、早くそれをしごいた。


 「俺も、1週間ぶりだからヤバイよ、もうイキそうだ」

 「イッて。出るところが見たい」

 「それじゃあ一緒に行こう」

 「うふっ、どこへ行くの?」

 

 洋子の喘ぎ声が次第に大きくなって来た。


 「ダメっ、ごめんなさい、イクっつ」


 洋子のカラダがビクンビクンとなった。

 俺もそれに合わせてすぐにティッシュを取り、射精した。


 「ごめん、なさいね」

 「これはこれで、はあはあ 良かったよ はあはあ」

 

 洋子のソコを拭いてあげようとした時、洋子はそれを即座に拒絶した。


 「大丈夫、自分でするから」


 洋子は私に背を向けると自分でソコを拭いているようだった。

 そして洋子はティッシュをトイレに捨てに行った。


 トイレの流れる水の音が、洋子がエイズであることを私に再認識させた。


 


 


第6話

 平和な毎日が続いていた。セックスをすることはなかったが、俺たちは洋子のダブルベッドで寝ていた。

 

 「明日は休みだから宇都宮に餃子でも食べに行かないか?」

 「クルマで?」

 「いや、電車でだ。クルマだと飲めないからな?」

 「だったら各駅停車で行こうよ」

 「それじゃあ行きは鈍行列車で帰りは新幹線で帰って来ることにしよう」

 「電車に乗るなんて久しぶりだなあ」

 「俺もだよ」




 その日は晴天だった。福島駅のコンビニで缶ビールとミルクチョコレート、柿ピーと都こんぶを買った。

 

 「都こんぶかあ。懐かしいわね?」

 「やっぱり列車の旅にはコレだろう? いつも電車に乗るとおふくろが買ってくれたんだ」

 「うちの母もそうだったなあ」


 発車までまだ10分ほどあった。

 俺たちは温くならないようにと、すぐに冷えた缶ビールを開けて飲んだ。

 俺と洋子は窓際の席に向かい合わせで座っていた。

 昔は黒磯駅まで直通で行けたが、今は新白河駅で乗り換えだった。

 JR東日本はどうしても新幹線に客を乗せたいらしい。

 特急列車には食堂車もあり、旅の情緒があった。だが今はすっかり激減してしまった。


 

 定刻通りに電車は動き出した。

 東北本線は山間やまあいを抜け、東北新幹線と並走したり離れたりしながら新白河駅に到着し、そこから乗り換えて黒磯駅へ向かう。

 そして黒磯駅から宇都宮駅までは直通だった。

 黒磯駅からの電車は座席は一列だったので、俺は洋子を端に座らせ隣に座った。

 都こんぶと柿ピーは食べてしまったので、俺たちはチョコレートを舐めていた。


 「眠ってもいいぞ」

 「勿体なくて眠れないわ」

 「何だか遠足みたいだな?」

 「中学生に戻ったみたい」




 ようやく宇都宮駅に着いた。


 「宇都宮に降りたの初めて」

 「俺は仕事で2回ほど来たかな? 取り敢えず餃子と生ビールだな?」 


 俺たちは駅ビルの中にある餃子の有名店、『みんみん』に行くことにした。



 土曜日の昼ということもあり、行列になっていた。

 どうやら30分くらいは並ぶようだ。


 「ひとりじゃないっていいものね?」

 

 洋子がぽつりと呟いた。


 「食事は何を食べるかじゃない、誰と食べるかだからな?」

 「達也と一緒で本当に良かった」

 


 40分後、やっと入店することが出来た。

 

 「何にする? 焼き餃子と揚げ、それから水餃子もあるようだけど?」

 「それじゃあ私は焼きで」

 「俺は全部頼んでみるかな? すみません、焼き餃子を2人前と揚げ餃子と水餃子を一人前ずつ。それから生ふたつ」

 「かしこまりました」

 「ビールは餃子と一緒で」

 「わかりました」



 15分くらいして餃子と生ビールが運ばれて来た。

 夫婦だと思ったのか、焼き餃子はひとつの皿に2人前が載っていた。

 すると洋子は店員を呼んだ。


 「すみません、小皿をいただけますか?」

 「はい」


 洋子は小皿を受け取ると、自分の分の餃子をそこへ乗せた。

 俺たちは乾杯をしてビールを飲んだ。


 「この揚餃子と水餃子も食べてみなよ」

 「ありがとう。この焼き餃子を食べてからもらうね?」

 「いいからそのまま取れよ、俺の皿から」

 「ありがとう、後でもらう」


 そう言って洋子は焼餃子を食べた。


 「美味しいわね? 一度食べてみたかったんだ、宇都宮の餃子」


 俺は洋子の手を握った。


 「何も心配するな。俺はいつもお前の傍にいる」

 「ありがとう、達也」



 餃子を食べ終えると、俺と洋子は町中を巡回する『きぶな』というバスに乗った。


 

 繁華街に来るとバスを降りて街を散策した。

 オリオン通りなどのアーケードを腕を組んで並んで歩いた。



 「色んなお店があるのね?」

 「それでも郊外にショッピング・モールが出来たせいか、以前ほどの活気はないようだな?」

 「でも歩くのには丁度いいんじゃない?」

 「そうだな? 疲れたな? お茶でもするか?」

 「うん」



 路地に入った小さな珈琲ショップで休憩することにした。


 「俺はモカ、それからアールグレイのシフォンケーキもお願いします」

 「私はブルーマウンテンを下さい」

 「かしこまりました」


 

 珈琲とシフォンケーキが運ばれて来た。


 「ケーキ、食べてみろよ、美味いから」

 「私はいいよ。太っちゃうから」

 「大丈夫だ、いいから食べろ。俺たちは夫婦なんだから」

 「達也」

 

 俺がケーキの皿を差し出すと洋子は店主に言った。


 「このシフォンケーキ、私にも下さい。美味しそうだから」

 「洋子」

 「私も食べたくなっちゃった」


 俺はその時、洋子の飲みかけの珈琲を手に取り、そのままそれを飲んだ。

 洋子の飲んだところに口をつけて。

 洋子は泣き出してしまった。


 「あなたは・・・、あなたはバカなの?」

 「そうだよ、俺はバカだ、「洋子バカ」だ」

 「もう二度としないで! お願いだから約束して!

 そうじゃないと婚約は解消するから!」

 「洋子、俺たちは夫婦だ。夫婦とは歓びを倍にし、哀しみを半分にする。

 俺はお前とそんな夫婦になりたい、自然の夫婦に」

 「そんな普通の夫婦に私もなりたい・・・」

 「なれるよ、もうなっているじゃないか?」


 そして俺たちは結婚することにした。


  


第7話

 俺たちだけのささやかな結婚式を教会で挙げた。

 ウエディングドレスは女の夢だ、洋子は泣いていた。


 「すごく綺麗だよ」

 「おばさんだけどね?」


 記念写真を撮り、小さなビストロでふたりで食事をした。


 「これで今日からお前は「結城洋子」だ」

 「名前が変わるって何だか照れ臭いものね?」

 「イヤなのか?」

 「ううん、好きよ、この名前」

 「俺たちの人生はこれからが本番だ。昨日まではリハーサル、しあわせにしてやるからな」

 「私もあなたをしあわせにしてあげる。結婚なんて一生無理だと諦めていたわ。ありがとう、達也」

 「よろしく頼むよ」



 

 充実した毎日が続いていた。


      好事魔多し


 遂に恐れていた事が現実となった。

 家に帰ると明かりが消えていた。


 (買物にでも行ったのかな?)


 家に入って明かりを点けると洋子がソファに座って呆然としていた。


 「仕事、クビになった」

 「どうして?」

 「私がHIVに感染していることを隠していたからですって」

 「一体誰がそんなことを」

 「もうこの街に住んではいられない。私、あなたと別れてこの街を出るわ」

 「そうか、わかった。俺もこの街を出るよ」

 「あなた仕事はどうするの?」

 「また探せばいい」

 「達也・・・」

 「俺たちだけなら贅沢は出来なくても食っては行ける。それは想定内のことだ、洋子にプロポーズした時から覚悟は出来ているよ」

 「バカな人ね、あなたは。

 私となんか結婚しなければ良かったのに・・・、ごめんなさい」



 そして俺たちは福島を出て、埼玉へと引っ越すことにした。




 俺は埼玉で住宅の基礎工事の仕事を始めることにした。

 転職するにも年齢的に難しくなって来たのと、自分が社長になれば誰に気兼ねすることもないからだ。

 基礎工事の仕事は福島で叔父が自営をしていたこともあり、学生の頃からよく手伝いをしていたので仕事は覚えていた。

 俺は中古でミニユンボと4トンダンプを買い、基礎屋になった。

 慢性的な職人不足だったこともあり、仕事は断るほど依頼があったが、かなりな重労働だった。


 事務は洋子の得意分野でもあり、忙しい時は洋子も手伝ってくれた。

 仕事は辛かったが収入は以前よりもはるかに増えた。

 それにもうビクビクして仕事をすることもなくなったので、洋子は生き生きとしていた。



 一日の仕事を終え、風呂に入り、ふたりでビールを飲むのが何よりの楽しみだった。


 「ごめんなさいね、こんなキツイ仕事をさせてしまって」

 「それはお互い様だ。これはピンチじゃなくてチャンスなんだ。

 これからは建築や不動産もやって行こうと思っている。俺たちだっていつまでも現場で仕事は出来ないからな?

 俺が社長で洋子が専務だ。少しずつ社員も増やして行こうじゃないか?」

 「そうなるといいわね?」

 「まずは焦らず今ある仕事に感謝して、キチンとした仕事をして信用をつけることだ」

 「私もがんばるね?」

 「お前はあまり無理をするなよ、出来る範囲でいいから」

 「ありがとうあなた。あなたと結婚して本当に良かったわ」


 

 俺たちの絆はより強いものになっていった。

 俺たちは人生という戦いの「戦友」になった。

 

 


最終話

 福島を離れて5年が過ぎた。

 仕事も軌道に乗り、従業員も50人に増えた。

 年商30億ほどの建築土木、不動産の会社に成長し、俺は経営者として、洋子は経理、労務、人事などの総務の責任者として会社を支えてくれていた。

 洋子は病気とは思えぬほど生き生きとしていた。


 

 「今年はみんなのお給料を上げてあげたいわね?」

 「ウチの連中は本当によく働いてくれるからな?」

 「今年の年商は35億にはなりそうだし、利益率もいいしね?」

 「洋子がいてくれて本当に助かるよ。お陰で俺は経営に専念出来る。

 お前と結婚して本当に良かった、ありがとう洋子」

 「それは私の方よ。あのままあなたに出会わずに福島にいたら今頃私・・・」

 「今日は『味歩』で鮨でも摘んで帰るか?」

 「そうね? 今日も忙しかったから、今日は少し贅沢して外食にしましょうか?」


 俺たちは外で食事をすることにした。



 

 「結城社長さん夫婦はいつも仲が良くて羨ましいや」


 鮨を握りながら大将が言った。


 「ウチは子供がいないからなあ。大将のところは賢治君が継いでくれているから安心だね?」

 「コイツ、本当は小学校の先生になりたかったんですよ、でも「俺も鮨屋になる」って言ってくれてね? 

 やっぱり自分の商売の跡を継いでくれるのはうれしいもんですよ」

 「私は親父の握る鮨が好きだっただけですよ」

 「俺も大将の握る鮨は好きだよ。大将、良い息子さんで良かったな?」

 

 息子と大将、女将がうれしそうに笑っていた。




 洋子とベッドに横になると洋子が言った。


 「会社、子供に残せたら良かったわね?」

 「俺たちが引退したら別の奴が継げばいいさ。会社はみんなのものだからな?」

 「そうね? 会社は株主や従業員、取引先、そしてお客さんのものだもんね?」

 「まあ引退するにはまだずっと先だけどな?」

 「でもカラダが動かなくなって引退するのはイヤだなあ」

 「引退したらどうする?」

 「旅行がしたいかなあ、あなたと一緒に色んなところへ旅行がしたい」

 「豪華客船とかでか?」

 「それもいいかもね? うふっ」

 「なあ、子供作らないか?」

 「あと20才若かったらね? そして病気でもなかったら達也の子供、産んでみたかった」

 

 俺は洋子とキスをした。

 そしてパジャマを脱がせて下着姿にさせた。


 「ハイそこまで。手でしてあげようか?」


 私もパジャマを脱いでパンツを脱いだ。

 洋子が俺のペニスに触れようとした時、俺は洋子のパンティを脱がせようとした。


 「それは駄目! 何をしてるの! 下は駄目だってば!」


 洋子は必死に抵抗した。

 だが俺は洋子を押さえつけると、洋子に生でペニスを挿入した。

 洋子が悲鳴を上げた。


 「あなた死にたいの! そんなにしたいなら外で愛人でも何でも作れば良かったじゃない!

 そう言う約束だったじゃないの!」

 

 洋子はすぐに俺を突き飛ばし、俺から離れた。

 俺は静かに言った。


 「別にやりたいからそうしたわけじゃない、本当に洋子のことを愛しているんだ。

 俺はHIVには感染しない」

 「そんなわけないじゃないの! あなたはこの病気の怖さを知らないのよ!

 私がどんな思いであなたや周りに気を使いながら生きているのか知らないくせに! ううううう」


 洋子は泣いた。


 「洋子はもう治っているはずだ。医者もそう言っていたじゃないか?」

 「でも不安なのよ、もしもあなたにうつしたらって」

 「俺はそれでもいいと思っているんだ。お前と同じ病気になればお前の辛さを共有してやれる。 そしてお前は俺に対してもう気を遣わなくてもすむんだ。

 子供がいれば励みにもなるだろう、でも俺たちが夫婦として普通に暮らせれば俺はそれでいいと思っている。

 だから俺の我儘を許して欲しい。

 俺はお前と本当の夫婦になりたい」

 「あなた・・・」

 「遅くなったけどしよう、新婚初夜を」

 

 その夜、俺たちは初めて夫婦のちぎりを結んだ。




 半年後、俺達は一緒にHIVの検査を受けた。

 ふたりとも陰性だった。


 「今夜も初夜、してね?」

 「毎日初夜だな?」

 「あはははは」


 月が綺麗な夜だった。


            『ぺーパームーンの夜に抱かれて』完





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【完結】ペーパームーンの夜に抱かれて(作品240607) 菊池昭仁 @landfall0810

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