第70話
元屍の魔王軍、最高幹部。
屍霊四将ノル・ネクロエンドは迷っていた。
アシルを追って、王都から救出した貴族の息女や妻達と共に日が沈んで夜を迎えた城塞都市カルランにやっと到着した、そこまでは良い。
城門の警備についていた騎士から話を聞くと、城塞都市に攻め込んだアンデッド達は深紅の騎士様とやらが討伐したらしい。
ただ勝利を祝う宴を開くより先に、新たな問題が起きた。
街の中央に位置する領主の館では今、下位吸血鬼達が暴れているらしい。
十中八九ブラドの仕業だ。
「向かわないんですの?」
門の関所で保護された他の女達とは違い、四侯聖家の一角であり、王族に次ぐ高貴な身分であるヘレナ・ホワイトヴェールがノルの隣に並んだ。
「……あっちはアシルに任せる」
びしっと遠目に見える屋敷を指差したノルは迷いながらも決断した。
街の中は血の匂いで溢れている。
大通りには屋敷から避難してきた時に怪我したのだろう、騎士やメイド、執事達が血に濡れた身体を路上に横たえている。
治療のために僧侶達が
「……城門から離れて」
「……え?」
「来る!」
ぼんやりとした瞳をいつになく見開いて。
ノルが叫ぶと同時に、空気を揺らす真空刃が石造りの城壁を砕いた。
呆気なく崩れ、瓦礫の山になる人類の盾。
月明かりの下、浮かび上がるは禍々しい暗黒闘気纏う首なし騎士。
「……あ、あれは⁉︎」
人々の間で伝染していく悲鳴。
「く、首がない……アンデッド‼︎ 魔王軍の襲撃だぁ⁉︎」
逃げ惑う人の群れとは対照的に、ノルは向かう。
『――殺戮の時間だッ‼』
大喝と共に、現れたかつての同僚は瓦礫の山からノルを見下ろした。
『……いや、その前に裏切り者。まずはお前からだ、ノル』
「……エルハイド」
蛇が絡みついた杖をノルは構える。
「ノ、ノルさん……!」
「逃げて、ヘレナ。今すぐに。ノルはヘレナが死んでも悲しくない。でもきっとアシルは悲しむから」
「……でも!」
エルハイドに怯えながら、ヘレナはノルの手を掴んだ。
その人肌の温度に、ノルの心は僅かに安らいだ。
周りには、いつだって冷たい死体しかいなかったから。
でも、もう寂しくない。
ネクロエンドは代々、
だから魔王軍でしか生きられない。
この力を使ったら、人の世では生きられない。両親にそう教わった。
「<
ノルが杖を天に掲げた。
その瞬間、彼女の足元に黒き魔法陣が浮かび上がる。
『抗うのか? 私は進化したのだぞ。以前より遥かに強いこの私と、
「少し鎧の形がギザギザに変わっただけ。大した事ない」
先代の屍霊四将にして、父から言われた言葉があった。
(ノルは歴代最強の……
「――<
足元にあった黒き魔法陣が大きくなっていく。
『これは……!』
ぶかぶかのローブを着た銀髪ツインテールの幼女を中心に、半径10メートル。いや、100。
更に円は大きくなる。
留まるところを知らない。
ついには街全体を黒い魔法陣が飲み込んだ。
「今日摘まれた全ての命。ノルに力を貸して」
魔王軍の侵攻によって殺された騎士達の死体が。
元々魔王軍のアンデッドとして使役されていた死体が。
『……ベレンジャールさえもか』
エルハイドは後ろを振り返った。そこには魔王軍がいた。
無数の
街の中から次々に悲鳴が上がる。安置所に置かれていた騎士達の、民兵の死体がアンデッドとして蘇ったからだろう。
だが、エルハイドと対するにはまだ足りない。
『この程度の軍勢など、私にとっては吹けば飛ぶ羽虫よッ』
瓦礫の山のてっぺんに立つ
エルハイドは慌てず禍々しい長剣で襲い掛かって来た無数のアンデッド達を薙ぎ払った。
しかし、
「<
ノルは<
まさしく屍霊四将としての本気を出した。
エルハイドの斬撃を身体に食らっても、アンデッド達は進行を止めない。身体が真っ二つになっても、どれだけ身体を破壊されても。
再生して立ち上がる不死身の軍勢。
その身体は<
『……!』
エルハイドの手足に
動作を阻害している内に、蘇ったベレンジャールが大きな拳でエルハイドを叩き潰した。
轟音と地揺れが恐怖を伝播させていく。
「――ひぃ、あ、アンデッド⁉︎ あの子、死霊術師だ!」
「なんだよ、この気持ち悪い魔法陣は!? だ、誰か騎士呼んできてくれッ、アレも魔王軍だ!」
「今すぐアレを殺さないと、街にある死体が次々蘇ってるぞッ」
街人達の声が、ノルの耳に聞こえてくる。
振り返ると、外に出ていた多くの人々が指を差していた。
恐怖と嫌悪の感情を浮かべて。
「な、ち、違いますわ! この子は貴方たちを守るために――」
まだ逃げていなかったらしい、ヘレナが何かを叫んでいる。
ノルはこうなる事を分かっていた。
でも、やっぱり寂しくない。悲しくない。
(だってノルは、一緒に生きてくれる人を見つけたから)
心優しい吸血鬼の顔が脳裏に浮かぶ。
後ろ指を差されようと、耐えられる。生きていける。
『――ノル、周りを見ろ。お前が守る意味などない。こんな事をして何になる』
瞬間、ベレンジャールの身体に無数の線が引かれ、細切れになった。大きな頭蓋骨がノルのすぐ傍にまで転がってきた。
巨人にすり潰されたはずのエルハイドは、剣に雷を纏って瓦礫の山から這い上がった。
無数のアンデッドに組み付かれるも、まるで意に返さない。
『……進化していなかったら分からなかった。だがもはやお前に私を倒す事は不可能だ』
そのまま無数のアンデッドに絡まれながら、エルハイドは真っすぐノル目掛けて突進してきた。
全身から雷を漲らせ、周囲のアンデッドを吹き飛ばす。
「……それはこっちの台詞。エルハイドも、ノルを倒せない」
『――ふッ!』
雷剣の一刀がノルの首元に到達する寸前に、再生し終わった意思無き巨人、ベレンジャールが再びエルハイドの頭上に拳を振り下ろした。
『邪魔をするなッ!』
巨大な拳骨を躱し、宙に飛び上がったエルハイドは巨人の脳天から股下まで剣で線を引く。
真っ二つにされた巨人の残骸が市街地に転がるが、
「――やっと来た」
おかげで隙はできた。
街中から駆けつけた鎧姿の騎士や民兵。日中の戦闘で死んだカルラン駐屯軍の一員だった者達が、エルハイドの身体目掛けてアンデッド特有のリミッターが外れた力で武器を投擲した。
『ぐッ!?』
無数の剣や槍が禍々しき鎧に殺到する。
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