第69話
床に残った赤い染みが煙を上げて消えゆく様を見届ける。
どっと押し寄せてきた倦怠感と共に、聖剣は掻き消え、更にアシルの霊装とでも言うべきマントや衣服が元に戻る。
「アリーチェはッ?」
サフィア姫が真っ先に駆け寄った。
蒼白な顔色の女騎士を抱き起こし、呼びかける。
アシルも覗き込んだ。
白銀の鎧を着込んでいる聖騎士団長の胸が僅かに上下している。
「うん、生きてるッ、生きてるよ! 皆ありがと! アシルは勿論、レイフォース卿も!」
思わず全身の力が抜けて床に座り込むアシル。
「……はぁ……団長……」
そんな彼の近くに同じく座り込んだフレンが血で湿った肩口を押さえながら、
「……良かった……」
ほっと胸を撫で下ろす。
「まさか……聖剣を使いこなすなんて。勇者の称号は返上しなきゃいけないか」
そしてどこか憑き物が取れたような、穏やかな口調で続けた。
「……俺は吸血鬼です。王国の守護者は貴方だ。だから、その必要はありません」
「自分より強い者に敬語を使われるのは変な気分だ。普通で良い」
「……」
「僕では団長を救えなかった。殺せはしたが、その選択もできはしない。僕には覚悟が足りなかった」
「平然と親しい人物を殺せる方がおかしい」
アシルが宥めるように言うと、サフィア姫も力強く頷いた。
「恥じる必要はありません。貴方は……兄とは違う。劣等感に支配され、魔に染まった兄とは」
「……姫殿下」
もしヴラドの言葉通り、アシルとフレンが本気で斬り合いになっていたらどうなったか。
兄であるゼノンが弟に対する劣等感に狂って魔王軍に与したように。
フレンもまた、アシルに対する劣等感に狂った可能性だってあった。
そうなった場合、アリーチェはきっと助からなかった。
それどころか、皆ヴラドに殺された可能性が高い。
「被害は大きいけど、王国四英傑の一人が……聖騎士団長が助かったのは不幸中の幸いですね」
「……だが、伯爵には申し訳が立たない結果になってしまった。彼の大切な騎士や使用人達は無惨に殺された。もっと、苦しませてから殺すべきだったかもしれません」
辺りを見ると、屋敷の壁には殺された使用人や騎士達の血がこびりついている。
その赤い染みから視線を逸らして、アシルが肩を落とした。
「苦しめればそれだけ血を流す。そうなると、今度はレイフォース卿に取り憑いたかもしれない。だから……これが最善だったと思う」
そう思うしかない。
それからサフィア姫の一声でフレンが負った傷と目を覚さないアリーチェを神官達に診せるべく屋敷を一度出ようと立ち上がった。
アリーチェを横抱きにしたアシルだったが、そこでふと横にある窓から見える城壁が目に入った。
「……姫様……」
「……え?」
窓を開ける。
ロイやヴラドに攻め込まれ、側防塔の一角が崩壊したままだ。
しかし、それとは別に城壁そのものに大きな亀裂が走っていた。
次の瞬間、城壁の一部が跡形もなく砕けて地に落ちる。瓦礫が落ちた衝撃で風圧が街の中心部にあるフィーベル伯爵邸まで届いた。
風で乱れる髪を押さえながら、サフィア姫が蒼白な表情で唇を震わせた。
「……アレは
眼下に広がる城塞都市カルランの夜景。
異変を察した多くの家々で次々と明かりがともり始める。
そんな中。
崩れた城壁。
大きな土煙を上げる瓦礫の上では一際大きな禍々しい黒甲冑の大男が立っている。
『――殺戮の時間だッ‼』
屍の魔王軍、最後の屍霊四将エルハイド。
彼は大咆哮と共に、手に持つ禍々しい長剣を天へと掲げた。
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