第66話


 


 吸命剣パンドラを抜いたアシルは逃げ出す背中に向けて剣を振り下ろした。


 頰についた血飛沫を手の甲で拭いながら、残ったもう一体の執事服を着た下位吸血鬼レッサーヴァンパイアに視線を向ける。

 

 白目を剥き、荒い息を吐く彼は元々服装通りフィーベル伯爵家の使用人だったのだろう。


 今斬り殺した騎士同様、彼もヴラドから血を与えられて魔物になってしまったわけだ。


 眦を決したアシルが再び剣を振る前に、下位吸血鬼レッサーヴァンパイアは窓を割って階下へ飛び降りた。


「……また逃げるのか……!」


 どういうわけか、ヴラドの配下と化した者達は他の騎士や使用人達には襲いかかるくせに、アシルの姿を見た途端逃げ出してしまう。


 追っているうちにまた別の場所で悲鳴が上がる。


 先程からこの繰り返しだった。


 ヴラドからの命令なのかどうか。

 アシルはすぐに窓に駆け寄って、


「<血炎化ブラッド・フレイム>」


 手首を切り裂き、自らの血を掴んで眼下にいる下位吸血鬼の背に向かって飛ばす。


 屋敷から出て庭を横断していたメイドに襲いかかろうとする下位吸血鬼に丁度血が付着し、すぐに炎上。


 間一髪救われたメイドが上階の窓から顔を覗かせたアシルにぺこりと頭を下げて、慌ててその場から遠ざかっていく。


 フィーベル騎士団の面々が避難誘導に徹したおかげで、伯爵邸の中にいる使用人はほとんどが屋敷を出た。


 殺された者や吸血鬼になった者もいるが、これ以上の被害は屋敷からヴラドとその配下を出さない限り増えない。


「……なんてことを。許せない……」


 アシルが振り返ると、サフィア姫が下位吸血鬼の死体の側に膝をついて頬に手を当てていた。


 元は人族であり、共に魔王軍と戦って来た臣下だった亡骸。


 サフィア姫の胸中はとても穏やかではいられないのだろう。


「王都で殺戮の限りを尽くして……まだ飽き足らないの……」


「……ヴラドを殺さなければ……急いで見つけないと」


「……さっきから屋敷中がどんどん静かになってきてる。きっとレイフォース卿が頑張ってくれてるんだと思う」


 しかし、サフィア姫は苦痛を堪えるように、


「このままヴラドを見つけて、アリーチェを取り戻してもさ、きっと彼女がこの惨状を知ったら……」


 言いたいことはよく分かる。


 自責の念に苛まれるだろう。

 例え彼女にはどうしようもなかった事でも。


「まずは助け出してから。先の事は後に」


「……うん、ごめん。つい……」

 

 頷き合って再びヴラドの姿を探そうと足を踏み出したところで、


「――見つけた」


 首の裏が粟立つ感覚。

 殺気を感じたアシルは振り向きざまに手に持つパンドラを横に払った。


 上段から振り下ろされた黄金の炎を纏った一刀と黒き剣が激突し、その剣圧で廊下の窓が次々と割れていく。


「レイフォース卿ッ⁉︎」


 サフィア姫の困惑の叫びが響く。

 彼もまた吸血鬼に変えられてしまったのか。


 そんな疑問をアシルも浮かべるが、


「何の真似、ですか……」


 勇者フレンはいつも通りの、だが真剣な表情でアシルを見つめていた。


「とぼけないでくれ、君がこの惨劇を生み出したんだろう」


 違う! と否定するより先に勇者フレンは攻勢を強める。

 閃く剣閃の速度はグランツの身体を乗っ取ったヴラド以上で。


(……強い! そうか、躊躇さえしなかったら)


 アシルが来る前にフレンはヴラドに普通に勝てたのだ。


 流石は王国最強だと感心している場合ではない。

 月が昇り、完全に吸血鬼の時間になった。


 更にサフィア姫の血も吸い、万全な状態だというのに。

 弁明する暇もない恐るべき剣技にアシルは瞳を大きく開きながらパンドラを使って全神経を防御に割く。


「やめて! 何をしているの!」


 たまらず飛び込んできたサフィア姫に、フレンもアシルも急ブレーキをかけて剣を止める中。

 

 重々しい破砕音が耳に届く。

 視界の端、壁を突き破って星屑の粒子を纏う剣、星宝剣が飛んできた。

 

 その剣は飛び込んできたサフィア姫の心臓に寸分の狂いなく向かっている。


(ここで俺が庇うと分かって投げたなッ!)


 どこまでも卑怯なヴラドに苛立ちながらアシルが躊躇なくサフィア姫を押しながら身を投げ出した瞬間、


「ぐあッ⁉︎」


 二人を庇うように、アシルと同様身を投げ出したフレンの肩に星宝剣が突き刺さった。

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