第65話


 


 阿鼻叫喚に包まれるフィーベル伯爵邸。


 騒動の中心で屍霊四将ヴラドが暗躍する中。


 王都と城塞都市を繋ぐ街道上にいるもう一体の屍の魔王軍最高幹部に場面は映る。


 視界を覆いつくす勢いの濃霧が傍で戦っていたはずの蒼炎の竜牙兵――デイドラの姿すらも隠していく。


 その事実にエルハイドは憎々しげな感情を爆発させた。


『忌々しいッ、蝙蝠風情が!』


 真っ白な霧の中、音もなく乱れ飛ぶ吸血鬼の眷属。


 その数は依然として減らない。


 既に上位吸血蝙蝠グレーター・ブラッドバット達を数十体斬り殺しているのにだ。


 地面に染みついた血の匂いと死体だけが、エルハイドの戦歴を証明している。


 だが巨大蝙蝠達は怯まない。仲間の死体すら盾にして、噛みつきや爪による斬撃を濃霧に紛れて幾度も繰り出してくる。


 流石のエルハイドも全てを避ける事はできない。


 そして巨大蝙蝠達の攻撃力は、進化して尚エルハイドの体力を微々たるものだが削る程高い。


「ぐあッ、ば、馬鹿な……」


『デイドラッ?』


 エルハイドが蝙蝠達の相手をする中、デイドラはどうしていたのか。


 彼もまた戦っていた。


 霧が晴れていく。真っ白な世界が色を取り戻した。


 その霧は一箇所に吸い込まれるように集まり、人の形を作った。


 灰色の髪をした糸目の青年の姿を。


 しかしエルハイドは濃霧が晴れても喜べなかった。


 何故なら執事服を着た彼の手刀が、無造作に古種竜牙兵エルダー・スパルトイの胸部を貫いていたのだ。


 デイドラが身体に纏っていた蒼炎が徐々に小さくなり始める。


「エル、ハイド……様……お許し、を……」


 その言葉を最後に、デイドラの眼窩に浮かぶ蒼い光も消え失せる。


 それを確認した貴種の吸血鬼、レドブランカは糸目を薄ら開きながら手を引き抜き、地面に崩れ落ちた頭蓋骨を踏み潰した。


「さて……あとは貴方だけですね」


 手についた骨片を払いながらレドブランカが笑みを浮かべる。


 彼の周囲にはまだエルハイドが殺した数以上の巨大蝙蝠たちが控えていた。


 真っ黒い聖剣、奈落剣を握りしめる首なし黒将軍デュラハン・ジェネラルは、


『……デイドラ程度を殺したところで良い気になるな。進化した私はまだ自らの固有技能オリジン・スキルさえ使っていないのだぞ』


「使っても良いのですか? 貴方は私を倒したらカルランの地で我が主人と戦わなければならない。つまり余力を残しておきたいから今まで使っていなかった。そうでしょう?」


『……』


 図星だった。


 あの地にいるのは恐らくアシュトンを殺した元幹部にして原種の下位吸血鬼だけではない。


 ノル・ネクロエンドもいる。

  

 例え幼女だろうが、元々はエルハイドと同格である最高幹部。

 侮れるはずがない。


 屍霊四将ヴラドが王国四英傑に紛れている事はザガンから聞いて知っているが、彼は自らよりも純粋な強さでは劣る。


 何より聖剣を奪われたのは自らの失態。それを取り戻さなければ魔王様に顔向けできない。


(それにしても、我が主人という言葉。まさか……)


 貴種は原種に仕えるものだが、まだアレは下位吸血鬼レッサーヴァンパイアだ。


(……いずれにせよ、霧のレドブランカ。全てお見通しだと言わんばかりの薄笑いが鼻につく男め)

 

 見たところデイドラを無傷で倒している事から、厄介なのは身体を霧化する固有技能オリジン・スキルだけじゃない。

 

 素の身体能力は同じ貴種の吸血鬼であるヴラドすら優に超えているはずだ。


『このまま足止めを食っている場合ではない。もはや出し惜しみはなしだ!』


「勝てますかね、私に。堕ちた雷剣の勇者よ」


 その威圧感は屍の魔王に迫るものがある。


 体感的には死力を尽くして勝てるかどうか。進化しても尚それだ。


 エルハイドが自らの固有技能オリジン・スキルの発動を決めた瞬間。


「そこまでよ、エルハイド」


 その声を聞いた瞬間、エルハイドは片膝を地に着いて頭を垂れた。


 ない汗を掻くような気分に陥る。


 薄笑いを浮かべていたレドブランカが戦慄の眼差しで空を見上げる。

 彼の眷属たる上位吸血蝙蝠グレーター・ブラッドバット達が恐れるように牙をガチガチと鳴らした。


 いつの間にか月が昇っていた空。

 黄金に輝く月を隠すように、一体のアンデッドが宙に浮かんでいた。


 骸骨に僅かに肉片と皮がこびり着いた醜い姿だ。

 スケルトンと大差ない。


 だが、そのみすぼらしい姿に反して着ているものは豪華絢爛な黒のドレスだった。


 剥き出しになった頭蓋骨から長くて美しい白髪が生えていた。その毛先がに染まっている。


 女体のアンデッドだ。


『ま、魔王様……』


「我が騎士よ。ここは余に任せて、カルランの地へ。聖剣を取り戻すの」


 ふわりと空から地に降り立った屍の魔王。


 彼女の周囲にある草木が瞬く間に枯れ果てていく。


「……いつの間に……いや、なるほど」


 レドブランカの視線はドレス姿のアンデッド、決して強くは見えないのに何故か目を離せない。そんな存在へ向けられる。


「空間転移ですか。何故エルシュタインの王都が瞬く間にアンデッドの大群に襲われたのか。周辺の領地を無視して、突然現れたからこそ王都の民や貴族は逃げる事もできず蹂躙された。屍の魔王よ、貴方の固有技能オリジン・スキルの力というわけですね?」


「……その通りよ、古き吸血鬼。さあ、盤外の貴方の相手は同じく盤外の余がするわ」


 その小さくて華奢な身体から。

 黒き瘴気が津波のように噴き出す様に、レドブランカは冷や汗が浮かんだ額を拭った。

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