第63話
快感を堪えるように眉根を寄せて震えているサフィア姫の首筋から、アシルはゆっくりと犬歯を抜いた。
そして自らの口の端についた血を舐めとり、アシルは冴え渡っていく身体の感覚に頬を緩める。
「……お、終わり?」
「はい。ありがとうございます、姫様」
身体から力が抜けた王女を支え、礼を言いながらアシルが笑みを浮かべると。
額に浮いた汗が艶めかしいサフィア姫も薄っすらと微笑み返した。
これで<
アシルは桜色の髪の姫君が呼吸を整えるのを待ってから大事な事を伝えた。
「……姫様、先ほど事情の説明も兼ねて聖騎士団長と話してきました。そこで、団長は恐らくヴラドが取り憑いているのは自分だと言っていました」
「……アリーチェの身体に?」
「はい。血を送り込まれたという自覚があると」
「……」
重苦しい沈黙を挟んで、アシルは拳を握りしめながら告げた。
「俺の話を聞いて団長はすぐに自決しようとしました」
「……はぁ……もう……アリーチェらしいけど……」
頭を抱えて俯くサフィア姫にアシルは続ける。
「当然、止めました。この選択が間違っていないと俺は証明したい」
「……うん。証明しよう。あたしたち二人で」
まだ確実に助かるかどうかは分からない。
アシュトン以下の再生力しかないアシルが聖剣を扱えるかも分からないし、その聖剣の能力を引き出せるのかも分からない。
それでも可能性は芽生えた。
頷き合って意気込む二人だったが、突如として館内に響いた咆哮と破砕音に顔を見合わせる。
「まさか……団長……!」
「乗っ取られたとかッ?」
続けて悲鳴と怒号が次々と耳に届く。
アシルの鋭敏な聴覚は、その音の出所が先ほどまでいたアリーチェの私室付近であることを教えてくる。
「……行こう。まだ間に合うよ。聖剣の本当の力を引き出せればアリーチェを絶対に助けられる。かつての勇者は実体のない
「……はい」
だが一方で、聖剣が通じなければ終わりだ。
他の策を試している時間なんてない。
被害が大きくなる前に、いよいよアリーチェごとヴラドを殺さなければならない。
だからこそのアシルの僅かな不安を感じ取ったサフィア姫が彼の手を包み込む。
「その時はアシルの痛みをあたしも一緒に背負うよ」
「……」
サフィア姫にそんな痛みを経験させたくはない。
その心意気には答えず、アシルは彼女と連れ立ってすぐに書庫を出ると、
「ひ、姫殿下ッ!」
駆け寄ってきたのはフィーベル騎士団副団長ウォリスだ。
中途半端に鎧を身につけた格好だ。どれだけ急いでいたのか分かる。
「すぐお逃げを!」
額に汗が浮かぶ褐色肌の騎士にサフィア姫は顔をしかめて尋ねる。
「まず何が起きてるのか説明を、ウォリス副団長」
「アリーチェ様の監視についていた騎士の一人が
その言葉でアシルは瞬時に理解する。
ヴラドの仕業だ。
原種の吸血鬼は貴種を生み出す事ができる。
対して、貴種の吸血鬼は自らの血を人に与えると
(……やはりヴラドに完全に乗っ取られたという事か……いや、そもそもあの時には……)
自分がいなくなってすぐに騒動が起きたという事は、ヴラドはいつでもアリーチェの身体を乗っ取れたのだろう。
「肝心の団長――いや、ヴラドは……?」
「部屋から消えたそうですッ、どこに向かっているかは――」
話している最中にもそこかしこで悲鳴が聞こえ始めた。
自らの血で眷属たる
「申し訳ありません、今部下たちに確認させていますッ」
「――大丈夫、自分たちで探すから。レイフォース卿に助力を。下位吸血鬼の相手は彼に一任させて。騎士たちと使用人全員の避難をお願い。あたし達はヴラドを討伐します!」
「わ、分かりましたが、姫殿下も行かれるのですか⁉」
ウォレスが驚くが、サフィア姫は当然だとばかりに頷いた。
聖剣は彼女の身体の中にあるので、アシルとしても連れていく他ない。
問答後、アシルはサフィア姫の身体を横抱きにして、血の香りが漂い始めたフィーベル伯爵邸を駆け回り始めた。
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