第62話
アシルは聖騎士団長の私室を出て、すぐにサフィア姫の元へ向かった。
アリーチェからの自己申告になるが、ヴラドが彼女の身体に潜んでいる可能性が高い事を報告するためだ。
聖騎士団長アリーチェとサフィア姫は友人関係のため、ショックを受けるだろうと思うと気が重い。
だが、伝えないわけにはいかない。
もうとっくに空には月が昇っているため、てっきりサフィア姫は部屋で休んでいるだろうと思ったがいなかった。
道行く使用人にサフィア姫の居場所を尋ねたところ、フィーベル伯爵邸の書庫に籠っているらしい。
(……状況が状況だからか)
エルハイド軍に支配されていた王城ではずっと魔法で封印され続け、解放されてからもここまで野宿続きで身体が休まる暇などなかっただろう。
しかし、王族として今は休んでいる場合ではないという事か。
「俺も書庫に案内してもらえるか?」
「かしこまりました」
場所が分からないので、そのまま使用人に案内してもらって書庫へと赴く。
木製の扉の隙間から明かりが漏れていた。
そのまま中へ入ると、木とインクの香りが鼻腔に入ってくる。
優に身長を超える高さの本棚が一定の間隔を置いて整列していた。
しかもその本棚には隙間なく本が並んでいる。とんでもない蔵書数だ。流石は伯爵家といったところか。
アシルは物音がする方へと足を向ける。
すると、丁度梯子に登って本を取ろうとしているサフィア姫の姿を発見した。
思わずアシルは駆け寄る。
「ひ、姫様、大丈夫ですか?」
「あ、アシル……良いところに来たっ」
ふわりと揺れるワンピースドレスの中がちらりと見えそうになるのをアシルは我慢しながら視線を逸らし、梯子を支える。
サフィア姫が梯子に登ったまま背伸びをしながら、ある本を指差す。
「……これッ、この本取って」
「それは……」
題名は聖剣史とシンプルな文体で書かれている。
梯子を降りたサフィア姫に代わって、アシルが今度は登って本を取り出した。
表紙にはエルシュタイン王国の象徴にして、王家の家紋になっている聖剣――その紋章が描かれていた。
「……聖剣史……これは歴代の使い手たる勇者の話がまとめられたものですね」
本棚に立てかけてある梯子から降りたアシルは大分年季が入ったその分厚い本を眺めながら呟く。
「その通り。あたしも自分なりに調べてた。王国四英傑、どちらを失っても戦力の低下は計り知れないからね」
「……ですが、これは英雄譚ですよ。吸血鬼を狩った話もありますが、所詮は物語というか……」
この本以上に、魔物について詳細に書かれた本はたくさんあるはずだ。
「フィーベル伯爵家は貴族家の中でも有数の武家だけあって、魔物に関しての書物は驚くほど多かった。ここから全部が魔物の弱点や殺し方なんかを研究した本みたい」
サフィア姫が近くの本棚に視線を向けた。
「でもさ、そっちはあたし以上に詳しい学者たちが知り尽くしているはず。その上で、会議では身体は人族のままで、その内に潜むヴラドだけを討伐する方法なんて分からないっていう結論に至ったでしょう?」
「……そうですね」
「だから、あたしは違う方面から調べようと思って」
サフィア姫はアシルから受け取った本のページを捲りながら、
「あたしの身体の中にあるもの。聖剣の力を借りれば、吸血鬼だけを殺せるんじゃないかって思ったの。知ってた? 歴代の勇者はさ、別に
「……」
「アシル?」
アシルは懐に手を入れ、深紅の宝石を取り出した。
「貴方が王城で意識を失っていた間、魔王軍の幹部がこの宝石を使って聖剣を操っていました。これが聖剣への鍵なんでしょう?」
「……え⁉ アンデッドが使ってたの⁉」
サフィア姫が驚きに目を見開きながら大きな声を上げた。
アシルは目を瞬かせながら、
「そう言えば言ってませんでしたね」
「……え? でも嘘……愛がないと……え?」
自らの腹部を押さえて青い表情で混乱しているサフィア姫の様子にアシルは首を捻りながら、
「使っていたというか……自分の再生力を当てにした強引な使い方でしたね」
加えて、アシュトンは聖剣でステータスに補正はかかっていたが、元々剣士ではないからか間違っても使いこなせてはいなかった。
「……そ、そっか……一応は誰でも使えるんだ……あたしてっきり……」
サフィア姫がアシルを見上げ、僅かに頬を赤らめながら視線を逸らした。
「でも、そうか……なるほど」
「……?」
「聖剣を握った上位アンデッドにアシルが勝てたって事はさ……やっぱりそういう事だ」
何かに気付いたサフィア姫は真剣な表情で本を捲っていく。
アシルはいつアリーチェの事を伝えようか迷いながら、その様子をじっと見つめた。
「……この本に書かれてる歴代の勇者の覚醒シーンさ、分かる?」
サフィア姫の問いに、アシルは頬を搔きながら、
「ええ、まあ。姫君とのキスか、告白した瞬間ですよね?」
「そう、つまり相思相愛になる事。なった瞬間、聖剣は本来の力を発揮する。多分、聖剣は鍵があれば誰でも抜けるけど、完全に力を引き出す為には愛の力が必要なんだと思う」
「……あ、愛の力?」
サフィア姫は真剣な表情だが、その頬は真っ赤に染まっている。
「……う、うん。愛の力」
「……確かに歴代の勇者全員が揃ってエルシュタインの姫君と結婚している事実を考えると……そうかもしれませんね」
アシュトンに勝てたのは相手が聖剣の力を引き出し切れていなかったから。
つまり本当の性能はあんなものじゃないらしい。
「聖剣の全能力を引き出せれば、人族の肉体を傷つけずにその内側に潜む魔の者、つまり吸血鬼だけを斬れるかもしれない」
「……なるほど。でも、俺には……」
アシルは俯きながら包帯に包まれた手を見据えた。
「俺はアシュトンと同じアンデッドです。全能力を引き出した聖剣の力に身体が耐えきれるとは思いません」
そもそも持てるかどうかすら分からない。
現状、アシルの再生力はアシュトン以下なのだ。
「……いや、分からないよ」
「……え?」
「アシルの新しい力。
アシルは思わず目を見開き、なるほどと頷いた。
「サフィア姫の血を使った形態になれば……もしかしたら……」
「そう。ヘレナの時ってさ、アシルの
「……
「それってさ、二人の
視線と視線が絡み合い、二人は静かに頷き合う。
僅かに光明が見えてきた。
アシルは顔に覆った包帯を取り外していく。
「……試してみましょう。準備は……いいですか?」
時間的猶予はない。方法が見つかったなら今すぐ試すべきだ。
「……うん。来て……アシル」
その事を悟っているサフィア姫が両腕を広げて微笑んだ。
そして、明かりを消した書庫で。
月の光に照らされた二人の影がゆっくりと重なり合った。
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