第50話
ゆっくりと柔らかな首元から犬歯を引き抜く。
その瞬間、僅かにぴくりと震える身体を抱きかかえ、アシルは余韻に浸るようにぼーっとしているヘレナに終わった事を伝えた。
聞いているのかいないのか、頬を上気させ、肩で息をする美少女をゆっくりと傍にある木の幹に寄りかからせる。
ヘレナの血のおかげでアシルの身体には大分活力が戻ってきた。それだけではなく、新たな力も手に入れる事ができた。
吸血鬼であるアシルに自ら血を捧げてくれる人族がいる事はとんでもなく幸せな事だと感じる。
(……もし彼女たちがいなかったら俺はどうしていただろう)
生きるために誰かを無理やり襲っていただろうか。
はっきり言って吸血衝動は抗えない。
その欲求が暴走した結果をどうしても想像してしまう。
「……本当に……ありがとうな」
優し気に目を細めてアシルが礼を言うと、ヘレナは噛まれた首筋を手で隠しながら恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「か、勘違いしないでください。貴方だけのためってわけじゃ……」
確かに王国のための行動でもあるだろう。
しかしそれでもアシルは再度礼を言った。
「――次はノルの番」
アシルが振り向くと、そこには黒のローブを脱いだ状態の銀髪ツインテールの幼女がいた。
シンプルな黒のインナーシャツ一枚になっているノルにアシルは思わず頬がひきつる。
(自分で言っておいて何だが背徳感が凄いな……)
血液が二人分欲しいのは確かなのだが、いざノルを前にするとそう思わざるを得ない。
吸血行為は吸血鬼にとって食欲を解消するものだと考えていたが、ここに来てアシル自身も分からなくなってきた。
正直言って食欲は大前提としてあるが、性欲にも似通ったものを感じるのだ。
(……性的な魅力があるとそそられる感じか……)
瓶詰めされた血液を見た時は食欲しか感じなかった。
だが、サフィア姫やヘレナと魅力的な女性たちの血を吸ってみて明確にそれ以外のものを感じた。
そしてノルを前にしてそそられないかというと、
(……そ、そうでもない事に俺が一番驚いてるんだが)
肌着の恰好で目の前にいる十歳ほどの幼女。
確かに将来とんでもない美人に育つことは間違いないくらい容姿が整っている。だが紛れもなく幼女だ。
アシルは内心頭を抱えた。
傍にある木の幹に頭を打ち付けたくなる。
ヘレナやサフィア姫に変態呼ばわりされたが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
「……アシル、ノルの血は嫌?」
苦悩が滲んだアシルの表情を見て勘違いしたのか、ノルは不安げに眉を八の字にする。
「嫌でも……飲まないと……身体能力は回復しないよ?」
瞳が潤むくらい不安そうにしているノルにアシルは慌てて膝をついて彼女と目線の高さを合わせた。
「いや……いや、違うんだ。その、ノルは可愛い。その血も極上だってもう香りで分かる。魅力的な女の子だ、でもまだ子供で……」
しどろもどろに弁明するアシルの背に、ヘレナの呆れるような視線が突き刺さる。
涙が引っ込んだノルが眠そうな瞳ではっきりしないアシルに二択を迫る。
「吸いたい? 吸いたくない?」
「す、吸いたいです」
よしと満足げに頷いたノルが首をこてんと横に倒しながらアシルの胸に飛び込んでくる。
「じゃ、どうぞ」
「……」
「ワクワク」
未知の体験に期待しているのか、好奇心旺盛な輝きがノルの瞳に浮かんでいる。
アシルは彼女の温かな体温を感じ、優しく抱きしめた。
するとくすぐったそうに笑みを浮かべるノル。
「……ノル、少しチクッとするぞ」
しかし、アシルが犬歯を彼女の首筋に突き立てると、その表情から余裕が消えた。
「んぁッ、へ、へんな……きぶんになる……」
「大丈夫か?」
「ん。つづけて……」
甘えるようにノルは全身の力を抜いてアシルにその身を委ねる。
彼が血を啜るたびに、ノルは何かを我慢するようにアシルの衣服をきゅっと掴んだ。
(美味い……それに魔力量が一番多いからか、ヘレナ以上に身体に力が戻ってくる)
これなら全力に近い状態になれそうだ。
僅かな時間でも身体能力が戻れば、カルランには数時間どころか数十分で着けるかもしれない。
「ふーっ、はぁ……おわり?」
「――ああ。ありがとう、ノル。おかげで本調子とは言わないがそれに近しい状態には戻った」
「……本調子になるまで……もっと……してもいいよ?」
顔を真っ赤に染めたノルが潤んだ瞳でアシルを見上げる。
「い、いや……」
そんな顔で見ないで欲しい。また血を吸いたくなる。
だが、これ以上はノルの身体に大きな負担をかけてしまう。
再び抱いた背徳感と吸血衝動を頭を振って思考の外に置く。
「……もう大丈夫だ」
夢中になってもし血を吸いすぎたら目も当てられない。
それからアシルは力の抜けたヘレナとノルの両方を抱えて、急いでサフィア姫たちが待つ場所まで戻った。
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