第47話



 子爵は腹部が血で染まっており、左腕が可笑しな方向に曲がっている。

 重症ではあるが、命に別状はない。


 額に脂汗を浮かべ悪夢でも見ているのか、治療を受けながら魘されているようだった。


 しかし、彼に向ける視線は総じて険しい。


「……今、確かにザガンと言いましたわっ」


 ヘレナが唇を震わせながら呟いた。

 他の女性たちも自身の身体を抱きしめ、恐怖を思い出すように震えた。

 

 皆、屍の魔王軍の幹部だった下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイア、そして彼の配下だった屍鬼グールの餌として捕まっていた者達ばかりなのだから当然の反応だ。


 アシルはサフィア姫にザガンの素性を伝える。


「……姫様、ザガンは屍の魔王軍の幹部だった下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアです。もう俺が殺しましたが……」


「……そう、なの。その名が子爵の口から出たって事は……起きたら詳しい事情を聞かないと」


「……はい」


 悩まし気なため息を吐き、こめかみを押さえたサフィア姫が眉根を寄せて子爵を見据える中、アシルは彼が乗ってきた横転している馬車の内部に乗り込む。


 客車の方に積まれている多くの荷物には布がかけられ、見えないようにロープで縛ってある。


(……この匂いは……)

 

 アシルはそれを膂力で強引に解き、布を取り払った。

 紐で縛られた大きな麻袋や宝箱の類、それから丁重に包装された絵画なんかもある。


 麻袋の中身は金貨や銀貨。宝箱に入ってあるのは時計や宝石などの高価なアクセサリー品だ。


 デイドラに街を包囲される前に持てるだけの財産を持って逃げた、そんな感じか。


 しかし、それ以外で異様に目を惹くのがいくつものガラス瓶に入った紅い液体――血だった。


 アシルはガラス瓶に入ったそれを揺らしながら蓋を取り外し、くんくんと匂いを嗅ぐ。


「……これは人族の血だ」


 吸血鬼になった影響で、アシルの嗅覚はすぐに自らの好物のそれだと見抜く。


 しかも一人ではない。数人ほどの人族から血を採取しているらしい。別々の人間の血が混ざり合っている。


 アシルは瓶の一つを手に馬車を出て、飲みたい衝動を抑えながらサフィア姫に報告する。


「……姫様、見てください」


「……それは……血液?」


「はい、恐らく人族の血です」


「……何でそんなもの……もしかしていっぱいあるの?」


「大量にあります。人一人の致死量を超えている量ですよ」


 アシルは横転した馬車によってできた小規模の日陰で身体を休ませながら考える。


(子爵がザガンと何らかの繋がりがあったのは確定として、これだけの量の血を手にカルランへ行く理由は何だ?)


 状況を見ると、まるであの城塞都市にこの血液を届けに行くみたいだ。


「……何故そんな事を……あの街に吸血鬼でもいるのか……?」


 アシルがぽつりと呟いたその言葉に、ノルが何かに気付いたように声を上げた。


「あ……」


「……どうかしたか?」


「もしかしたら……早いとこ、このふとっちょに話聞いた方がいい」


 ノルが子爵を指差して告げる。

 

「<小回復ライト・ヒール>」


 職能クラス僧侶プリーストの少女が両手を子爵の身体に翳し、治療を続けていた。


 翡翠色の光が子爵の身体を包み込み、腹部から流れていた血が段々と引いて、折れ曲がっていた腕が元に戻っていく。


 幾ばくかの時を経て、子爵は咳き込みながら意識を取り戻した。


「がはっ、こ、ここは……私は……」


「トラシット子爵、久しいですね」


 サフィア姫が怜悧な視線を子爵に注ぎながら見下ろした。


「……あ、ああ、貴方様は……何故……い、いや生きていらっしゃったのですねッ、このバルディン・トラシット、望外の喜びでございます!」


 大きく目を見開き、頬を引きつらせながら喜びの声を上げる子爵。身体を起こし、苦痛に顔を歪めながらも平伏する。


「テルムの街は壊滅したそうです、子爵」


 サフィア姫以外、ヘレナやその他の面々も子爵に厳しい眼差しを向ける。

 子爵はこの状況に目を白黒させつつも、芝居がかった様子で苦痛を堪えるような表情を浮かべた。


「……そ、そうですか。わ、我が騎士たちは私を逃がすために犠牲になると言って憚りませんでした。私も街に残って戦うと言ったのですが……誠に残念です」


 その言葉を聞いて、王族としての覚悟を滲ませたサフィア姫がアシルに視線を向けた。

 その意図を察し、彼は腰に差していた吸命剣の剣先を子爵に向ける。


「な、何だ貴様はッ⁉ 怪しげな風貌をしおって! 私は子爵だぞッ」


「黙りなさい。すぐバレるような嘘をつくものではありません。見苦しい」


 ぴしゃりと告げたサフィア姫に、子爵はくっと歯噛みするように馬車の中を振り返った。


「……血液を入れた瓶が馬車の中に大量にありますね」


「……」


「どうするつもりだったのですか、これを」


「……っ」


「その血はどうやって用意したのですか。誰かを手にかけたのですか」


 子爵は冷や汗を滲ませて視線を右往左往させている。

 ヘレナが詰問に加わった。


「……もう全て白状したほうが身のためですわ。魔王軍幹部のザガンと貴方が何らかの繋がりがある事は、先程ご自身が魘されている中ではっきりと仰っていましたから」


「ぐ、クソッ」


 目を剥いた子爵がサフィア姫に掴みかかろうとする――前にアシルが彼の足を斬り払った。


「あぎゃああああああッ、い、痛い、助けて、た、すけて、死ぬ。このままでは死んでしまうッ……」


 動きを止める程度の浅い傷で泣き喚く子爵の姿にアシルは盛大に顔をしかめる。


「教えたら治療してやる。ザガンとどんなやり取りをしたんだ」


「……ほ、本当に、本当に助けてくれるのか?」


「ああ」


「……お、恐ろしい竜牙兵スパルトイの戦士達が我が街を包囲したんだ……それで投降したが関係ないとばかりに領民たちを惨殺し始めて……もうダメだと思ったその時、我が屋敷に喋る蝙蝠がやってきたんだ……」


 そしてその蝙蝠から、街から逃がす事を条件にある取引を持ち掛けられた。

 そう子爵は続けた。


 その内容とは魔力が高い貴族の娘、すなわち彼の妻や娘の血を城塞都市カルランに運ぶ事。


「あ、貴方……家族を手にかけてまで……」


「馬鹿げた行いを……」


「し、仕方なかったのだ! い、生き残るためにはッ!」


 アシルは拳を握りしめながら子爵から顔を背けた。

 

――ほら、言ったじゃろう? 人族など守る価値はないと。


 アシュトンの囁きが、幻聴として聞こえた。

 アシルは頭を振る。


「……何故カルランへ運ぶ必要があったんだ」


「……ザ、ザガン殿の主――もうじきカルランに援軍として到着されるに届けろと……」


「は?」


 アシルは理解がおいつかなかった。

 そんな事はあり得ない。


 大戦士グランツは勇者フレンの親友で、無二の相棒なのだ。


 魔王軍と関係あるはずがない。そもそも、


「……ザガンの主は確か……」


 アシルがノルに視線を向ける。


「屍霊四将ヴラド。貴種の吸血鬼にして、ソリウスの街に攻め込んだ二体の屍霊四将のうちの一体」


「……王国軍の主力――聖騎士団や王国四英傑に討たれたはずだろ? 生きていたのか?」


 その疑問にノルは眠そうな瞳を一変させ、真剣な表情で告げた。


「ヴラドは自分の血を敵の体内に送り込んで、その身体の持ち主を乗っ取る固有技能オリジン・スキルを持ってる。いわば血液が本体」


「……それは……つまり――」


 大戦士グランツはもうこの世にはいないという事だ。

 人族の姿で誰かの血を吸うところを勇者や他の英傑に見られるわけにはいかない。


 だからわざわざザガンはトラシット子爵を使って血を用意させたのだろう。


 貴族なら城塞都市カルランを治めるフィーベル伯爵も受け入れてくれると踏んで。



 


 

 

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