第46話



 原種の吸血鬼が王と謳われる所以はその血にある。


 彼らの血を人が取り込むと、その血に適合した者は貴種の吸血鬼に変化してしまうのだ。

 逆に貴種の吸血鬼が人族に血を与えても下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアしか生まれない。


 だからこそ貴種では王足り得ない。 


 『血の魔王』がエルシュタイン王国と帝国の二カ国を相手どって戦えたのは、その魔王自身が持つ絶大な力もさることながら、自らの血によって上位アンデッドである吸血鬼の貴種を生み出せる事にあった。


 だが、下位アンデッドから順々に進化した天然の貴種の吸血鬼とは違い、王から血を与えられて吸血鬼化した者は王を失うと著しく弱体化してしまう。


 まさにレドブランカがそうであるように。


「――ですから私は新たな王である貴方様との眷属契約を受け入れたというわけです」


「……なるほど」


 若々しい見た目を取り戻したレドブランカはアシルの動揺と困惑を悟り、吸血鬼に関する講義をしてくれた。


 それを聞いてアシルも納得の面持ちとなる。


(……彼としては力を取り戻すために俺との眷属契約を受け入れたわけか)


 考えてみるとアシルはまだ下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアの原種だが、聖光神から与えられる加護――職能クラスの力も持ち合わせている。


 昨夜は神性を帯びているらしいサフィア姫の血も飲んだ。


 実力としては上位アンデッド以上だ。


 様々な要因が重なり合って、アシルの血は吸血鬼ヴァンパイアの王のそれに着実に近づいているのだろう。


 とは言え、ちゃんとレドブランカ側にもメリットがあった事を知り、胸につかえていたものが取れた気分だ。


「しかし原種の血は人族にとっては猛毒にも等しい劇物である事は間違いありません。適合できる者はごく僅か、大体は身体が耐えきれず爆散して死にます」


 アシルは思わず目を見張る。

 爆散とは穏やかじゃない。


 壮絶な死を与えてしまうか、吸血鬼になるか。


 ただその二択をアシルが提示する事はないだろう。

 吸血鬼を無闇に増やす意思はない。


「吸血鬼の寿命は無限です。だからこそ近しい者との別れは避けられない。例えアシル様にとっての大切な誰かが吸血鬼化を望んだとしても、決して血を与えてはなりません」


「……」


 アシルの様子を見て、ノルがそっと彼の手を握った。


「そして寿命は無限ではありますが、死なないわけではありません。知っての通り吸血鬼は他の魔物以上に弱点が多い。貴方様の目的をまだ聞き及んでいないので分かりませんが、人族のノル殿と共にいる時点で、日中も行動する事は察しがつきます。くれぐれも銀製の武具と太陽の光には注意してください」


「……分かった」


 レドブランカとしても、アシルが死ねば再び力を失う事になるのでより念を入れて注意してくる。


 とは言え、それだけが理由とも思えない。


 何故かレドブランカがアシルを見る瞳は酷く暖かいのだ。


「小言が多くなって申し訳ありません、アシル様。では眷属になって最初の命令をお願いいたします。暗殺や諜報、護衛等々何でもお任せください。今の私であれば魔王に至った個体以外は大抵何とかなります」


「……心強いが、そうだな。お願いする前に今の状況を共有しておこうと思う」


「分かりました」


 アシルは現在のエルシュタイン王国の情勢と、それに伴って自分たちがどう動くのかを簡潔に説明していく。


 レドブランカにやって欲しい事は当然エルハイドの居場所と、屍の魔王軍に攻められている城塞都市カルランの現状の二つを調べる事。


 そして可能ならあの絶大な力を持つ首なし黒騎士デュラハンを始末してくれると非常に有難い。





*   *   *






 レドブランカとの邂逅を終え、一夜明けて。


 空には吸血鬼の天敵、太陽が昇り始めている。


 廃村で一泊したアシルたちは城塞都市カルランに向けて早々に出立した。

 平原に咲く花々や草木が太陽の光とそよ風を受けて喜ぶように揺れている。


 レドブランカからの忠告を受け、アシルの装いは大幅に変わった。


 端的に言うと、包帯死人マミー・コープスに逆戻りしていた。


「……どうアシル、辛くない?」


「一応、村にあった包帯で全身を覆いましたけど……」


 昨夜のうちにサフィア姫とヘレナに協力してもらい、アシルは全身を日差し除けのために包帯で覆っていた。

 目元を除き、肌が見える部分は全て覆ってある。


 完全にミイラ男だ。もはや懐かしい。


 更にこれも村にあった物だが、念を入れて黒のフード付きの外套を羽織っている。

 おかげで凄まじく怪しい見た目となった。


「なんだろ。なんかインチキ占い師にいそう……」


「……た、確かにそうですわねっ」


「髑髏のネックレスとかあればね」


「水晶玉も欲しいですわ」


 自分たちで作り上げたアシルの姿にくすくすと笑いあう姫君達。


 彼女たちの様子を微笑ましく感じつつも、残念ながらアシルは取り合う元気はなかった。


 昨日の日中は鬱蒼とした森の中を移動するばかりだったので、日差しは木々に遮られあまり実感する事はなかった。


 多少、身体能力が低下しているなと思う程度だ。


 だが、今は日差しを遮るものは衣服のみ。フードを目深に被り、包帯で肌の露出を抑えているのに大分キツイ。


 まず物凄く喉が渇く。腹が減る。


 更に肌がちりちりと燻られているような感覚に加え、身体が異常に怠かった。


 アシルの状態に気付いているのか、ノルは自分の足で彼の隣を歩いている。


「アシル、だいじょぶ?」


「……」


「ノルちゃん心配してるよ、アシル」


「……あ、だ、大丈夫だ、ノル」


「……ん-」


 アシルの様子を横目で見ながらノルが眉根を寄せた。


「……ちょっとアシル。ほんとに大丈夫なの?」


「……あ、はい。大丈夫、です……」


 視界が揺れ動き始めた。

 血が欲しい。


「嘘、さっきから口数少ないじゃん」


「それよりも……姫様。歩くのが……辛くなったら……遠慮せず俺の背に……乗って、ください……」


 ただ歩いているだけなのに息切れをしているアシルにサフィア姫がジト目を向ける。


「……いやそんな状態の人に乗れるか」


 それから彼女がアシルの背に心配そうに手を当てる。


「何ならあたしが背負ってあげようか?」


「サフィアにそんな事はさせられませんわ。どうしてもと言うならわたくしが」


 アシルとしてはやせ我慢をするしかなかった。


 エルシュタインの姫君は勿論として、四侯聖家の一角を占める名家の令嬢に背負われるなんて事も御免だった。


 不敬というか貴族云々を抜きにしても、女性に背負ってもらうなんて男として恥ずかしい。


 ようはかっこつけたいのだ。


 そのままアシルが無心に足を前に出し続けていると、引き連れている貴族の女性の一人が声を上げた。


「――姫殿下、あ、あれをっ」


 カルランへ続く整備された街道から僅かにズレた場所にある何かを指差した。


 言われてアシルもその何かを見据える。

 ただ視界がぼやけてよく見えなかった。


「貴族の馬車ですわ……それもこの家紋は……テルムの街を治めていたトラシット子爵家の……」


 テルムと言えばデイドラが領民たちを皆殺しにして滅ぼした街だ。


 近づくとアシルにも見えてきた。

 傍には御者をしていた執事の死体が一つ。馬車自体は外れた車輪が転がり、横転している。


 客車の部分がひしゃげているが、窓を覗くと車内には大量の荷物と共に誰か人が乗っている事がわかる。恰幅の良い豪華な衣服を纏った男だ。


 その男の指がぴくりと動いたのを見て、すかさずアシルが駆け寄り膂力で強引に扉を開け放った。


「……うっ……あ……?」


「……生きてる」


 アシルがぽつりと呟いた。

 しかし、ノルが無感情に、


「……助けるの?」


 その一言を放った幼女に皆の視線が集まる。

 ノルがアシルの背に隠れる中、ヘレナは深刻な表情で、


「……見たところ、子爵本人に違いありませんけど……御者と自分だけで馬車に乗り、カルランへの街道沿いで見つかった事から察すると……」


「……領民を見捨てて、自分ひとりで逃げてきたんだね」


 サフィア姫が苦痛を堪えるように目を閉じた。


 アシルも無言になる。

 カルランにいるエリオット・フィーベル伯爵は歴戦の勇士。


 彼の元なら安全だと考え、急いでいる道中に恐らくカルラン攻略を命じられたべレンジャールに見つかったのだろう。


「確か妻や子もいたはずですのに……」


 僅かな逡巡の後、


「……助けよう。この中に職能クラス僧侶プリーストの者は……」


 サフィア姫が皆に尋ねると、ザガンに血を吸いつくされそうだった幼い少女が手を挙げる。


「は、はい……」


「お願いできる?」


「も、もちろんです、姫殿下っ」


 少女はちらちらとアシルの様子を見ながら、僧侶プリースト職技能クラス・スキルを使って子爵の傷を癒していく。


 か細かった呼吸音が徐々にしっかりとしたものになり、


「……ザ、ザガン、殿……話が、違う……」


 小声で囁かれたその言葉に、アシルは険しい顔で子爵を見据えた。

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