第45話



 深紅に輝く魔法陣の上で、真っ白な霧から再び壮年の吸血鬼が現れる。


 『霧のレドブランカ』。

 

 彼が仕えた『血の魔王』は五百年前、エルシュタイン王国の隣国である帝国と戦争を繰り広げた伝説的な吸血鬼だ。


 魔王としての強さは想像を絶するもので、エルシュタイン王国側の英雄も協力して二か国共同で打倒した魔王である。


 戦争のきっかけは『血の魔王』が帝国皇帝の娘である皇女を攫った事。


 攫われた姫君のために、二カ国の英雄達が手を取り合い、協力する様をアシルは英雄譚を通して知り、胸を熱くしたものだ。


「……どうやら新たな主――アシル様は私の事をご存知のようですね」


 糸目の吸血鬼――レドブランカが優し気に微笑む。


「いや……ご存知も何も……」


 しかし当のアシルは唖然とするばかりだ。


 幼い頃、憧れた英雄達と――本を通してだが――死力を尽くして争った恐ろしい怪物が急に自分の眷属になると言われても信じられるものではない。


 都市一つを霧で覆い、晴れた時には血の海が広がっていた。

 そんな逸話が残る伝説的な吸血鬼。

 

 滅ぼした帝国の都市は数知れない。

 

 悪名高い彼がアシルに協力してくれるとは思えない。


「……元魔王の配下で四天王。ノルと同じ」


「ええ、そういうわけです」


 親近感が湧いたのか、ノルが右手を伸ばすとレドブランカも親し気に応じて二人は握手をする。


「……」

 

 しかしアシルは禍々しい魔剣の柄に再び手を添えていた。

 それを見て、レドブランカは怒るでもなく仕方ないとばかりに苦笑した。


「警戒する気持ちは分かります。確かに私は数えきれない程、人族を殺しています。帝国と事を構えたのも事実。ですが、人族の間で綴られた歴史の全てが真実とは限りません」


「……どこが違うと?」


「まず帝国の姫君は『血の魔王』様が強引に攫ったわけではなく、彼女は自分の意思で魔王様の元へやってきました。二人は恋仲だったのです」


「……え?」


「帝国と事を構えたのも仕方なくです。あの皇帝が二人の仲を引き裂かなければ、我々は今も吸血鬼の国で穏やかに過ごしていたかもしれません」


「……」


「少なくとも血の魔王様の目的は人族の殲滅などではありませんでした。我々吸血鬼は人族の血がないと生きていけませんからね。むしろあの方の夢は吸血鬼と人の共存でした」

 

 レドブランカは酷く寂しげに、そして懐かしそうに語る。

 亡き主に対する情がどれほど深いのかアシルにも伝わってきた。


 アシルは不死王ノスフェラトゥと化したアシュトンとの会話を思い出す。


――帝国こそが悪なのだ。


 アシルは悩まし気に目頭を揉み込んだ。


「一先ず分かった」


「……おや、信じていただけるので?」


「ああ、魔物は全て悪だと今までの俺はそう思っていた。だが、ノルは言った。良い魔物――いや、吸血鬼もいるんだと。だからお前の話を頭ごなしに否定するつもりはない」


 自嘲するような笑みと共にアシルはノルの頭を撫でた。

 すると、彼女は嬉しそうに目を細めてアシルの腹に抱き着いてくる。


 二人の様子をレドブランカは眩しそうに見つめていた。


「そうですか。とは言え私個人を信じられなくとも、主から血を授かった眷属は主に決して歯向かう事はできなくなります」


「……そうなのか?」


「ええ、ですから気兼ねなく私をお使いください」


 そうまで言われれば躊躇も消える。


 実際、アシルとしても戦力が増えるのは喜ばしい事だった。

 それも力ある魔王の腹心だった吸血鬼。


 ただそうまでして眷属になりたがる理由は何なのだろう。

 数分会話しただけの相手に自分の全てを差し出す事になるのだ。


(……吸血鬼の長い生にとっては暇つぶしのようなものなんだろうか)


 未だ人族としての感覚が抜けないアシルとしては分からない。


 しかし本人が良いと言っているのだからその好意に甘んじる事にする。


(だがその前に。伝説的な吸血鬼の力、見させてもらうか)


 アシルはレドブランカの能力を確かめる為に自らの固有技能オリジン・スキルをそっと発動した。


(<解析アナライズ>)


名前 レドブランカ

種族:吸血鬼ヴァンパイア・貴種(伯爵級)

Lv90

体力:A

攻撃:A

守備:B

敏捷:A

魔力:B

魔攻:A

魔防:B

固有技能オリジン・スキル

・霧化

魔物技能モンスター・スキル

・暗黒闘気

・眷属召喚

・鬼血の呪い

・超速再生




(……あれ?)


 覗き見たステータスに対して、アシルは僅かに困惑の面持ちとなった。

 レベルや種族に反して、結構弱い。


 いや、強いのは強いのだが、エルハイドどころか進化したアシュトン以下だ。


「……では申し訳ないですが血を頂けますか?」


 レドブランカが手首を自らの爪で斬り裂いた。


 その傷口が治る前に血を注げという事なのだろう。 

 アシュトンと同じ<超速再生>を持っているはずだが、傷の治りも遅い。


 もしかしたら帝国との戦争で弱体化しているのかもしれない。


「分かった。これからよろしく頼む」


 再びアシルは親指を噛み切って彼の手首に血を注いだ。

 ぽたぽたと親指から血が垂れていく。


 レドブランカが嬉しそうに笑みを浮かべた。


「これ、どのくらい与えれば良いんだ」


「……もう少しです。もう少しいただけますか」


 アシルは頷き、更にレドブランカの手首に自らの血を注ぐ。

 ノルがどうなるかと興味津々の様子で眺める中、レドブランカの身体が急速に若返り始めた。


「……え、何だ……?」


「――素晴らしい。貴方様は本当に下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアなのですか? 全盛期の身体に戻れそうですよッ」


 肌の艶、髪のボリュームが増し、細身になっていく身体。

 壮年男性然とした容姿が著しく変わり、もはや十代後半――アシルと同程度までになった。

 

 糸目は変わらず、灰色の髪は目元にかかる程度の長さ。

 

 とんでもないイケメンに変化した。

 その身体から放たれる威圧感も先ほどとは比べ物にならない。


 地面に描かれた深紅の魔法陣が弾けて消えた。眷属契約が成立したのだろうか。


「――これからよろしくお願いいたします、新たな我が王よ」


「……あ、ああ」


 片膝をついて傅く若々しい見た目の吸血鬼ヴァンパイア


 もはや別人である。やっちゃった感が否めない。


「……味方増えた。良かったね、アシル」


「……」


 ノルの能天気な言葉に、アシルは頬を引きつらせながら僅かに考え込み、迷いながらも頷いた。

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