第40話



 ぱちぱちと音を立てて火の粉が弾けた。


 焚火の炎が森の中にある泉の傍に点在していた。


 貴族の女性たちを連れ、夜に移動するのは現実的ではない。だから今日はここで一夜を過ごすつもりだった。


 幸いシャーロットが粘ってくれたのか、それともノルとアシルの二人を相手にするのは現実的ではないと思ったのか、エルハイドが追ってくる気配はない。


 サフィア姫が羞恥で悶えながら何とか正気を取り戻したのはアシルが野営の準備を整えた後である。


 ちなみに火はアシルの魔物技能モンスター・スキルである血炎化ブラッド・フレイムを使った。


 薪替わりになる枯葉や枝は森の中、歩けばそこら中から集められる。


 アシルが作業中、近くにある泉の水で女性陣は身を清めていた。意外にも、ここで野営する事に不平不満を言う者はいなかった。


 地下牢から抜け出せただけでも有難いと思っているのか。

 それからアシルは森の中を駆け、猪などの獣を仕留めて肉を調達したり泉の中を泳いでいる魚を取ったりと忙しく行動。


 一時間後。


 木の棒を串替わりに魚や肉を刺し、皆が暖かな炎を囲んで僅かに頬を緩めながら食べているその表情をアシルも少し離れた場所に作った焚火に当たりながら見つめていた。


「……アシル、肉はいらないの?」


 女性たちの方には行かず、彼の傍で丸太を椅子にして座るサフィア姫が手に持っていた串焼き肉をアシルの方へ向ける。

 味付けなどないが、肉の油が滴り落ちる様は人族だったら美味そうに映るのだろう。


 残念ながら、吸血鬼にとっては血以外は無用らしい。欠片も心が動かない。むしろサフィア姫の首筋に残った赤い嚙み痕にどことなく落ち着かない気分になる。


 目を逸らしながらアシルが断ろうと口を開く前に、彼に身体をぴったりと寄せているノルがジト目で呟いた。


「……ざとい」


「ん?」


 聞き取れなかったアシルは尋ね返す。


「あざといって言った」


 その言葉にぴくりとサフィア姫が肩を震わす。


「……え、な、何かな、ノルちゃん」


 一応、二人は自己紹介は済ませている。ノルが魔王軍でどういう役職についていたのか、それはぼかしているがサフィア姫もバカではない。


 女性たちを安全に連れてきたその手腕から、ただの幼女ではない事は気付いているはずだ。


「一口食べてからアシルに聞いた。新しい串焼き肉、焚火の傍にあるのに。そっち渡せば良いのにわざと食べかけ渡そうとした。見かけによらずあざとい」


 すっと瞳を細めるノル。そっと視線を逸らすサフィア姫。

 アシルも頬を掻きながら居心地悪くなって炎の温かさに手をかざす。


 そしてこの場にいる四人目。ヘレナがサフィア姫とアシルを交互にちらちら見ながら、


「……そ、それよりも夜のうちにこれからどうするのか決めておきませんと、サフィ――いえ、姫殿下」


「……うん。そうだね、ヘレナ」


 サフィア姫は暖かな眼差しをヘレナに返し、


「でも改めて。友人が一人でも生きていて良かった……君とまた会えて本当に嬉しいや」


「わたくしもですわ……姫殿下」


 どちらからともなく抱きしめ合う二人。

 ノルはそれを見て、


「ずっとそうしてればいい」


 ぼそりと小声で言った。誰かの味方をしたら誰かが不機嫌になるのは間違いないので、アシルは置物になっている。

 

「……ここから近い街といえば西にあるソドの街と北のテルムの街か。あとは城塞都市カルランですわね」


「……残念ながら前者二つは壊滅している。向かうとしたらカルランだ」


「……確かなんですの?」


 ショックを受けたのか、ヘレナが眉根を寄せて唇を噛み締めながら尋ねてくる。

 アシルは重々しく頷いた。


 だが、無駄な犠牲だったわけじゃない。二つの街で出た犠牲者は、ノルがアンデッドとして使役する事でこの場にいる者たちの逃走に役立ってくれた。


「……カルランも魔王軍の侵略を受けている。だが、あそこは聖騎士団長の父君が治めている。早々に落ちるとは思えない」


 べレンジャールとアンデッドとなってしまったロイが向かったが、力量から言ってもまだ時間はかかるだろう。


「俺としてはカルランに姫様とヘレナの二人を含めた全員を届けるつもりだ。いずれあそこに王国軍の主力も到着するはずだろうし」


 もしかしたら援軍がもう着いて、べレンジャール達を撃退してくれていると有難い。ついていなければアシルが全員蹴散らすつもりだった。


「……そういう事。それで関係は終わり。ばいばい」


 ノルがヘレナやサフィア姫に向かって手を振る。


「ちょ、ちょっと待った。え、アシル、あたしもそこに置いていこうとしてる?」


「……それは当然でしょう。貴方にはもう二度と危険な目にあってほしくないんです」


「……本当にカルランが安全かどうかなんて分からないよ? まだ王都に強いアンデッドが残っているんでしょう? それに屍の魔王本人もいる」


「……それにしたって俺は吸血鬼です。王国の姫君が一緒にいていい相手じゃない」


 アシルが告げた後、うんうんと腕組みをしながら頷くノル。

 しかし、サフィア姫はじとっとした目をアシルに向ける。


「……血は」


「……え?」


「だからアシル、血は」


 焚火の炎で照らされているからか、それとも羞恥からか。

 頬を染めたサフィア姫が赤い痕がついている首筋を手で覆いながら唇を尖らせた。


「血がないとアシル大変じゃん」


「……」


「もしかしてノルちゃんの――そんな幼い子の血を飲む気?」


 言われてみると確かにアシルは誰かの血がないと生きていけない。


 ノルはどや顔で、


「アシルは飲む。きっとノルの血の方が大好き」


 断言した。アシルの頬がひきつる。


「へえー、こんな幼い子をあんな気持ちにさせる変態さんにアシルはなるんだ?」


「……あんな気持ちって言われても……」


「わくわく」


 ノルは好奇心旺盛な瞳でアシルを見ている。

 そんな折、唐突にヘレナが声を上げた。


 彼女は決意を秘めた顔でサフィア姫とノルの二人を見据え、


「仕方ありませんわね。わたくしが犠牲になりましょう。命を救われた恩を返す意味でも、わたくしがこの厭らしい吸血鬼の欲を引き受けるしかないようですわ」


「……ちょっと待て、吸血衝動は食欲であって――」


「いやいやいや、ヘレナ? 君、使命感でいっぱいみたいになってるけど吸血鬼に吸われるの癖になっているとかじゃ――」


「そ、そんな事ありませんわよ、サフィアッ。何を言っているのですか⁉」


「……いらないいらない。アシルと二人旅でいいっ」


「「幼女にはまだ早いよ(ですわ)!」」


 アシルは瞬きをしながら三人の言い合いを死んだような眼差しで見つめていた。


 だが、どこか心底ほっとした。


 勿論、まだ安全とは言えない。

 でも、アンデッドで溢れていたあの王都から。


 魔王軍に占拠されていたあの地獄から。

 

(……守れたんだな、俺は)


 不毛な言い争いを続けている三人。

 その言い合いを見て、他の女性たちが何事かと視線を向けだした。


 全員生きている。


 生前できなかった事を叶えられたその達成感を、アシルは笑みを浮かべて噛み締めた。


 


 


 


 

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