第36話
アシルにとって最も忌々しく、絶望を味わった記憶。
それは当然、王都が陥落したあの日だ。
無数のアンデッドが王都になだれ込み、殺戮の限りを尽くした。
許せなかった。無力な自分も魔王軍も。
仇だったゼノンは始末した。魔王軍だけを恨めば良いと思っていた。
人類の敵である魔王という存在だけを。
それが根底から覆るような話を聞かされ、呆然としたのは確かだ。
(油断し過ぎたッ)
貫かれた右足に激痛が走る。アシュトンは既に身体を再生し終え、アシルの右足に突き刺さった氷柱を掴んでいる。
「――また血が噴き出すと面倒じゃ。封じさせてもらうぞ」
貫かれた個所が凍りついていく。
更にその範囲はどんどん拡大していき、右足の大部分を覆い始めた。
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アシルは眼を見開きながら氷柱を引き抜こうとして、
「――形勢逆転じゃ。触ればその右手も氷に覆われるぞ」
「……ッ」
思わず手を伸ばすのを止めたアシル。
彼の右足は完全に凍結し、床に張り付いたように動かせなくなった。
「こうなっては動けまい。この瞬間にでも身体の全てを氷で覆いつくせる。じゃが……殺すには惜しい」
「……」
アシュトンは笑みを浮かべる。
「……どういうわけか、お主は儂に匹敵するレベルの強者だ。儂とお主、それにエルハイド様がいれば人族を滅ぼせるだろう。魔王軍幹部としての任を全うするのじゃ」
「……俺がお前の戯言を信じるとでも思っているのか?」
「先ほどの話は苦し紛れの嘘ではない。お主だってそう思ったから動揺したのだろう?」
「……」
「帝国を……人族を滅ぼそう。人族の味方をしたところで意味などない。誰もお主を信じないぞ。あの姫君もそうだ。吸血鬼となったお主を怖がり、きっと遠ざけるであろう」
「……ここまで戦って……勧誘か」
「だからこそだ。その力、魔王軍にこそ必要だ、お主が戻れば神に捨てられしネクロエンドの幼子も戻ってくる。以前とは比べ物にならない程強い屍の魔王軍の誕生だ。空いた屍霊四将の座に儂とお主が就く。魔王様もお主の力を認めてくださるだろう」
アシルは怜悧に瞳を細め、
「……確かに真相を確かめる必要はありそうだ。だが、魔王軍に協力するつもりはない。もし帝国が裏で糸を引いていたなら、俺は勝手にケリをつける。罪もない人々も殺すお前達と共に行動する事はできない」
アシルは吸命剣パンドラを勢いよく抜き放った。
交渉決裂を悟ったアシュトンはすぐに影の中に沈み、飛ぶ斬撃を警戒した。
凍っている右足から徐々に迫りくる冷気を見て、
(……覚悟を決めるしかないな)
躊躇は一瞬だった。吸血鬼となった自らの身体を信じる。
上半身が凍り付く前にアシルは自分の右足を斬り飛ばした。
どばりと流れ出た血が床に広がっていく。
だが、炎となる前にアシュトンはすぐさまその血を凍らせた。
「もう悪あがきは終わりじゃ、アシルッ」
氷の弾丸が何発も飛んでくる。
激痛に歯を食いしばりながら、アシルは片足で跳んだ。
「<闘風刃>」
「それはもう見たぞ」
片足だからか、その飛ぶ斬撃は威力も速度も落ちていた。
アシュトンは身体を捻って躱し、もう一度氷の弾丸を生成する。
連射された弾丸をアシルは何とか全て斬り裂いた。
「しぶといものだッ」
アシュトンは生成速度を上げて連射し続けた。決して近づいてこない。近接戦では分が悪い事を悟ったのだろう。
面倒な事この上ない。
アシルは時には躱し、時には魔剣を盾にして着弾を防ぎながら右足の再生を持つ。徐々にぶくぶくと音を立て、白い煙を上げながら治っていく右足。
不死王の表情に焦りが浮かぶ。
「クソッ、ならば合成魔法で終わらせてやる!」
アシュトンは右手に生み出した黒いオーラと左手に生み出した氷塊を合わせる。
生み出された氷がどんどん巨大化していく。
一際大きな氷塊、更にそれが黒いオーラを帯びる。
「斬る事もできない圧倒的な破壊の力だッ!」
(――俺も合成技で行く)
一目見て理解する。対抗する為には生半可な技では無理だ。
「<
今出せる最高威力の技。
取り戻した右足で踏ん張り、アシルはその氷塊に己の全てをぶつけた。
空間でも削れるような重苦しい音が鳴る。
手が痺れた。吸命剣パンドラが震える。それは悲鳴を上げているようにも感じ取れた。
(頼む、パンドラッ。頼む!)
その願いが通じたのか、それとも単純にアシルの技がアシュトンのそれを超えていたのか。
「――ば、馬鹿な!?」」
「終わりだ」
氷塊を真っ二つに切り裂いた勢いのまま、アシュトンの身体を袈裟斬りにした。
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