第35話


 


 聖剣を握っていた右腕を失い、アシュトンは苦痛と動揺で表情を歪めた。


 左手で血が滴る傷口を押さえながらも、次の瞬間には唇は弧を描く。


「――下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアとは思えん強さだ、だが儂は不死王ノスフェラトゥへと至ったのだッ、吸血鬼には多くある弱点を克服した完璧な存在だ!」


 聖剣の力にさえ耐える再生速度を持つ自らの肉体に対して、絶対の自信があるのだろう。


 白い煙を上げながら傷口が急速に塞がり、新たな腕が生成される――かに思えたが、斬られた断面から突如炎が噴き出た。


「何ッ⁉」


 アシルは<闘炎魔剣レーヴァテイン>を解除し、吸命剣パンドラの刀身についた不死王ノスフェラトゥの血を払った。


「斬った時に俺の血を体内に送り込んだ」


 その血を取り込んだまま身体を再生しようとした事は致命的だった。

 このままだと炎は内部から身体を焼き尽くすだろう。


 アシュトンは必至の形相で対処に追われている。


 見た限り痛覚はある様子なので、無限に再生しながら身体を焼かれ続けるという地獄の苦しみを味わっているようだ。


「……ぐッ、この、程度でッ」


 アシュトンは炎を噴き出し続けている部分に左手を翳した。

 空気が凍てつき、足元に霜が張り付いた。


 アシュトンの右肩が氷で覆われていく。


 氷結魔法を当てて炎をかき消そうとしているわけだ。


 だが、それをアシルは呑気に見ているつもりはない。


「<血炎化ブラッド・フレイム>」


 身体から流れ出た血を操り、高速で飛ばす。

 アシュトンが右腕を失った時、腕と共に宙に投げ出された聖剣は彼の傍に落ちている。


 装備しなければ、聖剣のステータス上昇効果は乗らない。


 アシュトンが咄嗟に身体を捻った。しかし明らかに速度が落ちているために躱しきれなかった。


 氷に付着したその血がすぐに炎に変わる。


「お、おのれ姑息なッ!」


「……超速再生を過信したのがお前の敗因だ」


「く、くく、笑わせるなよ、儂はまだ負けたわけではない!」


 アシュトンは影の中に身を沈ませる。逃げるつもりかと思ったが、檻の中で倒れこんでいる少女の元に転移した事で目的を察する。


「……お主の目的は察しておるぞッ、エルシュタインの姫君であろう?」


「……」


「この姫はずっとお主が死んだ事を悲しみ、自ら命を絶とうとする程に想っていた。それはお主も同じはずじゃ、副兵士長アシルよ」


 半身を炎で焼かれ続けながら、アシュトンは凄惨な表情を浮かべた。

 左手に握った尖った氷の柱を気絶したままのサフィア姫の喉に近づける。


「能力を解除しなければ殺すッ」


「人族との戦争を控えている中でサフィア姫を殺せば、聖剣は別の王族の身体に移る。エルハイドに殺されるぞ」


「いいから解除するのだッ」


 必死の形相で告げるアシュトンに、アシルは冷たく瞳を細める。


「やってみればいい。聖剣を持ってない今のお前には――」


 負けるはずがなかった。

 勝ち筋は既に見つけてある。


 アシュトンの認識速度を超えて攻撃すればいいだけだ。


(<闘風刃>)


 漆黒の長剣が閃いた。

 

「さあ、どうしたッ、早く能力を――」


 剣を振り切った体勢になる頃には、ぽろりと首が床に転がっていた。

 不死の肉体は炎に包まれ、灰となって消える。


「……は?」


 アシュトンは困惑した表情のまま固まっている。

 アシルは鞘に吸命剣を仕舞い、生首の状態となったアシュトンの元まで近寄る。


「……わ、儂の……身体が……?」


「この状態でも生きているとは」


 アシルは感心しながら白い煙を上げながら再生しようとしている生首の側頭部を踏む。


「ま、待つのだ、アシルッ、よく考えるのだッ! お主が人族に受け入れられると思っているのか⁉ 魔物になったのだ! アンデッドとなったお主は魔物として生きていく他ないッ」


 アシルは無視して体重をかけていく。


「ぐぎ、く、そ、そもそも人族を守る価値など……ないのだぞッ⁉ み、耳寄りの情報を教えてやる! エルシュタインの王都を滅ぼす計画を立てたのは我々魔王軍ではないッ、元々は人族の企みに魔王様が乗っただけなのだッ」


 その言葉に思わずアシルは僅かに力を緩め、


「どういう意味だ?」


「……帝国なのだ。全ては帝国皇帝の企みだった、エルシュタイン王国の王都が滅んだのは帝国のせいなのだッ、我々魔物ではなく人族の企みだった!」


 きょとんとしたアシルは再び体重をかけていく。


「苦しい言い訳だな、人類諸国は魔王の脅威に抗う同盟国だ。帝国も例外ではない」


「違う、帝国だけは違うのだ。考えても見るのだ、同盟関係をより強固にするため、帝国の皇子が王国を訪問した。そしてその訪問した街に突如魔王軍の大幹部二体に率いられたアンデッド達が攻め寄せた」


「……」


「これが偶然だと思うか?」


 アシルは無言のまま再び力を緩め、先を促した。


「結果、王国の主力はソリウスの街に行き着き、王都の守りが薄くなった」


「……エルシュタインが滅びても帝国側に利点がない。あの国だって魔王の脅威に晒されているはずだ」


 世界には屍の魔王以外にも魔王はいる。


 帝国だって魔王と戦争を繰り広げる同志のはずなのだ。


「……利点ならある。戦争特需だ。王都を取り返すために、今王国の四侯聖家は隣国である帝国から物資を大量に買い付けている。王都が滅んだおかげで帝国は潤い、国力を増しておる」


「……ッ」


「帝国は魔王との共存を望んでいる。いや、違うな。それも表向きの態度でしかない。あの野心しかない皇帝の真の企みは恐らく魔王を従え、世界の覇王となる事だ。つまり真の悪は人族なのだ、アシルよ」


 それが本当かどうか、アシルは分からなかった。判断できる材料が少なすぎる。

 苦し紛れに吐いた嘘という事も考えられる。

 

 だが、それならそれでいい。

 嘘であって欲しい。


 それでも一度芽生えた疑念は徐々に心の中で育っていく。


 精査しなければならない。


 少しばかりの思考時間。気を緩めたアシルの様子を見て、アシュトンはにたりと笑みを浮かべた。


「――隙だらけじゃよッ、馬鹿が!」


 時間稼ぎの側面もあったのだろう。

 一気に身体を再生させたアシュトンが頭の上にあるアシルの右足に氷柱を刺し込んだ。

 

 

 


 

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