第2話「旦那様は意外と文明狼」

「お屋敷……」


一体どんな生活が、と想像していたがたどり着いた先に建つ石造りの洋館に拍子抜け。

それは時代をさかのぼる必要のある建造物ではあったが、十分に人が暮らせるもの。


「昔、人間が造ったものだ。さほど生活に差異はないだろう」

「旦那様はこちらで暮らしているのですか?」

「人の形をとるときは」


驚きで目の前がチカチカする。


「旦那様は人だったのですか!?」


くわっと噛みつきそうな勢いで手を伸ばし、狼の毛を掴む。

強めに引っ張ったことで狼は唸り声をあげ、顔を動かして振り払う。


「あ……申し訳ございません。つい」

「……狼のように見えるだろうが、厳密には魔獣だ」

「魔獣……」

「たしか、人はフェンリルと呼ぶ」

「フェンリル!?」


それはアイスノ王国に伝わる伝説の魔獣。

巨大な狼のような姿をしており、それは世界が滅亡する際に戒めを解いて人の世に現れるといわれている。

つまり人間にとって恐るべき怪物である。


(怖い……と思うべきところよね? だけど旦那様からイヤな感じはしない。むしろ私が王女であることを忘れてしまいそうな)


「せ、世界を滅ぼすのですか?」

「人がどのように語っているかは知らぬが……」


熱風が吹き荒れる。

青い炎が渦を巻き、狼の姿を隠してしまう。


だがそれも一瞬のことで、炎が消えると中から銀色の長髪をした人間の男性が現れる。


銀色に艶めく切れ長の目元に、雪のように白い肌。

トパーズを埋め込んだような左目と、ルビーを連想させる右目。


銀色の尻尾が生えており、身体を隠すように巻き付けている。

頭部には三角の耳があり、ぴょこぴょこと折っては伸ばすを繰り返していた。


「もとは神格に価する狼だ。人の姿をとるくらい造作もない」

「……なるほど。だから人間との結婚にも問題はないと」

「は?」


(あぁ、あれこれ想像する必要もなかったのね)


彼との間に障壁はない。

あったとしてもそんなものは破壊して見せようと思ってはいたが。


(王女でもなく、姉でもない。肩書なしに嫁ぐことが出来るなら)


すべては杞憂なこと。

ルーナはカッと目を開き、口内に溢れた唾液を飲み込んで両手を前に出す。

その勢いで彼の身体を隠す尻尾を掴み、鼻息を荒くしていた。


「子どもは! 何人産みましょう!?」

「はっ?」

「体格差や常識が異なると思っておりましたが、心配する必要はございませんでしたね!」

「ちょっ!?」

「狼の姿も人の姿も、どちらも素敵ですわ」


毛並みは少し固めだが、しっぽは比較的やわらかいようで握ると口角が緩みだす。


病みつきになる感触に興奮するばかり。

耳はどんな弾力があるだろう。


爆発した好奇心で頭の耳に触れようと手を伸ばすが、身長差があり届かない。

肌をぴったりとつけるほどに密着していたが、ルーナの欲望はとまらなかった。


「お主は変態か!?」

「はい! 旦那様のような方と結ばれること、ずっと夢見ておりました!」


アイスノ王国は寒冷地であり、一年の半分は雪に覆われている。

今は温かい時期とはいえ、コートやローブなしでは寒さに震えてしまう。


鉱物資源が豊かではあるが、農作物はあまり育たない貧弱な国だ。


そんな国の王女として生まれた以上、隣国との政略結婚は避けられない。

淑女として慎ましく、品よく貞操観念をしっかりと持つことを意識してこれまで生きてきた。


しがらみに縛られることなく生きる動物のような生き方にひどく憧れた。


「……旦那様は私の憧れです」

「憧れ、か……」


ふわりと頭頂部を撫でられる。

遠慮のない手つきはわしゃわしゃと動き、一つの三つ編みにくくったルーナの髪を乱していた。


「もうっ……旦那様。ぐしゃぐしゃになってしまいますわ」


義務的に身だしなみを整えてきたが、好ましく思ってほしいという欲になったのははじめてであった。

獣に嫁ぐ以上、人間らしさなんてどうでもよいと思っていたのに……。


神にも近いフェンリルからすると、美しいの基準はどうなのだろうと知りたい気持ちが強くなった。


「王女ならば誰でもよかったというのに」


ぼそりと口にされた言葉は聞き取れない。


「旦那様?」

「ルーナといったな」

「……っ! はい! あの……旦那様のお名前を教えてくださいな!」

「……リアム」


それはとてもくすぐったい響きだった。


「足りぬものがあればすぐに言え」


そう言ってルーナの肩を押し、屋敷の中へと歩いていく。

途中、炎をまとって姿を狼に戻してしまう。


揺れる尻尾とチラリと見える肉球にルーナの目は釘付けだ。

人型としての尻尾も良いが、狼の短い毛にも触れてみたいもの。


きゅうぅと締め付けられる胸の高鳴りにルーナは満面の笑みを浮かべ、追いかけていった。

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