第5話 白と灰の老人
納品を終えてメインストリートを歩いていると、店の前で木箱の整理を行っていた従業員達が仕入れたばかりの噂話を口にしていた。
「聞いたか? 今日、王都騎士団の騎士様がクレントにやって来たらしいぜ」
そう語る男性の話を聞くに、馬に乗った騎士が朝一にクレントへとやって来たらしい。
騎士の鎧には王都騎士団の紋章が描かれており、領主邸へと向かったそうだ。
話を聞くもう一方の男性は「へぇ」と相槌を打ちながら推測を口にした。
「迷宮に氾濫の兆候が無いか調べに来たんじゃないか? 毎年やってるだろう?」
もしくは、その打ち合わせのために来たんじゃないか。
だとすれば、やって来た騎士が一人であったことと領主邸へ向かったのも頷ける、と。
最初に噂話を口にした男性は「確かに」と返した。
すれ違い様に話を聞いていた僕も内心で「そうかも」と頷きながら通り過ぎていく。
さて、人が多いメインストリートを歩くのもここまで。
裏通りに向かうべく、店と店の間にある小道に向かって右折する。
やや背の高い建物がメインストリートに並んでいるせいか、裏通りに入ったところは日陰になって日の光が届いていなかった。
ただ、ずっと日陰が続いて鬱々とした雰囲気が続くわけじゃない。
少し先に進めば、メインストリート同様に綺麗に整備された石畳みの道が陽の光に照らされている。
所帯持ち用に建てられた新しい住居もいくつか並んでいるし、古くから住んでいる住人が暮らす年季の入った住居も混在している。
裏通りに並ぶ商店も同じだ。
新しい建物もあれば、古い建物もある。
隠れ家的なオシャレなカフェもあるし、少し怪しげな薬屋だって存在する。
統一感は無いものの、過去と現在が混在するこの雰囲気が僕は好きだ。
道一本の差だけなのに人の往来が激しいメインストリートよりも落ち着いていて、裏通りに漂う穏やかな雰囲気にはどこか安心感が感じられる。
そんな安心する道を歩いていると、僕とジジの鼻が同時に「クンクン」と動く。
煙突から薄く白い煙を吐き出す店の前で足を止め、ジジに外で待っているよう言ってから木製のドアを押して店内へ入って行った。
「グレン爺ちゃん、こんにちは」
「おお、クルツ君か。いらっしゃい! 丁度焼けたところだ!」
奥にある調理場から顔を覗かせたのは、白髪をオールバックにして優しい笑みを浮かべる老人。
マギー婆ちゃんの旦那さんであり、店主であるグレン爺さんだ。
まだ朝だということもあって、店内に置かれた木製テーブルの上にはパンの入った籠が置かれていない。
しかし、奥の調理場からは焼きたての美味しいパンの匂いがこれでもかと流れてくる。
なんとも幸せな匂い。
ここにいるだけで腹の虫が鳴りそうになってしまう。
「今日はバゲットがオススメだよ。我ながら良い出来だ!」
そう言って、グレン爺ちゃんは再び優しい笑みを浮かべた。
グレン爺ちゃんはその日一番の商品を教えてくれる。
無論、どれも美味しいのだが、彼の言う「その日一番のオススメ」は特に美味しい。
バゲットであったり、ホワイトブレッドであったり、パイであったりとその日によって物が違うのだ。
ただ、繰り返しになるがどれも美味しい。
中でも僕が一番好きなのはミートパイ。
ゴロゴロッとした触感のミートソースとサクサクなパイ生地がたまらない。グレン爺ちゃんのミートパイを食べたら他じゃ食べられないよ。
「バゲット一本お願いします。あとミルクも一本お願いできますか?」
本日のおすすめであるバゲットは、国民食と言っても過言ではないパンだ。
しかし、どこにでもある国民食と侮ることなかれ。
最高に美味しいバゲットをそのまま食べるも良し。贅沢に野菜や肉を挟んだり、マギー婆ちゃんのジャムを塗って食べるのも良し。
オールマイティで最強。
それがグレン爺ちゃんのバゲットなのである。
「うん。用意するよ」
グレン爺ちゃんは出来立てのバゲットを茶紙に包んでカウンターに置き、その横にミルクの入った瓶を置いた。
ミルクは都市の外にある家畜業者から毎朝届く新鮮な牛の乳だ。
パンの材料として使うそうだが、多めに購入しているそうで余った分は販売してくれる。
これもご近所付き合いのある者ならではの特権だろう。
ミルクを買うために西区にある市場まで出向かなくて良いのは有難い。しかも、新鮮な搾りたてなのだから猶更だ。
「五日後にマギー婆ちゃんの薬を持ってきますね」
僕は代金を支払い、商品を抱えながらグレン爺さんにそう告げた。
「うん、いつもありがとう。じゃあ、その日はミートパイを焼いておくよ」
僕の好物を覚えてくれていて、焼いてくれると言う。なんとも有難い話だ。
昔から二人にはお世話になっているが、至れり尽くせり過ぎて申し訳なくなってしまう。
「いつもすいません」
「何言ってるんだい。クルツ君の薬で助かっているのは私達だ。こちらが礼を言うべきだよ」
そう言われ、僕は少し照れ臭くなってしまった。
グレン爺ちゃんとの世間話もそこそこに、僕はバゲットとミルクを持って外に出る。
外に待機していたジジと共に再び家へと向かって行った。
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「美味しかったね」
「わふ」
お昼を過ぎた頃、グレン爺ちゃんのバゲットを頂いた。
家にあったハムと野菜を挟んだバゲットサンドを堪能し、ジジはミルクと市場で購入しておいた魔獣の肉だ。
ジジは口の周りを白く染め、舌で忙しそうにべろべろと舐め取っているあたり満足しているのだろう。
食後のコーヒーを堪能していると一階にある来客を告げるドアベルが「チリンチリン」と鳴った。
音に気付いて一階に向かうと、店の中にはフード付きのケープを身に纏った騎士が一人。
鎧の胸部分には王都騎士団の紋章である鷹を模した紋章が描かれており、納品帰りに聞いた「噂の騎士」であると察することができた。
「いらっしゃいませ」
噂の騎士に声を掛けると、騎士はフードに手を掛けた。
辛うじて見える口元には灰色の髭があって、それなりに年齢のいった者であることが読みとれる。
「久しぶりだね。クルツ君」
騎士はフードを下ろしながら声を掛けてくれて、僕も声と晒された顔で知り合いであると気付く。
「オルフェウスさん?」
「やぁ、半年ぶりかな? 元気かい?」
灰色の短髪、口元に髭を生やし、頬に傷跡のある老騎士。
彼は王都騎士団騎士団長であるオルフェウス・ベルゲン。
剣一本で庶民から騎士、今では侯爵位にまで駆け上がった元剣士。そして、ルクシア王国最強の称号を持つ老騎士であった。
「サーシャはまだ帰っていないのかい?」
「はい。まだ南の国で発見された迷宮ですよ」
僕がそう答えるとオルフェウスさんは「相変わらず……」とため息を零した。
オルフェウスさんとの関係性を正確に言うのであれば、彼は師匠の友であり飲み仲間と言うべきか。
過去、師匠と共に迷宮を探索したこともあって、大魔導師と称えられる師匠を「サーシャ」と呼べるほどの仲。
師匠の性格をよく知っているせいか、僕を心配してたまに顔を出してくれる人物の一人でもある。
「今日はどうしたんですか? いつもの定例会とは違いますよね?」
前にクレントまでやって来たのは、半年前に行われた「定例会」の時だったかな?
定例会とは僕が開発した新作魔導具を発表する場でもあり、新作を見せる相手は王都にある
彼らは僕の魔導具を見て、体験した後に「世に出すか否か」を決めるのだ。
僕としては全て世に出すつもりで開発しているのだけど、今のところは勝率はすこぶる悪い。
「ああ、実は……」
ただ、今日は定例会関係ではなさそうだ。
オルフェウスさんは手に持っていた物をカウンターに置いた。
彼が持っていたのは布で何重にも巻かれた物で、僕が「中を拝見しても?」と聞くと静かに頷いた。
巻かれていた布を解くと――中には水晶のように透明な刀身を持つ剣があった。
ただ、透明な刀身は折れてしまっている。
「あ、折れちゃいましたか」
これは僕が作った魔剣だ。
世にも珍しく、更には実用的な剣が欲しいと言っていた親友が十八歳を迎えた誕生日の祝いに贈った物。
「うむ。実はアーベル王子殿下が北の迷宮に潜ってな。その際にジャイアントマンティスと戦闘になって――」
ジャイアントマンティスは全長三メートルもある昆虫タイプの魔獣だ。
鋭利な刃を両手に生やし、それで人を容赦なく襲う人類にとっての強敵である。
オルフェウスさん曰く、水晶剣を振るっていた二歳年上の親友アーベル――ルクシア王国第一王子――が戦闘中に破損させてしまったらしい。
「ええ!? 怪我はありませんでしたか!?」
「ああ、幸い倒すのと同時でね。首を断つと同時に折れてしまったんだ。殿下に怪我は無かったよ」
状況を語ったオルフェウスさんはポケットから折り畳まれた手紙を取り出して手渡してきた。
手紙を書いたのはアーベル本人で、中には「クルツ、剣を折ってしまってすまない。直して欲しい」と簡潔に書かれていた。
それを読んだ僕は「彼らしい文章だ」と笑ってしまう。
「恐らくは戦闘で負荷が掛かったのだろう、とアカデミーの学者達は言っていたが……」
オルフェウスさんは「開発者としてはどう見る?」と問いかけてきた。
「結構、使い込んでますね」
折れた刀身や剣全体を見ると、細かい傷が多数ある。
グリップに巻いた布にも使い込まれた跡があるし、アーベルが体験してきた激戦を現しているかのようだった。
「うむ。殿下のお気に入りだったからな。迷宮で実戦訓練する際だけではなく、騎士との打ち合いでも使っていたよ」
剣を使う際は、ほぼ水晶剣しか使っていなかったらしい。
使った後も入念に磨いたりと大事に使っていた、と聞いて自然と笑みを浮かべてしまう。
「開発者冥利に尽きますね」
親友が自分の作った剣を気に入ってくれて、大事にしてくれた。それだけで満足だ。
「たぶん、二年の間に腕力も魔力も増したから剣の耐久力を越えたのでしょう。悪い事じゃないと思います。刀身が折れただけで魔回路は無事ですし、すぐに直せますよ」
この水晶の刀身を持つ魔導剣は、柄の部分とその先に魔剣たらしめる魔回路が刻まれている。
この部分が破損してしまうと作り直しに近い状態となってしまうのだけど、幸いにして剣の肝は壊れていない。
「そうか。それを聞いて安心したよ」
ホッと安堵するオルフェウスさんは皺のある顔に笑みを浮かべる。
僕はその場に折れた刀身と剣を置くと、作業場から刀身と同じ素材である魔水晶と魔鉄の粉末が入った革袋を持ってきた。
成人男性の拳と同じくくらいの大きさを持つ魔水を折れた刀身の間に置き、手に魔力を溜めて水晶に押し付ける。
魔力を受け止めた魔水晶はぐにゃんと飴細工のように柔らかくなり、その状態で折れた刀身をくっつける。
魔力で粘土のようになった魔水晶を接合材代わりにして、折れた刀身を修復するのだ。
二つになってしまった刀身がそれぞれくっ付き、折れた際に出来たヒビも消えて完全に一本の剣として修復された。
「次は……」
修復するだけならここで終わりなのだけど、折れた経緯を知っているからには一つ加工を加えたい。
先ほど魔水晶と一緒に持って来た魔鉄の粉末。
魔鉄と呼ばれる迷宮素材は普通の鉄と違って魔力を含んだ鉄である。
魔力に反応する鉄を魔力で溶かし、全体へコーティングするように浸透させることで刀身の耐久力を更に上昇させることが可能となる。
ただ、普通なら魔水晶単体だけでも十分な耐久力がある。
それを壊してしまうのだから、アーベルは成長と共に力が大きく増しているのだろう。
王国最強の座を継ぐ者、として国民から愛される王子様は更に強くなったらしい。
「いつ見ても見事な手際だ。もう師匠と同じ腕前なんじゃないか?」
「まさか。まだまだ敵いませんよ」
オルフェウスさんは「おお」と声を漏らしながらも褒めてくれるが、僕からしてみればまだまだだ。
恐らく、師匠なら最小限の魔水晶で刀身を修繕する。僕みたいに拳ほど大きな量を必要としないだろう。
師匠との差を実感しつつも、僕は完全に修復された剣を見回していく。
作業に漏れがないかを確認し終えると水晶剣を再び布で包み込んだ。
「今回は修復と補強を施しましたが、次は新しい物を作りましょう。アーベルに何が欲しいか聞いておいて下さい」
「ふふ。殿下が聞いたら舞い上がりそうだな」
そう言われて、僕の脳裏には「やったー!」と子供のようにはしゃぐ親友の姿が浮かんだ。
「ありがとう、助かったよ。次に会う時は定例会の時かな?」
「そうですね。オルフェウスさんも無理なさらないで下さいね」
そう告げると、オルフェウスさんからは「下が育ってくれればね」と笑いながら返された。
「では、また。何かあれば遠慮なく頼ってね」
「はい。ありがとうございます」
彼は布で巻かれた剣を小脇に抱え、再び顔をフードで隠すと手を挙げながら店を出ていく。
僕は彼の背中を見送ると、再び二階に戻ってコーヒーを飲み始めた。
◇ ◇
店を出たオルフェウスは荷物を抱えながら裏通りを行く。
メインストリートの喧騒を耳にしながら歩いていると、彼の鼻には香ばしいパンの匂いと混じって葉巻の匂いが届き始めた。
パン屋の前に立っているのは、オルフェウスと同年代の老人。白髪をオールバックにしたグレンがエプロン姿のまま外で葉巻を吸っている。
「こんにちは」
先に声を掛けたのはグレンだった。
彼は街の住人へ行うのと同じように自然な声音で挨拶する。
「こんにちは。今日も良い天気ですね」
そして、オルフェウスもまた自然な声音で返した。
「そうですね。天気も良いし、ずっと平和だ。これも騎士様のおかげでしょう」
グレンは『平和』の部分をやや強調するように言った。
「まさか。陛下も常に仰っておりますが、民があってこその国ですよ」
オルフェウスがそう返すと、グレンは「王都はどうです?」と問うた。
「王都も相変わらず賑やかですよ。人が多い分問題も起きますが……。まぁ、それほど苦労はしませんね」
オルフェウスはフードの中にある口の口角を上げて言う。
「そうですか。そりゃ良かった」
「ええ、本当に」
軽い世間話のような会話を行ったオルフェウスは「それでは」と別れの挨拶を告げる。
荷物を抱えたオルフェウスは道を真っ直ぐ進み、店の前に立つグレンは葉巻の煙を青い空に向かって吐き出した。
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