第2話 大魔導師の弟子 クルツ
「うーん……ふあああ」
僕はいつもの時間に目を覚ました。
時刻は早朝四時。
朝日が昇って都市全体を明るく照らすものの、この時間に外を出歩く者は新聞配達員や街を守る騎士達くらいだろうか?
毎日夜遅くまで続く都市内の喧騒が嘘のように静まり返っていて、屋根の上に止まった鳥の鳴き声が聞こえるほど穏やかな時間。
ベッドの上で上体を起こした僕は猫のように体を伸ばし、簡単なストレッチをしながら脳を覚醒させてゆく。
「ワォン!」
「おはよう、ジジ」
僕の頭が覚醒したのを見計らって、黒狼のジジが「おはよう」と吼えた。
ベッドに頭を乗せたジジを撫でまわすのも重要な朝の日課だ。
「さて、朝食前にやっちゃおう」
「ウォン」
ベッドから出た僕は服を着替え、一階にある作業場へ向かった。
ジジが僕の後ろをついてくるのもいつも通り。
作業場に到着すると、まず一番に窓を開けて新鮮な朝の空気を作業場に満たす。
ここには師匠と僕が揃えた迷宮素材の宝箱とも言える場所であり、この店を経営するための要となる重要な場所だ。
木製の五段棚には迷宮内で採取できる薬草各種や、魔獣から獲れる様々な素材が瓶詰めになって所狭しと置かれている。
壁沿いには中樽がいくつも並んでいて、蓋の上に内容物が一目で分かるようメモを貼り付けている。
これは子供の頃からのクセだけど。
他にも魔獣の大きな骨や牙、毛皮の一部が無造作に置かれていたり、少々危険な素材を入れておく金属製の箱が床に積まれていたりと、所々に大雑把でだらしない師匠の名残があるのだけど……。
「下手に片付けると、師匠が返ってきた時にうるさいからなぁ」
僕の頭の中には「一目でわかるように置いてあるんだ!」「私なりの整理整頓なんだ!」と子供のような言い訳をする師匠の姿が浮かぶ。
「……仕事しよ」
僕はブンブンと首を振って、脳内で「ひゃひゃひゃ!」と笑う師匠の声を振り払った。
壁のフックに掛けてあった作業エプロンと魔獣の革製手袋を装着して、作業場の奥にある木製テーブルへと向かう。
テーブルの上には昨晩のうちに用意しておいた、乾燥済みの薬草を詰めた箱が一箱。
僕はテーブルの前で「よし」と気合を入れると、右手で乾燥させた薬草を束ねて掴み取る。
空いている左手はテーブルの上にある収納棚から大きな木製ボウルを取り出して。
テーブルに置いたボウルの上に薬草の束を移動させると、今度は両手で薬草を挟み込んで擦り合わせるように手を動かした。
擦り合わせることで乾燥した薬草がボロボロと崩れ出し、ボウルの中へと落ちていく。
乾燥させておいた計百本の薬草全てに同じ工程を施すと、ボウルの中にはボロボロに崩れた薬草がこんもりと小山を作った。
「よし、次は」
今度は収納棚から目盛り付きのガラス製カップを手にして作業場の隅へ移動。
そこには中樽が置かれていて、中には魔力水と呼ばれる水がたっぷり入っている。
勿論、これも大迷宮で採取できる迷宮素材だ。
魔力水をカップ二杯分ボウルの中へと投入。
先ほどの崩れた薬草を溶かし込むようにヘラで混ぜると、透明だった水に薬草の色である緑色が混ざって薄緑色の液体となる。
次に瓶詰めになった素材が置かれている棚から白い花びらが詰まった瓶を手に取り、中から花びらを五枚ほど摘まみ取る。
それを先ほどのボウルの中へと落した。
ここまでは特別緊張するような作業じゃない。
重要なのは次の工程。
全ての準備が終わると、僕は両手をパンと鳴らしながら合掌するような形に。同時に目を瞑りながら唇をきゅっと閉めて集中し始めた。
すると、合わせた両手が少し暖かくなるのがわかる。
集中力を絶やさぬまま目を開けて、合わせた両手をゆっくり離していくと――手と手の間には小さな虹色の光が生まれている。
クラフト魔法の一つである『魔力抽出』を使い、僕の体内から抽出した魔力の塊だ。
抽出した魔力を崩さぬよう、ゆっくりとボウルの中に沈めていく。
落ちた魔力は魔力水に反応して水面に広がっていき、次に水面に浮かぶ花びらも同じく虹色に染まっていく。
一定時間それを維持すると、ボウルの中にある全ての素材が魔力水に溶けた。
素材に含まれる魔力が全て一定に均された証拠であり、魔力水自体の色も透明に戻った。
作業は成功だ。
「ふう」
ここで失敗すると魔力水の色が透明に戻らない。失敗してしまうと魔力水に薄緑色が少しだけ残ってしまうのだ。
僕の師匠は「濁った色では見た目も効能も悪い」と口を酸っぱく言っていた。
幼少期から何度も何度も注意され、出来るまで繰り返し練習させられたっけ。
失敗する度に怒られていた当時の記憶が頭にこびりついているせいか、この作業には毎度緊張してしまう。
「さて、今日の注文は何味のポーションだっけ」
ただ、この後の作業は簡単だ。
僕はテーブルの左側にあるコルクボードに顔を向けた。
そこには注文用のメモが貼られていて、今日の日付を見ると――ブドウ味と書かれているのを見つけた。
「ブドウか。ブドウ、ブドウ……」
今度は素材棚じゃなく、作業場と隣接する冷蔵室へと向かった。
人が中に入れるほどの大きさと広さを持つ冷蔵室のドアを開けると、開けた途端に冷気が漏れ出す。
冷蔵室の壁には霜が付着しており、中に置かれた木箱にも霜が積もっているほどだ。
「うー! さむさむ!」
積まれた箱の中からブドウの入った箱を探し、中から大粒のブドウを四房持ってテーブルへと戻った。
「ジジ、閉めて!」
「ウォン!」
両手が塞がった僕の代わりにジジが冷蔵室のドアを閉めてくれる。
少々重いドアであっても、ジジは後ろ脚で蹴るようにしてドアを閉めてくれるのだから心強い。
さて、次はブドウを房からもいで……小さなナイフの先で一粒一粒種を取り出しながらボウルの中に投入。
この時、皮は残した状態で入れるのがポイントだ。
ブドウを全て入れたら、背後に置かれた専用の魔導具へと流し込む。
魔導具の名前は「混ぜまーぜ君一号』といい、僕が開発したポーション作り専用の便利道具である。
これがあると無いとでは作業時間が随分と変わる。
魔導具の大半を占めるピッチャーに、先ほどの魔力水とブドウを入れて蓋をする。
あとは下部に付属した回転刃が固形物を粉砕して液体と一緒に混ぜ合わせてくれる優れ物だ。
事前にブドウをすり潰す必要が無くなるので大変よろしい。
「起動!」
魔導具にあるレバーを下ろすと、付属した刃がギャーッと音を立てて回り始めた。
ピッチャーの中にあった魔力水がどんどん紫色に染まっていく。
完全に混ざったのを確認したのちに蓋を開けると、中からブドウの美味しそうな匂いが漂ってきた。
「我ながら良い物を開発したなぁ」
「ウォン!」
僕の言葉にジジも「そうだな!」と返してくれているようだ。
さて、次の工程が最後。
別の大きなガラスピッチャーを用意して、口の上に清潔な布を敷く。布がピッチャーの中に落ちないようしっかり固定。
混ぜまーぜ君一号のピッチャー部分を取り外し、布を固定したピッチャーへゆっくりと中身を流し込む。
口に敷いた布でろ過しつつ、ピッチャーの中に綺麗な紫色の液体だけを注入していく。
綺麗な紫色の液体だけが満ちて行く様子は、ジジも尻尾を振りながら釘付けだ。
「ブドウ味ポーションの完成!」
「ウォーン!」
僕が「完成」と口にするとジジも尻尾をブンブンと振って鳴き声を上げた。
これで朝一に行う作業――本日出荷分のポーション作りはほぼ完了。
あとはこれを小瓶に詰めて封をすれば商品として出来上がり。
計三十本のポーション小瓶を作った僕は、手袋とエプロンを脱いで壁のフックに掛け直す。
それを見ていたジジに顔を向けたのち、しゃがみ込んで彼の顔をワシャワシャと撫でた。
「ジジ、朝ご飯食べよう」
「ワフ」
作業を終えた僕とジジは再び二階へ。
朝食はチーズを挟んだパンと昨晩作ったスープのあまり。
違いの分かる狼であるジジには、コカトリスのモモ肉を軽く焼いたものを。
「美味しい?」
「ワフ……。ウォウン」
コカトリスのモモ肉は他と違って特別柔らかいんだよね。皮面はよく焼きにするとパリパリな食感ができあがって最高なんだよ。
そう言っているような顔だった。
――食事を終えると、時間は朝の七時となっていた。
出荷準備を終えたポーションを配達するには良い時間だ。
作業場にあったポーションの小瓶を緩衝材入りの木箱に移し、計二箱を持って作業場にあるドアから店の裏手へと出る。
店の裏手に置かれた小さな車輪付きの犬ぞり――僕は台車だと思っているけど、師匠が頑なに犬ぞりと言う――に荷物を積んで、革紐をジジに取り付ければ出発の準備は完了だ。
「ジジ、行こう」
「ウォン」
力強いジジが僕の横を歩き出すと、繋がった車輪付き犬ぞりが動き出した。
引いているジジの表情を見る限り「こんなん余裕ですし」といった感じ。
ポーション瓶の入った木箱が特別重いわけじゃないが、それでも代わりに運搬してくれるのはありがたい。
たとえ僕が犬ぞりに乗ってもジジは軽々と引けてしまうだろう。
彼はそれほどのパワーを持っているが、毎朝の出荷は散歩を兼ねた二人のゆっくりタイムでもある。
「今日もいい天気だね」
「ワフッ」
僕達は道行く都市の住人に挨拶をしながら、最初の納品先である迷宮組合へ向かって行った。
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