天使と悪魔 5




 パンッと何かが弾ける音に、オリビアはハッと目を覚ます。慌てて辺りを見渡してみたけれど、周囲は真っ暗闇に包まれていてよく見えなかった。


(私はどうしてここに……)


 記憶を辿っていれば、再び大きな音が響いてびくりと肩が跳ねる。空に広がる色とりどりの花火に、今が祝福祭の途中だと言うことを思い出した。


(ああー!やっちゃったわ!終わった!完全に終わった……!)


 カシアンと離れてもう数時間は経っただろう。「もしもはぐれても、騎士を動員しないで、時計台の前で待っていてちょうだいね。約束よ!」と何度も念を押したけれど、カシアンのことだ。きっと今頃、騎士たちを呼び出して大騒ぎになっているはず。


 いつの間にか、人間の姿に戻っていたのは良かったけれど、この後のことを考えると全然良くなかった。


(はぁ……一先ず時計台まで行ってみないと)


 その途中で、騎士に捕まらないことを祈るしかない。オリビアが立ち上がると、パサりと何かが膝から落ちる。暗くてよく見えないけれど、どうやら上着のようだった。


(これは誰かが掛けてくれたってことかしら……いや、怖っ!どうせなら起こしてくれればいいものを、上着だけ残していくだなんて、どう考えても怪しすぎるわ……!)


 好意でしてくれたことを疑いたくはなかったけれど、オリビアは自分の身体を確認した。少し痛みはするけれど――思った程ではなくて首を傾げる。


(猫になった時に蹴られたり揉みくちゃにされたうえに、カシアンに首まで締められたはずなのに)


 不思議なことにそれらの痛みは全てなくなっていて、残っているのは地面で寝てしまった副作用で得た背中の痛み程度だ。どうしてなのか気にはなるが今はその疑問を解決している余裕はなかったので、すぐに考えを振り払う。

 そのまま置いていきたかった怪しげな上着も、念の為に持っていくことにした。


 昼間とは違い街中にはそこまで人は多くなく、目的地までは簡単に進めた。


「カシアン!」

「オリビア……?」


 時計台の近くまで来た頃にはもう花火は終わる頃だった。てっきり騎士に囲まれているかと思いきや、カシアンは一人ポツンとその場に立ち尽くしていた。

 オリビアの声に、カシアンが顔をあげて目を瞠る。


「お待たせしてごめんなさ――」

「ずっとどこに居たのですか…!どうしてそんなに泥まみれなのですか!?もしかして、どこか怪我でもされたのですか!?」


 謝罪しようと出した声は、駆け寄ってきたカシアンによって掻き消される。何時間もずっと待たせてしまったことへの怒りよりも先に出てきた自分に対しての心配の言葉に、オリビアの鼻の奥がツーンとした。


(今度こそ簡単に許さないつもりだったのに)


 結局オリビアはまた絆されてしまった。締めつけられた首が痛かったのも許してしまうくらい、カシアンが焦燥していて、必死だったから。


「それで、なぜ泥まみれなのですか?」

「転んだのよ」

「……他に怪我があるかもしれません。すぐに神官を呼びましょう」

「それはやめてあげて」


 今日一日中働き続けて疲れているだろうに、こんなことで呼び出されるなんてあまりにも可哀想だった。


「本当に怪我はないわよ!ほら!」


 オリビアが、ぶんぶんと腕を振り回して、健康をアピールする。カシアンは不満そうだったけれど、オリビアに怪我がないのを確認してからようやく表情を緩めた。


「……ところで、それは?男物ですよね」


 オリビアの持っていた上着にカシアンが目敏く気付き、片眉をあげる。地面で寝て起きたらかけられていた、だなんて言えずにオリビアは適当に誤魔化した。


「えっと、親切な人が貸してくれたの」

「怪しすぎます、騙されてはいけません。それは僕が処分しますので、こちらに渡してください」


(怪しいというのは心から同意するけれど!処分は困るわ。大事な証拠品だもの、万が一の時のために取っておかなきゃ)


 オリビアは上着からカシアンの意識を逸らすために「そういえば」と、たった今思い出したかのように話を切り出した。


「騎士たちには連絡しないでいてくれたのね。ありがとう」


(もし連絡されていたら、きっととんでもないほど大騒ぎになっていたはずよ。ただでさえ、カシアンと二人だけで祝福祭を回る許可をもらうのも大変なのに)


 年に一度だけだからこそ辛うじて許されていることなのをオリビア自身もよく分かっている。何か起きた時点で、二度とこうして気軽に出歩くことができなくなるであろうことも。


「……オリビアとの約束でしたから。ですが、次からは離れた時点で公爵家の騎士を総動員しますので」

「そうならないことを祈るばかりだわ」

「それは僕の台詞です」


 カシアンが困ったように眉を下げ、差し出してくれた手をオリビアは取る。その手は侯爵家に馬車が着くまでずっと繋がれたままだった。



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