天使と悪魔 3




(そろそろ聖下に会いに行きたいわ)


 一通り屋台を回り終え、お腹もいっぱいになった頃、オリビアは辺りを見渡した。決して楽しむあまり本来の目的を忘れていたわけではない。

 オリビアはさり気なく話題を出してみた。


「ねぇ、今日って神官たちも出席しているのよね?街を歩きながら祝福を贈っているって聞いたわ」

「はい、そのようです」

「なら私たちも行ってみない?聖下がどんな人なのか見てみたいわ」

「…………」


(あら?てっきりすぐに許可してくれると思っていたけれど、嫌そうね)


 黙り込んで遠回しな拒絶反応を見せたカシアンに、オリビアは首を傾げる。そのうえ、その場から動こうとしなくなってしまった。カシアンの手を引いてもその場からピクリとも動かない。


(こうやって散歩や運動を拒否する動物が居ると、聞いた事があるわ)


 カシアンが会いたくない人なら無理をさせたくないけれど、オリビアにはどうしても会いたい理由があった。

 オリビアは「なら……」と新たに提案をする。


「一瞬だけ別行動しましょう」

「危険なので絶対に駄目です。そこまでして会いたい理由でもあるのですか……?」

「当然、この国の人間なら一度は見てみたいはずよ」

「……僕は思いませんが」

「私は思うの!お願い、カシアン。一瞬でいいから。後ろからだけでも……!」

「……後ろ姿でもいいのですか?」

「ええ」


(話しかけられるチャンスがあるのなら、横でも後ろでも真上でもどこからでも構わないわ)


 オリビアの熱意が伝わったのか、少し考え込んでいたカシアンが「分かりました」と容認してくれる。オリビアは心の中でガッツポーズした。


「後ろ姿だけですよ。正面からは絶対に見ないでください。オリビアの目が潰れちゃいますから」

「え、ええ。分かったわ……」


 そこまで言われると逆に気になったけれど、余計なことを口にして「やっぱりやめましょう」と言われるのは嫌だったから、オリビアは素直に相槌を打った。



 中心街の方まで戻ってくれば、先程までとは桁違いな人の多さだった。オリビアは離れないようカシアンの手を強く握る。


(すごい人混みだわ。多分あの人だかりの真ん中に居るのだろうけど……全く近づけない……!)


 もはや遠目で一目でも見れたら良い方だった。人が波のように押し寄せてきて、何とか立っているので精一杯だ。オリビアと同じくらい切実な人がこれ程までに沢山いるということだろう。追い詰められている時に何か縋れるものがあるのなら、手を伸ばしてしまうのは仕方のないことだった。


(うぅ……目が回る……)


 ぐるぐる回る視界に気分が悪くなり、カシアンの手を握る力が弱まる。ぎゅっと目を瞑った時だった。

 突撃身体が浮いた感覚に、オリビアはひゅっと息を呑む。


(ま、まさか……!)


 推測どおり、オリビアの身体はまた猫になっていた。それも、人混みの真ん中で。


「オリビア!?オリビア……!」


 カシアンが必死に自分を呼ぶ声が聞こえた気がするけれど、オリビアはそれどころではなかった。


(嘘でしょう!?どうして今なのよーー!)


 自分が一番恐れていた展開が起きて、オリビアは叫んだ。小さな子猫の身体に沢山の足がぶつかるのを耐えながらオリビアは何とかその場を抜ける。このまま踏み潰されるのではないかというほどの人混みを脱出した頃には、もうヘトヘトだった。

 草木が茂る小道でオリビアは息をつき、大きな木に寄りかかって少し休憩をする。


「にゃうにゃ」

(酷い目にあったわ……)


 周囲の意識がオリビアよりも聖下に向いていたのは不幸中の幸いではあった。今いる場所から時計台まではそう遠くない距離で、カシアンとの合流も難しくなさそうだ。しかし、問題が一つあった。


「みゃう、にゃにゃ」

(どうやって人間に戻るのかしら……)


 そうだ。オリビアには猫から人間に戻る方法が分からなかった。絶望しながら自分の手を見下ろせば、肉球がぷにぷにと浮いている。


(可愛いわ……)


 現実を直視できなかった。途方に暮れる間にも、時間はどんどん過ぎていく。オリビアには為す術はなかった。この姿でカシアンに会いに行ったところで、どうにもならないのだから。


「オリビア!オリビア!どこにいますか!?」


 それからどのくらいの時間が経ったのか。辺りが薄暗くなってきた頃、カシアンの声が聞こえてきた。悲痛な叫びに、オリビアの胸が苦しくなる。


「にゃう!にゃあ、にゃあ!」

(カシアン!ここよ、私はここに居るわ……!)


「この鳴き声は……」


 聞き覚えのある鳴き声に、カシアンが茂みを掻き分ける。大きな木の下には、ぼろぼろになった白い子猫が震えていた。


「やっぱり、お前はあの時の……」


「みゃうっ!」

(そうよ!カシアン、覚えているでしょう!?)


 カシアンが手を伸ばす。オリビアは歓喜した。

 一度は誤解やすれ違いがあったけれど、それは今のために必要なことだったのだと気が付いて――ぶらんと再び宙に浮く。

 心做しか、この前よりもっと汚物を触るような扱いなのは気の所為だと思いたかった。


(あの……カシアン?さっきまでは感動的な空気じゃなかったかしら)


「チッ、オリビアを探しに来たのに、見つけたのがコレだなんてな」


「にゃ」

(同一人動物よ)


 なかったことにしかけていたカシアンの姿を再び目にしてしまったオリビアは、抵抗するのを諦めた。余計なことをして逆鱗に触れたくなかったからだ。しかし、運命というのは残酷だ。

 オリビアの首元で光っている、見覚えのあるブレスレットにカシアンが目を見開いた。


「おい!お前がどうしてそれを持っている!?オリビアはどこだ……!」


「みゃうみゃ、にゃあああ……!」

(急に怒ってどうしたのよ!?く、苦しい……!)


 首元を締め付けられて、オリビアは息ができなくなる。ちらりと視界の端で首元のブレスレットを捉えて、納得する。


(わけないでしょう!そんな理由で人――今は猫だけど――を殺そうとするな!!)


 段々と苦しくなる息と、遠くなる意識を何とか保ちながら、オリビアがカシアンの手を引っ掻けば、そのままどさりと草の上に落とされる。ゴロゴロと転がり逃げ出す直前、カシアンの悲哀に満ちた表情が目に入った。


(泣きたいのは私の方よ……!)


 オリビアは足が止まりかけるも、その場を後にした。




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