天使と悪魔 2




 祝福祭とは毎年春に行われる式典だ。

 その日は皆が首都へと集まり、これまでの一年間に感謝を伝えた後、これからの一年間に祝福を授かる。皇族に関わる式典の次か同じくらい大規模な行事だった。


「オリビア、ブレスレット貰ってきました!」

「ありがとうカシアン」


 糸ほどに細い、金色のブレスレットをカシアンがオリビアの分も受け取ってきてくれる。これを付けたまま一年間、失くしたり切らしたりしなければ、どんな願いでも一つだけ叶うと言われている超幸運アイテムだ。

 去年までのオリビアにはそこまで切実な願いはなかった。しかし今年は違う。


(もう猫にならないようお願いしないと……あんな経験は一度で十分よ)


 オリビアは願いを込めながらブレスレットに腕を通した。隣にいるカシアンも願いごとが決まったのか、真剣な表情でブレスレットを付けている。


「カシアンももう願いごとは決まったの?」

「はい、僕のは毎年同じですから。オリビアは去年と同じく『ヴェセリー侯爵夫人に怒られないこと』ですか?」


(改めて聞くと酷い願いだわ……)


 でも去年のオリビアにとっては一番の願いでもあった。残念ながら三日と経たなかったが。不思議なことに、母であるカトリーナに怒られた日、自分の腕を見たらブレスレットはもう消えていた。切れたのか、失くしたのかどうかは分からないけれど。

 オリビアはカシアンの問いかけに首を振って否定する。


「いいえ、今年は違うわ。叶えたい願いができたの」

「…………願いが何か聞いたら教えてくれますか?」

「それは秘密よ。カシアンだって教えてくれないでしょう?」


 カシアンは毎年オリビアの願いを聞いてくるくせに、自分は絶対に教えてくれないのだ。それは今年も変わらずなようで、カシアンはオリビアの願いが気になる様子ではあったが素直に引き下がった。


「じゃあそろそろ行きましょう!まずはどこから見る?」


(できれば早く聖下に会いに行きたいけれど……突然そんなことを言ったら怪しまれるかもしれないから、後からでもいいわ)


「でしたら……あちらから回りませんか?」

「ええ、いいわよ」


 カシアンが指差した東の方角は、神殿の位置とは反対側だった。後ろ髪を引かれる気持ちがありつつも、オリビアは頷く。


「はぐれたら大変なので、今年も手を繋いでいいですか……?」


 カシアンがオリビアに手を差し出す。人が多い祝福祭ではぐれない為の措置だった。オリビアは少し悩みつつも手を伸ばした。

 ついでに万が一の時のために、待ち合わせ場所を決めておく保険も忘れない。


「もしはぐれることがあれば、あの時計台の下で待ち合わせよ」

「分かりました」

「じゃあ今度こそ行きましょう!」


 手を引き歩き出すオリビアの隣を、カシアンが歩幅を合わせてついて行く。右から左までずらりと並ぶ露店を眺めるだけでも楽しくて、オリビアははしゃいだ。


「何から食べようかしら?カシアンは何が食べたい?」

「僕はなんでも……」

「何でもいいはナシよ」


 何でもいいが口癖のカシアンが言い切る前にオリビアが遮る。オリビアに合わせるのではなく、カシアンが自分で好きな物を選んでほしかった。


「無理に食べたいものを食べなくていいの。ちゃんと自分が好きな物や食べたい物を選びなさい。時間はまだまだあるんだから、焦って決めたりしないで。分かった?」

「……はい」


 静かに頷くカシアンに、オリビアは満足気に笑う。そして目の前にある串焼きの店主に向かって手を上げた。


「一つください!」

「はいよ。熱いから気をつけてね」

「ありがとうございます」


(これが祝福祭の良いところよね)


 オリビアは出来たての串焼きを受け取り、マナーも気にせずそのまま頬張った。同時に、周囲への警戒も怠ってはいけない。今と同じように食べ歩いていた三年前、オリビアはカトリーナとバッタリ出くわしてしまったことがあるからだ。あの時はそれはもう物凄く叱られてしまった。

 隣にいたカシアンが助け舟を出すつもりで『違うんです。僕が食べたいと言ったんです』と庇ってくれたけれど『カシアン様に何てことを言わせているの……!』と余計にオリビアが怒られただけだった。

 その後、三ヶ月もの間『マナーと教養』『令嬢としての自覚』を学ばされ続けた苦い記憶がある。

 オリビアは認めた。自分が間違っていたと。


(お母様にバレないようにもっと上手くやるべきだったわ)


 そして決めた。


(これからはもう絶対にバレないように気をつけるわ)


 ……と。串焼きを食べ終わる頃、カシアンがジッと何かを見つめているのに気がついて、オリビアは足を止めた。


「カシアン?どうかしたの?」

「いえ、その……」

「見たいものがあるなら、そう言わないと。ほら、行くわよ」


 変なところで遠慮しがちのカシアンの手を引いて、視線の先にあった露店へと向かうと、カチューシャやアクセサリーなどの装飾品が並んでいた。異国の物だろうか、初めて目にする物ばかりで、オリビアは興味深そうに覗き込む。


(確かに、貴族令息なら食べ物よりもこういう方が好きよね)


 オリビアは自身を省みて反省した。もっとカシアンが好きそうな場所も見るべきだったと。


(改めて考えてみれば、私はカシアンのこと全然知らないわ……)


 カシアンはいつもオリビアに合わせてばかりで、自己主張というものが少ない。いつも彼の手を引き歩いてきたけれど、それがカシアンにとって正しいことだったのか疑問が過ぎた。


(今はそんなことを考えている場合ではないわよ、オリビア!)


「どれも素敵ね。これなんてどうかしら?」


 オリビアは一つのブローチを指差すも、カシアンは首を振って断った。珍しく積極的な姿に驚きつつも、オリビアは嬉しくなる。しかしカシアンが手に取ったブレスレットを目にして、すぐに慌てた。


(そ、それは女性用だと思うけれど……指摘したらカシアンが恥をかいてしまうわ。――いいえ、女性用が何よ。性別だけで好きな物を諦める必要なんてないわ)


 オリビアは一瞬でも慌てた自分を恥じた。どんな物であれ、カシアンが欲しいと自ら選んだ物ならば、それをオリビアが否定する権利などなかった。


「オリビア、これを買ってもいいですか……?」


 カシアンも同じ気持ちだったのか、不安そうに問いかけてくる。オリビアは胸を張って肯定した。


「勿論よ、絶対に似合うわ」

「そう言って頂けて良かったです。では、これをひとつお願いします」



 カシアンがふわりと笑い、ブレスレットの会計をする。そんなに嬉しかったのだろうかとオリビアも微笑んでいれば、会計を終えたカシアンはブレスレットを何故かオリビアの手首へと付けた。最初に着けていた金色と、新しく付けたばかりの紫色のブレスレットが重なった。


「えぇっと、カシアン?一体どうして私の手首にこれを……?あっ、もしかして預かっていて欲しいってことかしら?」

「いいえ、それはオリビアに似合うと思って選んだ物なので、オリビアが付けてください」


(まさか選んでいたのは私の物だったの!?)


 オリビアはカシアン自身が欲しいものを選んでほしかったけれど、それでもカシアンの気持ちが嬉しくて素直にお礼を伝える。


「ありがとう、カシアン。嬉しいわ」

「それなら良かったです」

「じゃあ次はカシアンのものを選びましょう!私がプレゼントするわ」

「……オリビアがくれるのですか?」

「ええ。いらないかしら?」

「いいえ、オリビアがくれるものなら何でも嬉しいです」


 カシアンにそう言われ、オリビアのやる気が上がった。絶対喜んでもらえるものを選べるように、真剣に一つ一つ品物を確認していく。


(左のは綺麗だけど、カシアンの好みではなさそうだわ。あれもいいけど、持ち歩くには微妙かしら。うーん、やっぱり一番最初に見たブローチが一番……)


 微動だにせず考えに没頭するオリビアの肩をカシアンが叩いて引き戻した。


「僕はこれがいいです」


 そう言ってカシアンが指差したのは、淡い水色のブレスレットだった。かなりシンプルな品物で、正直どこにでも売ってそうだ。……と言いかけるのを我慢して、オリビアは「ならこれにしましょう」と同意した。

 会計をして、今度はオリビアがカシアンの腕にブレスレットを付けてあげる。


(最初はどこにでも売ってそうだと思ったけれど……綺麗だわ)


 光に反射した、アイスブルーがキラキラと揺れる。カシアンはまるで宝物でも見つけたかのような表情で目を細めた。


「ありがとうございます。一生大切にしますね」


(そこまでじゃなくてもいいんだけれど……)


 でも自分があげたプレゼント――選んだのはカシアンだというのは置いといて――を大切にしてくれるのは嬉しいからオリビアは素直に「私も大事にするわね」と伝えた。



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