天使と悪魔 1
『カシアン、こちらがヴェセリー侯爵家長女のオリビア嬢よ。ご挨拶して』
『は、はじめまして……』
ランティアス公爵夫人の足元に隠れながら、こちらを伺う、オリビアと同い年くらいの子供。ドレスの裾からはみ出た金髪がキラキラと太陽の光に反射し輝く。
――まるで天使のようだわ
それがカシアンの第一印象だった。
***
(なんだか懐かしい夢を見た気がする……)
ふわぁっと欠伸をしながら、オリビアは身体を起こした。直後に自分の身体を見下ろし確認するけれど、普段と変わらず人の姿のままだ。右手を開いて、閉じてを繰り返す。きちんと感覚もあるし、変な所はなかった。
(起きたらまた猫になるのではと思っていたけれど、どうやら睡眠のせいではないようね。なら、一体どうしてかしら……)
昨日カシアンと別れてから、猫になってしまった件についてオリビアは自分なりに深く考えてみた。当然、理由には全く心当たりがないから結論は出なかったけれど、猫になる起因について一つだけ思い浮かぶことはあった。それが〝睡眠〟だった。
(全然違ったみたいだけれどね)
だからまた寝て起きたら身体が猫になっていると予想していたのに、普通に人の姿のままでオリビアは拍子抜けしてしまった。勿論、猫になりたいわけではないからこれでいいはずなのに、何だかスッキリしない。
呼び鈴を鳴らしてアンナを呼んだ。今日は呼ぶまでは絶対に入ってこないでとお願いしていたにも関わらず、早すぎる呼び出しをしてしまいオリビアは少しバツが悪かった。
「あら、オリビア様。お早いお目覚めですね。てっきりお昼頃までは呼ばれないかと思っておりました」
「私もそのつもりだったのだけれど、予定が変わったの。昨日の話は聞かなかったことにして、準備を手伝ってちょうだい」
「ふふっ、畏まりました。朝食は食べられますか?」
「ええ、身支度を整えたら……そういえば兄様はまだ居るわよね?」
「はい、いらっしゃいますよ。今ちょうど、朝食を召し上がっていらっしゃるのではないでしょうか」
カシアンの件ですっかり忘れていた兄の存在を思い出す。もしかしたら何かヒントがもらえるかもしれない。オリビアはレナートに会うためにダイニングルームへと向かった。
***
「兄様おはよう」
「ああ……おはよう、オリビア…………」
ダイニングルームに到着し扉を開くと、既にそこにはレナートが居た。しかし様子が変だった。目の下は黒ずみ、鬱々たる空気を漂わせている。
(元気なことだけが兄様の取り柄なのに……)
それすらも失われてしまうだなんて一大事だ。心配になったオリビアは食事を口に運びながら「どうしたの?」と尋ねる。レナートは溜息をついて、心底悲しそうに答えた。
「それがな……昨日、猫が侯爵家に迷い込んだようなんだが、餌の準備をして部屋に戻ったら消えていたんだ。きっと今、腹を空かせて泣いているに違いないのに……」
(お腹はもう結構いっぱいよ)
オリビアは口元を拭い、心の中で答えた。
「それで、目の下はどうして真っ黒なわけ?まさか心配で眠れなかったの?」
「いや、これは一晩中探していてこうなったんだ」
「一晩中!?」
「ああ。侯爵家の周辺まで見に行ってみたが、どこにも居なかった」
(兄様は馬鹿なの!?)
まさか一瞬関わっただけの猫に対してそこまでするとは思わず、オリビアは頭を抱えた。レナートは食事も全く進んでおらず、未だに猫の心配ばかりしている。
(どうしよう。あの猫は私だってやっぱり言うべきかしら。兄様はしつこい……じゃなく、粘り強いから、一度決めたら絶対に諦めないわ)
レナートのことは信頼しているけれど、だからといって何でも話せるわけではない。それに、オリビア自身も未だに信じられない出来事だったため言えなかった。しかしそのまま無視するわけにもいかず、オリビアは珍しくレナートを励ました。
「そんなに心配しなくても、お腹が空いたらまた戻ってくるわよ」
(私はもう猫にはなりたくないけれど)
「そうか、それもそうだな……」
「ええ。だからいつまでもそう落ち込んでばかりいないで、戻ってくるまでは待っていたら?」
(私が猫になるのは嫌だから、代わりに新しい子と出会ったらいいわ)
オリビアの本心を知らないレナートは感動した表情で「ああ!」と力強く頷き、食事に手をつけ始めた。
(結局何も収穫はなかったわね)
食事を終えて部屋に戻ったオリビアは一冊の本を手に取り、見つめる。自分と同じく猫になってしまった少女の話が書かれた、お気に入りの本だ。単純に見れば似たような状況ではあるけれど……
(でも私には神力はないわ)
本の少女は神力の強さと引き換えに、呪いにかけられていた。しかしオリビアにはそのような力はない。神力というのは生まれつき決まるもので、努力や願望では変えられないのだ。
結局振り出しに戻り、オリビアは脱力しながらベッドへと寝転んだ。こんな所、母に見られでもしたらまた怒られてしまうと頭では分かっていても、立ち上がる気力が湧いてこなかった。
(どうして私は猫になったのかしら。まさか本当に誰かに呪いでもかけられてしまったの?)
オリビアは不安に襲われ縮こまる。もし外や人が集まった場所で猫にでもなってしまったら、どうすればいいのだろう。
(神殿に行ってみる?でも行ったところで聖下に会えるわけでもないわ……)
神殿の首長である聖下は簡単に会えるような人物ではない。オリビアはそもそも顔すら知らないのだ。
二年前の祝福祭で、聖下らしき銀の長髪の男性を遠目から一度だけ見たことはある。どんな人なのか気になり正面から見てみたかったけれど、その時一緒に居たカシアンが興味なさげに背を向け「オリビア、早く行きましょう」と手を引っ張ってくるから結局見ることは叶わなかった。
(今年は会えるかしら)
もしも聖下に会えたなら、オリビアの中に渦巻くこの不安もなくなるような気がした。
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