歪められた社 陸

2-ⅩⅡ


 隠里の結界内で闘うみどりは、少し苦戦をしていた。


 荒い息の中で、風神剣の柄を握り直す。


 (……何故、風神剣の力が使えないの?)


 翠を守るように突如現れた風神剣は、だが、その力を翠に使わせようとはしなかった。風神剣の意思である風鬼童子も、未だに一言も答えてはくれない。


 粉塵の中から香織が飛び出し、刀を振り下ろす。


 風神剣に気を取られていた翠は反応が遅れてしまうが、間一髪の所で防ぐ。二振りの刀が火花を散らす。


 「どうした? それで本気かっ!?」


 香織は翠を挑発する。香織の足が翠の脇腹を直撃する。受身の取れなかった翠は、吹き飛んで車に激突してしまう。


 「いっつぅ…。」


 翠が起き上がる前に、香織が追い討ちをかけて裂空斬を放った。

 それに気が付いた翠は急いで障壁を作るが、完全には防ぎきれず、翠の服を切り裂き、その白い肌に幾筋も傷口を刻み付ける。

 翠を支えていた車も、裂空斬の巻き添えに遭い、翠の背中の下で爆発を起こす。


 「~~っ!!」


 予想していなかった爆発に、翠はなす術も無く吹き飛ばされ、結界の外にまで吹き飛ばされそうになり、慌てて龍牙力をブースター代わりに噴射して勢いを殺す。


 だが、傷が疼き、そのまま浮くことができずに落下してしまう。


 「あ~っもぅっ!」


 何とか受身を取った翠は、香織の次の一撃に備えて身構える。


 「どうした、随分その剣に振り回されているようね?」


 香織が翠の手から離れた風神剣を指差して言った。


 「服もボロボロになって、情けない格好…。」


 裂空斬と車の爆発に巻き込まれて、翠の服装はあちこちが破れ、端から覗いて見える下着まで被害を受け、あと少しずれていたらスカートの中が寂しいことになるところだった。


 だが、立ち上がった翠の背中を覆う服は、爆発で完全に破れて、白い肌が露わになっている。

 肌自体は、裂空斬の衝突で爆発する気配を感じ取った個人結界が働いたおかげで、目立つ傷は、叩きつけられたときにできた大きな青あざのみ。


 上服の下で支えを失った下着が、腹部のところまでずり落ちて気持ち悪かったが、気にしている場合ではない。


 「おいで、風神剣。」


 左手を横に一閃して風神剣を呼ぶと、風神剣は素直に翠の手に戻った。

 裂空斬を防ぎきれずに裂けてしまった肌から、血が滲み出し、熱を持ち始めていた。


 水色の髪、水色の瞳、水色の唇、水色の耳たぶ。

 そして、水色の爪を持つ翠。


 香織はみすぼらしい姿になってしまった翠を見て、好奇心が沸いてくるのを止められなかった。


 「ねぇ、あなたの聖色はどれだけあるの?」


 白の一族には、聖色を持つ者は少ない。余程大きな力を持った者でなければその体に表れることは無い。

 香織も雷應も、聖色を持っていない。


 だから、小さな力でも聖色の表れる青の一族の体に、前から興味を持っていた。


 「そんなことはあなたに関係ないでしょ。」


 翠には取り付く島も無い。


 「良いじゃない、教えてよ。」


 香織は翠を頭から爪先まで、わざと舐め回すように見る。


 「教えてくれないと力尽くで、確かめるわよ。」


 香織は刀を顔の前で横に構える。


 「そんなことさせないわ。負けるわけにはいかないんだからっ!」


 翠は風神剣に拘るのをやめた。風神剣の力が使えないのなら、自分の力を使えばいいだけ。

 翠は風神剣に自分の力を流し込むと、翠の力に呼応するように紅く光りだす。


 香織は、破れた衣服で見え隠れする翠の臍も、桃色に光りだしたのに気が付いた。

 その色は次第に青味を帯びだす。

 風神剣が放つ紅い光も次第に青くなりだした。


 「これは……。」


 翠は力を流し込むのを止めた。


 すると青い光も消えるが、光の中から姿を現した風神剣は先程とは全然異なる色をしていた。

 その色は水色。まだ仄かに赤味掛かっているものの、明らかに翠が流し込んだ聖龍牙力の色を反映していた。


 「風鬼童子、これはどう言うこと?」


 今日はいくら呼び掛けても全く返事を返して来ない。今回も半ば諦めていたのだが、予想に反して風神剣から返事が返ってきた。


 《お前の力を受けて、変質したのだ。》


 その声は確かに風神剣から発せられたものだったが、声質は明らかに違っていた。


 「何、その声…?」


 まるで女声を思わせるその高い声に、翠は少し動揺してしまう。


 《俺は主人の求める姿をとる。妙子は魔族に対抗するため、強い力を求めた。だから俺は穏鬼の姿で産まれた。》


 妙子にとって、身近にいる最も強大な力を持った存在は黎だった。元魔王であり、翡翠一族の始祖の従鬼だった穏鬼。

 風鬼童子は、これ以上にない強大な存在を模していた。


 《だがお前は既に強大な力を持っている。お前が求めるものは安らげる場所。だから俺は今、お前に安らぎを与える存在に変わっていっている。》


 使える力は変わらないが、翠に合わせて変質している最中だったから力を貸すことも、返事をすることも出来なかったらしい。

 翠の力が流し込まれたことで、変質するスピードに加速がついて、返事することが出来るようになっていた。


 「…私に染まってしまったら、妙子さんが甦った時に困るんじゃないの?」


 翠の不安気な声に、風神剣から優しい気配が漂ってきた。その気配に、翠は心が落ち着くのを感じた。


 《話は後にした方が良いのではないか?》


 風鬼童子の優しい声に、翠は香織が何か呪文を唱えていることに気が付いた。


 「大技?」


 香織の体から白い力が溢れだしていた。その力は次第に大きくなり、龍が牙を剥いて鎌首をもたげて、ゆらゆらと揺れる。


 「風鬼童子、一緒に闘える?」


 翠の問いに、風神剣から優しい力が流れ込んできた。


 「よしっ!」


 翠には香織の術が完成するのを待つつもりはない。

 先程の一戦で翠は戦闘経験の差を思い知らされていた。風神剣の力を使えず動揺していた翠。だがそれ以上に、その場その場での状況判断が早かった。

 常に次の一手、更にその先まで見通しているようで、翠の攻撃を的確に防いでいた。少しでも隙を見つけたら、そこを突く。


 翠は風神剣を握り直し、香織に向けて走り出す。


 「いっけえぇぇ~~っ!!」


 翠は香織が間合いに入る前に、地面を強く踏みしめ、風神剣を力の限り振り下ろした。

 すると、風神剣から、聖龍牙力を纏った青い風が発生し、香織に一直線に向かって行った。


 「…遅い…。」


 香織は小さく呟くと、朗々と術名を叫び刀を突き出した。


  ―冴種幻神流 白龍突激爆―


 突き出された刃から白い龍が牙を剥いて、迫り来る青い風とぶつかり合う。二つの力はお互いを押し戻そうとせめぎ合うが、次第に翠の青い風が押されだす。


 「~くっ!!」


 翠は風神剣を握る手に力を込めて、気合を入れる。翠から流れ込んでくる力を、風神剣が風に乗せて撃ち出す。




 結界内に、力のぶつかり合いによる暴風が荒れ狂い、周囲の車や物を巻き上げていく。暴風から放り出された物は中空でピタッと動きを止めてその場に留まる。

 雷應は結界が破れないように、結界の隅で必死に補強作業を行っていた。


 「もう少し手加減してくれないと、結界が持たんぞ。」


 50メートル四方という狭い結界の中で、二人の力はあまりに大き過ぎる。どうしようか悩んでいるところに、目の前に見覚えのある歪みを見つけた。


 「あれは…。」


 その歪みは徐々に大きくなり、向こうの景色が見えてきた。


 「…邪魔はさせん。」


 雷應は歪みに向けて守護力の塊を放った。雷應の力は歪みに触れると、ふっと吸い込まれて消えた。


 「そうか、近付きすぎたら異空間に吸い込まれるとか言ってたな…。」


 翠の言葉を思い出し、近くにあった車に八つ当たりをする。雷應に殴られた車はぺしゃんこに潰れてしまう。そうこうするうちに、歪みは穴となり藍子達の姿が明確に窺えた。


 穴の開いた場所は自分の近く。


 姉が戦う場所からは少し離れているため、力のぶつかり合いの影響は少ない。

 それでも、穴からこちらへ降り立った藍子達は、宙に浮いた車などを見て驚いているようだった。


 「…これでは隠里の結界も形無しだな。」


 二度も簡単に場所を見抜かれた上に、侵入を許している。少なくとも、龍牙の巫女である藍子には、隠里の結界を見つけるのは容易いということだろう。

 藍子が、翠の気配を辿ってきていることを知らない雷應は、藍子に対して畏怖のようなものを感じていた。




 藍子は直ぐ近い場所で、雷應がこちらを睨んでいるのに気が付いた。藍子の後ろに降り立った綾子は目を瞬かせて目の前の光景に、ただ驚くばかり。黎は何も言わず、翠がいるだろう方向を見ていた。


 藍子は穴を振り返り、その向こうにいる冬花に声を掛ける。


 「冬花ふゆばなさま、領域はもう、解いて頂いて結構です。夜にまたお伺いします。」

 「待っておるぞ。」


 冬花は手を振って笑った。藍子も微笑み返すと、開いた穴を塞ぐ。


 「さぁ、どうする? 邪魔すっか?」


 この結界の中は相変わらず時間が止まったまま。


 「み~ちゃんは何処?」


 綾子が翠の姿を求めて、結界の中を見回す。


 「あの暴風の中ですね。今、近寄るのは危険です。」


 藍子が翠の気配を辿って、いる場所を指し示す。吹き荒れる暴風の中を、幾つもの車や物が飛び交っている。


 「俺なら行けっぞ。」


 黎が一歩前に出る。


 「駄目です。一対一の闘いを邪魔してはいけません。」


 藍子が黎を押し留め、雷應に視線を移す。雷應は三人が少しでも邪魔をしそうなら止めにはいるつもりで、身構えていた。


 「二人の真剣勝負だ。邪魔をしないでもらおうか。」


 藍子は雷應に近付く。綾子と黎もその後に続く。


 「あなた一人では、この結界を支えるのはきついのではなくて?」


 藍子は警戒する雷應に、優しく問い掛けた。


 「この結界は、元は穏鬼のもの。黎さん、支えられますか?」


 藍子は後ろに立つ黎に聞く。


 「支えるだけならできる。」


 黎は攻撃型。結界などの補助系は苦手だった。


 「やってもらえるなら、助かる。」


 二人の力のぶつかり合いで、結界が破れるのを恐れていた雷應は、藍子の提案にとびついた。

 黎は面倒臭そうに嫌な顔をしたが、何も言わずに結界に触れる。黎が触れた先から波紋が起こり、結界全体に広がっていく。


 「結界が安定していく。」


 雷應は感心していた。


 術自体が苦手な雷應は、剣術などの武道を中心に習得している。唯一使える結界が、白の一族なら幼い頃に教え込まれる隠里の結界。

 だが、どんなに鍛えても雷應には、不安定な結界しか作れなかった。


 姉の香織は、せめてこの術だけでも完璧に使いこなせるようにと、事ある毎に雷應にこの結界を使わせていた。


 感動する純朴な雷應を余所に、綾子は翠がいるだろう方向をじっと見詰めていた。

 だが、車などの大きな物だけでなく、砂や埃も一緒に舞っているようで、風の壁の向こうは一切見えなかった。

 ただ、稲光のようなものが時折見えるだけ。


 「香織さん、予想以上に強くなっているみたいですね。」


 力が制限される神の領域の中で、これだけの威力を発生させられるというのは、正直、驚きだった。


 「み~ちゃん、見えないです。」


 綾子は目をすがめるが、やはり見えない。


 「み~ちゃん、大丈夫かな?」


 心配そうな声を出す綾子の肩に藍子が手を置く。


 「信じて。それが翠ちゃんの力になります。」


 藍子の優しい声に、綾子は少し緊張が解けるのを感じた。

 翡翠一族の全術者を守り導く存在。

 その声は、人の心を癒す力を持っていた。




 《み~ちゃん。》


 翠は頭の中で綾子の声を聞いた気がした。


 力が渦巻くこの暴風の中で、外の気配はとても感じにくい。だが、微かに漂ってくるこの気配は確かに綾子達のもの。


 「こっち来たんだ…。」


 小さく呟いた翠の視界に煌く刃が映り込む。翠は咄嗟に風神剣で受け止める。だが、それはフェイントだった。

 切り結んだ刃の下から香織がニヤッと微笑むと、腹部に強烈な打撃が叩き込まれた。


 龍牙力を乗せた白い拳が、翠の腹部にめり込んでいた。

 怯んだ翠の隙を逃さず、香織は拳で風神剣を握る翠の左手を払い除ける。その勢いでバランスを崩した翠の胸部に、香織の掌底が撃ち込まれた。翠の体は吹き飛ばされ、駐輪場の壁に激しく叩き付けられた。


 「~~っ!!」


 翠は息が詰まり、そのまま昏倒してその場に崩折れてしまった。


 「戦闘中に気を逸らすから、そういう目に遭うのよ。」


 香織が刀を鞘に納めながら近付く。


 周囲に吹き荒れていた風が、翠が昏倒した事でぴたりと止まった。空中には巻き上げられた車や自転車、粉塵などが不自然な形で浮いている。

 翠の手から離れた風神剣を拾い上げ、上下左右、じっくり調べはじめた。


 「見れば見る程、不思議な剣ね。」


 初めは真っ赤だったものが、今は水色に輝いている。


 少し振ってみるが、風神剣から風が発生することはなかった。翠が咳き込んで目を覚ます。


 香織は風神剣を担いで、立ち上がろうとする翠の前に立った。


 衝撃に耐えられなかった翠の服は更に破れ、右肩が剥き出しになっていた。


 「惜しかったわね。後少しで胸が出てたのに。」


 服の下に隠れた部分に、どれだけ聖色が表れているのか興味津々の香織は、風神剣の切っ先で翠の服を切り裂いた。

 顕わになった翠の胸は、その頂きが水色に染まっていた。先程からちらちら見えていた臍にも、水色の聖色が宿っているのがはっきり解る。


 「……すけべ……。」


 翠は掠れた声で香織を非難し、胸を右腕で隠す。


 ボロボロに傷付いた体の、形が良く大きな胸が、翠の右腕で程よく潰れている様に、香織は少し欲情しそうしなる。


 「ふふ、そそられるわね。その格好。」


 そう言って更に翠のスカートを切り裂いた。

 スカートの下から表れたのは、粉塵や傷口から流れた血で汚れた、端が切れそうになっている元は純白だっただろう下着。


 「改めて見ると、結構スタイル良いじゃない。」


 香織は翠を見る。その目は『あなたの負けよ。』と言っているようだった。


 「…まだ闘えるわ。見た目はボロボロでも、力は充満してる。」


 そう言って翠は自由に動かせる左手に力を集める。


 「下着一枚で本気で闘えるのかしら?」


 これ以上やるなら全部脱がすと言わんばかりに、風神剣の切っ先を翠の下半身に向ける。

 だが、翠に動揺する様子は見られない。


 「全部剥いで、全身くまなく調べたい衝動を抑えてやってるんだから、素直に退きなさい。」


 往生際が悪いと香織は風神剣の切っ先を近付ける。

 風神剣が残り一枚の下着に触れた途端、風神剣が弾けた。


 「! な、何っ!?」


 弾けた風神剣の余波で、香織は吹き飛ばされ、地面に転がる。

 水色の光となった風神剣は、驚く翠の体を包み込みはじめる。


 「ふ、風鬼童子…?」


 翠は体を包む光に暖かな安らぎを感じた。


 翠に安らぎを与えるために変質していると風鬼童子は言っていた。

 風鬼童子の優しい声が頭の中に響く。


 《翠、何でもいい。服でも鎧でも何でも良いから、あなたの好きなものを思い浮かべて。》


 風鬼童子は口調までが女性的に変わっていた。


 《ねぇ、あまり優しくされると、甘えちゃうよ?》


 身も心も優しく包み込もうとしている風鬼童子に、翠は少し泣きそうになっていた。


 《良いよ。今の私はその為に在るのだから。》


 その言葉に翠はそっと目を閉じて、暖かな光に身を任せた。

 香織が見詰める中で、翠の体を包む光が一際眩くなり、香織は手を翳して目がやられるのを防ぐ。




 渦巻いた形で不自然に止まった物達は、壁となって藍子達の視界を遮っていた。

 3人には何が起こっているか解らないようだったが、気配を感じられるようになった藍子は、翠が不利な状況にあることは理解出来ていた。


 「終わったのか?」


 静かになったことで、雷應が呟いた。


 「まだだ。」


 気配は感じないが、血の繋がりによる意思の疎通はできる。翠はまだ闘う気で満ちている。ただ何だか恥ずかしそうな感じが漂ってきている。


 「何やってんだ?」


 漂ってくる感じだけでは良く解らない。


 「あなたがちゃんと翠ちゃんから血を貰って、繋がりを強くしていれば、今、翠ちゃんに何が起こっているか、手に取るように解る筈なんですけどね。」


 黎が従鬼になってから既に10年が経つ。


 本当なら、その繋がりはとても強固なもので、どんなに離れていても、相手の考えていること、感じている事だけでなく、小さな怪我をした事まで、全て感じ合えるようになっていても可笑しくはない。

 だが、黎は変に遠慮して、翠からの申し出すら断る始末。


 「翠が全快すれば貰う。」


 黎がぶっきら棒に答えた。


 しばらく静かになっていた壁の向こうから、香織の声が聞こえ、続いてどさっと音がしたかと思うと、水色の光が隙間から溢れだした。

 その光を受けて壁は再び動き出したが、巻き上げる風がない為、車などの大きな物は直ぐに地面に落下した。


 壁の向こうから現れた景色は、光の洪水だった。


 「これは翠の力か?」


 今のこの場に聖龍牙力を使えるのは、翠と藍子のみ。


 「もしそうだとしたら、暴走しているの?」


 龍牙力の光は本来、人の目を射る事は殆どない。この眩しさは異常なのである。

 もし暴走しているのなら、このままでは混沌になる可能性がある。混沌が暴走すれば、この空間は簡単に消滅してしまうだろう。この狭い空間にいる者も皆、逃げ出すことすら出来ずに巻き込まれてしまうのは目に見えている。


 その前に綾子の相殺そうさいの力を発動させれば、次元の狭間に投げ出されても、藍子の移空転時で元の世界に戻れるかもしれない。そう考えた藍子は、綾子を抱き寄せた。

 突然抱き寄せられた綾子は少し驚くが、光の中、目を開けることが出来ずに、大人しくしていると、耳元で藍子の声が聞こえてきた。


 「綾子ちゃん、相殺の力は使えますか?」

 「え…、あぁ、いや、あの時から使ったことありません。」


 綾子は前回の事件以来、力を使っていない。あの時も、翠を守りたい一心で偶然発動したにすぎない為、使い方すら知らない。


 「そう。では私があなたの力を導きますから、合図をしたら私に合わせて下さいね。」


 耳元で聞こえる藍子の優しい声にどぎまぎしながら、綾子は頷いた。


 (ごめん、み~ちゃん。)


 綾子は少し後ろめたくなって、心の中で翠に謝った。




 眩かった光が次第に収まってくる。光の中心に翠のシルエットが見えてきた。


 香織は翠の反撃を警戒して、身構える。


 光が弱まるにつれて翠の姿が明確に見えてくる。

 綾子に相殺の力を使わせようと抱き寄せていた藍子は、少し安堵の溜息を吐いて綾子の体を離した。


 「え、あ…。」


 光の中から現れた翠の姿に、綾子たちは呆気にとられた。

 翠は、セーラー服を纏ってそこに立っていた。


 「み~ちゃん、いつの間に着替えたの?」


 その服は翠と綾子が通っている高校の制服だった。


 「あれは翠ちゃんの力?」


 藍子には少し違う気がした。


 「あれは防具だな。普通の服じゃねぇ。」


 その証拠に、セーラー服から微かな光が溢れていた。


 翠がそっと目を開ける。


 視界に飛び込んできたのは、驚いたような呆れたような複雑な表情を見せる香織の顔。

 その表情を受けて、翠は自分の格好を確認する。


 「…たはは、やっぱこれか…。」


 何か好きなものと言われ、咄嗟に思い出したのは、初めての制服。


 今まで学校に通ったことのなかった翠には、高校も制服も初めての経験。まだ半年程度しか通っていない翠にとって、制服は一番好きな服になっていた。


 「さすがにコスプレみたいで恥ずかしいわね。」


 そう言いながらも、満更ではないようで、スカートの裾を持ってくるっと一回りした。


 体中の傷も消えていた。これなら、思う存分闘える。

 翠は立ち上がる香織と再び対峙した。


 「何でセーラー?」


 香織が呆れた声で聞く。


 「好きだから!」


 翠は胸を張って答える。


 「……まぁ良いわ。」


 香織は一度は納めた剣を、もう一度鞘から引き抜く。


 「なんか納得いかないけど、これで最後の勝負にするわよ。」


 ほぼ全裸にまで引ん剥いて負けを認めさせようとしたのに、詰めが甘かった。

 翠は見事にその詰めの甘さに救われていた。


 「押し倒して手籠めにしてやれば良かったかしら。」


 香織はそそられた翠の肢体を思いだして、小さく呟いた。


 「そういう変態的発言は藍子姉だけでいいから…。」


 私の周りにはこんなのしか居ないのかと、翠は頭を抱えたくなった。


 「あの女と一緒にするな。私にはあなたへの愛はない。」


 香織はそううそぶく。


 「もっと悪いっ!!」


 叫んで香織に突っ込む。

 香織は間合いを見て、刀を横に一閃したが、翠は軽くジャンプでかわし、ひらっと香織の背後に着地する。


 「やっ!!」


 そのまま左足を回して、香織の足を引っ掛ける。バランスを崩した香織は、それでも倒れることはなく、2、3歩よろめいただけ。

 反撃を見越して翠はすぐさまその場から飛び退いた。その翠のいた場所に香織の空を切った刀が振り降ろされていた。

 翠は少し離れた場所に着地すると、同時に呪文を唱える。


  ―聖なる龍牙よ、

   鋭き槍となりて全てを貫け―


 翠の手のひらから、水色の光が溢れだす。


  ―聖修道法術 槍龍―


 溢れ出した光が幾筋もの光の槍となって、香織に襲い掛かる。

 香織は横に飛んで回避しようとするが、槍龍はそれを許さなかった。真っ直ぐ突き進むだけと思っていた光の槍が、香織を追って曲がってきたのだ。

 

「この…っ!?」


 驚いた香織は、近くで山積となっていた車の影に隠れる。

 槍龍はそのまま車に突っ込んだ。貫かれた車は爆発を起こし弾け飛ぶが、未だ時間の止まっているこの結界内では、やはり空中でその動きを止めた。


 「ちぇっ、惜しいなぁ。」


 翠が少し悔しそうに呟く。


 「面白いことやってくれるわね。術を曲げるなんて芸当、普通出来ないわよ。」


 香織が飛び散った車の間から抜け出してくる。


 「凄いでしょ?」


 翠が得意気な顔で胸を張る。


 「…随分余裕ね。さっきまで下着一枚だったくせに。」


 香織のその一言に、翠の顔が真っ赤になる。


 「う、うるさいっ!?忘れなさいっ!!」


 耳まで赤くした翠が両手から槍龍を放つ。

 しかし翠の動揺がそのまま槍龍に伝わったのか、狙いが定まらず殆どの攻撃が香織から逸れてしまった。今度は避ける必要もなく、障壁で防ぐ。


 「ほらほら、どうしたの?狙いが外れてるじゃない。」


 障壁を解除した香織は、一足飛びで翠の間合いに入り、刀を横に薙ぐ。翠は後ろに飛び退いて刃をかわす。

 だが、香織は続け様に上から下へ、左から右へと縦横無尽に攻めたてる。息吐く間もない攻撃に、翠は次第に結界の隅へ追い込まれていく。


 「み~ちゃんっ!!」


 避けることに必死だった翠の耳に、綾子の声が届いた。不思議なことにその声を聞いた途端、翠の体は自然に動いていた。

 香織の刃を潜り抜け、脇をすり抜け、香織の後ろへ回り込んだ。


 「ど、何処に行った?」


 突然目の前からいなくなった翠を探して、香織はキョロキョロする。

 そこへ、香織の首の横に銀色に光る刃が当てられた。


 「っ!?」


 冷たい感触に香織の体が凍り付く。


 「…い、いつの間に…。」


 翠の手には正宗が握られていた。


 「まだ回復しきれていないけど、あなたの首を切り落とすこと位は出来るよ。」


 雷應との闘いで、力をうまく使えない翠は、正宗に随分、負担をかけていた。


 雷應の繰り出す一撃は重く、正宗の力を借りなければ、あの時の翠には受け止め切れなかった。正宗が悲鳴を上げているのは解っていたが、ただ綾子を救いたい一心で、翠はそれを無視した。

 その結果、正宗は刃こぼれをおこし、藍子が登場したときには、もう限界を迎えていた。


 だが、正宗は聖剣であり、生物のように自己治癒力を持っている。

 主である翠が力を使えるようになった事で、正宗の回復は早まっていた。


 今、香織の首に当てられているその刃は、不思議な力を宿し、全てのものを切り裂いてしまいそうな印象を与える。


 「…やっぱ、手籠めにしてやるんだった…。」


 観念した香織は、刀を鞘に納めて、両手を上に挙げながら呟いた。




 2人の闘いを見守っていた4人は、香織が手を挙げたことで決着がついたことを悟る。以外にあっさりと決着がついて、少し拍子抜けだったが、取り敢えず安堵する。


 「途中の方が迫力あったようだな…。」


 元魔王はもっと激しい闘いを望んでいたようで、随分残念そうだ。


 「不謹慎ですよ。二人は真剣に闘っていたのですから、そのようなことを言ってはいけません。」


 藍子が黎を嗜める。


 「み~ちゃんっ!!」


 綾子が翠に向かって走り出した。


 「翠ちゃんの勝ちですね。」


 藍子が雷應に話し掛ける。


 「…悔しいが、姉の負けだ。」


 雷應は不機嫌そうに答えた。


 「やっぱりあんたに関わったのがいけなかったんだ。」


 疫病神でも見るような目で、雷應は藍子を見た。


 「そう? 香織さんは満更でもなさそうですよ。」


 見ると、綾子に抱き付かれて困っている翠に、香織は清々しい笑顔を向けていた。


 「姉さん…?」


 今、姉の前には標的がいる。相殺の力を持った少女が―。


 負ければ手は出さないと約束はしたが、あの姉が素直にその約束を守るとは思えなかった。

 姉は上で闘った時、汀をボコボコにするといっていたように、目標を達成する為にはあまり手段を選ばない。

 だから、約束も翠を油断させる為のものだと思っていた。


 だが、あの表情を見るに、そうではないらしい。


 退魔師から巡回者に転向させられて以来、あんな柔らかい笑顔は見たことがなかった。


 「雷應、手を引くよ。」


 近付いてきた香織は何だか嬉しそうだった。


 「良いのか?」

 「良いのよ。私もやっぱり人殺しは御免だしね。」


 手段を選ばないとはいっても、香織も人間である。

 禁忌の娘とはいえ、やはり手にかけることに後ろめたさを感じていた。


 「一族の命に逆らうことにはなるけど、人の心まで失いたくはないからね。」


 香織はそっと微笑んだ。


 「ねぇ。」


 香織が振り返ると、抱き付いたままの綾子を引き摺って翠が近付いてきていた。


 「藍子姉と何があったかは知らないけど、私たちは仲良くできない?」


 左手を差し出す翠の笑顔に、香織は見惚れてしまいそうになり、慌てて顔を逸らす。


 「わ、悪いけど、仲良くする気は無いわ。手は出さないとは言っても、一族の命が消えたわけじゃないからね。」


 綾子を守る以上、飽くまで敵同士のまま。


 「そ。仕方ないね。」


 翠は差し出した左手を引っ込めて、綾子の腰に腕を回した。


 「重そうね。」


 首にぶら下がったままの綾子を抱える翠を見て、苦笑する。


 「親友第一号の特権…なのかしらね。」


 仕方ないとでも言うように、翠も苦笑しながら答える。その言葉を聴いて綾子は、更に目を輝かせて翠の首に強く抱き付く。


 「 "み~ちゃん" だしね。」


 まるで猫のような愛称も、ある意味、名付けの一つなのかも知れない。

 翠は綾子に今一つ逆らえないでいた。


 「香織さん、今日は久しぶりに会えて嬉しかったです。今度、ゆっくりお話しましょう?」


 藍子がぺこりと頭を下げる。


 「……あんたの妹は認めるけど、あんたを認めたわけじゃないから…。」


 藍子に対して態度を硬化させる香織に、翠は『余程、嫌な目に遭ったんだな』と思いながら苦笑した。

 取り敢えず険悪なムードではない。少なくとも今はあまり問題視する必要はないだろうと判断する。


 「終わったんなら、早よ帰ろーぜ。」


 黎が結界から手を離しながら、面倒臭そうに呟いた。





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