歪められた社 参

2-Ⅴ


 美佐がエレベーターから一人で降りてきたとき、1階の中央広場の辺りから大きな音が響いた。その音に驚いた人々は、足早に中央広場へと向かう。美佐も人並みに乗って駆け寄ってみる。


 中央広場は、ステージを中心にして広がっており、毎日何らかのイベントが開かれている。その中央広場の客席辺りが小さく抉れていた。丁度この時間帯はイベントとイベントの合間のようで、人もまばらで怪我人は出ていないようだ。

 美佐が端から見た限りでは、抉れた中心には何もない。


 「何があったの?」


 周囲の人たち同様、美佐も疑問を口にする。




 その抉れた中心には、目晦めくらましで姿を隠している翠がいた。


 「いったぁ~。やっぱ本調子じゃないのかな?こんなことになるなんて…。」


 いつもだったら静かに飛び降りることが出来ていた。床を抉ってしまう程の衝撃を与える事は決してなかった。


 立ち上がって周囲を見渡すと、野次馬がどんどん集まってきている。

 翠は囲まれてしまう前に、人垣を掻き分けて野次馬の外へ出る。


 《何やってんだ、オメェは?》


 れいの声が頭の中に響く。


 《ごめん。力が上手く使えないみたい。》


 翠は左手に龍牙力を集めてみる。だが、力の集まり方が遅かった。

 まるでインターネットで重たいファイルをダウンロードしているかのような錯覚に囚われる。


 (こんなんじゃ即座に対応できないわ。)


 左手を強く握り締める。


 「不甲斐無い…。」


 気配を感じられない、力もまともに使えないと、悔しさから涙が出そうになる。だが、今は泣いている場合ではない。


 中央広場の端にある案内板で社の位置を確認する。中央広場から翠達が入ってきた入り口側、つまり西口の方面に社はあるようだった。

 いつもなら、黎の気配なり、社や冥い気配なりを辿って行けるはずなのに、今は案内板に頼らなければならない。

 もうこのまま力は戻らないのではないかとさえ思えてしまう。力を使い過ぎただけでここまでなるのは経験上、有り得なかった。

 あと考えられるのは、綾子の相殺の力。

 至近距離で綾子の相殺の力を浴びて、一度は全ての力を失っている。そのことが何か関係あるのかもしれない。


 だからと言って、折角得た友人を手放すつもりは毛頭ない。

 今まであまり話さなかったし、近付くことすら避けていた。だが、三週間前の事件をきっかけに、二人は急速に近付いていった。

 綾子にとって翠は愛しい存在。

 翠にとっては初めて得た友人。

 それぞれの想いにはまだ距離があるが、心は直ぐ近くで寄り添っていた。


 「おい、何やってんだ?」


 物思いに耽って歩いていた翠は、突然後頭部を殴られる。


 「いっったぁ~~。」


 頭を抑えて振り返ると、黎が腕組みをして仁王立ちしていた。


 「気配を感じ取れねぇ奴が、ぼけ~っと歩いてんじゃねぇよ!」

 「何も殴ることないじゃないっ!?」


 翠はひりひりする後頭部をさすりながら黎に抗議する。


 「目的地の真横を通り過ぎて行っちまう奴には、これぐれぇでも足りんわっ!!」


 黎が柵で覆われた社を指差しながら怒鳴った。


 「ちょっと考え事していただけじゃないっ!」


 二人がそんな言い合いをしている所に、中央広場から戻ってきた美佐が通り掛った。


 「あれ? 黎さん。」


 美佐の声に黎が振り返る。


 「あ、何か機嫌悪そう…。」


 黎にギロッと睨まれて美佐は怯む。


 「一人ですか? さっき上に翡翠ひすいさんがいましたよ。」


 美佐はそれでも黎に話しかける。

 翠の目晦ましはまだ十分働いているようである。美佐は直ぐ側に翠がいることに気が付いていない。

 ところが、翠は異変を感じていた。自分の力が揺らいでいる。

 このままでは美佐の前で、姿を現すことになるかも知れない。


 「ごめん、黎。ちょっと隠して。」


 翠は黎の後ろに回った。


 「急いでたんじゃないのか?」


 黎は美佐を追い払おうと質問する。


 「うん、塾があるから帰るとこ。」


 そこで美佐は自分の荷物が軽いことに気が付いた。


 「あれ?」


 手を見ると、いつも持ち歩いているバッグ以外には何も持っていなかった。


 「いっけないっ! 忘れてきたっ!?」


 慌てた美佐はスマホを取り出し、陽子のスマホにかける。2回のコールの後に、陽子がでた。


 『もしもし、美佐?あんた荷物忘れてったでしょ?』

 「そうなのよ。持ってる?」


 美佐は電話をしながら黎に手を振って歩き出した。


 『そろそろエレベータで一階に着くけど、取りに来れる?』

 「うん、直ぐ行くわ。」


 美佐は何気に振り返った。


 「あれ、翡翠さん?」

 『え?何?』


 美佐は見間違いかと思い、目を瞬かせた。

 だが、確かに翠がそこにいた。


 「翡翠さんがいる。」

 『そんな訳ないでしょ? ついさっきまで私たちと一緒だったのよ。吹き抜けを飛び降りない限り先回りは無理でしょ?』

 「あ、二人が行っちゃうっ!」


 美佐は歩き出した二人の後を追い始めた。


 「ごめん、陽子。出口で待っててくれる?」


 それだけ言うと、美佐は通話を切りバッグに入れる。

 陽子の『吹き抜けを飛び降りない限り』という言葉に美佐は引っ掛かっていた。直前に中央広場に何かが落ちた。人垣を掻き分け近づいて見てみたが、落ちた跡しか残っていなかった。

 6階から飛び降りる人なんてとても信じられないが、突然現れた翠に、美佐は何か不思議なものを感じていた。

 根拠は無いが、翠なら出来そうな気がする。


 「さすがにちょっと馬鹿げてるかな…。」


 そう呟きながらも、美佐は翠から目が放せないでいた。


 「おい、翠。さっきの奴が後をつけて来てんぞ。」


 黎が小声で教える。


 「本当に?」


 気配を感じられない翠には確かめようが無いが、黎が言うなら間違いないだろう。


 「お前がちゃんと力を使えねぇからいけねぇんだ。早よ調子取り戻せ。」


 黎が翠の頭を軽く小突く。


 「…うん。」


 このまま背後霊を背負って社を調べるわけにもいかず、二人は一度、その場を離れることにした。

 ところが少し進んだところで黎の足が止まった。


 「黎?」


 翠が黎を見上げる。


 「翠、社の方はトラップかも知れんぞ。」


 黎は社の方を振り返った。後ろをついて来ていた美佐は咄嗟に柱に隠れる。


 「お前は振り向くな。」


 振り返ろうとする翠を黎が止めた。


 「それより綾子の気配が消えた。」

 「消えた? ストラップを落としたとかじゃなくて?」


 黎は静かに頷く。


 「ああ、突然消えた。」

 「消えた場所は?」


 黎は天井を見上げた。


 「お前らが入った喫茶店の反対側の通路辺りだな。」


 喫茶店の反対側には『世界の奇跡展』があった。

 ポスターしか見ていないが、あれだけはっきり光の龍を撮影していた以上、その写真には翠の気配が残り香となって宿っている。


 「あの写真が、魔物を引き寄せたのかしら?」


 翠は焦る気持ちを抑える。


 「いや、魔物じゃねぇ。魔物が結界を張るわけがねぇ。」


 黎の双眸は紫色に輝いていた。壁や空間を透かして6階を見ている。


 「翠、魔物じゃねぇのなら、狙われたのは綾子の可能性が高ぇ。」


 二人は、綾子が狙われる理由を知っている。十年以上、その身を人の中に隠して逃げ続けた理由。



 相殺者―。



 「まさか、冴種さえぐさがっ!?」


 翠は思わず大声で叫んでしまう。少し離れた場所にいる美佐はその声をはっきり聞き取った。


 「どうしたんだろう?冴種さんがどうかしのかな?」


 柱からそっと顔を出して様子を見ようとすると、目の前に黎が立っていた。


 「あ、黎…さん。」

 「何をやってんだ。」


 黎は射殺そうとするかのように、恐ろしい目で美佐を睨んでいた。


 「――ひっ!!」


 凶悪なまでのその眼差しに美佐は、思わず息を呑む。


 「ご、ごめんなさい…。」


 いつも学校に忍び込んでは翠に見つかり追い返される。

 最初にその光景を見たときは、女子高に忍び込むなんて、なんて非常識なんだろうと少し軽蔑したが、ほぼ毎日、そのやり取りが行われ、いつしか黎に想いを寄せる人まで出てきていた。

 翠も、黎も、学校中の憧れの的になっていた。いつもは無口な翠が、黎相手には大声を張り上げて喧嘩していた。

 今、目の前にいる黎とは全くの別人としか思えない。


 「失せろっ!」


 黎の低い怒声に、美佐は我慢できなくなって、もと来た道を走って行った。


 「黎、やり過ぎよ。あれじゃ嫌われちゃうわ。」

 「ンなこと気にしてる場合じゃねぇだろ。」


 黎の後ろに隠れていた翠は真剣な顔をしていた。その瞳は細かく振るえ、焦りが窺える。


 「黎、お願いがあるんだけど。」


 黎は何も言わず翠を見下ろす。


 「あなたの感覚を私に貸して。」


 見上げる翠の顔は追い詰められているようだった。本調子であれば感じ取れたであろう綾子の異変。

 少し軽く考え過ぎていた。


 「お前らと穏鬼の感覚は全然違うぞ。悪くすりゃぁ発狂しちまう。良いのか?」


 翠は黎と視線を合わせて頷いた。


 「感覚を移したら俺は動けねぇ。手助けできんぞ。」


 翠はもう一度静かに頷いた。


 「よし、目をつむれ。」


 翠は言われるがままに目を閉じた。顔の前に黎の手がかざされるのが解った。


  ―永き時を駆けて

   築きし思いよ

   その力、その願いを

   この者に貸し与えよ―


 黎の詠唱が終わると同時に、顔の前に翳された手のひらから力が流れ込んでくるのを感じた。


 「覚悟しろよ。術の完了とともにお前の感覚は一気に広がる。」


 黎の静かな声に翠は唇を強く引き結んだ。






2-Ⅵ


 翠が姿を消して飛び降りた後も、綾子はまだその場で佇んでいた。


 「どうしよう。」


 翠には帰ると言ったが、やっぱり心配だし、それ以上に翠の傍に居たかった。


 「ちょっと君。」


 悩んでいる綾子に声を掛けてくる人物が居た。


 「はい?」


 振り返ると、背の高い女性がカメラを抱えて立っていた。


 「何でしょ…。!?」


 返事をしようとしたところ、下から大きな音がした。


 綾子は急いで吹き抜けの手すりに駆け寄って下を覗きこんだ。ここからは良く解らないが、中央広場に人が集まってきているようだった。


 「凄い音がしわね。」


 隣を見ると、先程の女性がカメラを構えて同じように下を覗きこんでいた。パシャパシャ音を立ててシャッターを押している。


 「あの、何か用ですか?」


 綾子は警戒をしながら話し掛けた。


 「そうそう、あなたと一緒に居た女の子。突然消えたよね?」


 翠が使った目晦ましの術を見られていた。気配が感じ取れない翠は、ここでも失敗をしていた。


 「な、何のことですか?」


 綾子は取り敢えず知らない振りをして誤魔化すことにした。


 「あら、しらを切るつもり?」


 女性がカメラを下ろしながら綾子に振り向いた。


 「あなた誰ですか?」


 綾子は警戒しながら後退る。


 「ああ、失礼。私は笹原 みぎわ。あの展示会の出品者よ。」


 女性カメラマンが指差す方向には、『世界の奇跡展』の会場があった。


 「何だか胸騒ぎがして外に出てみたら、あなたのお友達が消えたのよ。」

 「…。」


 綾子は更に一歩後退る。


 「消えた後からだけど写真を撮らせてもらったから、現像が楽しみだわ。」


 汀はカメラを持ち上げて軽く左右に振る。


 (写真を撮られた!?)


 逃げ腰になっていた綾子は、翠を守るため意を決して汀に突進した。


 「~っ!?」


 綾子の予想外の動きに汀は反応が遅れて避けられず、諸に突進を喰らう。ぶつかった拍子に出来た汀の隙を衝いてカメラを取り上げる。そのままこけそうになりながらも反対側の通路まで走り抜けた。


 「見かけによらず悪い子なのね。カメラを返しなさい。」


 汀がカメラを取り返そうと、綾子に迫る。


 「嫌です!この写真が公開されたら、み~ちゃんが傷付くものっ!!」


 綾子は必死だった。命を賭けて戦う翠に、自分は何も出来ない。理由は解っている。戦う力がないから。


 翠が眠っている間に黎に頼んで、龍牙力の特訓を受けたが、何度やっても力が抜けてしまう。とても翠の横で魔族相手に戦える状態じゃない。だが人間が相手なら…。

 綾子はカメラを体の後ろに隠した。


 「良い子だから、返しなさい。」


 汀が更に綾子に近付こうとしたとき、周囲の異変に気がついた。


 「…人が居ない…。」


 つい先程まであんなに人が溢れていたのに、今は人っ子一人居なくなっていた。


 「どうなっているの?」


 屋内に流れていた音楽すら聞こえて来ない。綾子も同じなのか、周囲を見回している。


 「み~ちゃん?」


 普段なら聞こえないような綾子の小さな呟きすら、汀の耳にはっきり届いた。

 綾子は何かを探すかのように周囲に忙しなく首をめぐらせている。


 「危ないっ!」


 汀は、綾子の後ろに突如現れた男が、鋭い刀を振り上げているのに気がついた。


 「え?」


 綾子はまだ気がついていない。汀の足が綾子を助けるために動いた。


 「間に合え~~っ!!」


 汀の必死の形相に綾子は身を引く。

 綾子の後ろの男が焦る汀を見てニヤッと嗤う。


 汀が綾子の手を取ったとき、男は刃を振り下ろした。足を踏ん張って綾子の手を引が、刃は綾子の綺麗な黒髪を掠めて振り抜かれる。

 力いっぱい込めて引いた綾子の体が、汀の胸に飛び込んできて、二人して縺れ合いながら倒れた。


 「ほら、立って! 逃げるよっ!!」


 汀は訳が解らず混乱している綾子を無理矢理立たせて走らせる。


 「な、何? 何なの!?」

 「後ろを見なさいっ!」


 綾子は引っ張られながら後ろを見ると、物騒な日本刀を持った男がゆっくりと綾子達を追い駆けてきていた。


 「何でっ!? 誰、あの人っ!?」

 「知らないわよっ! あなたのお客さんでしょうがっ!!」


 汀の言葉に綾子は自分の立場を思い出した。


 「私の……。」


 綾子は汀の手を振り解いて男に向かって走り出した。


 「ちょっ!? 何やってんのよっ!!」


 汀は転びそうになりながら振り返った。綾子は手に持っていたカメラを男に投げる。


 「あっこらっ! 何してんのよっ!!」


 汀が叫ぶが、カメラは無残にも男の凶刃で真っ二つに切り裂かれた。


 「な、何ちゅう切れ味よ…。」


 汀がたじろぐ中、綾子は男の脇を抜けて、喫茶店のある方向へ走っていく。


 「この人が狙ってるのは私だから! 一人で逃げてっ!!」


 綾子の足は意外に早く、男との距離はどんどん開いていく。


 「み~ちゃんも戦ってんだもん。私だって負けてられないっ!」


 綾子は目の前にあった雑貨店の旗を取り、振り向きざまに旗の切っ先を男に向けて突き出した。


 「やぁあぁぁ~っ!!」


 気合いを入れて突き出した切っ先は、しかし軽く男に掴まれてピクリとも動かなくなった。


 「く…この…っ!」


 押しても引いてもビクともしない。それどころか、男が腕に軽く力を込めただけで、旗は綾子ごと横に振り抜かれた。

 綾子は雑貨屋のショーウィンドウに頭から突っ込んだ。


 「う…っ、あ……。」


 粉々に砕けたウィンドウの中、綾子は軽く脳震盪のうしんとうを起こしていた。


 「ここまでだな。」


 男は低い声で呟き、日本刀を綾子に突き付けようとしたが、その腕に汀が抱き付いて動きを止めた。


 「ちょっとあなたっ! 気を失ってないで早く逃げなさいっ!!」


 その声に綾子が首を振りながら起き上がる。


 「あ、あなた…、何で逃げなかったの?」

 「子供を見捨てて、私だけ逃げられるわけ無いでしょっ!」


 汀が男の腕を脇に抱え込み、全体重を掛けて動きを封じる。


 「邪魔だ。」


 男が自由な方の手を汀の腹部に当てる。


 「!?」


 すると汀の体が、棚を倒しながら錐揉みして5メートル近く吹き飛んだ。


 「さぁ、終わりだ。」


 男は吹き飛んだ汀を気にすることなく、綾子を睨みながら日本刀を振り上げた。


 「み~ちゃんっ!?」


 振り下ろされた日本刀に綾子は首を竦めて目を閉じた。

 だが、刃が綾子に達する前に金属がぶつかり合う音がした。


 「~…?」


 綾子がそっと目を開くと、目の前に水色の髪の少女が立っていた。


 「み~ちゃんっ!」


 その後姿はまさしく翠だった。


 「遅くなったね、ごめん。」


 翠は正宗で男の刀を受け止めても、全く揺るいでいなかった。


 「…すごい…。」


 綾子は改めて翠の強さに感心した。


 「貴様、青の一族か。邪魔をするな。奴は死すべき存在だ。」


 男が刀を引いて翠から少し距離をとる。


 「生憎と、この子は私の大事な親友なのよね。勝手に殺されちゃ困るの。」


 翠は正宗を正面に構えて戦闘態勢をとる。その翠の瞳は紫に輝いていた。


 「どうやってこの場所を見つけた?」


 男は刀を翠に向けた。


 「この場所は隠里の結界を応用して隔離している。そんな簡単に見つけられるわけが無い。」


 翠と違い、男は動揺しているようだった。


 「より自然に近い存在なら、隠里の結界を見破るんて簡単なことだわ。」


 翠の瞳が一際強く光った。それを見た男は理解する。


 「そうか、従鬼…、穏鬼の力を借りているのか?」

 「ご名答。」


 答えると同時に翠は床を蹴って男に迫る。

 頭上に掲げた正宗を、勢いそのままに激しく振り下ろす。金属のぶつかり合う音が再び周囲に響く。



 昏倒していた汀が、その音で目を覚まし上体を持ち上げた。


 「いたた…。」


 背中とお腹が痛い。幸い頭は打っていないようで、頭痛はなかった。


 打ち合う刀の音に気が付いて、顔を上げた汀は目を瞠った。先程の男と、姿を消した女の子が日本刀を振り回して戦っていた。

 女の子は、晴れ渡る空を思わせる見事な水色の髪をしている。


 「……まさか、聖色?」


 世界中の奇跡を追ううちに汀は、幾度と無く噂を耳にしてきた。蒼い聖色をその身に纏う血族の噂を。


 「太古から化け物と戦い続けている一族。」


 ずっと探し続けてきた最大の奇跡。


 殆ど諦めかけていたのに、まさかこんな所で遭えるなんて、カメラを構えようと胸元に手をやるが何も掴めず、愛機が男の刀で真っ二つに切られたことを思い出した。


 「勿体無いなぁ~。」


 汀の目の前で繰り広げられている戦いは、剣道やテレビで見るチャンバラとは迫力が全然違っていた。

 その上、長く追い続けてきた聖血族が目の前にいる。男の剣筋も凄いが、それを受けて流す女の子も相当の腕前だった。

 汀は二人の向こうにさっきの女の子が、床に座り込んでいるのを見つけた。


 その女の子の後ろにもう一つの人影が見えた。


 「後ろッ!」


 汀のその叫び声とほぼ同時に、水色の髪の女の子が素早く動いていた。標的を無くした男の刀が床を抉る。

 座り込んでいる女の子の後ろに現れた人影が振り下ろす刃を、水色の髪の女の子の刀がぎりぎりの所で受け止めて弾き返した。


 「冴種の……、随分、卑怯なことをするのねっ!」


 水色の髪の女の子の澄んだ声が、汀の所まではっきり聞こえてきた。


 「なんて可愛い声…。」


 思わず聞き惚れてしまいそうになったが、男が床から刀を引き抜くのを見ると、汀は床を蹴って男に突進した。



 翠は綾子を抱き上げると、そのままジャンプして吹き抜けを飛び越え、反対側の通路に盛大な音を立てて着地した。


 「うわっ!?」


 後ろから聞こえてきた声に振り返ると、男に突進した女性が避けられてこけていた。


 「あの人も無茶するわね。」


 翠がぼそりと呟くと、展開について行けずに少し放心していた綾子が、翠に抱え上げられていることに気が付いて頬を染めた。


 「あの人、あの写真を撮ったカメラマンだって。」


 翠に降ろしてもらいながら綾子は言った。


 「…あの人が…。兎に角、助けないとね。」


 男の横で盛大にこけた汀を、後から現れた人物が腕を持って立たせた。


 「何をやっているの? 随分、手こずっているじゃない。」


 この真夏に、長いコートと目深に被ったフードで性別は良く解らないが、声と口調からして、後から現れた人物は女性のようである。


 「お前も簡単に弾かれたじゃないか。」


 男の突っ込みに女が、男の爪先を踏みつけた。


 「漫才しているところ悪いんだけど、その人を放してくれない?」


 翠が二人の前に出て、仁王立ちした。


 「私達も余計な死人は出したくない。だが私たちの邪魔をするなら容赦しない。」


 女が汀の腕を高く持ち上げた。


 「関係ない者を殺すのは良くない。」


 男がボソッと言った。


 「殺さないわよ。ちょっとボコボコにするだけ。」

 「…どっちにしろ嫌なんだけど…。」


 呟いた汀に、女がチロッと横目で睨む。


 「あの子は私の大事な親友なの。殺させないわ。」

 「じゃあこっちはどうなってもいいのね?」


 汀の肩に女の指が食い込み始める。


 「人質をとられ、2対1。どう考えてもあなたの方が不利…!」


 女の台詞が終わる前に、翠は女の懐に飛び込んでいた。


 「な…っ!?」


 翠は右手で汀の腕を掴み、左手で女の腹部に掌底を撃ち込んだ。

 女の手が汀の肩から外れ、後ろに立っていた男ごと、雑貨屋の割れたウィンドウを越えて、豪快な音を立てて店内にまで転がり込んだ。

 汀はバランスを崩してその場にしゃがみ込む。


 「龍牙力ちからが上手く使えなくても、これくらいのことは出来るんだからね。」


 汀は翠の左手が仄かに水色に輝いているのに気が付いた。


 「それに、一人じゃないから。」


 翠は汀を立たせながら、更に一言追加した。


 「綾ちゃんのところに行ってて。」


 汀は素直に翠の言うことを聞いた。


 「あ、ありがとう。」


 汀のお礼に翠はにっこり微笑む。その微笑みに汀は、見惚れてしまいそうになるが、雑貨屋の奥から二人の声が聞こえて、慌てて綾子の所まで走っていった。


 「一人じゃないって?」


 雑貨屋から脱け出してきた女が翠を睨む。


 「そうよ、ほら。」


 翠が上を見上げると、空間が歪み始めた。


 「な、何?」


 翠に促されて上を見上げた一同は、目を凝らして歪みの中を見る。歪みの中には、このモールとはまったく別の景色が見て取れる。


 「何処だ?」


 男が一歩近付いて覗き込む。


 「あんまり近付いたら、異空間に吸い込まれるわよ。」


 翠の忠告に男は少し後退る。歪みはどんどん大きくなり、中の景色もはっきりしてきた。

 豊な緑を背後に背負った古く大きな日本家屋。神社らしきものも見て取れる。

 その景色の中心には、水色の巫女服を着た女性が立っていた。


 「あれは、藍子あいこさん?」


 見覚えのある人影に綾子が嬉しそうに反応した。


 「移空転時。二点間の空間を歪めて短時間で移動する術よ。これを使えば、隠里の結界なんて何の意味も無いわ。」


 翠の説明の間に、歪みは消えていき、中の景色が鮮明に見えるようになった。

 そして藍子が、溝を跳び越すかのように、ピョンと軽くジャンプをしてこちら側へやって来た。


 「久しぶりね、翠ちゃん。」


 藍子は翠を見てにっこり微笑んだ。藍子の出てきた空間の穴は瞬時に跡形もなく消える。


 「あ~~っ! あなたっ!?」


 汀が藍子を見て大きな声を上げた。

 汀の声に、藍子は周囲を見渡した。


 「随分懐かしい顔が揃ってますね。」

 「藍子姉、この人達、知ってるの?」


 藍子の意外な反応に翠は目をぱちくりさせる。


 「ふふ、カメラマンで私の大学の先輩の笹原 汀さん。」


 藍子は汀を見る。続いて後ろを振り返り、怪しげな男女を見る。


 「冴種一族の退魔師、冴種 香織さんとその弟の雷應(らいおう)さん。」

 「翡翠 藍子…。」


 香織と呼ばれた女性が、憎々しげに呟く。


 「何か嫌われてるっぽい。」


 香織の反応は明らかに、久しぶりの再会を喜ぶそれではなかった。


 「何かしたの?」


 翠の問い掛けに藍子は首を傾げる。


 「さぁ、覚えはないですよ。」

 「ふざけるなっ!一体どれだけ私たちの仕事の邪魔をしたと思っているっ!? お陰で、今は巡回者だっ!!」


 香織は藍子に斬りつけるが、藍子は右手で障壁を作って軽く防いでしまう。


 「巡回者……、それでこのような所にいるですね。」


 合点がいったといった感じで藍子は頷く。


 「駄目だ、こいつには関わるなと言われている。」


 雷應が香織を押さえる。


 「一体何しにきたのっ!?」


 藍子に切っ先を向けて怒鳴る。


 「あなた方の邪魔をしに来ました。」


 藍子はにっこり微笑んで言った。藍子の言葉に、香織はぶち切れる寸前である。


 「~何でっ!?」


 爆発しそうな感情を必死で抑えているため、声は低くなっている。


 「冴種 明羽あかは及び綾子は、本日12時を持って、翡翠 青城せいきの養子になることが決定しました。」


 香織と雷應は言われたことを直ぐに理解できずに、反応に数秒の間があった。


 「な、何ですってっ!?」


 今にも飛び出しそうな香織を雷應が押さえる。


 「翡翠 藍子っ! 言っている意味が解っているのっ!?」


 香織の剣幕に藍子は全く動じる様子もない。


 「解っていますよ。あなた方が禁忌と呼ぶ者を、養子にする意味。」


 藍子はにこやかに笑ってはいたものの、口調は真剣そのもの。


 「私達は相殺者そうさいしゃを生かしてはおけない。それが解っていて養子にすると言うことは、白の一族を敵に回すと言うこと。」


 香織が低い声で唸るように言った。


 「違います。相殺者を生かしておけないのは、あなた方、冴種一族を中心とする一部の白の一族のみです。」


 白の一族は、無用の戦いを避けるため、隠里に住む一族。

 その中には、白の一族同士の連絡すら取らずに、完全に孤立している一族がいる。その代表格となるのが冴種一族。外部との交流は殆どなく、白の一族の会合にも滅多に出ない。その為、何時までも古臭い考えに囚われ、未だに相殺者を禁忌と呼ぶ。


 「もう少し外に世界を広げないと、守るものすら見失ってしまいますよ。」


 白の一族の中でも、相殺者を禁忌とする一族はもう殆どいない。


 「……帰るよ。」


 香織は雷應の腕を払いのけて、藍子達に背を向けて歩き出した。


 「翡翠 藍子、今回は手を引くわ。でも諦めたわけじゃないからね。」


 そう一言残すと、さっきの翠同様、吹き抜けから飛び降りた。雷應もそれに続く。


 「さ、私たちもここから出ましょう。」


 藍子が振り返って翠達に手を差し出した。翠、綾子それに汀が藍子の周りに集まる。


 「あら、もしかして怒ってますか?」


 汀が藍子を睨んでいた。 


 「当たり前でしょ。」

 「その怒りは、あとで爆発して頂くとして、今はここから早く抜けましょう。」


 既に空間が歪み始めている。


 「このままここにいたらどうなるの?」


 綾子が翠に問い掛けた。


 「空間の歪みに吸い込まれて、異空間で永遠に漂うことになるらしいわ。」


 『吸い込まれた事はないからはっきりしないけど』と翠は付けたした。


 「翠ちゃん、髪の色。」


 藍子に指摘されて、翠は目を閉じた。数秒後には水色の髪が毛先から黒に変わっていった。

 それを確認した藍子は三人に背中を向けて、詠唱を始めた。


  ―聖なる龍牙よ

   我を彼の地へ導く門となれ―


 先程現れたのと同じ歪みが藍子の前に出現する。だがその歪みの向こうは何処かの廊下のようだった。


 「黎さんの所でいいのでしょ?」


 藍子の質問に翠は頷いた。


  ―神修道法術 移空転時―


 呪文は短いものの、空間を歪めるその術は、力の消耗が激しい。力のない者が使えば、術の発動すらしない。

 翠でも、体調が万全の時に一度使えれば良い方である。

 その術を軽々と短時間で2回もやってのける藍子はやはり相当な使い手なのであった。

 力を自由に使えなくなっている今の翠は、あまりに悔しくて少し泣きそうになる。


 「大丈夫、み~ちゃん?」


 綾子が翠の様子に気がついて、そっと声を掛ける。


 「大丈夫、何でもないわ。」


 翠は綾子に心配をかけまいと、努めて明るく答えた。


 「行きますよ。」


 藍子の前に開いた空間の穴の向こうには、薄暗い廊下と、長椅子に横たわる黎が見えた。





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