鬼の棲むマンション 伍


 まだ朝早い時間に、評議会から正式に事件解決の依頼が舞い込んできた。

 妙子は待ってましたとばかりに、取るものも取り合えず電車に飛び乗った。本当なら現場の近くまで行って待機していたかったのだが、担当地域を勝手に離れることは出来ない為、いつでも動けるように準備していた。

 だがやはり電車では時間が掛かってしまい、現場に着くころには昼近くになっていた。


 「こんなとき藍ちゃんが居れば、移空転時いくうてんじで瞬間移動できたのに…。」


 この時、まだ事態の重大さを呑み込めていなかった妙子は、少し愚痴りながら情報収集のため、隣接した寺の門をくぐった。

 しかし、評議会から送られてきた資料どおり、住職は何も知らなかった。

 そこで次にマンションの裏へ回り、封印石を確かめに行った。


 「これが封印石ね。まだ僅かに活きている。」


 封縛師の妙子は、封印を解析しようとするが、力の質が違う為、うまくいかなかった。だがこれにより、マンションの壁に封印石の一部が使われていることに気が付いた。


 「これだけでかい岩だから、処分に困ったのかしらね。退かせなかったみたいだし…。」


 妙子は岩とマンションを交互に見比べながら頭を掻いた。


 「まぁ、封印を解かなきゃ退かせるものじゃないんだけどね。」


 表に回り、マンションを見上げる。


 「人の気配は三つ…。加那子さんが依頼を受けたときはまだ10人位居るっていってたけど。」


 資料をめくって住民一覧を見てみる。

 評議会が調査したときは既に人は半数の5人に減っていた。全員、解約して出て行ったと記されている。

 加那子に依頼した人物も、一緒に引っ越して行ったみたいで、解約者リストに名前が載っていた。

 マンションの自動ドアは、すんなり開き、中に入ると、冷房が効いているのか、ロビーはひんやり冷えていた。


 「ちょっと寒いくらいね。」


 ロビー内は他にも嫌な気配に満ちていた。邪気である。


 「外からは何も感じなかったのに…。壁に封印石が使われている所為せい…?」


 このマンション自体が封印石となっているのかもしれない。だから、隣接しているにも関わらず、寺の住職はこのマンション内で起きていることに気が付かなかったのだろう。


 「でも、人の気配は感じられたってことは、目的のモノ以外は影響を受けてないってことよね。」


 白の一族の封印に感心しながら、取り敢えず人の気配のする上の階に行ってみることにした。

 念のため、エレベータで1階ずつ昇って確かめて行くが、やはり人の気配はしない。10階に人の気配を感じた妙子は先に上の階を確認することにした。しかし、屋上まで行ってみたが、誰も居なかった。


 「どうやら10階だけみたいね。えっと10階には…。」


 住民一覧を捲ると、10階には一組の家族しか名前が無かった。


 「柏木かしわぎさんね。」


 10階に戻り、もう一度気配を探ってみると、そこには2人の気配しかなった。


 「…失敗したわね。」


 妙子は隣にあるエレベータを見上げた。表示板が5・4・3と下がって行く。


 「先に追い駆けて引き止めなきゃ。」


 妙子は自分の乗ってきたエレベータにもう一度飛び乗り、地下1階のボタンを押す。そして、目を閉じて気配の動きを追う。右手は直ぐにボタンを押せるように操作パネルに添えている。

 結局、気配の主は地下1階に降りたようで、妙子が再びボタンを押すことは無かった。

 エレベータから降りるとそこは駐車場になっていた。薄暗い灯りの中、車は中央辺りに一台だけが停まっているようだった。その車に向かう人影が一つ。


 「すみません、柏木さんですか?」


 妙子は駐車場に蔓延した邪気に、嫌な汗を掻きながら人影に呼び掛ける。

 妙子の声に人影が振り返る。薄暗いため、ここからでは顔はよく見えないが、どうやら男性のようだ。


 「…どなたですか?」


 返ってきた声はやはり男性のものだったが、少し緊張しているように聞こえた。


 「私は翡翠 妙子。このマンションを調査しに来ました。」


 取り敢えず安心させるために、優しい声で自己紹介をした。


 「調査? …今起きている怪奇現象の?」


 柏木らしき男性は怪訝そうな声で応じた。


 「信用できないのならそれでも構いません。けれどここは危険ですので、取り敢えず上に行きましょう。」


 妙子はエレベータの扉が閉まらないようにボタンを押したまま、体をずらして柏木がエレベータに乗り易いようにする。


 「…解った。」


 柏木は少し車を振り返ってから、妙子の方へ歩き出した。

 だがその時、駐車場の奥の暗がりで何かが動いた。

 妙子は即座に反応し、呪文を唱えながら飛び出した。


 ―創世そうせいの龍牙よ、

  向かい来る刃から

  我を守る堅き盾となれ―


 突然、突進してきた妙子に驚いた柏木が身構える。しかし、妙子は柏木の横をすり抜けて両腕を前に突き出した。


 ―聖修道法術せいしゅうどうほうじゅつ 光の盾―


 妙子の掌の前に、桃色に光る薄く透けた光の膜が広がる。柏木は目を見張った。

 その直後、光の盾に何かがぶつかって爆発を起こした。


 「な、何だっ!?」


 柏木が突然の爆発に尻餅をつく。

 爆発は立て続けにおき、光の盾の向こう側は巻き上げられた粉塵で何も見えなくなった。


 「柏木さん、早く上の階へ避難してっ!」


 妙子の声に我に返った柏木が、起き上がってエレベータに逃げ込もうとするが、何かに引っかかって顔から豪快にこけてしまう。


 「…いってぇ~~!?」


 柏木が何に引っかかったのか振り向いてみると、足首に黒く小さな生き物がしがみ付いていた。


 「な、何だこいつ…ッ!? 鬼…?」


 生き物の頭に角が生えているのを見て、血の気が引く。


 「お、おい…。」


 柏木は子鬼の頭を足で蹴って外そうとするが、子鬼は不気味な笑顔を向けてびくともしない。妙子に助けを求めようと見るが、妙子は未だに爆発を防ぐので手一杯のようで、こちらには全く気が付いていないようだ。


 「は、離せ…っ!!」


 子鬼の頭を蹴り付けながら、少しでもエレベータに近付こうと後ずさる。だが、子鬼は見た目以上に重く、数ミリ動かすのがやっとだった。

 次第に子鬼の腕に力が込めらていく。足首がギシギシと音を立てて悲鳴を上げている。


 「や、やめろ…っ!」


 柏木は子鬼の大きな目を目掛けて自由の効く左足を振り下ろす。かかとが見事に命中するが、子鬼は少しも動じなかった。痛がる素振りすら見せない。それどころか、口を大きく左右に裂いて笑い、更に強く足を絞めつけてくる。


 「お、おい…っ!?」


 柏木は痛みを堪えて、妙子に助けを求めて叫んだ。

 妙子は、爆音に紛れて微かに聞こえてきた声に反応して、柏木に視線だけを向けた。


 「こいつを何とかしてくれっ!」


 柏木の叫びに反応した妙子は、光の盾を右手だけで支え、左手を柏木の足元に向けた。


 「柏木さん、動かないで。」


 光の盾を支える妙子の右腕が細かく震えている。絶え間なく起こる爆発が少しずつ光の盾を破壊していく。


 ―創世の龍牙よ、

  全てを切り裂く風となれ―


 妙子の左手に桃色の龍牙力が宿り、そこから風が吹き出す。


 ―聖修道法術 風牙ふうが


 吹き出した風が細かく千切れ、子鬼に向かって飛んでいく。

 力をどんどん増して足をへし折ろうとする子鬼は、風牙に気付かない。柏木はあまりの痛みに脂汗を掻き、意識も朦朧もうろうとし始めていた。

 足が大きな悲鳴を上げ始めたとき、風牙が子鬼を切り裂いた。


 「柏木さんっ、逃げて…っ!」


 光の盾を支えながら、妙子は柏木に声を掛けるが反応する様子がない。


 「…気を失っているの?」


 妙子が柏木を振り返ろうとしたとき、駐車場の奥から大きな咆哮とともに強大な力が発せられた。

 突然のことに対応が遅れた妙子は、咄嗟に光の盾を支える腕に力を籠めるが、マンションを大きく震わせる程の大きな爆発で吹き飛ばされてしまう。

 その爆風に巻き込まれ、気を失っている柏木の体も吹き飛ばされ、エレベータの扉に強く叩きつけれらる。子鬼に折られそうになっていた左足首が、ありえない方向に捻じ曲がっている。


 「か、柏木さんっ!?」


 妙子は壁に叩きつけられた痛みに耐えながら、柏木の傍に駆け寄った。


 「しっかりして…。」


 柏木を助け起こそうとしたとき、駐車場の影から無数の子鬼が飛び出してきた。


 「邪魔しないでっ!」


 妙子は両腕から、風牙を放った。

 細かく千切れた風牙は、周囲の子鬼を切り裂いていった。しかし、元々攻撃系の術があまり得意ではない妙子の風牙は、子鬼を一掃するほどの威力を持ってはいなかった。

 次第に妙子は追い詰められていく。


 (風牙ではこれが限界かしら…。ならば…っ!)


 妙子は風牙で風の壁を作り、別の呪文を唱え始める。


 ―創世の龍牙よ

  鋭き槍となりて全てを貫け―


 妙子の手のひらから、桃色の光が溢れ出す。


 ―聖修道法術 槍龍そうりゅう


 溢れ出した光が幾筋もの光の槍となって、風牙の壁を突き抜け子鬼に襲い掛かっていく。

 子鬼たちは槍龍に貫かれ四散していく。

 妙子は左手を大きく振った。壁となっていた風牙が消滅する。だが、そうすることで、槍龍を潜り抜けた子鬼が再び二人に迫ってくる。


 (…こんなことなら、もっと攻撃系の修練をしておくべきだったわね。)


 妙子は再び槍龍の呪文を唱え始めた。

 そこへ、背にしていたエレベータの扉が開いた。突然のことに驚いた妙子は、呪文を中断し振り返ってしまった。

 エレベータには女性と女の子が乗っていた。


 「あ、あなたっ!?」


 女性が柏木が気を失って倒れているのに気がついて駆け寄ろうとした。


 「駄目っ!そのまま上に逃げてっ!!」


 妙子が叫ぶが、二人はエレベータから降りて柏木に寄り添う。女の子が大声で柏木に呼び掛ける。


 「い、いったい何があったの?」


 母親らしき女性が妙子を睨み付けて聞いた。

 この遣り取りの間に子鬼は一気に間を詰めて来た。妙子には女性に答える余裕はなかった。


 ―創世の龍牙よ

  鋭き槍となりて全てを貫け―


 ―聖修道法術 槍龍―


 両手を使い妙子は再び槍龍を放った。

 女性は光の槍が周囲に飛んでいき、小さな生き物を貫いていくのを目の当たりにして驚いていた。


 「な、なによこれ…。」


 女の子は母親の後ろに隠れて顔だけ覗かせている。


 「柏木さんのご家族の方ですね?」


 妙子は槍龍を立て続けに発動させながら、母親に話し掛けた。


 「ここは危険です。早く上へ逃げてください!」


 あまり力を消費しない聖修道法術とはいえ、立て続けに術を発動し続ける妙子の息が上がり始めていた。

 母親は女の子をエレベータに乗せると、柏木の体を抱え上げようとした。その時、駐車場の奥から再び大きな咆哮が上がった。


 「! いけないっ!?」


 槍龍を維持し続けていた妙子は、即座に呪文を切り替えて、押し寄せて来る強大な力を防ごうとするが、間に合わなかった。光の盾が発動する瞬間、闇の力を纏った暴風が無数の子鬼と共に3人の体を巻き上げ、駐車場の天井や床、更には壁にと幾度となく打ち付けた。

 封縛師として鍛えられている妙子は、非常時に無意識で発動する個人結界で大怪我を免れたが、何の力も持たない柏木夫妻の体は見るも無残な形に捻じれ曲がっていた。2人の身体からはもやのようなものが発生し、駐車場の奥へと続いている。


 「~~ッ!?」


 妙子はふらつく足で立ち上がり、2人の元へ駆け寄る。


 「………。」


 2人は既に息をしていなかった。エレベータの方から、女の子の両親を呼ぶ声が聞こえる。


 「あの子だけでも助けなきゃっ!」


 妙子に落ち込んでいる暇はなかった。2人の遺体をこのままにしていくのは忍びないが、こうなっては女の子を助けることが最優先である。

 子鬼が女の子を狙ってエレベータの方へ集まりだしている。


 「させないわっ!」


 子鬼の歩みは遅く、妙子がエレベータの前に戻るのにまだ十分な距離がある。

 妙子が二人の遺体に軽く触れると、仄かに桃色に輝く。


 「ごめんなさい。今はこれだけしか出来ない。」


 妙子は二人に謝ると、駆け出した。

 動きの遅い子鬼はともかく、いつまた暴風を纏った咆哮があがるか解らない。泣きじゃくる女の子の前に立ちはだかった妙子は、呪文を唱え始めた。


 ―創世の龍牙よ

  害為す者より清き灯火ともしびを守れ―


 妙子は上から下へ体全体を使いながら腕をゆっくり下ろした。


 ―神修道法術しんしゅうどうほうじゅつ 翼龍陣よくりゅうじん


 妙子が引いた桃色の光の線が、丸く膨らんで消えた。傍から見れば発動前と何も変わらない。

 だが妙子は気にせずに後ろを振り向き、エレベータの中で怯え泣きじゃくる女の子に柔らかい笑顔を向けた。


 「お姉さんと一緒に上へ行きましょう。」


 そっと手を差し出す妙子と遠くで全く動かない両親を交互に見たあと、女の子は妙子の腕にしがみついて更に大きな声で泣き出した。


 「…だいじょうぶ、大丈夫よ。」


 妙子は優しくあやしながらエレベータのボタンを押した。

 ようやく辿り着いた子鬼が、妙子たちに飛び掛ろうとしたとき、何もない空間から翼を大きく広げた光の龍が現れ、子鬼に向けて翼を打ち振るった。翼から放たれた風が飛び掛ってきた子鬼を切り刻んだ。

 エレベータの扉は閉まり、上昇を始めた。妙子は泣いている女の子を抱いたまま壁に寄り掛かり溜め息をついた。

 上昇するエレベータの中で、妙子は女の子の頭を優しく撫で続けた。

 1階について扉が開いても女の子が妙子にしがみついて泣いているため、降りることが出来ず、そのまま10階のボタンを押した。

 女の子を抱き締める妙子の頬も、涙で濡れていた。



ⅩⅠ



 ベッドの上で眠り続ける女の子を辛そうに見つめながら妙子が経緯いきさつを語った。


 「部屋に着いた私はこの子が泣き止むのを待ってから、沌生力からこの子が好きな犬を産み出して護衛につけたの。でも、この子が犬に抱きついて眠ってしまったから、念の為、分身を作って置いて行ったの。」


 妙子は自分の分身に微笑みかけた。分身は微笑み返してその姿を散らした。


 「1階のロビーに四神封縛を張って、地下駐車場に戻ると、子鬼は居なくなってて、変わりに暴風が吹き荒れていたわ。翼龍陣を破ろうとしていたんでしょうね。」


 翼龍陣は向かい来る敵全てを破壊する結界。結界というよりも攻撃系の術に近い。結界に分類されているのは、向かってこなければ一切何もしない防衛型の術であるため。


 「でも、鬼と翼龍陣が産み出す風がぶつかり合って居るにもかかわらず、駐車場の中は荒れていなかったわ。中央に停まっている車もそのままそこに在ったし、二人の遺体も動いてなかった。」


 実際、妙子が翼龍陣を越えて中に入っても、髪や服が乱れるくらいで、見た目ほどの威力は無かった。


 「多分、鬼は目覚めたばかりで、続けて大きな力を使うことが出来ないんじゃない?」


 翠はこれまでに得た情報から推測してみた。


 「そうね、多分その通りだと思うわ。でも、奴は私との闘いで覚醒が進んで行ったのでしょうね。結果は翠ちゃんの知っている通り、私の惨敗だったわ。」


 妙子は、女の子が起きないようにそっと抱き上げた。


 「その子、名前は?」


 翠も妙子の後に続いて椅子から立ち上がり、風神剣を妙子の代わりに持ち上げながら聞いた。


 「柏木 優花ゆうかちゃんよ。」


 涙の跡が残る寝顔に胸を詰まされながら、妙子と翠は静かに部屋を出て行った。



 廊下に出ると、辺りは闇に包まれていた。


 「…妙子さん、奴らはいったいどれだけ居るの?」


 時計を見ながら翠は聞いた。

 時間はまだ午後7時を少し回ったところ。まだ初夏とはいえ、あまりにも暗すぎる。廊下の窓からは星すら見えない。


 「解らないわ。」

 『何匹居ようが構うものか。全て蹴散らしていけ!』


 漂う邪気に警戒する二人をよそに、風神剣は軽く言う。


 「…仕方ないなぁ…。」


 翠は面倒臭そうに呟いてから、左手を前に突き出す。


 ―あおき龍牙よ

  我が呼びかけに答え

  その内にいだきし者を呼び覚ませ―


 掌の前に緑色の龍牙力が集まる。


 ―出よ、聖剣・正宗―


 光が左右に伸び、中から一振りの抜き身の日本刀が現れた。その黒光りする刃は闇の中にあっても、鋭い光を放っているように見える。


 「久しぶり、お願いね。」


 翠は刃をさすりながら正宗に話し掛けた。それに答えるように正宗が淡く光を発した。


 「翠ちゃん、邪魔になるようなら、風神剣はその辺に捨てていいわよ。」


 妙子がさらっと言った言葉に風神剣が焦る。


 『馬鹿なことを言うな。俺はデリケートなんだ。せめて、高級ソファの上にしてくれ!』

 「…馬鹿? これから地下に行こうってのに、部屋の中に置きに戻れっての?」


 翠が冷たい声で突っ込みながら、風神剣を肩に抱える。


 「邪魔だけど障害にはならないし、子鬼を叩き切るくらいは出来るでしょ。」


 使い勝手を確かめるように軽く素振りもしてみる。


 『…優しく扱ってくれ。酔って吐くぞ。』


 風神剣から、少し情けない声が返ってきた。

 軽口を叩いているうちにも、周囲の闇は濃さを増していく。


 「妙子さん、私にしっかりついて来てね。」


 翠は正宗と風神剣を構えて走り出した。


 「お願いね。」


 妙子は走りやすいように優花を背負い直し、翠の後についていく。

 翠の前方に、やがて子鬼の姿が見えてきた。その数は先程よりも遥かに多く、行く先を隙間なく埋め尽くしていた。


 「うざったいわね。」


 正宗を前に突き出し、そのまま頭上に持ち上げる。


 「そこを退きなさいっ!」


 翠の言葉に、子鬼はまったく反応せず、そのまま前進してくる。中には飛び掛ろうとしているのか、身を屈める者もいた。


 「退かないならっ!」


 頭上に掲げていた正宗を前方に向けて振り下ろすと、正宗の刃から緑色の光が渦を巻いて飛び出した。

 光の渦は子鬼を片っ端から切り裂いていき、翠たちの進む道を造っていく。

 切り裂かれ薙ぎ倒された子鬼の群れの中に突っ込んだ翠は、正宗と風神剣を使って、光の渦から逃れて襲い掛かってくる子鬼を叩き切っていく。

 二振りの剣を縦横無尽にひるがえすその姿は、舞にも似ていて、見る者を魅了するようで、妙子はしばし見惚れてしまいそうになった。


 「じゃぁまぁだぁ~~っ!!!」


 見惚れてしまいそうな妙子を現実に引き戻す翠の声に少し苦笑しながら、妙子は異変に気がついた。


 「風神剣が…。」


 翠が右手で振るう風神剣から、僅かではあるが風が巻き起こり、それが子鬼を切り裂く手助けをしていた。


 「私以外は力を使えないはずなのに…。」


 翠は気が付いていないようで、何も気にせず正宗から光の渦を再び発生させて子鬼を一蹴していく。

 行く手に階段が見えてきた。


 「妙子さんっ!次の一撃で道を開くから、階段に飛び込んでっ!!」

 「翠ちゃん、風神剣を使ってみてっ!」


 翠は妙子の言葉に振り返るが、子鬼が牙を剥いて襲いかかって来たため、正宗を一閃した。正宗の刃は子鬼の首と胴体を切り離し、返す刃に力を込めた翠は、気合を込めて勢い良く正宗を振り下ろした。


 ―神修道法術 光破斬こうはざん


 翠の叫びと共に、正宗から無数の光の刃が飛び出し、その刃に触れた子鬼は体を真っ二つにして瞬時に消えていった。

 光破斬の威力に、廊下を埋め尽くしていた子鬼の大半が消滅し、闇の気配も薄らぎ始めた。

 妙子は優花を抱え直すと、急いで階段に飛び込んだ。その後で翠がもう一発光破斬を放ち、結果も見ずに妙子のあとに続いた。

 階下からも子鬼の気配が漂ってきている。


 「まさか、他の階にもいた奴らが皆、集まってきているの?」


 9・8・7と一気に駆け下りて、入り口で待っているだろうゆかりたちに優花を預けてしまいたいのだが、子鬼が次から次へと湧いて出て来るように、後を絶たない。

 しかも、勢いで突破しても今度は階段の上から襲いかかって来るため、時間が掛かっても着実に一階ずつ突破して行くしかなかった。

 翠は二刀流ではない。だがまるで二本使うのが普通であるかのように、翠は正宗と風神剣を軽々と使いこなしている。

 利き腕である左手で持っている正宗で子鬼を攻撃し、右手に持つ風神剣で子鬼の攻撃を受け流す。時に役割は逆になるが、昔から使っているかのように様になっている。

 だが、多勢に無勢。

 翠の顔に、少しではあるが疲労の色が見え初めていた。


 (このままでは、翠ちゃんが持たないわ。)


 この後には鬼本体との闘いが控えている。退魔師である翠が中心となる為、ここであまり力を消耗させるわけにはいかない。


 ―創世の龍牙よ

  我が現身、我が声を真似て

  新たなる息吹を与えよ―


 妙子の周りに桃色の龍牙力が渦を巻き、それが妙子の前で人の形を取り出す。

 光が消えると、そこにはもう一人の妙子がいた。


 「この子をお願い。」


 妙子は、優花を預けると、呪文を唱えだす。


 ―創世の龍牙よ

  泉より溢れしその光にて

  よこしまなる者に

  安らかなる清めを与えよ―


 階段中に桃色の龍牙力が溢れ出す。


 ―神修道法術 浄泉光じょうせんこう


 光に触れた子鬼が桃色の光に溶けながら消えていく。


 「妙子さん。」


 翠が驚いて妙子を振り返る。


 「藍ちゃん程ではないけど、私も浄化系の術は使えるのよ。」


 妙子が自慢げに胸を張って答えた。

 浄泉光に触れた子鬼はその存在自体が邪悪であるため、光に癒されることもなく、肉体が光に溶けていく。


 「これで少しは翠ちゃんも楽になるでしょ?」


 妙子は浄泉光を支えながら、翠にウィンクを送った。

 実際、あんなに溢れていた子鬼の数は激減し、浄泉光に耐えられる子鬼のみが翠の相手となった。


 「藍ちゃんなら、このマンション全体を一気に浄化出来るんだろうけどね。」


 浄化から逃れた子鬼が、翠の足首に取り付いた。

 翠は少しよろけるが、子鬼ごと足を振り回して壁に叩きつける。


 「…重くないの?」


 妙子は、子鬼にしがみ付かれた柏木が動けなくなった事を思い出して聞いてみた。


 「全然。」


 翠は壁に叩きつけた子鬼が外れると、風神剣を突き立てた。そのまま風神剣を振り上げて迫り来る別の子鬼を切り上げようとするが、それを察知した子鬼が珍しく素早い動きで後ろに飛び退いた。


 「えっ!?」


 しかし、飛び退いた子鬼は真っ二つに裂けて四散していった。

 風神剣の刃から風が噴出し、カマイタチとなって子鬼を引き裂いたのだ。


 「やっぱり、翠ちゃんはその剣を使えるのね。」


 妙子の嬉しそうな声に、翠は信じられないといった顔で風神剣を見た。


 『俺も信じられんが、さっきからお前は俺の力を使っているぞ。』


 翠は試しに風神剣を薙いでみた。すると刃から発生した風が壁を削ぎ落とした。


 「こんなこと、有り得るの?」


 翠に優しく微笑んだ妙子は、首を横に振った。


 「本当なら有り得ないわ。その剣は、私の純粋な血から創った物だから、私以外は使えない筈よ。」


 でも、と妙子は続ける。


 「藍ちゃんは、あなたの力は支龍力だけではないと言ったわ。」


 翠は首を傾げたが、まぁいいやといった感じで風神剣を肩に抱えて、子鬼を見据えた。


 「今は細かいことは言ってられないわね。」


 翠は妙子と目配せをして、再び階段を下り始めた。




 風神剣の力が使えると解ると、翠は正宗と風神剣で、光と風の併せ技を使って子鬼を倒していく。

 妙子の浄泉光の効き目は強く、1階に着くまで子鬼の数は僅か数十匹しか現れなかった。


 「妙子さんのおかげで、残りは楽だったわね。」


 1階に辿り着いた翠は、子鬼が居ない事を確かめると、正宗と風神剣を軽く振り回して伸びをした。


 「あなたも凄かったわよ。そこまで風神剣を使いこなせるなんて、驚きだわ。」


 コピー妙子は、優花を妙子に渡すと静かに姿を消していった。


 「翠っ!」


 マンションの入り口から紫が呼び掛けてきた。

 見ると、紫とそうがこちらに向かって手を振っていた。

 

「随分と手間取っていたようだな。」


 紫と蒼は、翠たちに駆け寄って来た。


 「紫姉、蒼兄、この子をお願い。」


 妙子は抱えている優花を紫に手渡した。


 「マンションは子鬼だらけだったわ。少し疲れた。」


 翠が妙子に風神剣を返しながら呟いた。


 「でも、まだこれからよ。一番肝心なのがこの下に残っているわ。」


 紫が足で床を叩きながら言った。


 「蒼さん、このマンションはこれ自体が封印石になっていますから、奴は外には出られません。この子を外に連れ出したら、四神封縛を解いて下さい。」

 「解った。」


 紫と蒼は、優花を連れて外へ出て行った。


 「さぁ、これからが本番よ。」


 翠と妙子は手を繋いで、地下駐車場へ続く階段へと戻って行った。




 優花を抱いて外に出た紫は、そのまま隣の寺に優花を連れて行った。

 その間に蒼は四神封縛を解くために龍杖りゅうじょう・牙を構えた。杖は蒼の手を離れてふわふわと浮いた。


 ―神修道法術 滅―


 龍杖から螺旋状に飛び出した光が、開け放った自動ドアからロビー内に伸びていく。

 翠と妙子は、階段前で待機していた。


 「そろそろね。」


 封札が緑色の光を発して消えていくのを見ながら妙子が言った。階下に繋がる階段が歪み始めている。


 「それにしても凄い封印よね。本当なら、私たちの力もこの封印に抑えられていい筈なのに、全然影響受けてないもの。」


 翠は自分の手と滅によって消えていく封札を見比べながら、封印に感心を示した。


 「白の一族は、私たちには扱えない守護力を使役できる一族。その力は守護や封印に秀でているわ。」

 「…守護力。」


 妙子の説明に翠は綾子のことを思い出していた。


 「冴種さえぐささんからは、たまに守護力を感じることがあったな。」


 冴種 綾子あやこは翠のクラスメイトである。


 「冴種さん?あの時一緒に居た子?」


 聞き慣れない名前に妙子は、翠の部屋から出てきた女の子のことを思い浮かべて聞いた。

 この間にも、四神封縛の歪みは大きくなっていく。


 「うん。何時もじゃないんだけどね、たまぁ~に感じるときがあるの。」


 翠は正宗を構えなおした。


 「私には何も感じなかったわ。それどころか、彼女の気配すら感じられなかったわよ。」


 妙子も風神剣を構えながら、翠の家で少しだけ会った少女のことを思い出す。

 「私たち青の一族は、この力を手に入れたときから、守護力を使える者は殆んど居なくなってしまったけど、もともと守護力は、誰でも使える力。少しでも資質があれば感じても可笑しくは無いと思うわ。」


 次第に消えていく四神封縛の歪みに、二人は警戒を強める。


 「…まぁ、いいや。何かあればいずれ解るでしょ。」


 翠の場にそぐわない能天気な言葉に妙子は少し苦笑する。

 結界が薄れて行くにしたがって、邪悪な力が漂い始める。子鬼が放っていた闇の気配とは比べるべくも無く、体に纏わり付くねっとりとした力に、二人は少し後ずさる。


 「どっちにしろ、雑談している場合ではないみたいね。奴の力、さっきまでとは比べ物にならないわ。」


 翠も妙子と同じことを感じていた。


 「確実に覚醒に近づいているって事よね。」


 四神封縛が消え去ると同時に階下より闇と湿気を纏った突風が吹いてきた。翠と妙子は髪と服を吹き荒らされながらも、決着を着ける為に足を踏み出して歩き始めた。

 階段に差し掛かると、下から幾つもの小さな足音が聞こえてきた。


 「…まだ子鬼が居るの?」


 鬼にとって、使鬼の数はそのまま力の大きさに比例すると言われている。使鬼が多ければ多い程、強大な敵と言っていい。


 「完全覚醒を果たせば厄介なことは確かね。」


 妙子は風神剣を軽く振るった。

 風神剣の刃から吹き出した風が姿を見せた子鬼を切り裂いていく。

 今度はさっきと違い、守らなければならないのは、自分たちの命のみ。二人は子鬼を蹴散らしながら地下駐車場へと突き進んでいった。




 その頃、四神封縛を解除した蒼の元に一人の少女が訪れていた。


 「あ、あの…。」


 少女はおずおずと蒼に声を掛けた。

 そこへ、寺に優花を預けてきた紫が戻ってくる。少女に気付いた紫は、少女の気配に首を傾げた。


 「あなた、いったい何者?」

 「わ、私は冴種 綾子。翡翠さんのクラスメイトです。」


 少女は両手を胸の前で握り合わせながら答えた。


 「冴種…。白の一族の名字ね。あなたの気配が無いのはその為かしら?」


 綾子は首を傾げて少し考えた後に、何かに気が付いたのか両手をパンと叩いた。


 「気配は解りませんが、翡翠さんのお姉さんも、白の聖血族がどうのって言っていた様な気がします。私に力が無いから一族から離れた、みたいなことも…。」

 「力が無いなら、何しに来たんだ?危険だから帰りなさい。」


 突き放すような蒼の態度に、綾子は少し怖気づく。


 「あ、あの、あなた方は翡翠さんのお仲間ですよね?」


 怖気づきながらも帰るわけにはいかないと、声を振り絞る。


 「仲間じゃないわ。私は姉の紫で、これは兄の蒼よ。」


 紫は怯えている綾子に、優しい声で答えた。


 「これとは何だ。物扱いするな。」


 蒼が膨れっ面で呟いた。


 「それで、あなたは何故ここに来たの?」


 蒼を無視して、綾子に先程の蒼の質問を繰り返した。


 「…翡翠さんのことが心配で、家に帰っても落ち着いていられなくて…。」


 綾子は、翠が入って行ったであろうマンションを見上げて言った。


 「気持ちは解るが、力を持たない者がここに来ても邪魔になるだけだ。」

 「蒼兄!」


 紫は兄の容赦ない言葉に強く声を発する。


 「冴種は、白の一族の数少ない戦闘一族と聞いている。だが、この依頼に関係ない人間は、必要以上に関わる事は出来ない。それが青の一族の掟だ。まして、力の無い者など邪魔以外の何ものでもないだろう。」


 蒼は更にきつい言葉を浴びせる。

 蒼の言葉に綾子は弱気になるが、ここで引く訳には行かない。


 「邪魔になることは承知の上です。だから中には入りませんから、せめてここに居させてください。」


 綾子の必死な訴えに、紫は困った顔をする。


 「それに、翡翠さんに依頼をしたのは私です。」

 「成程、依頼人なら付き添う権利はあるわ。でも、今の翠の依頼人は龍牙の巫女のはずよ。あなたではないわ。」


 紫は優しくさとすように言った。

 始めは綾子による依頼ではあるが、正確には翡翠一族の連絡役・翡翠 佳代子の代理として依頼を持ちかけたに過ぎない。その証拠が翠の元に届いていた手紙である。

 連絡役の依頼はそのまま一族の依頼となる。その上、藍子が龍牙の巫女として正式に翠に依頼を出している。


 「駄目ですか?」


 綾子は紫の顔を見上げる。


 「…う。」


 紫は押しに弱い。

 戦闘中は前線に立ち、鬼神の如き働きを見せるが、その実、姉の藍子同様、可愛いものが大好きで、内心、翠を溺愛していた。

 だが、格好良い部類に入る自分の外見と、人に弱みを見せるのが嫌いな性格が災いして、藍子のように翠とイチャつけないでいた。実際には翠は嫌がっているのだが、紫の目には楽しそうに見えていた。


 「…仕方ないな。これが出来ればここに居ていい。」


 綾子の懸命さに負けて、困っている紫の代わりに蒼が答えた。


 「蒼兄??」


 何を言い出すのかと、紫が怪訝な顔で蒼を振り返った。


 「これは以前、白の一族の知り合いに教えてもらった封印の一種だ。残念ながら俺には使えなかったけどな。」


 蒼の使える力は翠と同じ支龍力。青の一族で白の守護力が使えるのは、聖龍牙力せいりゅうがりょくを使える者のみ。

 しかし、綾子は白の一族の出身である為、もしかしたらと考えたのである。


 「良いか、チャンスは一度きりだ。呪文も一度で覚えるんだ。」


 そう言うと、蒼は綾子に有無も言わせずに呪文を唱え始めた。


 ―永き時の始まりより

  全てを産み出し

  守りし龍牙よ

  白き力を持ちて

  邪悪なるモノを封じよ―


 いつもなら術の発動により蒼の周囲に龍牙力が集まるのだろうが、今は一欠けらも集まる様子は無い。


 ―幻神封爪げんしんふうそう


 蒼は唱え終わるとそっと目を開けて綾子に同じようにやるように促した。

 一生懸命に呪文を覚えようとしていた綾子は、頭の中で呪文を反芻はんすうしながら同じ体勢をとる。

 深呼吸をし、「よしっ!」と小さく気合を入れる。


 ―永き時の始まりより…


 蒼の時とは違い、今度は直ぐに綾子の周りに白い龍牙力が集まりだした。


 「…これで力が使えないだと?」

 「唱え始めて直ぐに力が集まってくるなんて、凄い集中力だわ。」


 蒼と紫は驚愕していた。

 呪文が進むと同時に龍牙力はどんどん集まっていく。しかし、呪文が終わりに近づいていくに連れて、集まっていた龍牙力が四散し始めた。


 「…これは…?」


 紫は四散して消えていく龍牙力を見ながら呟いた。


 「この子は相殺者そうさいしゃだな。」


 蒼の呟きに紫は首を傾げた。

 綾子は何も気が付かずに、一生懸命に呪文を唱えている。時に突っかかりながらも、あとは術名を唱えるだけとなった。


 「相殺者は、魔族だけでなく、俺たち聖血族の力すら相殺し、術の効力をゼロにしてしまう者のことだ。」


 術の名前が出てこないのか、綾子は何度も「封じよ」を繰り返している。


 「かなり確率は低いが、たまに居るらしい。相殺者は力は集まってもそれを留める事が出来ずに消えてしまうそうだ。」

 「…それって、あの子と一緒じゃない。」


 紫は完全に消えてしまった龍牙力を捜すかのように周囲を見回す。


 「ご、ごめんなさい。これ以上は解りません。」


 綾子が頭を下げた。


 「いや、もう十分だ。」


 蒼は不機嫌そうにそっぽを向いた。


 「あ、あの…。やっぱり駄目ですか?」


 綾子は残念そうに呟いた。


 「帰る必要は無いわ。私たちと一緒に翠たちを待っていましょう。」


 紫が綾子の肩に手を乗せて優しく微笑んだ。


 「…手懐ける気か?」


 蒼がボソッと呟いた。


 「必要ないでしょ。あの子も翠に惚れている見たいだからね。」


 開きっぱなしの自動ドアから、薄暗いロビーを覗いている綾子を見ながら答えた。


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