鬼の棲むマンション 参


 藍子あいこが居間に入ると、中央のソファにはれいが一人で座っていた。


 「黎さん、翠ちゃんは?」


 藍子が呼び掛けると黎は相変わらず不機嫌そうな顔で藍子を睨みつけた。


 「そんなに睨まないでください。時には厳しいことも言わないといけないのです。そうしないとあの子も成長しません。」

 「……俺は何も言ってない。翠は地下の瞑想室に寝かせてる。」


 不機嫌極まりない声に藍子は苦笑した。


 「ところで、聞きたいことがあるのだけど。」


 藍子は机を挟んだ反対側のソファーに腰掛けながら疑問を口にした。


 「この仕事はたえちゃんだけに振られたものだった筈です。何故、あなた達が係わっているのです?」

 「…悪いか…。」


 黎は、藍子を視線で射殺そうとするかのように、水色と紫に光る双眸を鋭く細める。


 「事は当事者たちの命に係わることです。直接依頼を受けない限りは、一族の割り振った仕事しか出来ないのが決まりです。」


 翡翠一族に限らず、聖血族はそれぞれの統治機関として"評議会"が存在している。評議会はだいたい5~6人の上級術者で構成され、方針や行事など一族に係わる全ての事柄を決議する機関であり、一族に持ち込まれる依頼の斡旋あっせんもやっている。一度選任されれば任期は無く、解任・辞職もしくは死亡するまで変わることはない。

 依頼の斡旋は、術者や依頼者だけでなく、周囲の人間や物まで巻き込んでしまう可能性があるため、評議会が厳重な審査を行った上で、他の一族に回すか所属している術者に割り振るかを決める。その決定を族長が承認する事で聖血族は運営されている。唯一の例外として、術者本人に直接依頼が持ち込まれた時だけは、術者の自主性や緊急性を考慮して評議会を通さずに依頼を受けられるようになっている。当然、本人が無理だと判断すれば依頼は評議会へ持ち込まれることになる。


 「今回の依頼は、マンションの管理団体が一族へ依頼してきました。新しく建てたマンションで続く怪奇現象の為、入居者が相次いで解約。重傷を負い、訴訟問題になっている件もあるそうです。」


 藍子は一度、そこで言葉を区切った。


 「…正直、何故、評議会がこの様な状況で、妙ちゃん一人にこの仕事を割り振ったのか、わたしには疑問で仕方ありません。評議会の審査が甘かったのか、何か考えがあったのか。どちらにしても封縛師ふうばくし一人に任せるには荷が重すぎると、わたしの占いには出ていました。」


 黎は睨みつけるだけで何も返事を返して来ない。


 「このままでは、翠ちゃんは評議会により罰せられることになります。」


 この言葉に黎が反応した。


 「てめぇらの判断ミスで妙子に死ぬ思いをさせておいて、それを助けた翠を罰するなど勝手な言い草だな。」


 その凄みのある声と不穏な気配に藍子は少し肝を冷やす。しかし負けられない。


 「それが決まりです。」


 脅しにもひるまず冷静に答える藍子に、黎は苛立ちを募らせる。


 「お前らごとき人間が、この俺に勝てるとでも思ってんのか?」


 身を乗り出した黎の右手の爪が鋭く伸びて紫に光りだす。それに釣られるように、水色の瞳孔までが紫に変わり始めた。


 「あなたが穏鬼おんきに戻って脅そうとも、退くわけには行きません。わたしは"龍牙の巫女"として、所属する術者たちの安全を守るのが役目。」

 「ならば…っ」

 「当然っ!」


 食って掛かろうとする黎を藍子は遮った。


 「当然、今回の件に関しては評議会へ異議を申し立てるつもりです。」


 龍牙の巫女は、聖血族があがめる"龍牙鬼神王りゅうがきしんおう"の代理であり、その権限は各一族の族長や評議会すら及ぶものではない。族長や評議会の選任・承認はもとより、その解任すら一存の下で行うことが出来る。但し、解任に関しては、緊急を要する場合や殺人などの大罪を犯した場合を除いて、基本的には一族の総会により、3分の2以上の同意が必要となる。


 「…解っているのか? お前が異議を申し立てる意味を…。」

 「巫女の異議申立はそのまま不信任案として、評議会を総会へ掛けることになります。しかし、評議会の言い分次第では巫女の権限により、総会へ掛けずに評議会の解任も考えています。」


 藍子の言葉に黎は爪を引っ込める。瞳孔も水色に戻っていた。


 「そこまで決意しているなら今は我慢してやる。だが、翠を少しでも傷付けるようなら、この身を闇に染めてでも貴様らを皆殺しにしてやる。」


 黎は立ち上がりながら答えた。


 「さっきの質問の答えだが、翠はちゃんと依頼を受けている。」


 そう言って黎は、居間の奥にある扉を指差した。


 「依頼人はあの部屋で待機している。」

 「待機?」


 藍子は目をぱちくりして奥の扉を見つめる。


 「あの部屋に人の気配はありませんよ。」


 どんなに気配を探っても扉の向こうに人の気配は全く感じられなかった。


 「まぁ、そうだろうな。奴は冴種さえぐさの人間だからな。」


 冴種と聞いて藍子は驚いた。


 「冴種…。そうですか。」


 藍子は立ち上がると扉の方へ近づいていった。


 「冴種の方は、守りに秀でた力・守護力を使う一族の出身。その身には常に気配を絶つ紋章が描かれていると聞いています。」

 「…そのようだな。奴は一応、翠のクラスメイトのようだがな。」


 藍子は更に驚いた。


 「冴種は隠れ里に住んで、人前には滅多に出てこないはずです。それが何故…?」

 「そんなこたぁ知るか。本人に聞け。」


 黎は頭を掻きながらソファに寝転んだ。

 藍子が扉を軽くノックすると、中から女性が返事をした。藍子は扉を開けて中に入る。

 部屋の中は女の子の部屋のようで、ピンクの花柄の可愛らしいカーテンが掛かっている。壁紙も薄いピンクで統一され、よく見ると小さなハートが細かく描かれていた。


 「ここは翠ちゃんの部屋ね。」


 藍子は実家を出る前の翠の部屋を思い出していた。


 「…あのぉ…。」


 部屋の片隅にあるベッドに腰掛けている少女が恐る恐る声を掛けてきた。少女は確かに翠と同じセーラー服を着ていた。

 一見したところ、少女には聖色が見当たらなかった。どう見ても普通の少女にしか見えない。


 「まぁ、それは翠ちゃんも同じね。」


 普段の翠は体の複数箇所にある聖色を自らの龍牙力で色を変えて隠している。


 「あなた、お名前は?」


 藍子にじろじろ見られて少し頬を赤らめている少女は、おずおずと返事をした。


 「あ、あの、綾子あやこ…冴種 綾子です。」


 綾子と名乗った少女はベッドから立ち上がると藍子に向けて礼をした。


 「わたしは翡翠 藍子。翠ちゃんの姉です。あなたが翠ちゃんに依頼をしたのね?」


 綾子は小さく頷いた。


 「経緯いきさつを聞かせてもらえますか?」


 綾子の話によると、もともと綾子はあのマンションに入居していたそうで、普段から不気味な気配が付き纏い、その上、姉が幽霊のようなものに襲われ右足を骨折したため、すぐさま引越したということだった。


 「……でも、どうしてもあのマンションのことが気になって、そんな時、駅前の路地にいたお婆さんが翡翠さんに依頼すれば良いって言ったので、思い切って相談したんです。」


 藍子は綾子の言うお婆さんに思い当たって頷いた。


 「そうですか。そのお婆さんはわたし達の一族の連絡役をしている方ですね。」


 一族の連絡役は、大概が現役を退しりぞいた術者で構成されている。全国各地に散らばり本家と分家及び各地を任されている術者を繋ぐ大事な役割を果たしている。時には依頼人となる人物を評議会へ紹介したり、緊急性が高ければ、特例として、今回のようにその地に住む術者への橋渡しをすることもあった。

 翡翠と名指しした以上、綾子に接触した人物も翡翠系の連絡役に間違いないと思われる。連絡役の紹介なら、それは正式な依頼となる。つまり、翠は罰せられる必要がないということでもある。


 「あなたは、わたし達への依頼がどう言うことか、解っていますか?」


 藍子が真剣な顔をして訊ねた。


 「……依頼料ですか?」


 綾子の言葉に藍子は首を左右に振る。


 「違います。ヒントはあなたのお姉さん。」


 綾子は少し考えてから答えた。


 「――怪我をする?」


 その答えに藍子はゆっくり頷いた。


 「実際にはそれ以上の危険が付き纏います。わたし達の元へ持ち込まれる依頼の殆どは、魔族の退治や封印といったものです。」


 藍子の説明を聞きながら、綾子は震えだした。


 「古来より人は歴史の影で魔族と戦い続けてきました。その戦いでわたし達の仲間は多くの命を失い、封印の為に自らの命を核にした方もいます。」


 綾子は自分の依頼で翠が死ぬかもしれないと思い、血の気が引いてしまった。


 「すみません。少し言い過ぎましたね。」


 藍子は声を少し和らげ、にっこり微笑んだ。


 「…すみません。翡翠さんに相談するべきじゃ…」


 萎縮してしまった綾子を藍子は優しく抱きしめた。


 「いいのですよ。わたし達は命を懸けて戦っています。でも、だからこそ、自分の命を大事にしています。依頼は無理なら断れます。上部の人間を通して他の術者に回すことも出来ます。翠ちゃんがこの依頼を受けたのなら、責任は全て翠ちゃん自身にあります。あなたは何も気に病む必要はありません。」


 藍子の優しさに触れても綾子の体は強張ったままだった。


 「…あの、翡翠さんは無事なんですか?相談してから、もう何時間も経ってて……。」


 涙ぐんだ綾子の瞳を見つめながら藍子はもう一度優しく微笑んだ。


 「大丈夫ですよ。翠ちゃんは今、少し疲れて他の部屋で休んでいます。どこも怪我はしていません。それにあの子なら、必ずこの依頼を果たしてくれるでしょう。」


 藍子の力強い言葉に綾子は少し安心した。

 和らいだ顔を見て、藍子はもう一つ質問することにした。


 「もう一つ質問して良いですか?」


 綾子は再び不安げな表情をした。藍子は、綾子をベッドに座らせて自分も綾子の隣に座る。


 「心配しないで。まったく別のことを聞きたいだけだから。」


 質問の想像がつかず、綾子は首を傾げた。


 「あなたは白の一族ですか?」


 藍子の質問に、綾子は訳が解らずただ首を傾げるだけだった。


 「あなたの体に変わった模様はない?」


 次の質問に思い当たる節があるのか、綾子は頷いた。


 「はい、太腿の内側、付け根の辺りに…。でも、なぜ知ってるんですか?」

 「少し見せて頂いていいかしら?」


 綾子の質問には答えず、藍子はスカートにそっと手を添える。


 「~っえ…っ!?あ、ちょ、ちょっと…っ!?」


 スカートをめくって覗こうとする藍子に慌ててスカートを上から押さえる。


 「恥ずかしがらないで、女同士なんだから大丈夫よ。」

 「い、いやっ!?でも…っ!」


 例え女性同士でも恥ずかしいものは恥ずかしい。顔を真っ赤にしながら必死でスカートを押さえる。藍子はお構いなしに腰を曲げて押さえられたスカートのひだを摘み上げて覗き込んだ。


 「あら、可愛い純白のパンツが見えますよ。」


 膝をしっかり閉じて、上から押さえつけているのだから、見えるわけがないのだが、動揺している綾子は藍子を遠ざけるために、ついスカートから手を離して藍子の肩を押してしまう。当然、スカートは藍子の手によって持ち上げられ、今度こそスカートの中身が丸見えになってしまった。


 「あら♪」


 藍子は嬉しそうに太腿の上にある布を近づけた目で凝視した。模様もフリルも何もないその下着はまさしく純白で、見事に藍子の予想は当たっていた。

 しかし、肝心の太腿の付け根にある模様は、両足がぴっちり閉じられているので、見ることは出来ない。そこで、藍子はちょっと太腿を撫でてみた。

 すると、その刺激に反応した綾子は足から力が抜けてしまい、少し開いてしまう。


 「見えた♪ふふっ、敏感なのね♪♪」」


 藍子はとっても幸せそうに綾子の太腿の内側を眺めた。


 「~~~~~ッ!?」


 模様を凝視する藍子の隙をついて、綾子はベッドの上に逃げて藍子の視線から逃れる。

 綾子は何も言えず、ただ藍子を怯えた目で睨み付けていた。


 「あらあら、嫌われちゃったかしら。やり方が強引過ぎた?」

 「と、と、当然ですっ!?あなた、変態ですかっ!?」


 綾子は顔を真っ赤にして涙ぐみ、藍子に怒鳴りつけた。


 「ふふ。ごめんなさいね。でも女の子は可愛いものがすきなのよ。わたしが可愛いあなたを好きになっても何も可笑しなことはなくてよ。それどころか、その方が正常じゃないのかしら。」

 「…は?」


 藍子の言い訳に唖然とする綾子。


 「だって、可愛いが一番ですもの♪」


 満面の笑みを浮かべる藍子の頭を突然衝撃が走った。


 「お前は人の部屋で何をやってんだ!」


 どうやら、黎が藍子の頭を殴ったようだ。


 「…黎さん、わたしは別に遊んでいたわけではありませんよ。」


 藍子が頭をさすりながらねた声で答えた。


 「すまんな。こいつ変人だから。」


 黎が藍子を指差しながら綾子に謝った。


 「黎さんが謝ってる。めずらしぃ。」


 藍子は目をぱちくりさせて驚いた。


 「誰の所為せいだ!お前が依頼人に手を出してんだろーがっ!」

 「ふふ、翠ちゃんに怒られちゃうわね。」


 藍子は懲りてないのか、綾子に今にも飛び掛りそうな勢いで答えた。綾子は身の危険を感じてベッドの端まで後ずさる。


 「ふふ、冗談ですよ。それより、確かにあなたは白の一族の出身のようですね。」


 安心させるように優しく微笑んだあと、話を元に戻した。


 「太腿の内側にあるその紋章は確かに冴種のものですね。」

 「…あの、どういうことですか?」


 綾子は訳が解らず頭の上をクエスチョンマークが飛んでいた。


 「冴種は白の聖血族の一つです。彼らはわたし達と同じように魔族と戦っている血族です。けれどその力は主に自然を守ることに注がれているため、魔族と戦える力を持つ者は数少ないといいます。冴種一族はその数少ない一族を代表する血族ですね。でも、彼らの住む場所は結界で守られ、隠れ里となっています。だから…」


 藍子は一度そこで言葉を区切った。綾子は興味深そうに身を乗り出している。


 「だから、あなたのように街に住んで、高校にまで通っている方は珍しいのですよ。」


 綾子は少し考え込んでいるようだった。そして何か思い出したのか、おずおずと藍子に話しかける。


 「私が小学生だったころに両親が祖父母と喧嘩をして家を飛び出したんです。理由は解りませんが、もしかしたらそれが…。」

 「そうですね。あなたは何も教わってはいないようですし、まぁ、白の聖血族は皆が力を使えるわけではないようですから、今まで何もなかったのならそれが家を出た理由かもしれませんね。」


 藍子は綾子の左手を取って軽くキスをした。綾子はビクッとして急いで手を引っ込めてベッドの反対側へ逃げ込んだ。


 「ふふふふふ。」


 藍子は楽しそうに笑い、綾子に「ゆっくりして行ってね。」と言い残して部屋から出て行った。黎も藍子に続いて部屋を出る。


 「――――。」


 綾子は扉が閉まるのを確認してからそっと、ベッドの上に這い出してきた。


 「…翡翠さん、ここ、別の意味で怖いよぉ~~。」


 小声で呟いてスカートの乱れを丁寧に直した。


 「そうそう綾子ちゃん、翡翠 妙子って知っています?」


 閉まったはずの扉が唐突に開いて藍子が顔を出した。


 「!い、いえっ知りませんっ!!」


 綾子は咄嗟にスカートを押さえて返事をする。その声は少し裏返っていた。


 「ふふ、続きはまた今度ね♪ その時は最後まで…。」


 藍子は楽しそうに言うと、綾子の反応も見ずに扉を締めた。



 居間では藍子と黎が再び机を挟んで座っている。


 「あなた方は、妙ちゃんが関わっていることを何処で知りました?」


 綾子に対するのとは全然違う真剣な顔で藍子は聞いた。


 「大した事じゃない。依頼者と接触した連絡役の婆さんが知らせてきたんだ。」


 そう言うと黎は、窓際にあるテレビの上から折り畳まれた紙を取り上げ、藍子に渡した。

 紙を開くと、詳しくはないが今回の依頼に関する情報が書かれている。


 「なるほどね、お佳世かよさんか。」


 最後の署名を見て藍子は納得した。


 「…誰だ?」

 「あら、黎さんは知らなかったかしら。彼女はおじい様の妹で、若い頃は姉の蒼子そうこさんとペアを組んで数々の魔族・鬼族を封印してきたのよ。」


 藍子は紙を折り紙にして鶴を折っていく。


 「聞いたことはあるな。確か蒼子って奴は"聖剣王"で、魔族の封印の為に自らの命を封印の核にしたそうだな。」


 藍子が折鶴を作るのを見ながら、昔聞いた話を思い出していた。


 「ええ…。蒼子さんの命を使って、封印を施したのがお佳世さんです。」


 聖剣王とは、聖血族の中にあっても一人の術者しかなれない最高位の称号の一つである。ただ力を持っているだけでは決して得られない称号であり、聖血族が御神体として祭っている"聖剣ガリュージャ"に選ばれ継承した者にのみ与えられる栄誉である。

 また、聖剣王になった者は"降魔将軍こうましょうぐん"として軍籍に就くことになる。それは大規模な魔族との戦いが勃発した際に、軍に適切な指示を与えて勝利に導くためである。しかし、聖剣が使役者を選ぶことはごく稀で、有史以来、この職に就いた者は5名しかいない。

 もう一つの最高位の称号として"龍牙神王りゅうがしんおう"がある。こちらは龍牙刀に選ばれ継承した者のみが得ることの出来る称号である。その存在は龍牙神族に連なる者としてあがめられていた。しかしその数は聖血族が誕生してから僅か1名のみ。

 両者共に魔族を倒すことが最大の使命であり、殆どの者が魔族との戦いに終止符を打つためにその命を散らしている。蒼子もその一人だった。


 「それ以来、お佳世さんは術者の育成に力を注ぐ為に封縛師を退任したそうです。わたし達が生まれるずっと前の話ですけどね。」

 藍子の手の上に乗せられた折鶴が風もないのフワッと浮いた。


 「本家に送るのか?」


 その様子を見ていた黎は、それが転送の術であることに気がついた。


 「はい。これが何よりも翠ちゃんの潔白を証明する証拠になりますから。」


 ―聖なる龍牙よ、

  其の内に道を作り

  この者を

  彼の地へ届けよ―


 浮いてる折鶴が水色に輝き出した。


 ―聖修道法術せいしゅうどうほうじゅつ 龍胴転移りゅうどうてんい


 折鶴は水色の光と共に空間に吸い込まれるようにして消えた。


 「転送したってことは、まだ帰らない気か…?俺としてはもう用はないから、さっさと帰って欲しいんだがな。」

 「そんな寂しいこと言わないで下さい。せっかく2年ぶりに翠ちゃんに会えたのだから、この依頼を終わらせて戻ってくるまでここで待せてもらいます。」


 藍子はわざとらしくソファにしがみついて、絶対帰らないと主張した。


 「……ったく。勝手にしろ。但し、依頼人には手を出すな。」


 そう言うと黎は再びソファに寝そべって目を閉じた。


 「あら、随分と素直に引き下がるのね。つまんないな…。」


 藍子は物足りなさそうに呟いた。





 「……ん…。」


 翠はそっと目を開けた。


 「ここは…?」


 ボーっとした頭を持ち上げて体を起こした。


 「ああ、そうか。黎に連れられて瞑想室に…。また、寝ちゃったんだ。」


 翠は昔から、泣くと寝てしまう癖があった。


 「何とかしないなぁ…。」


 泣きらした目を擦りながら周囲を見渡した。すると、少し離れた場所に妙子が座って翠を見ていた。


 「目が覚めたのね、翠ちゃん。」


 妙子は優しく微笑んだ。


 「妙子さん!」


 翠は慌てて立ち上がり、妙子に駆け寄った。


 「妙子さん、もう大丈夫なの?」


 しがみついてくる翠を、妙子は優しく抱き留めそっと頭を撫でる。


 「ありがとう、翠ちゃん。あなたと藍ちゃんのおかげで助かったわ。」


 体を離すと、妙子は切り落とされたはずの右手の小指と左腕を翠に見せた。


 「あなたの力を感じるわ。この小指と左腕に。」

 「もう、本当に大丈夫なのね?」


 しつこく聞いてくる翠に苦笑しながら、妙子は翠の頭を抱え、額にキスをした。久し振りに感じる柔らかな唇の感触に、再び涙が溢れ出す。


 「相変わらず泣き虫さんね。」


 妙子はその胸に翠を抱き寄せて、優しく包み込んだ。ふくよかなその胸の温もりを確かに感じて、安心した翠は妙子の腰に腕を回して大声で泣き出した。

 妙子にとっても翠を抱き締めるのは随分久し振りのことだった。二人が仕事を始めてから長い間会えなくなることが良くあったが、翠が独立してから2年間は、住んでいる場所が離れているため、全然会うことが出来ていなかった。


 「大好きよ、翠ちゃん。」


 翠の髪の毛を右手で優しくきながら、そっと耳元で囁いた。



 どれくらい時間が経ったのか、気がつくと翠は妙子の胸に抱かれてまた、眠ってしまっていた。


 「いくら癖とはいえ、ちょっと寝すぎかな。私に力を使い過ぎた所為ね。ごめんね。」


 妙子は翠に治癒してもらった左腕を見た。


 「まだ、翠ちゃんの力が残るこの左腕を使えば、もしかしたら…。」


 左腕をそっと翠から離し、手の甲に自分の歯を突き立てた。噛んだ場所から血が滲み出す。妙子は意識を左腕に集中した。


 ―大気に眠りし龍牙よ、

  我が呼び掛けに答え

  目を覚ませ。

  我が血を持って、

  汝らが力を貸し与えよ―


 妙子の左腕の周りに水色の光が集まりだす。今度は桃色になることはなく、その光は次第に緑色に変わっていった。

 妙子は更に意識を集中し、その力が自分の中に入らないように力の軌道を操作した。


 「いにしえの龍牙よ、あなたの主を癒して。」


 まるで妙子の願いに答えるように、左腕に集まっていた龍牙力が翠の体を包み込み、翠の体に染み込んでいく。その量は妙子の予想以上で、少し動揺してしまう。


 「これが翠ちゃんのキャパシティ…。この部屋の龍牙力を全部吸い込んでしまうんじゃ…。」


 龍牙力で癒されていく翠に反比例して、瞑想室からは龍牙力が失われていく。世界を産み出した力を支える力が失われ、瞑想室の壁や床が干乾びて、まるでスポンジのようにポツポツと穴が開いていく。

 妙子は額に汗を掻きながら、どうするか迷った。このまま続ければこの部屋が持たない。

 その時、不意に部屋中に龍牙力が溢れ出し、部屋全体が水色に輝きだした。


 「な、何…?」


 部屋の中を見渡すと、瞑想室の奥に、何らかの御神体が祭っているのか、小さな社があった。清浄な龍牙力はそこから溢れていた。

 溢れ出した龍牙力で瞑想室は元に戻り、翠にもその力は及び、妙子は一気に翠の力が充足していくのを感じた。


 「この力はいったい…。あの中には何が入っているの?」


 これ程の力を有するものを、妙子は翡翠本家でしか見たことがなかった。

 翠は確かに翡翠一族の族長の孫である。それなりの御神体を持たされていても可笑しくはない。だが、それでもこれ程の力を有する物を渡されるはずがない。


 「…ぅん……。何?」


 眠っていた翠が目を開いた。


 「起きたの?翠ちゃん。」

 「妙子さん、この光は?」


 翠が妙子から体を離しながら聞いてきた。


 「あそこからよ。」


 妙子が指差した先にある社を見た翠は、意外にも首を捻った。


 「何が納められているのか、知らないの?」

 「知らない。この家に越して来たときには既にあったし、開こうとしても扉が開かないから、ずっと放置してた。」


 その言葉に妙子は苦笑した。


 「…手入れぐらいはしたほうが良いわよ。」

 「あはは…。」


 翠は笑って誤魔化した。


 「あなたの力を回復させようとしていたの。そしたらこの部屋の龍牙力が枯渇し始めて、止めるかどうか悩んでいたら突然、あの社から溢れ出して来たのよ。」


 妙子の説明を聞きながら翠は社に近づいていく。


 「何だろう?何だかとっても懐かしい感じがする。」

 「翠ちゃん、危ないわ。何が入っているのか、解らないんでしょ?」


 妙子が翠を留めようとするが、翠はお構いなしにそっと社の扉に触れる。しかし、その途端、あんなに溢れていた光が消えてしまった。


 「あ、あれ?」


 扉を開けようとするが、やはりビクともしない。


 「むぅ~~。」


 首を捻って腕を組む。


 「開かないの?」


 妙子が翠の横まで来て社を覗き込む。


 「微かだけど、結界を感じるわ。力を抑えて巧妙に隠されているけど、これは"翡翠の結界"ね。族長にしか使えない筈だけど。」


 妙子は社にそっと触れてみる。僅かに感じるその力は確かに覚えのあるもの。


 「間違いないわ。確かにこれは族長の力よ。」

 「結界を張っているのに中の力が漏れ出るの?」


 退魔師として攻撃系の法術を中心に覚えてきた翠は、あまり結界については詳しくはなかった。封縛師である妙子も当然、封印系の法術を中心に覚えているが、彼女は勤勉であるため、結界系及び治癒系の法術もそれなりにかじっていた。


 「私もよくは知らないけど、結界にもいろいろあるのよ。四神封縛しじんふうばくのように中に閉じ込めてしまうものから、任意のもの意外は素通りさせてしまうものまでね。これは恐らく、中の物を隠すための結界だと思うわ。」


 実際、あれ程の力を放っていたというのに、今は微塵も感じることが出来ない。


 「ますます中が見てみたい。」


 翠は力尽くで開けようとするが、どうしても開かない。むきになった翠は両手に龍牙力を集めだした。


 「駄目ですよ、翠ちゃん。」


 すると後ろから先程と同じ台詞が聞こえてきた。振り返ると藍子が瞑想室に入ってきているところだった。


 「藍子姉。この中に何が入っているのか、知っているの?」


 翠は両手の力を解放して藍子に向き直った。


 「ふふ、秘密よ。残念だけど、今はまだ教えられないわ。」


 藍子は人差し指を唇の前に持っていった。


 「いいじゃない、教えてよ。」

 「翠ちゃん、藍ちゃんを困らせては駄目よ。」


 妙子が翠の肩を抑えて引き止める。


 「むぅ…。」


 翠はふくれっ面をして横を向いた。


 「ふふ、その様子だと、力も十分回復したようですね。」


 藍子は翠の前まで来て横を向いた顔を覗き込んだ。


 「翠ちゃん、可愛い♪」


 藍子はもう一度、翠の唇を奪おうとするが、さっきと違い今度はさっと避けられてしまった。


 「ちぇ~。」

 「相変わらずね、藍ちゃん。」


 妙子は、相も変わらず翠大好きを前面に押し出して隠そうともしないその態度に微笑んだ。


 「二人とも、水をすようで悪いけど、まだあなた達の依頼は解決していませんよ。」


 一瞬で真面目な顔に戻った藍子は、二人に行動を促した。二人は顔を見合わせて、まるで今思い出したかのように手を打った。


 「しっかりして下さいね、お二人さん。」


 藍子は二人の背中を押して瞑想室から連れ出した。



 居間に戻ると、黎がソファの上でいびきを掻いて眠っていた。翠は黎の傍まで行くと思いっきり頭を殴った。


 「いっってぇ~~っ!?」


 黎は驚いてソファから転げ落ちた。


 「まったく、寝てる主を瞑想室に置き去りにして、自分はソファでくつろいでるって、どういうこと!?」


 翠が黎に怒鳴りつける。


 「やかましいっ!途中で寝ちまうテメェが悪ぃんだろがっ!?」


 翠と黎が喧嘩する端で妙子が藍子に小声で囁きかける。


 「藍ちゃん、一つ聞いていい?」


 二人の喧嘩を止めもせず、楽しそうに眺めていた藍子が振り向く。


 「翠ちゃんの力は支龍力しりゅうりょくよね。支龍力は聖龍牙力せいりゅうがりょくをそのまま吸収できるの?」


 支龍力に他の力を吸収し変換する能力があることは知っている。だが、聖龍牙力とは全ての力を併せ持つ力。そのまま吸収など到底考えられない。


 「ふふ。翠ちゃんは特別ですよ。あの子は自分の本当の力にまだ目醒めていません。今使っている支龍力もその一部に過ぎないのです。」


 妙子は驚いた。20畳はあるだろう瞑想室の支龍力を、一気に吸収してもまだ足りない程のキャパシティを持っている翠の力が、ほんの一部に過ぎないとはとても信じられなかった。しかし、それなら彼女が"龍牙の申し子"と呼ばれるのも解る気がする。

 翠の体には人よりも多くの聖色が宿っている。目に見える場所、見えない場所全部含めて、目など対となるものを一つと数えて7箇所。内臓などは確認が出来ないことを考えると実際にはもっとあるかもしれない。これほど多くの聖色を持つ者は、聖血族史上唯一の龍牙神王として活躍した、翡翠の始祖以来、現れることはなかった。それ故に始祖に近い存在として、翠は"龍牙の申し子"と言われるようになった。

 しかし、今の翠はただの退魔師。その力も他の術者とさして代わり映えせず、数年に一度開かれる闘技大会でも姉のゆかりとペアを組んで優勝したことはあるが、個人戦では上位に食い込むもののベスト8にすら入ったことがないため、聖血族の中では落ちこぼれ扱いする者も出てきていた。実際には数万人以上いる聖血族の上位に入るだけでも結構な名誉なのだが、皆の期待が大きかった為に落胆が大きいのだろう。

 この事に関して、妙子は不思議に思っていた。

 通常、聖色の数はそのまま力の強弱に比例する。力が強ければ強い者ほどその数は増えていく。先天性のものもあれば、修練や実戦で力をつけて現れる後天性のものもある。しかしやはり先天性はそのままその術者の資質である為、力の操作や術の習熟度など、すべてにおいて後天性を上回る。にもかかわらず、翠は"普通"としか言いようの無い成長ぶりだった。

 「翠ちゃんが覚醒すれば、わたしなんか足元にも及ばない術者になるでしょうね。」

 「覚醒の兆しは?」


 黎と激しく睨みあっている翠を眺めながら妙子は聞いてみる。


 「まだありません。まぁ、覚醒しない一番の要因は、不真面目でよく修練をサボるからでしょうね。」


 藍子はそっと翠に近づくと、いきなり後から抱き付いた。


 「あ、藍子姉ぇっ!~離れて…っ!」


 翠は藍子を振り解こうとするが、何故か腕を外すことが出来ない。


 「っ!?ど、…どこ触って…っ!!」


 藍子はそのまま翠の胸に手をかけて揉みしだく。


 「あぁ、柔らか~い♪」


 翠はあまりに激しいその動きに顔を赤らめながらも、藍子の手を掴んだ。すると今度はその手を後手に取られて羽交い絞めされてしまう。藍子は右手で翠の両手首を握り締めると、空いた左手で翠のスカートに手を伸ばす。

 ところが、スカートに手が届きそうなところで黎がその手を掴んだ。


 「そのへんにしとけ。悪ふざけが過ぎるぞ。」


 黎は藍子の手を握り潰さんばかりに力を入れてくる。しかし藍子はそのまま腕を引いた。すると黎は体勢を崩しこけてしまう。


 「ふふ、二人とも修練を怠るからこうなるのよ。黎さんは殺されちゃうし、翠ちゃんなんて可愛いから変態さんの餌食になってしまいますよ。」


 藍子は縁起でもない事をさらっと言って、翠の首筋を一舐めして離れた。


 「い、いつか捻じ伏せちゃる…。」


 黎が立ち上がりながら藍子をねめつけた。


 「あ、あのぉ、翡翠さん…?」


 奥の部屋に続く扉から、綾子が顔を出して覗いていた。


 「綾子ちゃん♪」


 藍子が嬉々として綾子に走り寄ろうとしたとき、翠がお返しとばかりに足を出して引っ掛けた。しかし藍子は少しよろめいただけで、逆にその勢いを利用して綾子に抱きついた。


 「ひぃ…っ!?」


 先程、太腿を触られた綾子は、また何かやられないかと、血の気が引いてしまう。


 「藍子姉ぇっ!」


 翠が藍子の襟首を掴んで引き離す。


 「あん。翠ちゃんのいじわる。」


 藍子が名残惜しそうに綾子を見つめる。


 「あ、あの、翡翠さん。大丈夫?」


 綾子は素早く翠の傍に移動して藍子から体を隠した。


 「大丈夫、大丈夫。変態で少し強引だけど、一応、無害?…だから…。」


 綾子は違うと首を横に振る。


 「?」

 「翡翠さんは、大丈夫なの? 怪我とかしてない?」


 心配そうな綾子の顔を見て、翠はすまなそうに微笑んだ。


 「大丈夫だよ、疲れてただけだから。少し休んで元気一杯!」


 翠は腕を振り回して元気をアピールする。


 「良かった。命を落とすこともあるって言ってたから、私が依頼した所為で危ない目に遭ってるんじゃないかって心配だったの。」

 「藍子が言ったんだ。その娘の太腿触りながら。」


 黎がボソッと呟いた。

 それを聞いた翠がジロッと藍子を睨んだ。


 「ふふふ。事実でしょ?」


 藍子は悪びれる風もなく、にっこり笑って言った。


 「それより、翠ちゃん、妙ちゃん。さっきも言ったけど、これからが本番よ。翡翠の術者として、あの鬼を退治しないとね。」


 藍子は不意に真面目な顔に戻り、低い声で言った。


 「やっぱり鬼なんだ。」


 魔族の中にあって上位に位置する一族。それが鬼族である。その力は他の魔族とは比べ物にならないほど強く、多くの聖血族が命を落としている。


 「でも、大丈夫。あの鬼はまだ寝惚けているから、今のうちなら大した被害を出さずにやれると思いますよ。」

 「…あれで、寝惚けている…。」


 死ぬ思いをした妙子にはちょっとショックな言葉だった。それに気付いたのか、藍子は言葉を足した。


 「どんな一流術者でもやり方を誤れば命を落とします。それに今回の件は封縛師一人に任せるには荷が重過ぎたと思います。わたしの占いでは、最低でも結界師と封縛師のペアを向かわせるべきだと出ていました。」


 翠の兄のそうがそうだったように、結界師や封縛師が術の発動・操作を行うには精神の集中を必要とする。熟練に達すれば精神集中も瞬時に出来るようになるが、常に変動する戦場では周囲のことがどうしても気になって、なかなか集中できるものではない。そこで封縛師が敵を攻撃している間に、結界師が守りを固め、封縛師の身を守る結界が出来上がれば、封縛師が封印の発動に入る。このようにして互いの隙を埋めることで魔族の封印を行うことが定石となっていた。


 「妙ちゃん、あなたは評議会がどうしてあなた一人にこの依頼を回したか聞いていますか?」


 藍子の質問に妙子は、きまりが悪そうにしながら答えた。


 「単に私が悪いの。少し焦ってて…。退魔師には一人で仕事を遂行する人がいるのに、私たち封縛師は必ずといって良いほど、結界師とペアを組まされる。それが悔しくて…。」


 妙子の弁に藍子は厳しい顔を見せる。


 「妙ちゃん、解っている筈よ。結界師とペアを組む理由を。」


 妙子は小さく頷いた。


 「翡翠 妙子。後日、あなたには改めて処罰を通達します。勿論、あなたのわがままを聞いた評議会や族長にも適切な処罰を与えます。」


 翠は藍子が"龍牙の巫女"であることを思い出した。聖血族のすべての術者の命を守る存在。それ故に、族長すら権力の及ばない存在。族長や評議会が謝った決断を下した際に、その道を正すことの出来る唯一の存在。

 今の妙子からは、先程までのようなふざけた顔が微塵も伺えない。


 「翡翠 翠。」


 藍子は次に翠に話しかけてきた。


 「連絡役である翡翠 佳代子の名により、私からあなたに仕事を依頼します。封縛師・翡翠 妙子とともに直ちに現地へ急行し、覚醒しかけている鬼族を退治してください。」


 これにより、今回の翠の依頼者は冴種 綾子から、翡翠 藍子に替わることになる。


 「謹んでお受け致します。」


 翠は、居住まいを正して依頼を受けた。


 「冴種さん、そういう事だから、今日は家に帰って良いよ。」

 「…あ、うん。」


 綾子は少し納得の行かない顔をしていたが、足手纏いや心配の種にならないように、素直に帰ることにした。


 「明日、学校で、どうなったか教えてね。」


 そう言うと、綾子は翠の部屋から自分の鞄を持ってきて、翠たちに手を振って帰っていった。

 それまでソファに座って成り行きを見守っていた黎が立ち上がり、その姿を消し始めた。


 「翠、何かあったら俺をべ。直ぐに駆けつけてやる。」


 そして黎の姿は、跡形もなく消えてしまった。


 「翠ちゃん、行きましょう。」


 妙子が手を差し出して、翠をエスコートする。


 「藍子姉は、どうするの?」


 翠は妙子の手を取りながら、藍子に聞いた。


 「ふふ、わたしはここであなた達の帰りを待っています。この依頼はあなた達の仕事。わたしもだけど、現場にいる蒼兄そうにいさんや紫もこれ以上は手出し出来ません。」


 藍子は優しい笑みを浮かべて、ガッツポーズをして見せる。


 「あなた達なら必ずあの鬼を退治できます。絶対です。ちょっとやそっとの怪我なら、帰ってきたときにわたしが治して上げます。だから、心置きなく、思いっきり暴れていらっしゃい。」


 翠と妙子は、藍子の豪快な応援に元気付けられ、現場のマンションへと出発した。






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