銃声

 脱出カプセルから出て最初に行ったことは、レオスと同じく酸素の有無を確認することだった。兎獣人フロフは酸素濃度計を使用して、この星に呼吸できるだけの酸素があることを確認してから宇宙服を脱ぐ。通信機能が破損し、周囲と連絡が取れない状況の中でフロフの目の前に広がるのは広大な森林。周囲も木々に囲まれ、どうやら森林地帯に不時着していたようだった。自身の設計したカプセルの機能が上手く作用していたならば、付近に他の四人も不時着しているはずである。

「大声を出すのは……リスクか」

 通信機能を失った今、単独行動は相当のリスクを負う。早く仲間と合流したいところだが、声を出すことも移動に音を立てることも、何が潜むかわからない未開の惑星ではリスクとなり得る。森の中は特に視界も開けていないため、より警戒しなければならない。腰のベルトにぶら下げた工具を取り出し、通信機の修理も考えたが他のカプセルの通信機能も同様に壊れている可能性もある。修理中が無防備になるリスクを考えれば、自分の足で歩いて仲間を探した方がずっと生産的だと判断できる。肥満体型のフロフにとって、普段は機器に頼っていることもあり徒歩で移動することに抵抗があった。

「……何だ、いま、音が」

 カプセルから森の深いほうへ向き直った時、フロフの大きな耳に僅かな音が届いた。自分の足音ではない、ジャリと土を踏むような音だ。周囲は木々と草花が茂り視界は悪い。音は僅かで、その発生源を特定するほどの情報にはなり得なかった。姿勢を低くして(四つん這いになって)周囲を警戒する。恐らく相手もこちらが警戒していることに気付いており、動きを制しているように感じられた。知性のある生物、それは未知の領域を探索する上で最も警戒すべき対象である。知性がある、文明を持つ、そんな生物は予想できない方法で攻撃してくる可能性が高い。相手にとって、不時着したフロフたちは、その事情に関わらず他ならない外部侵略者なのだから。

「できるだけ使いたくないんだけどな」

 がちゃり、と重い音をたてて取り出したのは銃。実弾六発装填、傷だらけで使い込まれたリボルバーを握り、周囲への警戒を強めていく。重厚感のあるリボルバーが鈍い光を反射すると、風が一気に吹き抜けた。限りなくフロフたちが普段生活している星に近い環境のようだ、気温も過ごしやすく、酸素濃度も近く、そして木々の形こそ違えど群生する植物も近しいものがあった。虫や動物の確認ができていないが、目の前を小さな虫が飛んだ気がした。風が吹き抜けたと同時に、先ほどよりも小さな足音がして、方向を確信する。じゃり、じゃり。二回の足音は聴力自慢のフロフにとって位置を特定するのに十分すぎる情報量。

「そこか……なっ、に」

 特定した位置に視線を向けると、太い木の裏側に影が見える。ついに視認した相手は、肥満のフロフすら驚く大きさだった。三メートルほどの高さ、そして太い木の幹に隠れ切っていない横幅はフロフ以上の巨体を想像させる。全く動かなかった影に気付けなかったのはフロフの落ち度だが、普段から戦闘要員ではないため気配に疎いのも実戦経験不足から来るもの。リボルバーの傷を指先で撫でると、ゆっくりと姿勢を起こしたあと、一気に立ち上がったフロフが両手で銃を構え影の方へ向ける。

「動くな」

 言ったものの、恐らく言葉は通じない。言ってから言う必要がなかったかと思ったがもう発したあとだった。

「アドノミナン……」

 影が言葉を発した。気がした。これは言葉なのか、鳴き声なのか、判断が難しい低く聞き取りにくい音声。どちらにせよ、宇宙言語学に精通しているフロフすら知らない言葉である、コミュニケーションは困難だろうことが安易に想定できた。

「チッ」

 少なくとも敵意は感じられない、その大きな影が木の裏から姿を現す。三メートルほどと予想していたがそれよりも大きな影は、手足のある人型に近しい生物。拳ほどの極端に小さな頭部は大きな眼球らしい球体が露出していて口や耳のようなものはない。肩らしい左右の膨らんだでっぱりから垂れ下がるように伸びる腕のようなものは地面に引きずってもまだ足りない長さを持つ。長い体には脂肪のような厚みと柔らかさがあり、手足もそうだが胴体にあたる部分もずんぐりむっくりした体。全体的に黒や紺の暗い色をしていて、鈍く光を反射するヌメリが感じられた。体毛などはなく、全体にオタマジャクシのような粘液質な光沢を放つ。長い体の半分が脚になっており、二足歩行の生物に分類されるかと思われるが、地面に引きずる両手を歩行の支えに使っているようにも見えた。

 銃口を向けたまま威嚇するように睨みつけるフロフ。しかしこの生物は銃を知らないため、向けられているものが危険なのかどうかを判断できずにいるようだった。銃の用途や威力を知らない相手にとって、銃口を向けることは威嚇になっていないことと同義である。しかし敵意を感じられないままの相手がゆっくりと揺れながら近づいてくるにつれ、同じ距離を保ったまま後退しつつ銃口を取り下げていく。いつでも撃てるように、トリガーに指をかけたまま。

「アチキニソ、ウィナニノコカ……ハタナ」

 わからない。宇宙で開拓されている範囲における多くの言語を学び、基本的な会話であればできる自信があったフロフすら、全く知らない言葉である。未開拓惑星の言葉を知っているはずもないが、予想しうる全ての言語と照らし合わせても一切わからない言葉に意思疎通を諦めたフロフ。銃口も意味がない、威嚇もできない、しかし相手に敵意はなく言葉は不明のまま。迫ってくるが、接触してもいいものか、その判断すらフロフには下せなかった。

「フロフ、伏せろ」

「なっ、え……んわぁあ」

 言われたままに姿勢を低く、再び四つん這いになって頭を抱えるフロフ。その頭上の空気を引き裂きながら、接近してきていた生物の胴体に二発の銃弾を浴びせる声の主は、ナイトだ。振り向かなくてもわかる、的確な射撃の腕前、そして声には聞き覚えしかない。ナイトの銃弾が相手生物に直撃すると、そのままゆっくりと倒れていく。口らしいものが見当たらなかった相手生物がどのように声を発していたのか、わからないまま。苦しそうな声も音も何も発することなく崩れた生物はそのまま動かなくなった。

「……大丈夫か、フロフ」

「こっちは問題ない、けど、あいつ射殺してよかったのか」

 駆け寄ってきた巨漢の黒猫獣人ナイトが片膝をつき姿勢を低くすると、頭を抱えて姿勢を低くしていたフロフの背中を摩る。ナイトは周囲を警戒しながらフロフを起こし、銃口を向けたまま絶命したと思われるし生物に接近していく。頭部と思われる部分ではなく、先ほど銃弾を撃ち込んだ胴体の中心あたりに銃口を向けながら接近したナイトは、無慈悲にも片手に銃を構えたままもう片手でナイフを取り出して身体を引き裂き始めた。動かない生物の皮膚が、まるで魚を捌くときのようにスッと開かれ、中からオレンジ色の体液があふれ出た。生臭い、フロフは袖で鼻を抑えながら険しい表情になったが、ナイトは淡々と皮膚を切り裂き続ける。ここまで刺激を与えても微動だにしない生物はもう、絶命していると判断できるだろう。しかしナイトは容赦なく切り裂いていった。

「な、ナイトそれ、もういいんじゃ」

「駄目だ。この生物はさっき別の場所で遭遇した、動かないが、まだ死んでいない。コアを破壊しなければ動き出す」

 ナイフを体内に突き刺したままスライドさせるうちに、ゴッと鈍い音が聞こえた。石のようなものにナイフの刃先が触れた音だ。周囲の肉を切り裂くと、無数の血管らしい細胞と繋がった脈打つ石のようなものが転がり出てくる。あまりのグロテスクな絵に、フロフは見るのをやめて吐き気を堪えながら視線をそらした。ナイトが取り出された石のような心臓のような真っ黒のコアらしいものに力いっぱいナイフを突き立てる。硬い表面を突き破った、コアの中から勢いよくオレンジ色の体液が噴き出すと全身をビクビクと脈打たせた生物が再び動かなくなり、やがて液体化して形を失っていく。溶けた、とも言える状況に「これがこの生物の死だ」とフロフに言い聞かせるよう呟くナイト。

「で、でも……危害を加えてくる感じには見えなかった」

「我々は外部からの侵入者だ、危害を加える気があるかどうかを判断することは難しい。なるべく姿を見られることなく脱出方法を探すべきだ」

 淡々と冷静な判断を下す、それがナイトの強みだ。そこに感情的な要素は含まれない。フロフの元に歩いて戻ってくるナイトが、不意にフロフの丸い身体を、さらに大きな重装備の巨躯で抱き寄せてきた。急なことで理解できなかったフロフは咄嗟にナイトに抱き返しながら「どうしたの」と。続くナイトの言葉を待ったが、何も言うことなくハグから解放されたフロフをそのままに、銃を構え直して歩き出すナイト。フロフは混乱しながらも、後ろをついていくことしかできなかった。

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