ユージンの過去

「君が倒れていた地点を、わたし達は一度、通り過ぎていた。それなのに、わざわざ戻って君を助けた理由は……、これだ」

 ルィヒは首にさげていた紐をたぐり、小さな巾着を引っ張り出した。

 ユージンの手を取り、逆さにして振ると、巾着の中から小さな金属の筒が転がり出てきた。──それは、ユージンにとってはあまりにも見慣れた物だった。

「君の物で、間違いないな?」

 ユージンは黙ってルィヒを見つめ、頷いた。

 もはや、この王女を前にして、かたくなに自分の素性を隠そうとする気持ちは、どこにもなかった。

「わたしが一人で、この見張り台に座っていた時、天から落ちてきたんだ。小竜が拾って、鉤爪の間に挟んでいたのか、それとも、君と一緒に落ちてきたのか……」ルィヒは一瞬、息を止め、ユージンの手首を握る指に力をこめた。「クィヤラート王国には存在しないが、異国では、これとよく似た道具が、人を殺すために使われていると聞いた」

 ユージンは、握られている手首をしばらく見つめた後、もう片方の手で無造作に服のぼたんを外し、開いた襟元から脇の方へ手を差し込んだ。

「少し離れていた方が良い」

 ユージンがそう言うと、ルィヒは見張り台の壁に背中を押しつけるようにして距離を取った。

 それを見届けると、ユージンは肩に装着したホルスターからゆっくりと拳銃を抜き、銃口が下になるように手に持った。

「あんたが拾った、その筒は、から薬莢やっきょうだ。こいつを撃った時に出るゴミみたいなものだから、それ単体では、別に危険はない」

 ルィヒは息を吸い込み、かすかに緊張したまなざしでユージンを見た。

「撃つ、というのは……、矢を射るのとは、違うのか?」

「違う」ユージンは首を振った。「矢は、素人が使っても長い距離を飛ばせないし、勢いを落とさずに的に当てられるようになるまで、長い鍛錬が必要だろう?」

 ユージンは複雑な表情で、銃身に手のひらを当てた。

「もちろん、こいつにだって似たような事は言える。練習を積んだ奴の方が上手く使うし、使い続けるなら、整備の仕方も知っておく必要がある。だけど、これは矢よりも簡単に……、確実に、人を殺す」

 ルィヒはおそるおそる顔を傾けて、拳銃を眺めた。

「見た所、短弓たんきゅうの矢ほどの長さもないようだが、本当にここからやじりが飛び出すのか?」

「鏃よりももっと小さい、鉛の玉だ。尖っちゃいないが、火薬が爆発する力で飛び出すから、離れていても十分に致命傷を与えられる」

 ユージンは拳銃を持った手をだらりと下げ、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「あんた達は、俺からこいつの作り方でも聞き出そうって算段なのかもしれないが、それは無理だ。使い方は知っていても、作る事は出来ない。複雑な形の部品をいくつも使うし、暴発しない作りにするには、ややこしい計算が必要だ」

 ルィヒは目をつぶり、長々とため息をついた。

「……君は、そんな風に思っていたのか」

 そう呟いた後、しばらく黙り込んでいたが、やがて、さっと前髪をかき上げて、ユージンを睨んだ。

「率直に話そう。わたしは、君に教えてもらう前に、これが『銃』という道具の一部である可能性が高いと知っていた。王都に着いた後、異国の文化に造詣ぞうけいの深い人物に意見を仰ぐ機会があったんだ」

「王都に着いた後?」ユージンは眉をひそめた。「銃について聞き出すつもりで、俺を拾ったんじゃなかったのか?」

「だから、わたしはそんな事、一言も口にしていないだろうが」ルィヒは苦笑した。「わたしが君を拾おうと思ったのは、君を見つけた時……、いや、もしかしたら、この空薬莢が落ちてきた時、すでに、君がはるか遠い所からやって来た、のない者ではないかと予感していたからだよ」

 ルィヒはそこで、ふっと眉を開き、組んだ手の上に顎を乗せるようにしてユージンに顔を寄せた。

「持って回った言い方はやめようか。──君、国境どころではない、時空すら超越した、どこか別の世界からやって来た人間だな?」

 ユージンは肩をすくめると、拳銃をホルスターに仕舞った。

 そして、かすれた声で、

「人間と、呼んでいいのかどうか……」

と話し始めた。

 ユージンは、今し方まで拳銃を持っていた指を、とん、と額に当てた。

「俺は、元いた世界で一度殺されている。ちょうど、あんたが今、座っているくらいの近さから、ここに一発。この目で自分の死体を見たわけじゃないが、拳銃なら、それで確実に死ぬ」

「……なぜ」

 ユージンは微笑み、夜空を仰いだ。

「あっちは、ここよりも文明が発達していてね。夜でも消えない灯りがそこら中にあったし、馬なんか使わなくても、機械の力であっという間に目的地に着く乗り物があった。銃だって、金さえあれば誰でも買えた。

 だけど、医学はそうでもなかったな。まともな薬を買えるのはごく一握りの金持ちだけだったし、あちこちの街で、同じ死病が流行っていた」

 ユージンは一瞬言葉を切り、喉に手を当てた。無意識にやっているような動作だった。

「初めは、ひどい咳……。子どもとか、元々体が丈夫じゃない奴は、そのせいで食べ物を受けつけなくなる。そのまま悪化すると、今度は血の混じった痰を吐くようになって、そうなるともう、一日かそこらで息が詰まって死んじまう。

 俺は運良く生きのびたけど、十一の時に身寄りを全員亡くして孤児になった。

 そこからは、生き方なんて選んでいる場合じゃない。たまたま近所のガキの中じゃ腕っぷしが立つ方だってんで、やくざな商売で成り上がった金持ちの目にとまって、住み込みの用心棒として雇われた。

 用心棒と言えば聞こえは良いが、実際は、急に行方をくらましても、ネズミみたいになぶり殺されても文句を言う人間のいない孤児に汚れ仕事を押しつけて、使い捨てるための口実さ」

 言い終えると、ユージンは服の胸元をぎゅっと握りしめてうつむいた。

「……そう、わかっていたのになあ」ユージンの唇から、震える息が漏れた。「俺も結局、こうやって、路地裏でネズミが踏みつぶされるみたいに殺されてるんだから、ざま無いぜ」

「喧嘩に巻き込まれて、撃たれたのか」

 ユージンは首を振った。

「俺の雇い主は、本当に、どうしようもないくずでさ。この病の感染力が特に強いらしいとわかった時、国の全域に、遠出とおでや会食を控えるようにれが出たのに、家族揃って『病気の心配をしなくて良い』外国に飛ぼうとした」

 それを聞くや、ルィヒは強い感情を抑え込むように目をつぶり、深く息を吸い込んだ。

「……まだ病の及んでいない第三国だいさんごくへ、か」

「そうだ。──まだ無事でいる国に、自分達が病気を持ち込む危険性なんて、考えちゃいなかった」

「君は、それを止めようとして撃たれたんだな」

 ユージンは無言で、視線だけをルィヒに向けた。

「サネゼルから戻った時、君は、わたしとカルヴァートに酒で体を拭うよう注意した。ある程度、医学の知識を持っていて、なおかつ伝染病の恐ろしさを身に染みてわかっている者でなければ出来ない真似だ」

 ルィヒは、ふっと頬をゆるませた。

「君は、なにかと目上の者に対して礼儀を欠いた振る舞いをしたがるようだが、馬鹿ではない。カルヴァートを伴ったわたしに進言するのは、それなりに勇気が要っただろう」

「……まあな」ユージンは後方の景色へ視線を逸らした。「家族全員、流行り病で亡くしたんだ。潔癖にもなるさ」

「それは、今のクィヤラート王国においては大切な素質だ。これから先も持ち続けなさい」

「そうさせてもらうよ」ユージンは、少し喋り疲れたように見張り台の縁に頬杖をつき、横目でルィヒを見た。「……これで、世話をしてもらった借りは返せたかい」

 ルィヒは首を振った。

「悪いが、本題はここからだ。君が、クィヤラート王国とまったく関わりのない、異なる世界の人間である事は確認出来た。その上で頼みたい事がある」

「カルヴァートにも内緒で?」

「勘が良いな」ルィヒは苦笑した。「だが、そのとおりだ。彼は汞狼族の代表として、わたしの旅に同行している」

 ルィヒは唇を湿して、慎重な声音で続きを話した。

「彼は……、勇敢な、心根のよい若者だ。〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が赤竜をほふるのを止められなかったなどという不名誉な経歴で、未来を損ないたくはない」

 ユージンはぎょっとして、ルィヒを見た。

「なんだって?」

 ルィヒは寂しげに笑ってユージンを見つめ返した。

「ユージン。信じられないかもしれないがな、わたしは本当に、首を千切られても、火をかけられても死なないんだよ」

「そう教え込まれて育った」

「君は、本当に……」ルィヒは眉間に皺を寄せたが、その一方で、可笑しさを堪えきれないように、くくっと笑い声を立てた。「カルヴァートの前では絶対に言うなよ。どんな目に遭わされても擁護ようご出来んぞ」

「事実じゃないのか?」

「わたしは今年でよわい八十三になる。不死の証明は難しいが、それぐらいなら、王宮に残った記録を調べれば、すぐにわかるぞ」

 ユージンは目を見開いた。

 ルィヒを見つめ、何か言いかけたように唇を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。

「言っておくが、この体質に嫌気が差した訳ではないよ。老いず、傷を負っても死なない体のおかげで、難局を切り抜けられた事も幾度となくあった」

「それなら、なんで……」

 ルィヒはかすかに首を傾けて微笑んだ。

「君の故郷は、良い主導者を持ったな。病の感染を食い止めるために絶対に必要な措置を、きちんと取った」

 ルィヒは見張り台から手を伸ばし、岩のように硬く盛り上がった赤竜の鱗をそっと撫でた。

「我らの王が今、何を考えているかと言えば、この赤竜を軍船代わりに他国に貸し与えて、侵略戦争で得た甘い汁を吸わせてもらう事だ」

 ユージンの目に、何かを理解した色が浮かんだ。

「じゃあ、俺は、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉でも汞狼族の戦士でもない者が赤竜に乗っても問題が起きないかどうか、調べるために寄越よこされたのか」

「そういう事になる。……黙っていて、すまなかったな」

 ルィヒは、そう詫びたが、ユージンはとても文句を言う気になどなれなかった。

 慈しむように赤竜にふれているルィヒの横顔には、深い苦悩と疲労の色が滲んでおり、彼女自身がそれを望んでいない事も、王の考えを改めさせようと、長い間努力を続けてきた事も、明らかに見て取れたからだ。

 ユージンはため息をつき、眉間を指で揉んでからルィヒに向き直った。

「ゴタルムには向かわないのか?」

「いや、そこは予定どおりに立ち寄るつもりだ。ただ、挨拶を済ませたら、カルヴァートの合流を待たずにシャノカーンの森へ向かう。

 シャノカーンの森の最深部には、死期が迫った〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が自分の記憶をノェシウム鉱石に移し替えるための場所がある。わたしはそこで、最後の務めを果たした後、赤竜を屠る」

 ルィヒは、赤竜の鱗から離した手を、空中で一度ぎゅっと握りしめた。

 そして、それをゆっくりと開きながら息を吐き、膝の上でもう片方の手と重ねた。

「本当は、一人でやりたかったんだ。だが、ここ最近、わたしの血肉が万能薬になるとうたっている〈ロウミの冠〉という集団の動きが活発化していてね。最低でも、背中を守らせる者ぐらいは連れていかないと、森の最深部に辿り着く前にわたしが彼らの手に落ちかねない」

「いいぜ」ユージンは、軽い調子で顎をしゃくって応じた。「どうせ幸運で拾った命だ。ま、俺が百人いたって、カルヴァートの代わりにはならないだろうけど、それでも良ければ盾ぐらいにはなってやるよ」

 相変わらずの憎まれ口に苦笑しながらも、礼を述べようとしたルィヒは、ふと、まったく違う男と見紛うほど真剣なユージンの表情に気づいて息をのんだ。

 ユージンは、吸い込まれるような深い色をした瞳でルィヒを見つめながら身を乗り出して、ルィヒの左手を掴んだ。そして、ルィヒが読みやすいように、手のひらに逆さまにした文字を一つずつ指で書いていった。

 ルィヒは、緊張でわずかに身を硬くしながらも、ユージンがつづる文字を頭の中で文章に組み立てていった。

(君と、この旅が、出来て、よかった……)

 なぜ、こんな方法で伝えるのだろう……、と考えて、ルィヒは、はっとした。

 ノェシウム鉱石に刻まれる記憶は、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉の視覚と聴覚に基づいている。匂いや手ざわりまでは伝えられない。祭祀場で過去の〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉の記憶を見た時、ユージンもその事に気づいたのだろう。

 自分が「赤竜を屠る」と口にした事実は、ノェシウム鉱石に刻まれ、後世まで残ってしまうかもしれない。

 それでも、今、この瞬間、ここで向かい合っている自分達だけが分かち合い、誰にも明かす事なく心の奥底に秘めておける思いを伝えるすべとして、ユージンは、手ざわりだけで言葉を送るというやり方を選んでくれたのだ。

 風に混じった夜の匂いが、ふいに、すうっと胸の奥深くまで染み込み……、次の瞬間、視界がぼやけた。

 頬を伝った涙が冷たいしずくになって、手の上に落ちるのを感じながら、ルィヒは唇の動きだけで、ありがとう、と答えた。

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