1.自己主張
さて、冒頭でも触れたが、私の父は亡くなっている。
そろそろ誰かに愚痴ってもいいだろう。父の四十九日法要の時の話だ。
当時、母は通夜と葬儀でくたくたになった挙げ句、普段会わない父方の親戚が沢山来るという状況に、すっかり精神的に人見知りになってしまっていた。おまけに自宅はドタバタしていたおかげで散らかって掃除が間に合わないし、慌てて購入した仏壇を置くスペースを作るだけで精一杯の状態だった。そんな家に、四十九日法要として親戚を招く広さなんてあるわけがなく、かといってどこか会場を借りる事なんてしたことがなかったので、気が付けば四十九日法要まであと一週間になってしまっていた。
こういった行事に強い親戚もいなければ、相談できる場所もない。ネットで調べても最終的には「地域や宗派によって違います」としか書いてないので合っているのか確認できない。そんな状態でおろおろしている間に一週間前になってしまったのだ。その事実に、母は限界を超えてしまったらしい。仕事帰りの私に向かって「どうしたらいいの?!」と騒ぎ立てて泣き出してしまったのである。
母は一度こうなってしまうと手がつけられなくなるので、ひとまず落ち着かせる必要がある。なんとか母を宥めようと「一旦落ち着いて……」と私が言った、その時である。
騒いでいた母は気付かなかったらしいが、隣の部屋から、ギィィッ、と音がした。
私と母がいたのはリビングであり、隣室には買ったばかりの仏壇と、母用のベッドが置いてあった。
そんな無人のはずの部屋から、ギィィッと、音が聞こえてきたのである。
とはいえ、その音には聞き覚えがあった。隣室には今は使っていない物置がある。その扉を開ける時の音だった。
しかし物理的にその扉が開くはずがないのである。なぜなら物置の真ん前に母のベッドがあり、ベッドを退けないと扉を開けることができなかったからだ。
こういった展開において、当たり前のように当然ながら、その時に家にいたのは私と母だけだった。弟が帰ってくるにはまだ時間帯が早かったし、家自体が揺れてその拍子に、というわけでもない。そもそも立て付けが悪いためにギィィなんて音が出るのだから、自然に開くような扉では決して無いのだ。
ただ、私にははっきりと聞こえたのである。開けることができないはずの物置の、扉の音が。
その時の私は、霊感が無いなりに、そこに「いる」と直感的に考えた。そも、母が騒いでいるのは父の四十九日法要についてである。そして隣室には父の仏壇まである。
つまり、隣室には亡くなった父がいて、自分の四十九日法要がどうなってしまうのか心配し、己の存在に気付いて欲しくて、開かないはずの扉を使った自己主張をしているのではないか……?! と考えてしまったわけである。
そこで私が行ったのは、次の通りである。
「あーもーわかった! 私がお坊さんに電話して相談する! だから落ち着いて!」
と声を張り上げて母を落ち着かせ、夜だったのでその日はお寺の電話番号をスケジュール帳に書き留め、翌日仕事の合間に電話口で頭を下げてなんとかお坊さんの予約をし、親族は呼ばずに自宅で家族だけで四十九日法要を行うように手配をしたのである。
諸々を終えて帰宅した頃には、隣室の気配はなくなっていた。そのことにホッとしつつ、父よ、心配かけてごめんよ、ちゃんと供養するから心配しないでね、と仏壇に手を合わせて報告した次第である。
ちなみに件の物置の扉だが、母を落ち着かせた後に覗いてみれば、扉は開いてはいなかった。
が、ほんの数センチ、きっちり閉めていたはずの扉が開きかけていた。いやマジで心配かけてごめんて、父よ。
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