第25話 未来は僕らの手の中
「あー、天賀谷くん」
バイト終わり間際。パンパンに膨れ上がったゴミ袋を放り投げて戻ってくると、パタパタと亜弥さんが駆け寄ってきた。
「なんすか」
「美亜がお話あるって。いま店内で待機してるから、シフト上がり話してあげて」
「美亜さん……」
そういえば昨日、美亜さんと遭遇してからなあなあになっていたのを完全に忘れていた。恐らく色々と意を汲んでくれてはいるだろうから、詳細なところを詰めたいと言ったところだろう。
店内に視線を配れば、フィレオフィッシュを頬張る美亜さんの姿があった。彼女はこちらに気付くと慌ててナプキンで口元を拭う。
「なんか協力についての話と、今後どうするのかと、個人的に話したいことの3つがあるんだってさー」
美亜さんは折に触れて協力をしてきてくれたし、聖良が心を開いている数少ない相手だ。
この先どのように転ぶにしても、この人とはうまく付き合っていきたいという気持ちがある。誠意には誠意で応じるのが人としての常識だ。
するとやにわに亜弥さんは肘で小突いてきた。
「天賀谷くん美亜と付き合ってるのかい?」
「いや、他に彼女いますし」
「え、いるの? マジで。今度紹介してよ。弄りたい」
「ぜってぇ見せねぇ」
亜弥さんは後方理解者面をしているのか、何やら腕を組んでわかった風な顔をしていた。あるいはわかっていない風で実はわかっているのかもわからないし、それともわからないのかさえわからない。さて、俺は何回わからないと言ったでしょうか。
ともあれ独占欲の強い妹がストーカーを継続していたら不利益を被る。着替えを手早く終わらせてから、聖良にメッセージを送った。
『美亜さんと会話する。浮気する意図は一切ない』
『アルバイト先ですね。すぐに向かいます』
即座に既読がついたなと認識した瞬間には、出立を告げるメッセージが二の矢で送られてきている。俺は一応『タクシー使え』とだけ送るが、それには既読がつかなかった。
店長と夜勤シフトの人たちへ挨拶だけして事務所を出る。亜弥さんは空気を読んで先に帰るみたいだった。
以前、繊細な若者たちが陣取っていた席に、今度は美人が1人で腰を掛けている。垂れ目がちな瞳や、どことなく落ち着いた雰囲気も相まって、非常に絵になる光景だった。
「こんばんは、天賀谷くん」
右団子が柔和に微笑む。
「こんばんは」
トレーに乗ったシェイクとスプライトを倒さないようにしながら、俺は会釈を返した。椅子の背もたれを引いた。
「一応、義理を通すために聖良へ連絡を入れさせていただきました」
「義理……ねぇ。そういうことになるのかしら?」
あらかた察してくれたようだ。この人が聖良の味方でいてくれて良かったと思う。
「まあ、そうなります。っていうか来るみたいです」
「……まぁ、いいか。聖良ちゃんにまで言うと、何だか恩を押し売りするみたいで嫌なんだけど」
苦笑してシェイクを吸う美亜さんは、どことなく寂しげに見えた。だがそれは俺に好意があったというラブコメ的なものではないだろう。
聖良が来たら、話が長引くかもしれない。
「終わっても、聖良とは友達でいてやってくださいよ。あいつ、あなたには珍しく心開いているっぽいですから」
「……ふぅん、鈍感じゃないのに、どうしてわからないのかしら。防衛機制の一種? それにまつわる事柄だけ、無自覚に抑圧している? トラウマになるか……」
「……え?」
それはいつか俺がしたような思考と似通っていた。おのずから身構える。そういえば一ノ瀬美亜は、なにゆえ聖良に協力しているのかという質問を投げかけてきてはいなかったか。
すると彼女は慌てて取り消した。
「ち、違うわよ? 敵じゃないって言ったし、あなた達にとっては、もう毒にも薬にもならないこと。実は黒幕だった……みたいなものじゃないわ」
「あー、びっくりしたぁ。実はあんたが全部裏で糸を引いているのかと思った」
「バレちゃったかしら? ご明察。全て私の仕業よ」
「なっ──」
その笑みは艶然としていて、却って底知れぬ闇を孕んでいるように感じられた。記憶が一気に突き抜ける。釈然としなかった場面の全てが、あるいはこの女の存在を示唆しているとしたら──
すると女は小さく噴き出した。
「ぷっ……な、なんで、2回もひっかかるのよ……! 舞台裏で、ぷぷっ、何を操作するのよっ……ぷっふふ……。なっ──って。そんな漫画みたいな反応されても……ぷっ」
「……おいコラ」
「っていうか、天賀谷くん騙して何になるのよ……ふっふふふ。口調に反して純粋なのね……」
口元を抑えてぷるぷると震えている美亜さん。
このアマ。俺は聖良みたいに舌打ちしたいのを堪えて、黙ってコーラを吸った。
「ごめんなさい。本当は言うつもりもなかったの」
「……ふーん」
「拗ね方は聖良ちゃんそっくりねぇ。っていうか、あの頃からあまり変わっていないのかしら」
「……」
俺は女をじっと見た。
「ああ、そっか」
一度だけ、一ノ瀬美亜が髪の毛を降ろしているのを見たことがあった。
だからたぶん、これまでの記憶が一斉に噴出したから気付けたのだろう。
「どうしたの?」
「髪型変えたんだな、
聖良が来てから話を始める予定だったのか、美亜さんは肩をすくめた。
小中学校同じだった、同級生の女の子。
俺が切り捨てたうちの1人。
「……そうね、私も色々あったもの。というかびっくりしたわ。あなた、途中から全然クラスメイトとお話しなくなるんですもの」
「あんたと同じだよ。俺も色々あったんだ。察してくれ」
「いまは一ノ瀬。父方。もうあの女に親権はないわ。日本で父親が親権を勝ち取るという稀なケースが何を意味するのか」
「察するにあまりあるよ」
つまりそれが問いかけの答えだ。
本当に、思う。俺は普通になることができたのだと。あるいはこの女を頼りに、あそこで踏ん張ることもできたのではないかと。
だがそういうことを考えるのは不誠実だ。
決定とは
そんな選ばなかった道の最果てにいた──かもしれない──一ノ瀬美亜が、聖良に味方してくれている。
それはある意味、俺の選択を肯定しているように感じた。
「これからも、聖良のことよろしく頼むわ」
「ええ、私もあの娘のこと気に入っているもの」
だからこそ、これだけでいいはずだ。
そこで店の外に一台のタクシーが停車する。
俺はLINEを確認すると、送った忠告にはしっかりと既読が刻まれていた。
いくらか、聖良にも余裕が生まれたのだろう。昼間の
タクシーから妹が降りてきた妹が入店してきた。
口を真一文字に結んで、目つきは鋭く厳戒態勢へ移行している。ヤクザのお礼参りだろうか。2人して苦笑した。
「……えっと」
聖良は言いにくそうにしている。美亜さんはまだ、俺との交際を知らないと思っているからだ。
「おめでとう、聖良ちゃん。とりあえず座って。お兄さんがスプライト用意してくれていたわよ」
「え……」
素早く俺と美亜さんを交互する聖良。言われるがまま着座し、小リスみたいに両手でドリンクを飲んだ。
「……あ、そういえば、目撃されていました」
そしてみるみる内に顔面蒼白になっていく。口元はわなわなと慄いていた。
「に、兄さん。け、消すんですか?」
「消さねぇよ。発想が物騒だろお前」
「では、え? え?」
「あ……そっか」
そこで気付いてしまった。美亜さんはとっくに察していたようで、またしても黒幕スマイルを堪えている。
さて、事実関係を整理しよう。
まず聖良と美亜さんがバイト先に凸る計画を立案し、そこで俺は聖良の好意を知った。厳密には、まだ好意を持っていてくれた事実だ。今だから認められるが、嫌われていると思い込んでいたからやさぐれていた部分もある。
そして屋上での邂逅を経て、俺と美亜さんとの間に細やかな密約が交わされた。というには大袈裟な話だが、ともあれ彼女の存在があったからこそ、俺はいま一度妹と真剣に向き合おうと決意を新たにしたわけだ。
さてここでクエスチョン。俺と美亜さんの共同戦線を聖良に秘密にしていたのは、果たして何故でしょうか。
答えは簡単。
「……え? お、お2人は、つながっていて、それで、私は、あ、あ、あ」
そう。聖良は自分の好意がもろバレだという事実に直面してしまうからだ。
「──っいやぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
というわけで、聖良は爆発した。
彼女が正気を取り戻すまでに様々な戦いが繰り広げられたが、容量の都合上や聖良の名誉のために割愛させていただく。
強いて言いうなら半狂乱で観葉植物に額を打ち付けようとしていた。
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