第24話 キラーチューン
朝、目を覚ますと布団が僅かに涼やかだ。うっすらと目を開くと、聖良の姿がなかった。
「こういう感情がエスカレートして、そのうち共依存みたいになるんだろうな」
もうなっているだろという意見は華麗にスルーして、俺は一階へ降りた。埃の積もった廊下の隅を見て、珍しく掃除をしてみようという気分にさせられる。妹と関係を持ってから最初の朝だからだろうか。
「世界が平和でありますように」
玄関口に妹の靴があるのも珍しくなくなってきていた。
彼女が俺を避けていたのは、昨日打ち明けられた罪悪感からだとわかると、クソ妹呼ばわりしていた己が酷く幼稚に感じてくる。
既に
「……あ」
エプロン姿の妹が、既に支度を済ませてキッチン前に立っていた。
「おはよう聖良。相変わらず早いな」
「……」
え、無視?
「おい聖良。恥ずかしいのはわかるが無視されると俺は傷付くぞ。こう見えても俺は結構ナイーブなんだ」
「い、一発で看破しないでください。何ゆえそういった洞察力にだけ長けているのですか、あなたは……」
「まあまあ」
どうやらお兄ちゃんと顔を合わせると昨日のことを思い出してしまうようだ。
聖良には悪いが俺はある意味開き直ったも同然なので、そういう甘酸っぱい羞恥心などはなかったりする。
「今日はコーヒーメーカーで勘弁してくれな。ぶっちゃけまだ疲れが残ってるかも」
「……」
「聖良?」
赤面しながら口元をもにょもにょさせていた聖良は、目玉焼きを裏返してから言った。
「そ、そんなに……あれですか。快感があったのですか。私は、その、思考する余裕などなかったものですから」
「いやバス。滅多に乗らないし、人多かったから」
「チッ……」
足を踏まれる。すっとぼけた俺が悪いと思うので反撃はしないでおいた。
平皿に朝食を移した聖良は、ぼそりと零した。
「……別に、兄さんがお疲れならば、楽をすべきだと思います。兄さんは学業のみならずアルバイトもしているのですから」
そう言いながらも、ちゃんとテーブルの上には二つの小包が並べてあった。青色が聖良で、深緑色が俺のもの。やっぱり性格こそ悪いものの、俺の妹は本質的には優しい少女なのだと思う。
「あのさ」
「はい」
「まあ、あれだ。ぶっちゃけもう恋人みたいなもんじゃん、俺たち」
「こ、ここここここ恋人? お、思い上がらないでくださいそもそも私と兄さんは兄妹という前提があったうえで契りを交わしたわけですから、そもそも重みの根底から異なります。ともすれば別れる可能性のある恋人という尺度で語っていただいては困りますし、認識の差異が積もりに積もって争いの火種へ発展するケースは散見されるので、私は兄さんと取るに足らない理由で諍いを起こしたくはないのです」
いつもの早口だが言っている内容はめちゃくちゃデレていたので、死ぬほど嬉しかった。
「あー……じゃあ、あの、スーパー兄妹でいいや」
「そっそれでいいです!」
メガトンインパクトといい、聖良は存外センスまで子供の女なのかもしれない。
超越兄妹なる代名詞を思いついたが、何か中国のうさん臭いユーチューバーみたいなので黙っておいた。
「スーパー兄妹になったわけだけど、昼飯とかどうすんの?」
今日から期末試験が始まるため、昼には帰れるようになっていた。
とはいえ余裕綽々で海水浴と洒落こんでいたことからわかるように、テストへ真面目に望むつもりはない。
「……生徒会室まで」聖良はコンロの火を消すと、ぎゅっと俺の手を握ってきた。「来てください。人ばらいは……やっておきますから」
マグカップを落とさないように意識を強める必要に駆られた。駄目だ。常にふてぶてしい兄が確立している以上、細やかな攻撃で気を緩めてはならない。
何と戦っているのだと疑問を呈する己を律して、俺は首肯だけしておいた。
※ ※ ※
つつながく試験が終わった。期末試験は事前に配布されたスケジュール通りに実施されるという当たり前の報告だけしてから、ホームルームが終了する。
設問の見直しでもあるのか、担任は舌打ち混じりで教室を後にした。
解放された生徒たちの面持ちは様々で、世界滅亡前日のような表情をしている者もいれば、純粋に昼に終わることを喜んでいる気楽な連中もいる。
俺はまぎれもなく後者だ。
「天賀谷ー、絵理と尾上ちゃんと宮代と飯食い行くけど、お前も来る?」
そしてこいつも同様だろう。
「おい、男女比の均衡が取れてる中に俺を放り込もうっていうのか? 冗談だろ?」
「はっはっは、お前だけ独り身だな。夏に出逢いとかありゃいいな。そんじゃ。死ねとか言われたくないからもう紹介してやんねーぞ。ばーかばーか」
「ういー。またなー」
教室の前で待っていた巨乳ツインテール(戻したらしい)とイチャイチャしながら去っていく陽キャ。
マッシュルームヘアーを卒業し、なんちゃってベンチャーの若手社長みたいになっていた。
「……」
そういうのを見て、改めて実感する。
「俺は広義の彼女持ちなんだなぁ」
如何にもしみじみと実感する風だが、案に相違して俺の心は凪いでいた。
エロゲの話で申し訳ない。基本的にウインドウの上部にタイトルやファイル名が表示されるというのは、まあ説明するまでもない。そんな仕様を応用し、個別ルートへ突入した瞬間に『(タイトル名) 〇〇編』みたいに表示されるタイトルがある。
そういうのを見て興奮する性質だったので自分の状況に舞い上がるかと予想していたが、現実は至極落ち着き払っていた。
理由は、まあ予想がつく。お弁当を作ってくれるようになった段階からとんとん拍子に旧交を温めだしたので、物理的な証明を前に付き合っていたようなものだからだ。
「まあいいか。生徒会室だったな……」
よっこらせと立ち上がって、生徒会室へ爪先を向けた。
だが教室を出たところで、俺は奇怪な人影を認めた。
「……じー」
「……」
妹が物陰からガン見してきている。顔の半分だけ物陰から覗かせ、二年の廊下を見渡していた。
というかあれ、隠れているつもりなのだろうか。
一年生が生徒会長を任じるという異例の事態ながら、我が校は無駄に生徒が多いのであまり目立っていない。
じゃあなんで聖良がじろじろ見られているかと問われれば、そりゃ不審極まりないからだ。
色々な意味で俺たちは目立つとまずいので、奇矯な振る舞いをやめるように注意せねば。
「おい聖良」
「っ!? ささっ……!」
逃げられる。土手っ腹に風穴を開けられたような心地になったが、まあそれはいい。
『おい何してんだ』
とりあえずLINEで問いただす。
無視されるかと思っていたが、予想に反してすぐに返信が来た。
『チェックです』
『何のチェックだよ。はやく生徒会室行こうぜ。一緒に行くのがあれなら、別々でいいから』
『先ほど、佐竹さんから誘われていました』
『合コンじゃねぇよ。尾上って女は宮代の彼女だし、ついて行ったら俺1人余るし、そもそも断った』
『わかりません。兄さんは変な人に好かれます。断固として許すまじ』
そうしてまた半身を出して睨みつけてくる妹兼彼女。
思い返せば、あいつはあのような奇行の多い女だった。小学生の頃、再放送されていた007に影響されたのか、スパイごっこ等と称して敢えて俺を追跡するように通学していたのを思い出す。
悪名高い天賀谷家のお嬢さんが意味不明な行動をしているものだから、案の定ご近所さんからめちゃくちゃ見られていた。
「……まあ」
前々から抱えていた罪悪感を僅かでも晴らせた──という風に解釈すれば、いいのか。
聖良の謎の追跡を受けながら、とりあえず生徒会室まで辿り着く俺。人ばらいは済ませてあるという宣告通り、周囲に人影はなかった。どうやっているのだろう。
室内へ足を踏み入れると、そこには2つの包みが置いてあった。
カーテンは締めきっていて、後は白色電灯が寒々しく灯っているので、デスゲームのオープニングみたいに思えなくもない。
「ふふふ……誰とも会いませんでしたね……!」
ややあって頭のおかしい妹がやって来る。何故か得意げな顔をしていた。お前そんなんじゃなかったじゃん。
「浮気を疑われるのは気分の良いものじゃないんだが」
「疑っていません。兄さんの所持している成人向けゲームにこのような描写があったので、サービスです」
「なんかナチュラルに流してたけど、お前俺のゲーム勝手にやってんの?」
事後も当たり前のようにエロゲに関する言及をしていたような記憶がある。絶頂時の点滅とか、少なくとも2本は遊んでいないと気が付かない共通点だ。
すると聖良は泣きそうになりながら唇を尖らせた。
「……後輩ヒロインの何がいいんですか。私です。兄さんには私がいるじゃないですか。後輩ルートのセーブデータだけ、日付の離れたものが3つくらいありました。定期的にやり直している証左です」
「いや、だって妹は実物がいるからいらねぇだろ」
姉妹がいるオタクは妹ヒロインや姉ヒロインに感情移入できないという話はよく聞くが、俺も例に漏れずそのクチだった。
どうしても聖良がちらつくので、当時の俺としては凄まじい抵抗感があったのだ。
聖良はぷりぷりと怒髪天を突いた。
「じゃあ! ファンディスクで兄さんの前に見知らぬ後輩女が登場したらどうするのですか?」
「詳しすぎだろ。案ずるな。だいたい個別ルート後のアフターと、追加ヒロインの登場するアナザーエピソードは別時空だ」
「ならば別時空まで行って兄さんを守らねばなりません。重責を背負わせないでください。やれやれ……」
妹はローソンのビニールからリプトンとアクエリアスを取り出しながら、存在しない敵を想像して独りでに疲弊している。実はコイツそんな頭良くないんじゃないかと思った。
「独り相撲はいいから。食べようぜ。腹減ったわ」
「……ん。楽しみ、なんですよね」
「うん」
聖良が薄くはにかんだので、俺は彼女を抱き寄せて顎を掴んだ。目を見開いて一瞬だけ抵抗したが、すぐにされるがままになる。
「な、なんですか。唐突に欲情されては困ります、が……」
「いや、まあ、ノリで」
「のっ、ノリでキスしないでください……!」
「悪かった。今度から事前に言うから」
「それも、それで気色が悪いです……」
「じゃあしないわ」
「は? え? 理解に苦しむのですが。は? 私は兄さんのなんですか? 今朝の会話は何の意味があったのか存じ上げていますか? 述懐なさい、陳述なさい、ほら、早く早く早く早く……!」
四方八方を塞がれた末にヤンデレ化されてしまうのでは、もうどうすることもできない。世の中で意味不明な犯罪を仕出かす人間は、ひょっとしたらこういう気持ちなのかなぁと思いを馳せたりした。
そういう微笑ましい一幕を終えてから、聖良の作ってくれた昼食に舌鼓を打つ。もはやこの構図も常態化しつつあるが、それでも妹の料理の腕は上から数えた方が早いのではないかと確信している。
「……」
「睨むなよ。ああ、いつも美味い。ありがとう。たまには俺にも作らせてくれないか」
「兄さんは安全と衛生のためキッチンに立つな」
命令系。ぴえん(死語)。
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