第13話 マリーゴールド
授業が終わったので、鞄を背負った俺は立ち上がった。前の席にいるマッシュルームヘアーに話しかける。
「おい佐竹。一万円くれてやるから教えてくださいお願いします」
「腰低いのか高いのかわかんねぇな。なんだよ」
「女が疲れていたら、俺はどうすればいい」
「……」
探るような目。俺は首を振ろうとしたが、面倒臭くなったので堂々と構えた。
佐竹は空気を読んだのか、絵理ちゃんとのチャットログを呼び出す。しばらく遡った末、奴は答えた。
「プールだな」
「逆効果じゃね?」
「いや、ストレス発散と精神のリフレッシュが主たる目的」
佐竹の語彙の毛色が急に変化した。
「ほら肉体疲労に好きなことやらせたり、旅行連れていくみたいな心理的アプローチあんじゃん。あー、じゃあこれ応用できそうだなって思って、絵理連れて行った。地区大会で根詰めてたし」
「あー、じゃああれか。そいつの好きなことさせてやった方がいいわけだな」
「まあ、そうなるかもな。あの、小学生のガキんちょじゃねぇけど、子供だってたくさん好きな風に遊んで、疲れ切って眠って、それの繰り返しだから元気だろ?」
「確かに」
「社会人の過半数が疲れ切ってんのは、回復力の低下や運動不足じゃなくて、だいたいストレスが主因らしいぜ。なんつーか逃げ場ないからな、この社会。あー、俺も憂鬱になってきた……」
「だから旅行とか推し活が重要って言われてんのか」
「ああ。ストレスを手軽にぶち殺す手段だからな」
とはいえ世の中には推し文化や旅行などを毛嫌いしている人種だっている。
協調と調和と共感を是とする社会に無理して馴染もうとして、それでストレス抱えて、結局ネットに逃げている奴だっている。
「……」
まあだから、なんだろう、せめて俺だけでもなんかしてやろうかなって感じ。
多様性とか言ってんなら、歪んじゃった奴だって何かしらの補填や措置があるのが筋だろう。俺はこう見えて死ぬほど優しいのだ。
世界が平和でありますように。
こいつがこうやって語っているのは、別にスマホで調べた付け焼刃じゃないことを俺は知っている。本やネット、口伝など媒体を問わずクロスチェックしまくった末の、体系化された知識だ。
佐竹は頭の中がピンク色であることを除けば、基本的には優秀な人間だ。
何せこの学校の一般受験を合格し、当たり前のように進級も出来ていて、しかも幼馴染の彼女の他に友人たちとのパイプも維持している。
それに加えて将来は心理療養士になりたいと夢を語っていて、何やら大学や専門学校のパンフレットも取り寄せているとのこと。
絵理ちゃんとの結婚から、育児の分担まで視野に入れているらしい。
俺にはできそうにない。素直にそう思えた。
「ありがと。参考になったわ。ほら一万円あげる。絵理ちゃんと何か食え」
「いらねぇよ。天賀谷が天賀谷の女に使えよ」
「おう」
こいつ良い奴だなと思った。
今度初心者用のテニスセットを2人分買ってやろうかと結構真剣に検討した。
生徒会選挙が終わった。
3年の先輩が引退し、後は他薦されたという得体の知れない女が加入していた。それ以外にメンバーの変動はない。
後から知ったことだが、豪雨のなか迎えに来てくれたあの日も生徒会選挙の事務作業に忙殺されていたらしい。
事前に迎えに行くという連絡をしなかったこと、派手に寝ぐせの跳ねていた姿。
俺はなんとなく口の中の口内炎を舐めようとしたが、健康な俺は口の中にデキモノなどなかった。
「……プールかぁ」
シミュレートしてみる。
妄想の聖良『は? 気持ち悪いです。理解が及びません。ゲームにそのようなシチュエーションがあったのですか? 刹那的な欲を満たすためにはなりふり構わないのですね。大変意欲的でいいと思います』
ダメだ。こういうイメージしか湧かない。
よくよく思い返してみれば、そこはかとなく好意が伝わってくるのはわかる。しかしながら聖良がこういうものなので、現実と認識とにギャップが生じて上手く想像できない。
この心理効果で商売ができるのではないかと脱線していると、角から人影が躍り出た。
銀色の長髪が夕陽に濡れて
こいつマジで美少女だよな。何となく思う。
「き、ききき奇遇、ですね。兄さん」
「ああ、おう」
だが生憎、その持ち主は哀れになるほど挙動不審だった。
視線をさまよわせるが、物陰からこちらをうかがう不審なお団子頭の姿はない。俺は一瞬だけ迷ったが、妹の意思を尊重することに決めた。
「兄さんは今、帰り、でしょうか」
「ああ」
「ご、ご存じかも知れませんが。私は昨日まで生徒会選挙の事務処理、選挙管理委員会との折衝、新たに選出されたメンバーの引継ぎなどを行いました」
「お疲れ様。俺やったことないからわからないけど、何かすげぇ大変らしいな」
「まあ……それは、はい。生徒会主導ですから」
聖良は謙遜しなかった。
関係性が死んでいた先月辺りでも、こういう飾らないところには好感を持っていた。
夏休み前の生徒会選挙というのは、これから受験を控えている3年生のための措置だ。
例え指定校推薦であってもオープンキャンパスや面接の練習は必須だし、また2学期には文化祭と修学旅行があって生徒会は忙しくなる。
言い方は悪いが、古巣のしがらみにいつまでもかまけていられない。
また他のメンバーにも『残存』か『離脱』かの選択権が与えられる。
生徒会総入れ替えとなると流石に教師陣も動くらしいが、そういうパターンは数えるほどしかないそうだ。
そして生じた空席を埋めるために選挙が催され、そこで新たなメンバーが充当されるというのが恒例の流れになる。
そして3期の〆に2度目の生徒会選挙が催される。
この選挙ではメンバー総入れ替えか、あるいは投票で『残存』を望まれた役員が残るか。いずれにせよ面子は変化するそうだ。
説明終わり。聖良も美亜さんも『残存』を選んでいる。
聖良はつっかえながら続ける。
「それで、ですね。私は数日間激務に追われた他、不甲斐ない兄の職場まで迎えに行くなど面目躍如の活躍を致しました」
「傘ありがとう。嬉しかったし助かった」
「ぇぅ」
汚い声だった。
「しかしながら物事には対価が求められます。脳に備わった報酬系という神経系。あらゆる行動の対価を生み出すこの器官が存在するからこそ、我々人類は意欲や好奇心を持つことができたのです」
「教科書に書いてあったな」
「で、ですので……」
妹──否、聖良はブレザーのネクタイをしきりに弄りながら見上げてきた。夕陽が強く差し込んでいた。
「兄さん、あの、私はご褒美をいただきたく……」
……。
つまりあれだ。
デートに誘え、あるいはそれに近しい行為を私としろ。
そう言われていると理解した。
「土日のどっちか暇か?」
「えっ!? ど、土日ですか!?」
「ああ、忙しいなら別の日でもいいけど」
「平均値の観点から検めると、私よりも兄さんの方が多忙という現実を皮肉っているのですか? バイトでもして家計に貢献する努力をしろと? まったく……」
「捻くれすぎだろ。生徒会やってんならバイト無理だろ普通に考えて。
土日ダメなんだな? なら別の空いている日教えてくれ」
「や、あの」
聖良の視線はスーパーボールみたいにバウンドした。
差し込む夕陽が更に強まって、赤色がより強調されるかのようだった。
「……空いてないとは、言っていませんが」
「わかった。じゃあ土曜日にしよう」
佐竹の理論と照らし合わせれば、土曜日で精神面をデトックスさせ、日曜日で肉体をより休めるというコースになる。我ながら上出来ではなかろうか。
そうと決まれば今からプランを練らなくてはならない。美亜さんからどういう活動をしていたのか、具体的に聞いてから決めてもいいだろう。
「帰ろうぜ。パチンカスの先輩が稼ぎたいからシフト代わってくれって言われて、今日バイトないし」
「……」
「どうした」
聖良は顔を伏せていた。長い前髪が彼女の表情を隠す。
「……これから」
「これから?」
「遊びに、行きたい、です」
「……」
「如何でしょうか、兄さん」
「全然おっけー」
とりあえず財布を確認したが、黄金色の紙幣が三枚仲良く並んでいる。生活費や消耗品代を除けばエロゲくらいしか出費しない男のかなしい余裕だ。
とはいえ、俺はクソ女と付き合っていた期間が短かったことに感謝した。
あいつと遊ぶために散財して、聖良に使えなかったらアド損の極みだからな。
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