第14話 ゴールデンタイムラバー

 カラオケは正直なところ断られると踏んでいたが、案に相違して聖良は了承してくれた。


 とはいえ俺もカラオケは不慣れだ。

 風呂場で小声のワンマンライブならほぼ毎晩だが、こういう場で大声を出す経験には乏しい。


「聖良、お前カラオケ来るの?」

「付き合いで何度か」

「あー、なんだっけ。フリマの時にいた同級生の子たち。あれ?」

「ええ……まあ」


 芳しくない反応。俺は話頭を改めた。


「っていうか何気に聖良がどういう曲聴くのか全く知らないんだけど」

「当ててみますか?」

「んー……〇〇〇〇とか?」

「はっ」


 流行りの女性アーティストを挙げると鼻で笑われた。


「想像なさってください。私のような偏屈な人間が、あのようなきらびやかな曲を歌っていたらどう思いますか? そして、私がやたら同情的で寄り添うような歌詞に共感すると?」


 そんなはずがない。聖良は失恋辛いよね、諦めなければ夢は叶うよみたいな歌詞に対して、あたう限りの罵詈雑言で迎撃するタイプの人間だ。重ね重ね、我が妹は嫌な奴である。


「じゃあなに、まさか友達とのカラオケで甘き死よ来たれとか歌うのか。チャレンジャーだな」

「なんですかそのタイトルから後ろ向きな曲。私の外面との兼ね合いで、普通に一昔前の名曲を無難にセレクトしていますよ」


 名曲として知られるキャッチーな楽曲の数々も、それこそ同情的で寄り添うような歌詞のような気もするが、ツッコんでも面白くなさそうなので黙っておいた。


「兄さんは?」

「エロゲ」

「ですよね」


 Joy Soundは神。


 俺は2人分の緑茶と、後は適当に摘まめる菓子類を注文した。


 受話器を壁にかけ直すと、天井のミラーボールが輝き始める。曲が始まったようだ。しっかり採点も入れている辺り聖良のプライドが垣間見えるが、別にいいやと思った。


「おお、普通にうまいじゃん」


「まあそうですね。


 ですが、取り立てて突出したものではありません。

 ヴォイストレーニングやスクールに通っているような方々の足元にも及びませんし、あくまで何の訓練も積んでいない一般層の中での上手いにカテゴライズされているに過ぎませんね。

 まあ一般基準では上澄みに分類されるかと? まあ? ふふふ」


 聖良はニヤニヤしながら早口でまくしたてた。画面には90の数字が表示されていて、心なしか何か輝いているように見える。


 なるほど。


「おい聖良。勝負しようぜ」

「勝負?」

「ああ。お互い十八番オハコあるだろ? それの点数で勝負するんだ。俺に勝てたら言うこと聞いてやるよ」


 聖良は緑茶から唇を離した。肩口の髪を払うと、不敵に笑う。


「後悔なさらないでくださいね? いくら兄さんとはいえ、不都合になった途端の前言撤回をするほど落ちぶれていないはずですので」

「ほざけ。武士に二言はねぇよ。俺どちらかと言うとボクサーとかファイターだけど」

「兄さんは絶対にアサシンです」


 聖良特有の謎のこだわり。


 緑茶の氷をかみ砕いた俺は、デンモクの「アニメ/ゲーム」欄を躊躇ちゅうちょなく開いた。


 他の女のことを考えるのもどうかと思うが、クソ女と来たカラオケでは普通の曲しか歌えなかったので、何となく窮屈きゅうくつだった記憶がある。


 画面に映し出されたのは静止画MADのようなオープニングムービー。そしてやたらとキャッチーでアップテンポのリズムが流れだす。


「迷いなくエロゲーを歌う兄さんはある意味ではとても男らしいですよ」

「よせやい」

「皮肉が通じない……!」


 いや身内とのカラオケで好きな曲歌えないとか意味わからないじゃん。

 さて、SDキャラのかおるこ先輩が連続で映し出される。俺は喉を大きく開いた。


 ※ ※ ※


「どうして勝負を挑んだのですか?」

「勝てるかなぁと思った」


 料金を支払ってカラオケを後にする俺。クーラーの利いた室内にいたからか、むわっとした夏の空気にいささか面食らう。

 聖良も同じだったようで、コンビニで買ったスポーツドリンクのキャップを捻っていた。


「なんですか72点とは。遠回しにお前風情この程度の実力で与せると見くびられているのですか」

「あのほら、ピンク色の女の子いたじゃん。後輩の。俺あの娘好きなんだよね」

「知りませんよ後輩とか……」


 とはいえ、俺の目論み通り、聖良になんでも言うことを聞かせる件が授与されたわけだ。信号を町ながら呆れる聖良を横目で見やる。

 線の細いおとがいは結ばれていて、何を考えているのかまるで読めなかった。



「……和也先輩」



「!?!?!?」


 聖良の口から飛び出た一言は、すさまじい鋭利さを以て俺の臓腑ぞうふを貫いた。


「え、な、なんですか。言っただけじゃないですか……」

「ありがとう」

「兄さんが気持ち悪いです……」


 ごめんね、俺もお前と遊べてテンションあがってるんだよ。


 言わねぇけど。


「で、なんでも言うこと聞く権は聖良にあるわけだが、どうするんだ?」

「じゃあ赤信号なので交差点へ飛び込んできてください」

「俺死ぬじゃん」

「兄さんはアサシンだから事なきを得るでしょう」


 九死に一生を得る感じのニュアンスじゃん。


 とはいえ聖良は真面目に考え込んでいるようで、早々に俺は気を利かせたことを後悔しだした。

 一般的にその場のノリで雑に消費されることの多い「なんでも言うこと聞く権」だが、何やらこの妹はかなり真剣に捉えている節がある。


 信号が青になったので、どちらからともなく俺たちは歩き出した。


 別に行く当てもないが、これは俺がノープラン放課後デートを潔しとする怠慢野郎だからじゃない。聖良が少し歩きませんかと提案してきた故だ。


 この町に越してきてから5度目の夏を迎えようとしているが、こんな気分で歩くことは数えるほどしかなかった。

 赤く染まりつつある消費者金融の雑居ビルや、横文字筆記体の雑貨屋に紛れて、ちらほらと我が校の制服姿もある。


 ユニクロのウインドウに写り込む兄妹の姿は、はた目からどう思われているのだろう。


「……あ」


 大通りから少し離れた河川敷沿い。聖良は町内掲示板に貼り付けられた一枚の広告を見た。


「では早速、なんでも言うことを聞く権を行使させていただきます」

「おう。お手柔らかに頼む」


「……」


 男らしく構えると、聖良は突然口をつぐんで速足で歩き出してしまう。


「え、おいおい」


「……ま、まぁ、今じゃなくてもいいではありませんか。それとも兄さんは現代特有の、無駄に良き急いでいる類いの人種なのですか? もう少し余裕を持たれた方がよろしいかと」


「いやいやいや。言えよ」

「嫌です」


 力強く言い切られてしまった。

 聖良の顔が赤いのは、たぶん夕陽のせいじゃない。というか最初から夕陽はあまり関係ない。


「……はぁ」

「なんですか、その『やれやれ仕方ねぇな』とでも言いたげな態度は」


「夏祭り行くか」

「っ……。……っ、……」


 さっきの広告に表示されていたのは花火の図柄。

 この町では毎年8月に夏祭りをやる。そこは浴衣と陽キャひしめく魔境。我々のような陰に潜むものはたちどころに蒸発してしまうだろう。


 だが彼女はそれに関心を示した。


 聖良はイエスともノーとも言わなかったが、そっぽを向いたまま否定することもなかった。別にそれくらい権利を行使せずとも快諾する。

 ただそれがわかっていても、天賀谷聖良はなおも建前を用意しないといけない女の子だった。


 勝負を持ち掛けたのはこのことを見越していたわけではないが、まあ理想通りじゃなかろうか。


 河川敷から離れて、俺たちの家の近くに出る。


 駅前から広がるビルと大通りの区画とは裏腹に、この区画はしんとした日常を保っていた。


 軽自動車の走行音が穏やかに通り過ぎていく。

 国道に面したアパートなのかマンションなのかよくわからん物件からカレーの匂いが漂ってくる。


「あ」


 またもや聖良は素っ頓狂な声を挙げた。しかし今度は行動も伴っている。小走りで駆けだした運動音痴は、転びそうになりながら一件の店の前で立ち止まった。


 懐から財布を取り出し、何か包みを2つ受け取っている。


 甘い香りがふわりと立ち込めた。


「……ん」

「あ?」

「どうぞ」

「ああ……」


「クリームとあんこがありましたが、兄さんは頭の悪いメロンパンを常食なさっているので、カスタードクリームかと」

「常食って程じゃないけど」


 俺はタイ焼きを受け取った。焼きたてなのか、包み紙越しでも持っていると熱くなるくらいだ。


「あれは本当に身体に悪いのですよ? ご自愛ください。糖尿病にでもなられたら困ります」

「ああ……」


「甘味なら、その、これくらいになさってください……」

「悪かったよ……」


 聖良はぽつりと漏らすので、俺は彼女を誘って街路樹脇のベンチに腰かけた。


 のんびりと車の往来を眺めながら、兄妹で仲良くタイ焼きを頬張る。

 聖良のスポーツドリンクのついでに買ったリプトンをお供にするが、爽健美茶にすればよかったと後悔する。


「……」


 なんだろう。聖良がこちらを見上げてきていた。両手で包むように持ったタイ焼きは、尻尾が少し欠損している。


「そういや聖良ってこういうお菓子とか食うの?」

「いえ、菓子類はほとんど口にしません。付き合いで少々いただくことはありますが、それも3切れ程度食べれば良い方でしょうね」

「ふぅん」


 確かに聖良は結構少食だし、どちらかと言えばアメリカのカントリー・テイストを好んでいる。スクランブルエッグとか、ベーコンとか、そういう塩っぽい滋味だ。


 だからこういう味には新鮮なのだろう。俺はそうすっとぼけることにした。


「クリームも食うか?」

「……はい」


 口数少なくなるなよ。もっと皮肉と嫌味を言えよ。


 聖良はおずおずと、しかしながらしっかりと口を開いた。小さい口の中に幼さを残す犬歯が覗いている。


 マジかよ。


 俺は妙な気分になりながら、ゆっくりと彼女の口の中にタイ焼きの無事な方を噛ませてやった。


 聖良の薄い唇がほんの少したわみ、ウサギやリスが食んだような半月が刻まれる。


 そこかはとなく厳粛とした咀嚼を経て、聖良のすぐにでもへし折れそうな喉が、ゆっくりと上下した。


「……に、兄さんもっ、そのっ、あぅああぉああああんこ食べたいのではないしゅか?」


「落ち着けよ」


「はべぶぇっにょ、れはないですか!?」


「マジで落ち着けよ」


「お、落ち着いていますが? 兄さんの判断力は、その、えっと、もはや末期の足利尊氏ですね。執着や怨恨の螺旋に囚われ、本質を見通す能をなくしてしまっているようで」


「落ち着け。尊氏の低評価は、当時の朝廷を基幹とした一元的な価値観ゆえだ。やりたい放題だった六波羅探題滅ぼしたり、すごく立派な人なんだぞ」


「わたっ、私も兄さんに食べさせます! これが平等です! 多様性の社会です!」


 妹は無茶苦茶なことを言い、もはや泣きそうになりながらタイ焼きを差し出してきた。


 しかもかじってある方だ。気付いているのかいないのか、見開かれた瞳は俺を捉えて逃がさない。


 軽く深呼吸した。


「……いただきます」

「ど、どうぞ……」


 一口だけ食べると、口の中に予想通りの味が広がる。それはそうだ。だってここのタイ焼きは俺も普通買ったことがあるもの。


「まあ、美味いな」

「あ、あう、あう……」


 聖良は死にそうだった。


 俺もなんかこう、なんだろう、穴があったら入りたいというか、まあそんな感じ。


 何かもの凄くこそばゆいというか、皮膚の内側が猛烈にかゆい。居た堪れないとも気まずいとも違うこの感じは何なのだろう。


「……帰るか」

「…………ぉあぇぇぇぇ」


 聖良はショートしていたが、とりあえず基礎的な機能は取り留めていたようだ。


 ふらふらとした足取りの妹に気を払いながら、俺たちは同じ道を歩いていった。

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