第12話 迷子犬と雨のビート

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『と、いうことがあってですね、美亜さん……』

「……」

『私はどうすればよいのでしょう。いくらなんでも迂闊というか、その、気取られてしまったのではないかと。

よ、よもや兄さんが妙な考えを働かせ、また佐竹さんに女性を紹介してもらうなどの愚行に走ったらどうしようと……』


「……」

『み、美亜さん?』


 どうしましょう。


 これといって言うことがないわ。


「別にいいんじゃないかしら」


『え……? あ、あの、あ、で、ま、まあ、兄さんが? 誰と恋愛しようが? 私には無関係な話です。そもそも現実的に考えて』


「ああ、違うの違うの。突き放そうというわけじゃないのよ?」


 この子絶妙にメンタルが弱いので扱いづらい。


 なんと説明すればいいのか。私は眠たい頭を強引に回す。


「だって、ね? 雨のなかご家族を迎えにいってあげたわけじゃない? それは賞賛されるべき行動だと思うわ。お兄さんもきっと嬉しかったんじゃないかしら」


『スマホを忘れてLINEを入れるという基本的な報連相すら忘れてしまったのです! なんという醜態! 兄さんもきっと『え、あ、まあ、おう。ドンマイ。世界平和世界平和』とか気を遣いそうじゃないですか!」


 言いそう。


「で、でも……ほら、今日の忙しさは去年とは比にならなかったのよ? 疲れて凡ミスをするのも仕方のない事よ。些細なケアレスミスじゃない」


 今日は色々なことがあった。


 生徒会選挙の出馬者の書類手続きやら、投票箱のレンタルやら、体育館の使用許可やら、照明の配置やらを詰め続ける中、先日の野球部とサッカー部の領土争いの仲裁を頼まれ、なぜか自治体の人たちと共に8月の夏祭りの広告を刷らされ、後は現政権の不満をなぜか生徒会にぶちまける教師の話し相手を余儀なくされた。

 そのうち頭のおかしくなった茅ヶ崎くんが「イーロン・マスクは火星人!」などと叫んでコピー用紙を破き始め、3年の飯村先輩は作業そっちのけで受験勉強に勤しみだす。


 騒然としたカオスのなか、聖良ちゃんと私が死んだ目で黙々と作業を進めていた。


 そういう背景もあって私はとてつもなく疲労している。

正直なところもう眠りたい。


 だがそうも出来ない。


 天賀谷くんとああいう契約を交わした手前、これまで以上に考える必要がある。


「だからうたた寝しちゃったのも、仕方ないことよ。実際、私もさっきまで仮眠していたし」


 姉さんが帰ってきて起こされたのがついさっき。彼女は不機嫌な顔で先に湯船に浸かっている。ユニットバスだった頃はお風呂場を占有されると色々と困るので、当時に比べたら楽になってきていた。


『じゃあ仮眠を取る前にLINEを入れれば済む話じゃないですか。馬鹿だと思われたら恥ずかしいです……』

「あははは」


 それを私に言ってどうしろと言うのよ。


 しかしここで考えてみる。


 彼女はきっと自分の行動を肯定してもらいたいのだろう。

 プライドが高いのは見ていればわかることだが、それゆえに些細なミスが深くえぐり込み、延々と同じ思考を反芻はんすうする。


「……」


 まあ、私にも通じる部分はある。


 仕方ないわね。そう思った。


「いい? 聖良ちゃん。完全無欠の女の子は却ってとっつきづらいわ。

男の子というのはね、品行方正・才色兼備・文武両道という三拍子揃った高嶺の花より、俺でもいけそうじゃねっていう身近な一輪に価値を見出すものなの!」


『え? そうなんですか?』

「お風呂あがったよー。あれ、美亜なんでクネクネしてんの?」


 姉さんのことは無視した。彼女はドライヤーで髪を乾かし始めた。


『じゃ、じゃあ今回の行動は……』

「ええ。些かの唐突さはあったものの、たぶんオーケーなはずよ」


 そもそも天賀谷くんはあなたの好意を知っているし、自覚しているとは思うが、彼自身も聖良ちゃんに対して異様に過保護だ。


 それが無意識下でストッパーになっている部分があるのも、まあ皮肉な話だろうけど。


「なればこそ。なればこそよ。追撃しましょう」

『だ、大丈夫なのですか? あの、ついこの間まで私は兄さんに死ねとか言っていたんですよ? 情緒不安定か頭がおかしいと思われるんじゃ……』

「間違ってないじゃない」

『え?』


「ともかく! 前にも言ったけど恋愛というものは弱肉強食! とにかく相手を意識させ、記憶の中に自分を残すことが重要なの! 

日和っているのではなく、多少無理やりにでも恋愛のカテゴライズの中に自分をねじ込む! 


単純接触効果! ウェンザー効果! 返報性の原理! ありとあらゆる手段を講じて自分の存在をアピールするの!」


「美亜、声大きいよ。夜遅いよ」


 注意されたのでクネクネを止めた。

 聖良ちゃんはぼそぼそと喋る。


『れ、恋愛ではない……です。ただ、兄さんといつまでもこうしているのも……』


「あーもう、前にやったわよこのやり取り。

じゃあ聖良ちゃんが言っていた、佐竹という無尽蔵に女を紹介する妖怪にお兄さんが呑まれていいの!? 


週末は夜な夜な女をとっかえひっかえ! 女名義の不動産を転売し、円より安い国で豪遊しまくり! 内部の女をモノにしてインサイダーすれすれのデイトレードで一攫千金! 飽きた女は覚せい剤で判断力を奪ってから風俗に流し、あなたのことも乳臭くて拗らせた女として鼻で笑う始末!」


『コミュニケーション能力と女性関係だけでそこまでのし上がれるわけないじゃないですか』


 そうね。


「ともかく。もう建前の話はやめましょ? こちらとしてもやりづらいのよ、正直」

『う、うう……』


「まあ言葉にするのはやめてあげるけど、そういう前提として話を進めるからね?」

 聖良ちゃんはしばらく無言だった。不整脈みたいな息遣いだけがあった。


 ややあってから、寝言なのか泣いているのか判然としない呻き声だけが聞こえてくる。ようやっと観念したようだ。


『追撃、とは……なにを、すれば?』

「聖良ちゃん、今朝は一緒に登校していたらしいわね」

『そ、それが何か?』

「それは聖良ちゃんから言い出したのかしら。それともお兄さんが言い出したの?」

『……』


 枕を殴りつけるような、ばふんという乾いた音がした。


『兄さんです』

「そうねぇ……だったら、生徒会選挙の前準備が終わってから、あなたから天賀谷く、お兄さんを誘えばいいわ」


『!?』


「放課後デートよ。忙しい期間を無事に終えられたから祝えとかそういう名目で」

『で、ででででぇぃっ!?』


 聖良ちゃんは江戸っ子みたいになって悶えていた。

 ばふんばふんという散発的な打撃が響き、そのまま暴れ馬のような騒音が続き、やがて勢いよく何かにぶつかる衝撃で終わりを迎えた。


『デート……と、いうと、兄さんは……あ、ああ、そうだ、認めてた、どうしよ……』


 大騒ぎした聖良ちゃんは水を打ったように静かになっていた。やっぱり情緒不安定じゃない。


「まあ頑張ってね。きっと上手くいくわ。それじゃ」


 長引きそうなので電話を切った。姉さんが咎めるような目つきで見てきていたのも大きい。


 私は望み通りさっさとお風呂に入ることにした。

 姉さんは昔から謎の入浴剤を愛用しているが、浴槽が傷付くという理由で湯をすぐ流す。今日は雨に振られたから先に入ったため、私もさっさと入らないといけない。


「あれ? あの」脱衣所に入ろうとすると呼び止められた。「恋愛相談」

「ええ、そうよ。やぁぁぁぁっと……ちょっと進展しそう」

「ふぅん。でもあれね」

「どうしたのよ姉さん」


「聞いてたけど、何で好きになったのかって言う動機を深掘りしていけば、勇気も出しやすいと思うんだけどね」


「……」


 聖良ちゃんがどうして天賀谷くんを好きになったか。


 一般的に、妹が兄に対して好意を抱くというのは尋常の関係性ではない。

 過度に理想化されたフィクションと同レベルの現実が、あの兄妹、あるいは聖良ちゃんに降りかかったということになる。


 天賀谷くんに感じた見覚え。


「……」

「美亜?」

「あまり触れちゃいけないわ。他人様の事情だもの。許された部分以上まで踏み込む義理も権利もない」


 それに私みたいな部外者が蒸し返すより、当人たちが話し合って納得し合えることが大切だと思う。

 天賀谷くんが望んでいたのもそういった決着だ。 


「美亜って変なところでドライだよねぇ」

「うるさいわね。姉さん彼氏いたことないくせに」


「はーーーーーーーー恋愛という経験が全てという旧弊として浮薄極まりない価値観に支配された凡愚というわけねーーーーーーーああーーーーーーーーーーーー残念だよーーーーーーーおめーもいたことないだろうがよーーーーーーーーえーーーーーーーーーー」


 姉さんは壊れてしまった。


 好きになれる相手が画面の向こう側にしかいないらしい。


 そして私は忙しいから。


 南無南無。

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