第8話 双星プロローグ(最後の方だけ直したVer)

 スマホで口座を確認すると生活費が振り込まれていた。20万近く。


 電話をしてもお袋も親父も出ない。

 どこかのマンスリーホテルにでも宿泊しているのだろう。物価高や円安が叫ばれている昨今で、生活に不自由しないのは幸福だ。俺はそう考えた。


 昼休みの教室は喧騒に包まれており、佐竹も絵理ちゃんとどっかへ行っていた。さっさとコンビニ弁当を食べ終えた俺は立ち上がり、あてどなく廊下をさ迷うことにした。


 別に教室に居づらかったわけじゃない。

 俺みたいな暗い顔をしている奴が視界を掠めたら、人生を楽しんでいる連中の機嫌を損ねるのではないかと懸念したに過ぎない。

 俺はこう見えて死ぬほど優しいのだ。


『兄さん』


 聖良からそれだけLINEが飛んできていた。


『どうした?』


 返しても既読すら付かない。

 一応気になって一年生の教室まで足を運んでみたが、そこでは茅ヶ崎くんと愉快な仲間たちが湘南乃風を合唱しているだけだった。


「アマトリチャーナ作ったお前! ジェノベーゼ作ったお前! パンツェッタ作ったお前!」


 TikTokの撮影のようだ。うへぇと思った俺はその場を後にした。


「まあ、たぶん副会長とやらに怒られたんだろうな」


 なんかサボったとか聞いていた。チョコレートのスイーツでも買って帰ってやろう。


「この学校無駄に生徒の数多すぎだろ……」


 昼休みとはいえ、どこもかしこも人であふれている。俺は逃げるように足並みを早め、そうだ屋上へ行こうと考えた。


 我が校の屋上はなかなかの眺望ちょうぼうだ。

 この高校自体が山の上に建てられているため、町とその先の海岸線を一望することができる。

 またその背後を振り返ればオフィス街が広がっていることから、俺は勝手に文明ラインと呼んでいた。


 とはいえ、我が校は昔のラブコメディーみたいに屋上が自由解放されていない。


 俺が屋上へ入れるのは、職員室で拝借した鍵で合鍵を作成したからだ。厳密には犯罪だが、ちゃんとゴミ掃除はしているので大目に見て欲しい。


「~♪」

「あ……?」


 屋上には先客がいた。俺は咄嗟に身を隠した。


 というのも、その姿は金曜日にさんざん愚痴ってきたあの右団子だったからだ。


 一ノ瀬美亜と名乗ったあの女は、ロボアニメのヘッドセットみたいなヘッドホンを装着し、何かデスメタル的な音楽に浸っている。どうして音楽のジャンルを特定できたのかと言えば、あれが解放型のヘッドホンだったからだ。


 解放型のヘッドホンというのは、まあ要は音を密閉しないことでコンサートホールのような解放感を演出する機種ってこと。当然、外の物音もガンガン入り込んでくる。


「……あら? ああ、あなたは……」

「マクドナルドにいた男です。お姉さんにはお世話になっています」



 当然、俺の存在も勘付かれてしまうわけだ。



「それでね? 今朝聞いたのよ。どうして金曜日はバックレたのかって」

「はい」


 俺は弁当の空容器の入ったレジ袋の口を縛った。

 美亜さんは例の面倒臭い後輩とやらの愛憎を吐き出し続けている。


 こういう場合は聞き役に徹して、相槌を打つだけのマシーンと化した方が省エネだ。

 俺はローソンスイーツのブルーベリーワッフルって美味しいのかなぁとか考えながら、耳を傾けた。


「何やら関係性が確定するようで嫌だったんですって」

「そうですね。お互いにはお互いの想いがありますから、迂闊に一歩を踏み出せませんよね」

「そうなのよね。でもそれじゃあ何も変わらないのよ。早朝で、生徒会選挙の資料まとめなきゃいけないこともあって、たぶん少し気が立っていたんでしょうね」

「そうですね。朝の業務はクソほどイライラしますもんね」


「ええ。いけないなーとは思っているのよ? それで言っちゃったのよ。皮肉ばかり言っていたら、相手も愛想尽かしちゃうわよって。そうしたら拗ねてどこか行っちゃって……言い過ぎたのかしら」


 ん? 皮肉屋?


「……」

「マクドナルドくん?」

「いま生徒会選挙って言いましたよね」

「あ、言っていなかったかしら。私副会長やっているの」

「……」


 がしゃーん。ガシガシ、ピキーン。


 俺の脳内を擬音で表すとこんな感じ。


「ま、マクドナルドくん? なんか急に笑顔が貼り付けたようなものになったけれど……」

「イエ、オキニナサラズ」

「どうしてカタコトなの……」


 冷たい汗が滂沱の如くマジでヤバい中、俺はバイト先でのやり取りを振り返った。



 ──本人は恋愛じゃないと頑なに言い張っているけど……あれ、ガチなんじゃないかしら



 ──ガチだったらかなり不味いことになってしまうの。世間体的というか常識的に。



 そして聖良は言っていた。



 ──逃げてしまったから月曜日に美亜さんと顔を合わせるのが辛いなぁとか。



「い、いいいいいいいい一ノ瀬さん、大変御多忙かと存じますがお一つお伺いしてもよろしいでしょうか」


「どうしたの急に。なんでそんな今にも倒れそうな顔しているの? 保健室行く?」

「後輩って生徒会長?」


 俺は喉がからからに乾いているのを舌の根が乾かぬ内にってこういうことだっけという頭の悪いことを考えていた。もう眺望とか初夏とかどうでもいいし、もう今月ってスマホ代引き落とされたのかな。願わくばあそこの園芸部のプランターとか破壊してしまいたい。


 俺は混乱している。


 二拍分くらいの間があった。


「あー、ばれちゃったわね。話しすぎちゃった。内緒でお願いしてもらっていい?」


「あ、そうだ。俺そういえば予定あるんだった。ごめん予定があるから俺行くわ。ありがとね。俺行くわ予定があるから」


「どうしちゃったの」


 俺は階段を駆けおりて、取り合えず人のいない場所へ行こうとした。


「おう相棒。西条と岡部と宮代でいま賭けマージャンやってるんだけど、お前も来ない?」

「佐竹。いつもありがとな。こんな口も態度も悪い俺と友達でいてくれて。じゃあな」

「どうしたんだ天賀谷。余命でも宣告されたのか」


 渋谷系純愛マッシュルームヘアーを振り切って脱兎の如く駆け抜ける。

 いま陸上部へ入部しても、スプリンターとして戦えるのではないかと思い上がるほどの駆け足だった。


 そのまま渡り廊下の辺りまでやって来る。


 ここら辺になると随分ひと気も減った。

 じめじめとして湿気がすごく、何なら敷いてある板材もカビに腐食されているくらいの場所だ。


「……はぁ」


 軽く息を吐いた。バイトをしているからなのか、俺には存外体力があるという謎の発見も得られてしまった。


「いやそんなのどうだっていいだろ」


 重要なのは、右団子との会話で明らかになった事実だ。


 彼女の会話に登場した後輩ちゃん。

 つまり我が校の一年生にして生徒会長をやっている規格外の女。


 面倒臭い性格に、ガチッぽいが世間体や倫理的にアウトである感情を抱えている。


「……マジかよ」


 何度他のパターンを想定しようとしても、駄目だった。

 生徒会長という時点で特定されてしまったようなものだ。この学校が実は生徒会長を2人採用していた、あるいは影武者でも用意しているなどの外連味があれば他の可能性はある。


 あるわけねぇだろ。


 つーか普通に考えたらわかるだろ。


 ってかわかってたろ。


「……マジかよ」


 俺は繰り返した。そのまま重力に任せて背中を寝かせる。


 ぼんやりと薄汚く区切られた天空を仰いだ。初夏特有の抜けるような青の中、怠惰なクジラのような雲の宮城が泳いでいる。


「……」


 一ノ瀬美亜の口ぶりからして、恐らく俺の苗字が天賀谷であることを知らないだろう。

 亜弥さんは話していないのかと思ったが、あの人は恐らく俺のことを後輩Aくらいにしか認識していないのではないか。そのうえであの距離感だからこそ、勘違い量産機だ。


 というか、俺が聖良の兄であることが美亜さんに漏れてしまったらどうなる?


「動揺するだろうな」


 彼女は後輩──天賀谷聖良が、実の兄である天賀谷和也に好意を抱いている。その可能性を無自覚の内、本人へリークしてしまったことになる。


 薄情なことを言わせてもらえば、それを受けた一ノ瀬美亜が罪悪感で苦しむ分には別にいい。

 だってあの人にとっては死活問題ではないし、最悪聖良との関係が拗れたとしても、他のコミュニティーでやり直すことは容易だろう。あの人にはそれができる。


 だが問題は聖良だ。


 兄に好意があるなどという可能性が知れ渡ったら、あのネコ被り生徒会長様はどうなる。


 中学一年生の春先。向けられたぶしつけな視線の数々が脳裏を過ぎる。


 ──ヨスガってんじゃねぇの?

 ──お兄ちゃん、お兄ちゃん、気持ちいいよーって。草生えるわ。

 ──ねぇねぇ、ハプスブルク家って知ってる?


「世界が平和でありますように世界が平和でありますように世界が平和でありますように世界が平和でありますように」


 落ち着け。


 まだそうなると決まったわけじゃない。


 そうだ、どう考えても聖良に好意を向けている茅ヶ崎という男がいた。あいつに妹を。


「クソが」


 それは駄目だ。聖良はあいつを、否、あいつ「も」嫌っている。


 何故なら、女2人も茅ヶ崎も、天賀谷聖良のことを善良な生徒会長として認識している。


 初対面のナンパ相手に「死ね」というワードを連呼する人間のどこが善良だ。ネットで馬鹿を論破して嘲笑している女のどこがまともだ。俺の妹の本性を知って、まともな人間が仲良くしたいと思うか? そんなわけねぇだろ。


 それを加味すると、聖良は奴らには欠片も本心を見せていない。


 懐いているのはきっと、一ノ瀬美亜をはじめとしたごく少数だと推測できる。


 何故なら、一ノ瀬美亜は聖良のことを「めんどうくさい娘」と称していた。

 それは取りも直さず、聖良の本性の一部を知っていることになる。疑り深く攻撃的で猜疑心さいぎしんに満ち溢れた妹が、だれ彼構わず心の一端を覗かせるとは思えない。


 自由恋愛が許されるようになった背景には、女性の立場向上の他に、お見合いという世間体による婚姻によってもたらされた数々の弊害も存在している。日本の文化に許されざる恋が根付いてしまったのも、そういう体制に寄るところも大きいだろう。


 わざわざ当人の感情を捻じ曲げて一般的な恋をさせる。

 それは聖良が最も憎悪していた行為だ。


 だから俺と佐竹が仲良くし出してから、あいつは更に歪んだんじゃなかったのか。


 そう考えると、俺が佐竹を嫌悪する発言を零してから、聖良の態度が軟化したことにも説明がついた


「目下の懸念事項は……」


 一ノ瀬美亜が情報を勘付いたからと言って、「かわいい後輩」のプライベートをおいそれと口外する人物だとは思えない。

 そういう人物は、そもそも聖良は近づかないはずだ。


「そうだ。まだ平気だ。まだ平気だ。俺の立ち回りで噂の流布は防げる……」


 だが一ノ瀬美亜に対してそれを黙っていてもらうようにお願いするか?


 いいや、それは得策とは言えない。恐らく彼女は善意の人だ。聖良と俺との関係に何かしらの決着を求めるはずだ。


 そもそも現状維持が得策とは言えない。


「……」


 デートの帰りを思い出す。


 俺は聖良の笑顔に一瞬だけ心惹かれた。実の妹にだ。


「そうだよな」


 いつまでもこのままでいいはずがない。


 前に進むにしても後ろへ戻るにしても、この場所に留まっていていいはずがない。

 いつまでも妹を、下手くそな皮肉と早口に支配された、社会不適合者もどきにさせておいていいはずがない。


 だとしたら俺は自分の感情を冷静に見定める必要がある。



「……さっきから何を延々とぶつぶつ呟いているのですか」



「うわあああああああああああああああああああ!!!」



「またですか」


 俺はびっくりした。口から心臓が飛び出るかと思った。


 事態の中心にいるバックれ生徒会長は、親に叱られた子供のように膝を抱えてそこにいた。


「マジかよを連呼したかと思ったら、何やら刑事ドラマの影響を受けたような内容を延々と……兄さんはとうとう狂ってしまったのですか」

「いやそれを言うんだったら、実の兄に対して敬語で接する妹ってなんだよ。意味わかんねぇだろ」

「む、いま私のアイデンティティを愚弄しましたね。目には目を、歯には歯を、です。一子相伝のメガトンインパクトが炸裂します」


 アイデンティティだったのかそれ。


 膝を抱えてむっすーとしている聖良。

 おおかた何があったのか想像はつくが、俺が知っていたら面倒臭くなる情報なので黙っておくことにした。


「何があったんだよ」

「……別に、兄さんには関係ありません」

「そうか」


 おおかた副会長──美亜さんにこっぴどく叱られたんだろう。俺の読みはたぶん当たっている。


 とはいえ、あのバイト先で俺と遭遇していたら、聖良の好意が漏れ出ていた可能性もある(むろん、丸く収まっていた可能性も否定できない)。想定外の事態になっていないので、俺は聖良の行動を咎めることができなかった。


 ぼーっと、そのまま兄妹揃って空を眺める。


 そういや昔、無駄に広い家でこういうことしていたなとか思い出しながら。


 皮肉屋で、捻くれていて、無駄に美少女で、性格の悪い妹は、どうやら俺のことが好きらしい。


「……」


 っていうか、あれだ。

 このままだと生徒会で俺に話したことがバレるんじゃね?


「……」

「兄さんどちらへ? お手洗いですか?」

「佐竹」

「はぁ!? また性懲りもなく浮気ですか!? ふざけないでください! 兄さんの主張は一貫性ないんですか!? え!?」

「いやお前のためだし」

「私に寝取らせの趣味はないのですが!? メガトンインパクトセカンドいきますよ!?」


 どうやら必殺技がたくさんあるらしい。


 俺はぷりぷり言いながらぶちキレるクール(笑)な生徒会長をなんとかなだめてからその場を離れる。


 スマホを操作して、幼馴染純愛男に連絡を入れた。


『おーどうした? 正気に戻ったか?』

「お前一ノ瀬美亜って知ってる? そいつと話し合いたいことがあるんだけど」

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