第7話 忘れてやらない
俺たちの住んでいる町では、月に一度か二度、民間によるフリーマーケットが催される。
場所は大型ショッピングモール前の広場。毎回参加者も結構いるみたいで、掘り出し物を探しに電車を乗り継いで足を運ぶ層もいるみたいだ。
それは修学旅行で行った、京都の古本市を
「何気にこれ参加するの初めてかもしれない」
「そうなのですか。まあ、前に住んでいた町の自治体には、こういう催しを開催する財力はもうありませんでしたからね」
俺と聖良が生まれ育った町は、端的に言えば寂れつつある地方都市だった。
いちおう一通りの施設は揃っているが、この町みたいな首都近郊に比べると雲泥の差だ。
直ちに隣の市に吸収されるべきクソみたいな街。良い思い出などない。
芝生の上にブルーシートを敷いた露店が延々と連なっている。
俺たちはそれを眺めながら歩いた。
「そういえば夏物のシャツがありませんでした」
「じゃあそれ買うか」
聖良が言うので適当な店の前に立ち止まった。人の良さそうな
聖良は襟元にレースが
「お前物色するときキレてるみたいな顔になるクセ直せよ」
「兄さんだってゲームしている時に暴言を吐くクセ直してください」
「あれは煽ってくるから仕方ない。暴言には暴言で対抗して叩き潰すしかない」
「ならば私も屁理屈で対抗いたしましょう。私だって真剣に考えているので致し方ありませんね」
口の減らない兄妹を前におっさんは愛想笑いのまま止めようとしてくる。ごめんなさい。
むすっとしたまま、聖良はそのシャツを自分に合わせた。視線だけ動かして俺の反応をうかがってくる。
「……これではないです」
思わしくなかったようだ。次はもっと笑顔でも作った方がいいのか。
それならそれで「手心を加えて私を愚弄しているのですか」などと拗ねそうなものだ。なんでこんなに面倒臭いんだ俺の妹は。
「……」
テイク2が開始。今度はレースの位置が袖口に変わった。
ちょうど今着ているワンピースからヒラヒラを取り除いたようなデザインをしている。
「これでもありません」
まあいい。聖良の思うようにさせてやろう。こう見えても俺は、妹には常に上機嫌でいてもらいたいのだ。
さて、おっさんはどうやら大学進学と同時に家を出た娘のお古を出品しているらしい。
服に思い出などはないのかと尋ねると、他ならぬ娘が売上金の一部をバックすることを条件に出店を命じたらしい。
一人暮らしは物入りらしいからねぇ。おっさんは控えめに笑った。
「よそ見しないでください。あなたは今私専属の審査員として機能していることを自覚するように」
「いや普通に聖良見てただろ。軽い談笑だよ」
こういう一見は楽だ。なんせ関係を築こうとお互い考えていないから、ラフに振舞うことが許される。
好きでもなければ嫌いでもない。このくらいの距離感が、もっとも呼吸しやすいのではないだろうか。
「談笑では兄さんの意識の何割かはそちらへ割かれることになります。あなたから誘った手前、全神経を私に注力すべきだと思いますが?」
「見てるって」
聖良は俺を睨みつけながら、次の服を手に取った。
少し幼い印象を受けるものの、聖良の白い肌と似合っている黒いドレスシャツだ。
「……ん」
「これにします」
「即断だな」
「ええ」
財布を取り出そうとする妹を押し留めて、俺は五千円札を取り出した。
おっさん曰く結構上等なブランドのものらしく、調べたら新品の価格は一万円近くする。掘り出し物だ。
「でも君も苦労してそうだね」
「え、なにがですか」
「いやだって、彼女さんやきもち焼きっぽいから。ちゃんと見てあげなきゃ駄目だよ」
ブランドについて調べていた聖良がスマホを落とした。
噛みつかんばかりの勢いで、俺とおっさんに割って入る。
「認識の訂正を要求します。彼女ではありません。妹です」
「あはは、兄妹の距離感じゃないでしょ」
「そ、それは……」
「おい聖良。行くぞ」俺は彼女の手を──は現実的ではないので、手首を掴んだ。
「あ、兄さん、離してください。このままでは沽券に関わります……!」
「なんの沽券だよ。ほら行くぞ。じゃあ娘さんによろしくお願いします」
「白いものと一緒に洗濯すると色移りするから気を付けてねー」
にこやかに見送ってくれるおっさん。
恐らく兄さん呼びが定着した昔馴染みカップルとでも脳内補完されていることだろう。何故ならその解釈が普通だからだ。
「ぐぬぬ……」
おっさんの店を離れてかなり歩いてきた。
フリーマーケットが開催されていない間、地元のスポーツチームが利用するくらいなので、この芝生エリアはかなり広大になっている。
駐車場に停まっているキッチンカーを指差した。
「機嫌直してくれよ。ほら、アイスクリーム買ってやるから。抹茶でいいか?」
「みくびられたものですね。甘味で懐柔されるような容易い女だと思われているのですか? ちなみに兄さんはどれになさるのですか」
「即堕ち2コマかよ。抹茶だよ」
「ならば私はチョコレートを所望します」
「あいあい」
キッチンカーに二人で並びたくないとワガママを言い出した妹を放置して、俺は意識高そうな姉ちゃんに注文を告げた。
ドリンクバーの強化版みたいなマシーンで、コーンにクリームを抽出する。あれ一回やってみたいけど、どこで体験できるんだろう。
両手がクリームで塞がれたまま妹のもとへ戻る。
「……あ?」
だがそこには見慣れない人影があった。女が2人、男が1人だ。
恐らくだが俺とタメか、あるいは1つ下くらいだろうと推測できる。
というのも、聖良が学校でそうしているようにネコを被っていたからだ。
「でも天賀谷会長もこういうところ来るんだねー。なんかずっと勉強してたりヴァイオリン聴いてたりするのかと思ってたー」
「うふふ、いえいえ、私など市井に住まうありふれた1人に過ぎませんよ。休日の過ごしかただって、皆原さんや天海さんとそう変わりませんって。だらけたい誘惑で一杯ですよ」
「えー、でも会長ってめちゃ真面目なイメージあるんだけど? でもなんかセンス良いし、なんかズルしてない? チート使ってるよチート。ウチと比べたらマジで月とすっぽんだし……」
「そんなチートだなんて。天海さんだってバスケットボール部で活躍しているじゃないですか。私、球技は苦手なので……運動が得意だなんてすごいと思いますよ」
「あー、会長やさしー、ウチ会長すきー」
「あ、ズルい。私も会長ハグするし」
「もう、2人とも? ここは校内じゃないんですよ? もう」
うっわ、笑いながら「もう」とか言ってる。
本当に聖良かあれ。別人じゃないの?
女子2人にハグされながらにこやかに談笑している銀髪ウェーブの生徒会長。
まるでごく普通の女子高生のようだ。あまりの変わりように俺は戦慄した。
だが俺は空気を読める男なので、とりあえず妹の校内での立場を尊重してやることに決めた。
「あ」
目が合う。
「それでは行きますね。また月曜日」
聖良は強引に話を終わらせると、俺の方へ走ってきた。天海さん率いる(恐らく)聖良の同級生集団は、まだこっちを向いていた。
「クラスメイトと話さなくてもよかったのか」
俺は微妙に溶けだしていたアイスクリームを手渡して問う。聖良は決まりが悪そうに顔をしかめた。
「まあ……アイスクリームを持たせた兄さんを放置するのもよくないと思ったので」
「ああ、いや気にしなくてもいいぞ」
「ですが……」
「俺が聖良の分まで食べるからな」
「やはり切り上げないべきだったのでしょうか。どうやら兄さんは私を挑発せずにはいられないようでしたので、その意思を尊重するのが本人のためでしょうし。喧嘩なら買いますよ」
聖良はさっきよりもシニカルな物言いをした。
アイスに噛り付く。先に食べていてもよかったが、どうして保留していたのか疑問に感じた。
ドレスシャツの入った紙袋の持ち手を握り直して、俺たちはベンチから立ち上がった。
「スマホショップ行くか。んで、終わったら昼でも食べよう」
「急に行って待たされるのではないですか?」
「あー、それもそうだな。じゃあ待ち時間が一時間越えるんなら先に飯にしようぜ」
「お昼は割り勘にしましょう」
「駄目。お前むしろ財布持ってこないでいいくらいだったのに」
「は? 私の経済力を見くびられているのですか? 野放図に成人向けゲームやアニメのアクリルスタンドを購入する兄さんより計画性に富んでいる自負があるのですが?」
でもお前バイトしてないじゃん。
厳正なる協議の結果として、まずはショッピングモール内のスマホショップの予約を確認しようと結論付けられる。
混雑しているようなら予約チケットだけ取り、昼食を求めてモール内を
「あ、あの」
これは聖良ではなかった。
背後からかけられた男の声に、2人して振り返る。
そこにいたのはさっきの一団の男。
そこそこ整った顔立ちだが、若干背が低い。
さっきの女子2人が謎のジェスチャーを送っている。頑張れとでも言っているのだろうか。
「あ、天賀谷さんの彼氏?」
男は俺を指差して問うた。聖良と顔を見合わせる。さっきの再現だ。
「違います」
ややあって、聖良は絞り出すように言った。
「じゃ、じゃあその人、なに?」
「兄です」
「あ、あー……! あー、兄か。お兄さんなんだ。そっか」
目に見えて安堵した様子の男。
顔をほころばせた彼は俺のほうへ歩み寄ってきて、どこぞの右団子と同じように握手を求めてきた。俺はしどろもどろになった。
「生徒会で会計やってます。
「ああ、聖良の兄の和也です。妹が世話になっています」
俺は若干面喰いながら応じた。茅ヶ崎を名乗る男は白い歯を見せている。
「あー、そうだ。副会長が怒ってたよ。なにバックレているのよーって。天賀谷さん、何かしたの?」
「え、ええ。まあ、色々と……」
引きつった笑みを浮かべている聖良。
バックレるってなんだよ。生徒会主導のボランティアでもサボったのか。生徒会が地域貢献やっているのかは知らないけど。
「じゃあ戻ります。会長をよろしくお願いします」
「ああ……うん。転ぶなよ」
「あはは、なんすかそれ」
茅ヶ崎くんは俺に一礼すると駆けって女子集団へ戻っていった。天海さんと呼ばれた方から背を叩かれている。
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
3人の姿が完全に人混みで遮られると、聖良は露骨なまでに深い溜め息を吐いた。
苛立ちゲージは舌打ちライン寸前だろうか、このままだとネットでレスバモードへ突入しそうだ。
無理すんなと励ますのは容易いが、それは水際に立っている妹の努力を貶すもののように思えた。
だからせめて、聖良のイライラが爆発する前に、俺は話頭を改めた。
「疲れたか。先に飯でも食おうぜ」
「ええ……はぁ」
「ほぼ別人じゃん、お前の演技。なにあれ」
どうして外面を演じるのかは聞かないでおいた。
「なんですか。私は陰キャ街道を邁進する兄さんとは異なり、表面上だけでも順応しようという姿勢を見せているのです」
「そうか」
それで余分なストレスを抱え込んでいたのでは世話ないと思うが、生徒会長である聖良と、クソザコ一般生徒でしかない俺とでは責任や存在の重みが違う。
校内で聖良は存在感を放っているため、そういう諸々は今さらかなぐり捨てられるものではないのだろう。
しがらみとは生きていく上で発生する垢だ。誰だってそんなもん願い下げ。
「あと茅ヶ崎さんとは何もありませんから」
舌打ちゲージが溜まったようだ。
忌々しげに舌打ちをしながら、心持ち強く言い切られる。
瞳にすがるような色があったので、茶化さないで素直に頷いておいた。
「知ってる。お前が人間嫌いなのは見ていればわかる」
「……」
そんな聖良がどうして生徒会という、ある意味完全アウェーへ身を投じたのか。
※ ※ ※
スマホショップは思いのほか空いていたので、すんなりと要件を果たすことができそうだった。
アクリルボードで仕切ってある席へ案内されると、素敵系お姉さんがアナウンサーのようにプランの案内をしてくれる。
妹はフルボイスのゲームのメッセージを飛ばすかの如くおおよそ聞き流していた。
「あの……」
否。おずおずと尋ねた。
「どうかなさいました? プランの変更などいたしますか?」
「いえ、内部のデータの移行などは出来ますか?」
「あー、LINEなどのやり取りや一部の連絡先は全部消えてしまいますねー」
「ああ、それはどうでもいいです。画像を、その、引継ぎできないものかと」
「ん? ああ、それでしたらお客様のプランにはデータのクラウド・バックアップが含まれておりますので、当社のサービスアプリから再度ダウンロードしていただけでば可能です」
「よかった……」
聖良は得心の言ったように頷いた。
LINEのデータよりも重要な画像データに気が惹かれないと言ったら嘘になるが、まあ兄妹といえどもプライバシーは重要だ。
「……」
「なに」
なんかじろじろ見られている。最近見られる機会多いな。
「なんでもありませんよ」
「そうか」
「ええ」
だが妹はどことなく上機嫌で、紙袋の持ち手の平べったい部分を折り曲げて遊んでいた。
結局聖良は機種変することもなく、有事の際の代替機種を送付してもらうことに決めた。届いたら、壊れた古い機種をポストへ投函すれば交換が完了するお手軽さ。
「あまりショッピングモールには来ないもので、ここに何があるのかさっぱりわからないのですが」
「俺も俺も。っていうかあれだな、ショッピングモールに店が入っているのって、これ『格納』でいいの? それとも『収納』なの?」
「『入居』や『出店』となります。兄さんはもう少し勉強してください」
お前の通っている高校で平均点出せるくらいにはやれるぞ、俺。
だが聖良がぶっちぎりなのは想像に難くないので、俺はシカトせざるを得なかった。言い返してもマウントを取られるだけだ。
勘違いしてはならないが、コイツは数多の声のデカい方々に「効いてて草」や「人生つまらなさそう」と捨て台詞を吐かせた女でもある。
「ごめん、何食うかまでは決めてなかった。いいところに予約取ろうと思ったんだけど、そしたらお前変に緊張しそうだし」
「価格帯の高いお店のほとんどはネームバリューです。お気になさらず」
「お前いつか敵作って後ろから刺されるぞ……」
偏見の酷い妹をいなしながら、俺たちは歩き出した。
「そんなに大切なデータだったのか」
「……ああ、はい。まあ」
データの移行が出来るとわかってから、聖良は見るからに機嫌がよくなった。
「前の家の、その、写真ですので」
「え」
「782枚。ぜんぶ保存してあります。まだ楽しかった頃のものです」
まさか打ち明けてもらえるとは思っていなかったので、俺はいささか衝撃を受けた。
楽しかった頃とは具体的には小学校から中学一年生までの期間だ。それを越えたら人は一気に成長して世界が広がり、特に男子はエロやきわどいネタにも抵抗がなくなる。
だが中学生の脳みそはまだ未熟で、色々な部分で制御が利かないと本で読んだ。思ったことを躊躇いなく口にしてしまうこともままあるそうだった。
「そうか」
「ええ」
「昼飯だけど。トンカツとかよくないか? 並んでも10分くらいだし」
「いや女性といるのに脂っこいものを食べさせるのですか、兄さんは……」
仕方ないだろ。お前何が食べたいのかわからないんだし。
「最初に聞くべきだったけど、聖良、何か食べたいとかあるのか」
「……」
聖良はすこし恥ずかしそうにしながら。
「ラーメン」
俺の提案と大差ないことを言った。
※ ※ ※
すっかり日が沈んで、俺たちは昨晩と同じ道を歩いていた。
昼の内に業者が交換でもしたのか、昨日はついていなかった常夜灯も今日は元気に稼働していた。
会話のないまま並んで歩く。だがそれは居心地の悪い沈黙じゃなかった。
雀の踊り百までというが、妹は昔と変わらずラーメンをするすると
ご丁寧に替え玉とチャーシュー丼のセットまで注文して、俺は唖然としていた。
「……何やら失礼なことを考えていませんか?」
「事実を思い返していただけだ」
「事実陳列罪ですね」
「ネットスラングを現実で使うのはやめろ。あとそれ皮肉で使われるスラングだけどお前的には大丈夫なの」
「はぁ……デリカシーのない。今となっては寝取られるのもやむなしと言えるでしょう」
「やめろよ。飄々としているけど案外傷付いてるんだぞ俺」
「嘘ばっかり。本当は好きでもない女のために、見栄を張り続けなくていいとわかってほっとしているくせに」
妹は──天賀谷聖良は、本当に、自然に、ふっと微笑んだ。
法定速度ぎりぎりの鈍行で通り過ぎていく軽自動車が、彼女の姿をぱっと照らし出した。
俺はなぜか一瞬、彼女を直視できなくなった。
「今日のデート何点だった」
「9点」
「何点中?」
「さぁ……何点でしょうね。想像の余地を持たせた方が深みや余韻が出ると聞きます」
「お前それ自分で言ったら台無しだろ……」
でもまあ、そうか。
デートであることを否定しなかったな、こいつ。
遠くでパトカーの音が聞こえてきた。
だがそれは遠くだったので、俺たちのいる区画は穏やかな静寂に包まれていた。
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