第5話 世界はそれをデートと呼ぶんだぜ


「……」

「……」


 常夜灯を伝うように、住宅街を歩いている。この辺りは交番が近いため、比較的治安は良かった。


 電灯に羽虫が集まっている。


 そろそろ衣替えの季節だ。


 夏休み前には生徒会選挙も実施される。


 会話はない。

 ただでさえ俺たち兄妹は不仲の部類に入るだろう。先週などは廊下で偶然すれ違っただけでも不満げな顔をされたくらいだ。

 あるいはそうならざるを得なかったのかもしれない。


 ──うんうん考えていてもわかるわけないじゃん。


「聖良。明日って土曜だよな」

「ええ、それが何か? そういえばニートやだらけている人間は曜日感覚が消失するようですね」

「久々にどっか行こうぜ。金なら俺が出すから」


「……」


「なんだよ」


「あう」


 妹が素っ頓狂な声を上げたので様子をうかがおうとしたが、俺はそこまで意地が悪くない。

 俺の意思とは無関係に、まぶたの裏で成長した妹と幼い頃の面影が重なった。何となく居心地が悪くなった。


 聖良は頭がいい。


 出掛けることの意味合いくらい簡単に察せられるだろう。


 昨年潰れたレンタルビデオ屋の空きテナントを通り越した辺りで、聖良はふいに口を開いた。


「と、とつ、とつっ。んんっ! 

……突然何を言い出すのかと思えば、私と遊びに行く? 兄さんと二人で? 小学生ならまだしも、私たちは既に高校生であり、大学や就職を見越した人生設計を迫られる年齢です。いつまでも家族に判断や存在意義を委ねていないで、自分の意思で判断しなければならないと思いますが?」


「何言ってるのか全然わからん。イエスかノーで答えてくれ」


「いえ、ですから……」

「遊びに行こうぜって言ってるのに、進路の話すんの意味わかんねぇだろ」


 ハイビームを炊いたままの無礼な車が通り過ぎた。聖良の顔が照らされたが、俺は空気を読んで見えなかった事にしておいた。


「いつまでも妹離れできないのは、その、いかがなものかと」


 聖良の声は上擦って震えていた。

 それは何か、とてつもなく大きな決断をするかのような気迫だ。安直に返事は憚られた。


 横目でうかがうと、歩く速度が速くなったり遅くなったりしている。


 横断歩道に捕まるが、挙動不審な女は前髪を弄ったり意味もなく手帳型スマホケースを閉じて開いてを繰り返す。


「わかった。急だったしな。忘れてくれ」

「あ、ああ、いえっ!」

「どうした」

「えっと……どうぞ」

「いや、どうぞって言われてもわからないんだけど。目の前横断歩道でめっちゃ車走ってるし。俺まだ死にたくない」


 近くのカラオケ館からぞろぞろと大学生の集団が出てくる。

 単位が危うい話とウザい教授の話題を交互に切り替えながら、酒臭いそいつらは坂道の方へ消えていった。


「日付変わるまでに言ってくれればいいから」

「……」

「ローソンあるけど、なんか食うか」

「……ぅぅ」

「焦らなくていいから」

「……ぅん」


 聖良は目を伏せた。長い前髪が彼女の感情を覆い隠した。


 あー、やっちまった。


 本当にこれでいいのだろうかと思うが、だからと言って今さら恋愛したいとも思わない。


 普通とはなんだろうと、久しぶりに思春期らしいことを考えてみる。


 楽しかったが、それは別にあの女じゃなくても得られる経験だったと思う。


 あの女とはキスすらしていない。

 ドキドキしていたが、それはあのクソ女にときめいていたのか、あるいは初めての彼女という肩書きに胸を踊らせていたのかさえ定かではない。


 そして最終的にはトラウマになって終わった。恋愛が人を成長させるとか言っている奴は、恐らくだがけた外れにポジティブなだけだ。何でもプラスに受け止められる能力は、俺には備わっていない。


 あれが現実的な恋愛で、あれに満足するのが大人であり常識だって言うんなら──

 やっぱ現実の恋愛ってクソだわ。


 俺たちには与えられないものだろう。


 ※ ※ ※


 風呂上りにハーゲンダッツが食べたくなったので、コンビニまで行こうと思った。


 さっきのローソンと天賀谷家はちょうど目と鼻の先だ。財布とスマホと鍵だけ持ってコンビニまで湯冷ましするのが細やかな楽しみだった。


「……」


 聖良から連絡はない。


「そりゃそうだろ」


 俺は自分に言い聞かせた。


 仲が良かったのは遥か昔だったし、その間にも少なくない確執も生まれた。


 結婚の約束をいつまでも覚えていてくれる幼馴染なんて存在しない。

 幼馴染をものにしたいのなら、アプローチしてアピールして振り向かせるのが一番堅実だ。それこそ佐竹みたいにな。


 別に恋愛じゃないにしても、そういう関係を維持する努力をしてこなかった結果が返ってきたに過ぎない。


「……まあ。そりゃそうだよなぁ」


 靴紐を結ぶのが面倒臭かったので、サンダルのまま家を出ようとした。

 スマホが振動した。


 ポケットに手を突っ込んだが、勢い余ってスマホを落としてしまった。天賀谷聖良と書いてあった。


「もしもし」


 俺は深呼吸してから電話に出た。


『か、買い物っ……』

「せ、聖良? どうした? 落ち着け」

『か、かいもの、の、予定があります。明日……』

「買い物?」

『そ、そのついでです。ついでです。ついで……』

「……」


 俺は黙って待った。


『そのついで、なら、時間が余っているので……はい、ええ、兄さんが好きにしたらいいと思います……。ええ、どこか、行きたいのであれば、仕方なく……』


 表情が想像できるような絞り出すような声のまま、聖良は明日の予定を認めてくれた。


「何か食べたい物とかあるか。先週給料日だったから、財布には余裕がある」

『……い、いちいちっ、聞かなければ、なにも決められないのですか、兄さんは』

「どうせだったら一番喜んでもらえるものを食べさせたい。やりたいこととかあったら言え」

『で、で、デートではないのですよ? 妹相手に何を言っているのやら……あっ、ちょちょちょ』


 通話口からタンスを倒したような音が響いてきた。二階からどたどたとした足音がする。聖良もスマホを落としたのだろう。


「画面割れてない?」

『いや……割れました』

「じゃあスマホショップにも寄ろうか。取り立ててやりたいことがないんだったら、明日決めよう」

『……に、兄さん』

「なんだ」

『あくまで、買い物のついでですから』

「わかってるって」


 通話が終わる。二階ではまたしても異音が鳴っていた。擬音表現的にはバタンバタン。


 今度はゆっくりとスマホをしまってから、俺は家を出た。


 歩きながら、明日開催されるアミューズメントパークや、近くの栄えたエリアにある料理店などの情報を確かめる。

 

 記憶を探りながら、妹が喜んでいた食べ物やそうではないものを手探りにメモ帳へまとめていく。


 いつになく足取りは軽くて、コンビニ店員から不審がられた。

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