第4話 君のバイト先まで 2/2

 俺のバイト先はいうなればハンバーガーチェーンだ。


 民度は最悪で、だいたい16~18時くらいの時間になったらTikToKに自我を汚染された女子高生の集団や、ソシャゲの推しのおっぱいの大きさで競い合った挙げ句、最終的に人格否定合戦へ発展するデリケートな若者の集団が大挙して押し寄せる。

 最終的にみんな神妙な顔をして退店するので、ともすれば青春とはかようなものなのかもしれない。


「今日はお客さん少ないねぇ」

「ああ……そうですね」


 バイト先の先輩から話しかけられる。茶色いパーマをお団子に結った女子大生。

 一ノ瀬いちのせ亜弥あやさんは、俺がここで働き出してからずっと先輩後輩の間柄だ。


「ねぇねぇ天賀谷くん。何か浮かない顔しているけど、悩み事? おねーさんに言ってごらんよ」

「はぁ……」


 このようにやたらと先輩風を吹かせたがってくるのが特徴。

 だが善意トルネードでもある彼女は、同時に勘違い量産機ともして知られているので油断してはならない。


「まあ、何もないですけど」

「そんなことないじゃん。天賀谷くんって常に世の中を憎んで国会議事堂に火炎瓶投げ込みそうな顔してるけど、今日はいつにも増して暗黒で漆黒だよ?」

「おい表出ろクソアマ。人の容姿と家族の悪口だけはダメなんだぞ」

「きゃー♪犯される―♪」


「おっ! 犯される!?」デリケートな若者Bが過剰反応する。


「ま、まあそりゃそうだよな。だって美人のお姉さんだもんな……彼氏の一人や二人や三人くらいいて、毎晩勝ち組ムーブで俺たち弱者には見せないような痴態を……ううっ」


「普段の接客の裏で見せている笑顔が乱れるのは、あんな女を殴って風俗で稼がせるようなクソ彼氏の前だけ。俺たちはそんな文明の産業廃棄物の足元にも及ばない……うっ」


「ひょんとしたことでお近づきになることに成功するも、俺たちは所詮規制マゾ……手で触れることはおろか、見て満たすことさえ許されないまましなやかに腰を振る彼女を前に劣等感に苛まれたまま……うほっ」


 次々と騒ぎ出すデリケートな若者たち。勘弁してくれ。


 こういう前提もあって一ノ瀬さんとはあまり会話したくない。

 今回のように、亜弥さんを殴って風俗で稼がせるカス認定される理不尽に苛まれるからだ。あと普通に問題発言だろあれ。


「まあ冗談はいいや」

「その些細な冗談で一生のトラウマを負う少年少女だっているんですよ」

「で、なんで浮かない顔しているの? フラれた……のは、前に聞いたけど、それとは別件?」

「まあ別件ですね」


 とはいえ包み隠さず打ち明けていいものか悩みどころだ。


 問題の範囲が俺だけならガンガン頼っていくが、折悪しく聖良の存在もある。

 何の相談もなく独断で相談していたことを聖良が知った時、あるいは聖良が俺のあずかり知らぬところで部外者へ打ち明けていた時を想像した。


 もうあんな想いはしたくない。殴った拳だって痛いから。


 故に俺は当たり障りのない部分だけ話すことに決めた。


「あの……たぶん、俺のこと嫌いな子のことなんですけど」

「お、なになに? 恋愛の相談?」

「恋愛ではないですね」

「うお、きっぱり否定された」


「その子が急に優しくなってきたんですよ。で、優しくなった理由に目星は付くんですけど、ひょっとしたら俺の勘違いかもしれないし、その子が優しかったことで……まあ、その、嫌な経験をしたこともあったので」


 現実はクソという俺の主張。現実の恋愛はクソという主張。


「ふーん……」一ノ瀬さんはしばらく考え込んだ後、思いついたようにぽんと手を打った。

「そうだ。デート行こうデート」

「は?」


「え? だって、どうして急に優しくなったのか、そしてその優しさの理由と、どう向き合っていくべきかに悩んでるんでしょ?」

「ま、まあ。そうなりますけど」


「そんなもん一人でうんうん考えていてわかるわけないじゃん。

 仮説に仮説を重ねて仮説のスパゲティーコードで頭爆発するだけだよ。おおよその問題って話し合えば解決する」


 一ノ瀬さんは勘違い量産機であると同時に、今一つつかみどころのない変人でもある。

 だが言っている内容はたいがい正しいので対応が難しい。


 それにしてもデート? 俺と聖良が?


「延々と罵ってきそうです。『ついに焼きが回りましたね。妹ものと現実との区別すら付かなくなりましたか。地球の秩序を考慮すれば今代で種を断つのが最適解と存じます』とか言われそう」

「どんな相手なの……」


 血を分けた妹です。


 そこで店内がにわかにあわただしくなった。


 おいおいセルフ脳破壊は家でやれよとデリケートな方々を見やったが、彼らは日常系アニメの百合カップリングで争いつかみ合いの喧嘩をしているだけだった。


 そして今度は静かに自動ドアが開いた。


「あ、姉さん」

「あー、美亜。やっほー」


 俺は息を呑んだ。

 だって一ノ瀬さんとまるで違わない、瓜二つの女が店内に入ってきたからだ。

 今は学生服を着ているから見分けが付くが、衣装を揃えたら分身みたいになるだろう。


「妹さんですか?」


 わかりきっていることを尋ねた。


「ええ。妹の一ノ瀬美亜。お団子が右よ」

「右でーす。どうぞ宜しく」


 よく見ればお団子の位置が逆だ。

 そのままにこやかに手を差し出されるので、俺はしどろもどろになった。こいつもこいつで勘違いと無用の悲しみを生み出しそうだ。


「……」

「なんですか」


 右団子から何やらチラチラ見られる。


「前にどこかで会ったかしら?」

「いや、初対面だと思いますよ。っていうかウチの二年ですか。じゃあ俺とタメですね」

「あら? 同じ高校なの? じゃあ廊下で見掛けただけかしら」

「そうだと思うよ」


 特徴のない顔とよく言われるので、たぶん誰かと印象が重なっているだけだろう。


「それで美亜。ご注文は?」

「ああ……」


 入ってきた時からしきりに背後を気にしている様子だ。

 連れでもいるのかとカウンターから身を乗り出したが、警備員に連行されるデリケートな集団がいるだけだった。


「ヘタレさんねぇ」

「友達でも呼んでるの?」

「まあ、そういうところかしら。ここに色々な意味で気になる人がいるみたいなの。だったらエールでも入れてあげれば好印象を稼げるんじゃないかしらって」


 俺の苦手そうな話題だったので、美亜さんに断ってバッシングへ移った。


 現実のそういう恋愛の駆け引きみたいなものを耳にしたくはないし、何なら恋愛の競争も運命の相手も失恋も全部無に帰せばいい。

 人間が細胞分裂で増殖するようになれば解決するという簡単な話だが、惜しむらくは科学はそこまで万能じゃないということだ。


「……はぁ」


 うるせぇな、わかってるよ。


 俺のスタンスと、やろうとしていることと、やったことと、気に病んでいること。全部がそれぞれ矛盾しあって意味不明になっていることくらい。


「天賀谷くん」

「ウス」


 乱闘騒ぎで倒れた観葉植物を立て直していると、店長から声をかけられた。


「休憩入っていいよ。一ノ瀬さんも」

「了解です」

「ん」


 彼は必要最低限のことだけ告げると、こちらを振り返ることもなく事務所へ戻っていく。ああいうスタンスには好感が持てた。クールでカッコイイ。ああいう大人になりたいなぁ。


 制服を脱いで休憩室でソシャゲでもしようかと思っていると、一ノ瀬さんが入ってきた。


「お話しない?」

「は?」

「美亜……妹がね、男子の意見も聞きたいらしくて」

「はぁ」


 雰囲気的に断れなかった。恋愛相談めいたことに付き合わされると思うと辟易とする。


 だが俺はこう見えても平和主義者なので、最大公約数のために自分の信念を曲げることもやぶさかではないのだ。

 だって誰かが折れないと、コミュニティとか回らないじゃんね。


 テーブル席にハンバーガーとドリンクだけ買って着座する。既に向こう岸に左右の団子が腰を降ろしていた。


「めんどくさい娘なの」


 開口一番、美亜さんは暴言を吐いた。


「ここに来る途中で『必要性を感じない。報酬が当たり前の世の中は間違っている』とか無茶苦茶なこと言ってどこか行っちゃうし、

本人は恋愛じゃないと頑なに言い張っているけど……あれ、ガチなんじゃないかしら」


「はぁ」


 これはまた中々に入り組んでそうだ。なんで俺にしたんだよ。


「でもね、ガチだったらかなり不味いことになってしまうの。世間体的というか常識的に。

だから私としても中々迂闊なことは言えないんだけど、でも普通になって欲しいけど、それでも普通になられるのは頭に来る……みたいな内容を延々と相談されると、何だかもうどうでもよくなってくるのよね。好きにすれば? って」


「無責任なのか責任感強いのかよくわかりませんね」


 そもそも登場人物の素性が一つも明かされていないから、こちらから建設的なことを話すのは不可能に近い。

 相談という名の愚痴だと理解した。


 こういう場合は聞き役に徹し、俺はただ相槌を打つ装置となった方が省エネだ。


 美亜さんは両手で持ってバニラシェイクを吸う。音は立たなかった。


「だけど可愛いと言えば可愛い後輩なのよ」

「そうですね。理想と現実の差ですね」


「そうそう。本当はいい子なんだけど、捻くれている女の子でね」

「そうですね。素直になった可愛さをわかってもらいたいですね」


「うん、だから応援してあげたい気持ちはあるんだけど……でもそれが本人のためになるのか、というか相手側の感情が彼女の話から一切見えてこないから、私が一般論を並べても的外れかなって感じて躊躇するし」

「そうですね。相手によって対応も変わりますから、軽はずみでアドバイスできませんよね」


「あなた話わかるわねぇ」


 なんか感心された。えへへ。


 その後、俺の休憩時間が終わるまで談笑に付き合ったが、結局美亜さんの相談相手とやらは訪れなかった。


「まあ仕方ないわよ。本質的に臆病な娘だもの」


 微笑みの裏に隠しきれない怒りを覗かせている。

 頬が引きつっていたが笑みを絶やすことはなかったので、何か人前に立つ経験でもあったのだろうか。


「美亜お疲れー」

「ああ、姉さん。やっぱり父さん今日は帰ってくるみたいよ」

「あ、そうなの? んじゃあ出前でも取るか。今日は三人だねぇ」


 和やかな会話を交わして、アルバイトの先輩の妹にして同級生という複雑な立ち位置の女は去っていった。




「お疲れ様でしたー」


 店を出る頃には既に日は完全に沈んでいた。


 既に聖良は夕食を済ませているだろう。

 昼間の一件もあってLINEでも飛んできているか確かめてみるが、カラオケ館のクーポンが送られてきているだけだった。


「ラーメンでも食って帰るか」

「楽しそうでしたね兄さん」



「うわあああああああああああああああ!!!!」



 驚きのあまり腰を抜かした。銀髪が物陰から姿を現す。


「そんなに叫ばないでください。衆人環視で注目を集めてストレス耐久テストでも実施するおつもりですか?」

「び、びっくりしたぁ……おま、お前、いたのかよ……」

「兄さんは昔からジャンプスケアやドッキリに弱いですね」


 いや、あれ得意な奴の方が少ないだろ。

 こいつは嬉々としてホラー映画やスプラッター映画を観ていたキチガイだ。


「た、楽しそうでしたって何だよ。あー、びっくりした。え、なに、見てたの?」

「はい」


 聖良は取り澄ましたままあっさり肯定したので、俺は反応に困った。


「なんで?」

「まあ、その、諸事情が入り乱れた結果です」

「……」

「ですが楽しそうでしたね、兄さん」


 半眼のまま刺々しい物言いをしてくるので、彼女の感情は何となくわかった。怒っている。


「恋愛はしないと決意した翌日にこうですか。君子豹変すと言いますが、兄さんは軽佻浮薄な現代に似つかわしいフットワークの軽さをお持ちのようで」

「いや、愚痴聞いてただけだけど」


「ふん、どうだか。女性は感情を受け止めてくれることを重視するようですがね」


 どうせネットで得た知識で俺を咎めながら、眉根をよせる妹。


 いつまでもこでへたり込んで漫才するわけにも行かないので、さっさと家へ帰ることにした。

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