第3話 君のバイト先まで 1/2


「天賀谷ぁ。頼むよ。会ってくれよぉ」

「断る」


 授業が終わって放課後。俺は佐竹に捕まっていた。幼馴染ちゃんを召喚するにしても、彼女はテニス部で青春を謳歌している最中だった。


「今度はいい女だから! ちゃんと、な? な?」

「なんでそんな必死なんだよ」

「名誉挽回、汚名返上! 頼むって天賀谷! あの女紹介したのは悪かったから! な?」

「嫌だ。俺はもう可能な限り苦しい思いはしたくない」


 この後はバイトだ。いつまでもアホの戯言に付き合っていられない。


「それにお前、彼女が部活終わるまでの暇つぶしだろ」

「え?」

「じゃあお前もテニス部入って汗流しゃいいじゃん。俺に構っていないで」

「え、え? そ、そんなことはないけどなぁ……うん、ボク、天賀谷くんが一人で寂しそうだから、その、友情をね。ネ?」


 うっわ嘘くせぇ。


「マジで嫌だからやめてくれ。

 無理強いするならお前との付き合い方を考え直さなきゃならん」

「……。ああ……悪かったよ……」


 俺は振り返って友人なのか敵なのかわからない男を見た。

 奴は背もたれに顎を預けている。悪戯がバレた子供のような顔付きだった。


「……わかってくれればいいんだ。それじゃあな」


「でも意外だな。天賀谷にも好きな娘できたってことだろ?」

「あ?」


「うんうん、俺が浅かった……! そうだよなぁ、やっぱ女だったら誰もいいって考えは、それこそあのクソ女と同じだもんなぁ」

「お前その鬱陶しいキノコヘアー切れよ」


「案ずるな相棒! お前がもし彼女にしたい娘がいたとしたら、俺のこの無駄に広い人脈を駆使して必ずセッティングしてやるからな!」

「……」


 人間は話し合えば分かり合えるというが、そもそも根本的な価値観の違いは言葉を交わしたところで埋めようがないことがわかった。


 そういう相手にはどう対応するべきか。


「佐竹、お前金返せよ。25000円」

「今その話する!? 友情について語り合おうぜ!?」

「お前マジでテニス部入ってイチャイチャしてろよ」


「え~? でも俺たちって……ああ、俺と絵理のことね? うふふ。

 四六時中って程ではないけど一緒にいるんだけどさぁ、流石にプライベートの空間っていうか? まあ一緒にいない時間も設けないといけないっていうかさぁ、絵理は俺にテニス部に入れって迫ってるけど、そういうのが将来籍入れた時にさぁ」


「死ね」


 お前曲がりなりにも女寝取られた男の前だぞ。どういう神経してんだコイツ。


 世界を構成する何もかもに理不尽な憤りを感じながら、俺はその足でバイト先へ向かう。本気であの量産型マッシュの対策を講じないといけない必要性を感じ、既に気力は8割ていど削がれていた。

 あのノリはきついので、ひょっとしたら俺以外男友達がいないのではというのが最近の見解だ。


 そこでスマホが震えた。昼間と同じバイブレーションだ。


『……』

「なんだよ聖良」

『バイト』

「うん」

『頑張ってください』

「……う、うん」


『なぜ引いているのですか。そもそもあなただってさも当たり前のように私の学業と生徒会活動を鼓舞したにも関わらず、私だけ異常事態のように扱われるのは辻褄が合っていないのではないですか?』

「世の中は矛盾まみれだからな」

『ならば私の行動も許容されるべきではないかと思うのですが』

「うん……」


 言い返せない。


『ふふ』

「え、なに」

『今朝の雪辱は果たしました』

「今朝?」


『私を論破したことです。生憎、負けっぱなしは性に合いません。地の果てまで追いつめて、二度と立ち上がれなくなるまで叩き潰すのがモットーです』


 もっと平和に生きようぜと言おうとしたが、妹の口調がいつになく楽しげなので、無粋な突っ込みは控えるような気がした。

 こう見えても俺は平和主義者で、なるべくみんな楽しく安全に過ごせればいいと思っているんだ。


「まあバイト頑張るよ」

『ええ。それでは』


 通話の終わったスマホの画面を眺めていると、昇降口の下駄箱に頭をぶつけた。周囲に人がいないのを確認する。

 ほっと胸を撫で下ろすと、どうして自分がこんなに困惑しているのかを考えた。


 考えた、じゃねぇよ。昨日まで俺のことをゴミを見るような目で見てきていた妹が、急にヒロインみたいなムーブしてくるからだろうが。


「……」


 もうああいう想いはしたくないなぁ。


「世界が平和でありますように」


 上履きもそろそろ交換しなきゃなと思った。


 ※ ※ ※


 Anothe View


「……」


 これで良いのか疑問は尽きません。

 少なくとも、副会長の助言には従いました。


「会長、お兄さんどうだった?」


 傍らに控えていた女性に話しかけられます。茶色いパーマをお団子に束ねた活発そうな女性です。垂れ目の瞳の奥には、得体の知れない光を湛えています。


 彼女の名は一ノ瀬いちのせ美亜みあ

 副会長という私の右腕です。そして今のように二人で生徒会室にいる時、何くれとなく助言をくださる方でもありました。


「ど、どうと仰いましても」

「バイト行くんでしょ? 応援できたね」

「応援、でしょうか。あれは……」

「ふふふ」


 含みのある笑みを浮かべる美亜さん。兄さんと同じ二年生ですが、面識はないそうです。


 私が生徒会長へ就任した当時から何かにつけて補佐をしてくださった恩があり、私は彼女に頭があがりません。


「でも昨日から、何だか聖良ちゃん元気そうね」

「……まあ」


 自覚がないほど私は愚かではありません。


「兄さんが元気そうになったので」

「お兄さん想いねぇ」

「は? いえ、家で鬱々としたオーラを放たれるのは非常に鬱陶しいので、それが止んで解放感を味わっているに過ぎませんが」

「まあ本人が言うのならそうでしょうね。ふふふ」

「ぐっ……」


 この人は私よりも数段上手なのでしょう。つかみどころのない笑みの裏側で、恐らく私ですら理解していない何かを察知しているに違いありません。そういう存在がいることは落ち着きませんが、同時にこの人は頼りになる。

 私は矛盾した感情を向けています。


「よし、生徒会と言っても体育祭や学園祭以外は基本的に暇よ!」

「どなたに説明しているのですか?」

「そういうわけだからバイト先に凸しましょう。軽く労ってあげれば好感度アップ間違いなしよ!」

「え、ええ……? 仕事の邪魔になるのでは?」


 私は現実的な懸念を呈しました。


 しかしながら美亜さんは何やら発奮しているご様子で、頑として首を横に振ります。


「お兄さんと仲直りしたいんでしょう? だったらもっと素直にならなきゃ。ね? 会長」

「そ、それはそうですが……。ですが兄さんは、その、過去にしてしまったことを未だ引きずってらしてですね。私のエゴに過ぎないのではないのかという不安がわだかまって」


「甘い!」

「!?」


 鋭い一喝が人のいない生徒会室を行き渡りました。厚手のカーテンが薄く揺れる程の声量で、驚いて椅子から転げ落ちるところでした。


 美亜さんは一家言あるのか、何やらくねくねしながら続けます。


「甘いよ会長! 昨今の恋愛は弱肉強食。うじうじしていて相手の顔色をうかがっている草食系だと一生敗北者だよ!?」

「れ、恋愛ではありません!」

「じゃあお兄さんが恋愛したいなーって思って行動しだして、それでまた彼女作ってもいいの!? 今度は前みたいな変な子じゃなくて、もっと素敵で家庭的で気立ての良くて素直な良妻ちゃんに恵まれちゃっていいの!?」


 なんですかそれは。

 自分の性格がどういったものかは自覚しています。そしてそれが、内心兄さんをドン引きさせていることも。

 そういう環境で、まさしく特効薬のように甘やかな方が入り込んで来たらどうなるのでしょうか。


「そんなの嫌です! できれば兄さんは一生恋愛しないで死んだ魚の目をしていて欲しい!」

「うんうん! じゃあその絶妙に歪んだ願望を成し遂げるためにやらなくてはならないことはなんだーっ!?」


「承知いたしました。これより天賀谷和也のアルバイト先へ向かいます。これは生徒会活動の一環であると、私・天賀谷聖良の名を以て決定いたします!」

「よーし、それでこそ会長だよ!」

「あ、しまった」


 ついカッとなって売り言葉に買い言葉で応じてしまいました。

 しかしながら、相手はアマゾネスの再建を目指しているのか疑うレベルの女性至上主義を掲げる暇な方々ではありません。今さら舌先三寸で太刀打ちできる相手ではないでしょう。


 あるいは兄さんもこういう形で佐竹さんに乗せられたのかと想像してみます。


「まあ恋愛は冗談よ。流石に現実とフィクションの区別はついているから安心して?」

「はぁ、そうですか……」

「え、なんで急にテンション下がったの……?」


 美亜さんは時折りテンションが急上昇する以外は、極めて一般的な感性と倫理観を持ち合わせている方です。

 私に協力しているのも、妹分の複雑な家族関係を解決する意図以外は無いのでしょう。


 現実の恋愛はクソ。


 わかりますよ兄さん。


 私たちは鞄を背負うと、連れ立って生徒会室を後にしました。


 後から芹沢せりざわさんたちが来たらいけないので、『本日は活動しません』とだけ書置きを残しておきました。

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