第8話 別れと一歩

「…ア…ちゃ…。ルア…ゃん。ルアちゃん!」


 声がする。私の名前が呼ばれている。その導きに応えるように脳は意識を取り戻す。瞼の裏にしまわれていた瞳は、チカチカと軽く点滅する蛍光灯の光を受け入れようとしない。


「こんなところで寝ちゃって。もう三時だよ。」


 レトロは少し困ったような優しい声でそう言う。彼が亡くなった家族にどのように接していたがが痛いほど伝わった。

 あたりは真っ暗で、人々は活動を休み明日を待つ身だろう。そんな中私と彼は起きている。


 胸のあたりに妙なしこりが残っている。そのしこりは私にとって枷であり、救いの手だった。


 「レトロさん。私、このお店辞めます。」


 思ってもいない言葉だった。自分ではない外部から力が働かれたようにすらすらと言葉が出た。けれど嫌な気持ちではない。後悔がないわけでもない。


 「辞める?どうしてだい?」

 「それは……。」


 言葉が詰まった。別にここに不満があるわけじゃない。むしろいつも献身的にしてくれたレトロには感謝しかない。だが、違うのだ。


 「私の居場所は、ここじゃない。」


 この言葉の重みは理解しているつもりだ。これより後ろにはもう戻れない。決別の言葉と同義だろう。


 「…分かった。ついて来なさい。」


 言葉とともに一気に顔が険しくなったレトロ。しかし、すぐにいつもの温和な表情に戻った。その表情の変化が、私と同じように何かを決意したようなものに感じられた。



 連れられてきた場所は倉庫の奥。いつも商品の仕入れをしていた見慣れた場所だ。レトロはおもむろに箱をどかすと、小さな四角い切れ込みの入った地面が出てきた。ポケットから取り出したリモコンのようなものを数回操作すると、カコンと音が鳴り、地面が沈み始めた。


 「これは?」

 「見せたいものがある。」


 その見せたいものとは何なのか。決して核心を突くことは口にすることはない。頭を巡らしている間にもエレベーターはどんどんと潜っていく。目の前に映る無機質なコンクリートの壁は地上の店とは対極の存在だった。


 最下層に着く。男と女、二人の鳴らす足音が地下空間で何度も反射して混じり合う。肌寒さを感じながらも奥に見えるかすかな光を目指して歩く。頑丈そうな扉の前に着くとレトロは再びリモコンを操作した。先ほどよりも念入りなセキュリティがかかっているようで、多少の時間を要した。


 扉が開く。


 「これだよ。」


 レトロはそう言った。



 「…サラク?」


 私はその景色を信じられなかった。目の前に立つ半機械仕掛けの巨人。独特な緑のカーキ色にワンポイント入れるように紫がかった青色がちりばめられたその巨体は、目に光を灯すことなく眠っている。スポットライトを照らされたそれは私を待っていたかのように感じられた。


 「こんなものどうやって。そもそもなんで民間人にサラクが…。」

 「そうじゃないから、と言ったら納得してくれるかい?」


 いつも要点をぼやかして深くには踏み入れさせない。ひどい人だとルアは思った。


「こんな機体、見たことがない。」

 

 階段を上り、コクピットを覗く。ちらちらと青白い光が小さな空間を最大限照らしている。計器類は基本的に以前から使用しされていた軍のものと一緒だが、いくつか違いがある。中央に配置された中型のディスプレイがそうだ。


 「なんですか、これ。」


 ルアはレトロに聞く。


「そいつには高度な人工知能が入ってる。それのコンソールパネルだよ。そいつを起動できれば話し合うこともできるかもね。」

「起動できれば?サラクは兵器ですよ。未知のテクノロジーじゃない。適切な手順を踏めば起動するのに問題なんてあるんですか?。」

「ああ、そいつは特別な奴だ。普通じゃない。作った私も起動させたことはないんだ。」

「作った?サラク一機をたった一人で?あり得ない…。それに、起動したことがないって…。」

「そいつはずっと眠ったままなんだ。生まれた時も、生まれる前も。」


 レトロは少し悲しそうな表情を浮かべた。


「そいつは、私の家族だ。血は繋がっていないが、娘のように愛していた。」

「サラクを、愛す?」


 確かにともに戦った兵器に愛着を持ち、戦友のような感覚に陥ることはある。だが、レトロがこのサラクに向ける感情は慈愛のように感じられた。どこか遠くを見つめているようなその目は、この機体の心に向けられたものだろうか。


 ルアはコンソールパネルを撫でるかのように優しく触る。すると、ブンという少し鈍い音とともに画面に光が灯った。


「え?」


 その動作に驚きを覚える。しばらくするとパネルに文字が写された。


 アナタハ、ダレ?


 あなたは誰?そう問われた。これがこの機体の人工知能?考える暇を与えることなく次はここに手を置けとパネルは次の指示を出す。


 パネルに手をかざす。すると、ロード画面のようなアニメーションが流れ始めた。この仕様はどういう意味なのかレトロに聞こうとした時、機体の電源が全て落ちた。コクピットは暗闇に包まれる。死んでしまったかのように静かだ。


 次の瞬間、緊急アラームが鳴った。ルアはその音に驚き、真っ暗なコクピットの天井に頭を強打した。


「臨時ニュースです!臨時ニュースです!市街地北部に少数のアルザー侵入!住民の皆様は速やかにシェルターに避難後、リニアで他都市に移動を。」


 アルザー?こんなところに?街に駐留軍はいなかったのか?様々な考えが頭を巡る。


「こんな時に…。都合が悪い。」


 額に指を置き、レトロは頭を抱えた。


「ルアちゃん。しばらく待機だ。大丈夫。そこらのシェルターよりもここは丈夫に出来てる。」

「でも、上の人たちは。」

「全員無事とは言えない。軍が来るまでの数刻、街は蹂躙されるだろう。だけど、どうしようも出来ないよ。」

「そんな…。」


 私は今、この状況を救える鍵を持っている。だけどこの機体は起きない。私たちが動かないと街は失われてしまう。


 お願い、動いて。何度もそう願った。けれどなにも返ってこない。嫌だよ。もう何も失いたくない。私に存在意義を与えて。みんなを守るという使命を。


 助けさせて。助けさせて。助けさせて。助けさせて。


 

 助けて。



 ブゥン


「…起きた。」

 

 機体の目が光る。筋肉と機械が擦れ合い、軋む音を立てる。排熱機構は蒸気を吹き出し、マニュピレーターは動作確認を始める。コクピットには見慣れた光が充満し、起動準備が始まった。


 感激に浸る間も無く、パネルに文字が映される。


 アナタハ、ダレ?


 再び映し出されたその文字。少し迷った後、ルア・アイボリーと指をなぞった。


 「ヨロシク、ルア。」


 合成音声のような声で返事をしたそれに、妙な生々しさを感じた。生きているんじゃないかと。どうしてもただの機械とは思えなかった。


 「あなたの…名前は?」


 サラクはこう返した。


 「ヴィンデ。」


 ヴィンデ。いい名前だと思った。サラクに名前なんてないはずだけれど、なぜかすっと違和感なくその名前が私の中で浸透した。


 「はじめましてヴィンデ。行こう。みんなを守るんだ。」


 ヴィンデは一歩、二歩と整備ドッグを押しはがし進む。足元にはサラクが起動したことに驚いているレトロがいた。ルアはコクピットハッチを開けレトロに言う。


 「レトロさん、私…。」

 「…行ってきなさい。君が元々迷いを持っていたことは知っていた。それをそのサラクが後押しをしてくれただけだ。」


 レトロはサラクを指さして。


 「そのサラクはあげるよ。きっと君の力になってくれるはずだ。」

 「ありがとうレトロさん。私、行ってきます。」


 ルアはコクピットに身を戻しハッチを閉めようとする。しかし、何かを思い出したかのように再びハッチの外に出て降下用ロープを伝って地面に降りた。そしてレトロの前まで駆け寄ると勢いよくハグをした。


 「行ってきます、おじいちゃん。」


 レトロはいきなりの行動に少し困惑した。だが、ルアの気持ちを触れ合った体から感じた熱で読み取った。この子は私に家族を思い出させてくれた。家族と認めてくれた。なんと愛おしいことか。なんと残酷なことか。

 可愛い孫娘を戦地に送り出したい馬鹿がこの世のどこに居る。可愛い孫娘が自分の意思で決めたことを邪魔したい馬鹿がこの世のどこに居る。

 レトロは一瞬悩んだ。結果は分かっていた。ルアの背中に優しく腕をまわし抱きしめる。

 

 「あぁ、いってらっしゃい。」


 その言葉がなんだか嬉しくて、悲しくて。二人は見つめ合いながら笑顔を浮かべた。


 「あの子の名前、ヴィンデって言うんだ。」

 「…ルアちゃんが名付けてあげたのかい?」

 「ううん、違う。あの子が教えてくれたの。素敵な名前だと思わない?」

 「そうだね。素敵な名前だ。」


 レトロはぽんとルアの背中を押した。


 「さぁ、もう行きなさい。」

 「うん。またね。」


 そう言うとルアはヴィンデのほうへ小走りで向かい、レトロに手を振りながらコクピットハッチを閉めた。そのままリニア式エレベーターへと機体を進ませる。バシュッと勢いよく機体は地上に射出された。レトロはその姿を見届けた後、がらんとした地下倉庫を眺める。そして膝から崩れ落ちた。


 「生きていてくれた…。」


 レトロは嗚咽をこぼしながら、誰もいなくなった静かな大きすぎる空間で一人むせび泣いた。

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