第7話 咎人

「お買い上げありがとうございました。また来てくださいね。」


 ルアはそう言うとぺこりと頭を下げる。その先には買い物を終えたであろう客がおり、軽く会釈をすると、扉を開けて外へと出て行った。

 あれから二ヶ月の時が過ぎた。レトロはこの町で店を経営していたらしく、ルアは店に泊まらせてもらう対価としてここの看板娘として働いていた。ルアの財産はすべて抜き取られてしまっており、それをみかねたレトロがこのことを提案してくれた。

 レトロの店はこのあたりではかなり品揃えが良いらしく、毎日大勢の客がこの店に訪れる。合成食品、生活用品、薬品類、雑貨などなど小さな店内に所狭しと商品が並べられている。ルアも商品の場所を覚えるのには苦戦したが、今では目をつむっていてもわかるほどにこの店に順応していた。


 「ルアちゃん。今お客さん少ないし先にお昼休憩入っちゃって。」

 「はい。でも、ここの品出しを先に終わらせちゃいますね。」

 「あぁ、ありがとう。無理はしないでね。」


 レトロとの関係はすこぶる順調である。ルアが来る前はこの店を一人で切り盛りしていたらしく、ルアが来てくれてからとても作業が楽に感じるのだという。

 


 品出しをしていると、あることに気づく。


 「あれ?注文票と商品の数が合わない……。」


 事情をなんとなく理解すると、注文票の数に斜線を引き、個数を書き直した。

 こんなことはしょっちゅうあり、その度にこのような処置をとっている。メーカーが数を確保できなかったのか、それとも運送中に盗難されたか。真相はわからないが、このような場合にはこう対処しろとレトロに言われている。


「ていうか、これ何に使うんだろう?」

 


 昼休憩に入り、事務室でルアは一人で昼食をとる。黙々と手にとったサンドウィッチを口に運ぶという作業をこなしながら、目の前のテレビを見る。しかし、流れてくる情報は目で認識されるが、脳で処理されずに明後日の方へと飛んでいくばかりだった。


「…………。」


 何かが足りない。こんなに充実していて、安全に衣食住を確保して過ごせているのに。心のどこかに穴が空いており、常に空気が抜けている感覚に陥る。


 しかし、それは自分には分からない。


 いや、分かろうとしなかった。だってそんなことをしたら自分を見失ってしまう。悩みの種はやがて小さな心の地に根を張り大きくなる。どうやっても忘れられないほどに。


「サーヤ、キンハ。私どうしたらいいのかな…。戻りたくないのに戻りたいよ…。」


 窓の外を見た。痩せこけた人々が無理をして平常を装う。精神の厚着をして自分が壊れないように固めているのだ。

 自分を見た。白い肌。クリームがかった綺麗な髪。この世のものとは思えないほど汚い心。

 こんなところにいちゃいけない人間だとは自覚している。今まで見て見ぬふりをしてきた。


「だけど…だけど……。」

 

 それ以上食が進むことはなく、私はサンドウィッチを半分残した。

 


 何も変わらない日々が過ぎる。虚構の安全に包まれた小さなショップという日々が。


「貴方はここにいるべき人じゃない。自らの罪を隠して贖罪の機会を踏み躙るの?」


 そう耳元で語りかけてくるのは誰だろうか。


「償え。抗え。向き合え。戦え。殺せ。死ね。生き抜く咎人よ。」


 頭の中で反芻する言葉が体にこびりつく。その言葉は私の心臓に深い杭を打ち込んだ。


「分かってるさ。分かってるけど、怖いんだよ。もう傷つきたくないんだよ…。誰か分かってよ。私の、本当の私に気付いてよ…。自分から言い出すのは、怖い…。」


 頭が恐怖で単純化していた。人の心にだってキャパオーバーの概念はある。自動車がエンジンのスペック以上の能力を出せないように。低スペックのパソコンが高度な設計ソフトをまともに動かせないように。

 どんなものにも不具合のようなものが起きる。


 では、壊れかけの人間が行う防衛行動とはどのようなものか。


「………………………………………………………………………。」


 精神が限界に達した人間がとる生存本能とはどのようなものなのか。


「………ごめん………………ごめんなさい…………ごめ…。」


 自責の念に押しつぶされるのだ。


「……許して。」


 誰か私に気づいて。誰か私を分かって。誰か私を知って。本当の私を見て。薄汚くて、人様には顔向けできないくらい美しく醜い身体を。


 助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。


 助けさせて。

 

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