第3話 フラッシュバック

 ある病室の中で少女は赤く腫らした目で窓の外を見つめた。そこからは美しい中庭が見え、季節の花が咲き乱れている。設置されているベンチには体と心を痛めた兵士たちが憩いの場として集まり、談義に花咲かせている。

 少女は久しぶりに見た花を美しいと思いながら、戦場にいた頃の記憶に思いはせていた。


 美しさなど何もない荒れた地。満足に食事もとれない。常に戦いに必要な装備は不足し、補給物資を届けに来た兵士を上官が少ないと怒鳴りつけ、胸ぐらを掴むのを横目で眺める。そして警報が鳴れば数少ない自由時間だろうが関係なく戦場に駆り出され、時には味方の後ろで銃を撃ち、時には最前線に出て捨て駒のような戦いをさせられた。帰ったら自分の戦闘データを上官に報告しダメ出しをされ、サラクを整備庫に持って行くともっと丁寧に扱えと愚痴を言われる。疲れ切った体を引きずり、プライバシーなど無い大部屋に大量に置かれている二段ベッドに潜り込むと泥のように眠る。蘇ってくる記憶はそんな日々。


 そんな場所に比べればここは天国に等しい。清潔で掃除は行き届いているし、時間になったら勝手に暖かい食事が出てくる。定期的に看護師が来てくれてまだ大して汚れていない包帯を巻き直し、点滴を変えてくれる。自分に悪態をつく人はいないし、むしろ体を気遣ってくれる。病室も個室なので人の目を気にせずぐっすりと眠れる。


 そんな天国の様な日々を数日間過ごしていても、心に開いた穴は埋まることがなかった。その穴からは水があふれ出し、それが涙となり目から流れる。時には胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなる。


「私のせいだ…。私のせいだ…。ごめんなさい…。ごめんなさい…。」


 あの場所を思い返すと毎回涙が出てしまう。


 あの地獄の様な戦場には仲間がいた。かけがえのない仲間が。


 天国でひと時の休息を取るために払った代償としては大きすぎたことに気づく。


 逃げ出した?助けられた?どちらかは分からないが、「仲間が死に、自分一人が生き残った」という結果だけが残る。


 同じ学校で学び、同じ場所で生活し、同じ釜の飯を食い、同じ訓練を行い、同じ事で笑い、同じ上官に陰口を言い、同じ戦場で戦った。

 たまの喧嘩もあったが、雨降って地固まるという言葉がある様に互いの仲を深めていった。

 だが、その思い出の中で生きているのは自分だけだった。


 うつろいでいく記憶の中で二人に必死に手を伸ばす。だが、どれだけ走っても決して追いつくことは無く、いくら名前を叫んでもこちらを振り向く事なく行ってしまう。


 だんだんと二人の姿が揺らぎ、体の至る所が煙の様に消えていく。二人の体が消えてゆくのを、後ろから必死に走りながら眺めることしか出来ない。そんな現実を受け入れられなくて叫んだ。


 待って…。待って…。待って…。待って…。待って…。


「待って!」


 目を覚ますと窓から夕日が差し込んでいた。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 窓の外に目をやると、昼間中庭で談笑していた兵士の姿は無く、誰もいない様だった。


 花たちは夕日に照らされ、黄金色とそれぞれの持っている色が混ざり合ってキラキラと輝いている。


 気分転換のためにルアは外に出ることにした。靴を履き替え、中庭に出る。外に出るのは久しぶりで、体力が落ちているのか点滴のスタンドを掴まないと立っていられなかった。


 さっき兵士が座っていたベンチへ腰掛けると、夕日に焼かれる花たちをしばらく何も考えず眺めた。


「綺麗ですよね、お花って。」


 ふと、ひとりの女性の看護師が話しかけてきた。突然話しかけられたので少し焦りながらルアは答えた。


「そう…ですね。戦場ではこんな綺麗な花畑見れませんよ。」

「良かった。毎日丁寧に整えた甲斐がありました。」


 看護師は軽く手を合わせ嬉しそうに微笑む。その笑顔に感化されてルアも釣られて少し笑ってしまう。


「そうそう。ここの花たちは花言葉にもとても素敵な意味があるんですよ。」

「へぇ、じゃああそこの花の花言葉はなんていうんですか?」


 ルアは一つの花を指さす。青みがかった美しい花だ。その色は夏の青空に匹敵するほど爽やかで深い色だった。


「ああ、アイリスですね。アイリスの花言葉は…。」


 花を見つめていた看護師がくるっと回り、ルアの目を見つめた。


「『友情』です。」

「友情……。」


「はい。同じ戦場で命を預けあう者達の友情はいかなることでも破ることは出来ないと聞いたことがあるので。」


 その言葉を聞き、静かに目から涙が出た。


「あれ?」


 手で涙を払っても自分の意思では止める術がわからなかった。


 鼓動が加速して胸が痛い。頭がクラクラして視界が定まらない。どれだけ大きく口を広げてもうまく息が吸えない。


 あの日が、フラッシュバックする。


 ルアはその場で胸を押さえて体を埋めた。呼吸が苦しい。看護師が駆け寄ってきて背中をさすり、誰かを呼んでいる。そんな中、頭を抱え髪の毛を毟り、絶叫した。


 ただひたすらに叫び続けた。

 自分の中から自分を排除したかった。心に秘めていた言葉。自分の心境。胃の中の内容物。自らを構成している全てが嫌になった。


「あああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああッッ!!!!」


 看護師の呼んだ医者がルアに鎮静剤を打った。そこで意識が途絶えた。



 再び目を覚ますと窓の外は暗闇に包まれていた。体を起こそうとするが、ぴくりとも体は動かない。目をやると腕も足もベルトで拘束されていた。

 なんとなく状況を理解すると抵抗することなくベッドに体を預けた。そして目を瞑る。一時間、二時間、三時間とただ時間が過ぎる。けれど眠ることは出来なかった。


「嫌だ…、もう嫌だ…。」


 ただ苦痛な時間が朝日が差し始めるまで続いた。

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