第11話 Aster Garden 2

 黒地の表札が張り付いた白壁の校門に近寄り、僕は金文字で書かれた校名を確かめる。


 ——『ユークロニア学園 時留ときどめ北高等学校』


 ここで間違いない。僕が今日から通うことになる高校だ。


 校門を何の躊躇ためらいもなく過ぎていく、他の生徒たちを見る。何だか、自分とは違う種類の制服がよく目立った。恐らくは中等部の生徒たちなのだろう。表札にも高等学校の名の下に、同じく『時留北中学校』の金文字が窺える。真新しい制服を身に纏う自分に、ひしひしと感じられてしまう余所者よそものっぽさ。どうにも入るのが躊躇われた。


 もう一度確認してみる。表札の文字に変化はない。間違いなく自分の通う学校だ。何度か姉さんとも下見に来た場所なんだし、心配せずに入ってしまえばいい。もし間違いでも、それはそれで何とかなるはずだ。と、僕は付き合いの長い、臆病な自分の心を説得する。そんな風に踏み出した第一歩にはやはり、どこか思い切りに欠けた弱々しさが付き纏っていた。


 頭上で黄色と緑のモザイク模様が、風に揺られて乾いた音を鳴らしている。秋も本格的に感じられてくる季節。不意に吹いたそよ風が、何だか胸元にみるような心地がした。


 僕は半ば反射的に立ち止まって、耳を澄ましてみる。程無くして再び吹いた風に胸痛を覚えて、僕はそれが何処からか聞こえてくる、動物の鳴き声のせいだということに気が付いた。


 僕は居ても立ってもいられなくなった。


 昇降口へと続くイチョウ並木を外れ、僕は声に誘われるまま横道を歩いていく。するとその先には、細長い茎の先端に小さな星が付いたような花々。満点の星空のような、花畑に囲まれた庭園があった。背もたれのない据え付けのベンチの上に、得体のしれない小動物が、弱々しい様子で横たわっている。


「るぅ……」


 耳が長いからウサギだろうか。いや、丸っこい小さな身体に、ふっくらとした尻尾はどこかリスのようにも見える。ウサギともリスとも判別の付かない小動物。


 ——きゅるるるるぅ


 小動物のお腹が鳴き声をあげた。どうやらこの子はお腹を空かせて力を失っているらしい。


「お前、お腹空いてるのか」


「るぅ……」


「そう言われてもなぁ」


 助けるにしたって、何を与えればいいか分からない。と、悩んだところで、手持ちには昼食用に姉さんが作ってくれたお弁当くらいしかない。僕は弁当箱のふたを外し、試しにこの子の目の前でちらつかせてみる。


 人間の食べ物なんて与えて大丈夫だろうか。そう思いつつも様子を眺めていると、この子はしばらくして鼻をひくひくさせ始める。僕が卵焼きを一切れつまみ出そうとすると、耳長は突然がばっと身を起こして、あろうことか、瞬く間に僕の弁当を全て食べつくしてしまった。


 ほっぺたを米粒やら何やらで一杯に膨らませながら、咀嚼そしゃくを繰り返す姿はリスそのもの。だが、ぴょこぴょことした長い耳が、この子をリスだと結論付けたくなる心持ちをはばんでくる。


「るぅ~、——ぼふっ」


 やがて、ごくんっと音が聞こえてきそうなほどの豪快さで咀嚼物を飲み込むと、耳長は満足そうな様子で空を仰ぎ、特徴的なゲップをしてみせた。


「よくもまあ、そんな小さな身体に男子高校生の昼飯が収まったものだ」


 昼ご飯を丸々食べられてしまった喪失感そうしつかんに、苦笑いが止まらない。だけど、元気を取り戻して、お礼の鳴き声を聞かせてくれる姿はとても可愛らしかった。


 僕が手の平を近づけると、耳長は大人しくその首元を撫でさせてくれる。


「それにしても、お前みたいな動物は初めて見た。ウサギか、それともリスか?」


 疑念が通じたのだろうか。耳長は訴えかけるような眼差しで僕を見つめてきた。その瞳を見つめ返してみると、僕も何だかこの子の言わんとすることを感じ取れるような気がしてくる。


 ……そうだ、この子の名前は——


「——リィールゥ、だな」


「るぅッ!?」


 猫だましでも食らったかのように、耳長はびくっと後ずさりした。どうやら僕は満足する回答をすることができたらしく、この子はぴょんぴょんと跳ねて喜びの意を示すと、特技らしいウインクを披露してくれる。人間でもないのに器用だなぁと思って微笑むと、そこで予鈴よれいが鳴った。


「俺はもう行くよ。転校初日から遅刻はマズイからな」


 空っぽの弁当箱を片付けて鞄に突っ込む。僕は立ち上がってリィールゥに手を振った。


「——それじゃあ、元気で」


 リィールゥはその意味を理解したのか、花壇へ飛び込んで去っていく。揺れ動く花星のざわめきを見送って、僕はリィールゥが消えていった花壇を名残惜しく見つめた。


「さて、お昼ご飯はどうしたものか」


 僕は遅刻しないよう、校舎へと足を急がせた。

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