第5話

誠は周囲に視線を走らせながら、自分の上着をかけた私の肩を抱いて歩道の内側へ引き寄せた。


「過保護だなぁもう……私子供じゃないんだよ?てかどちらかと言うとあなたの方が子供…」


「一花は子供だよ。あの頃と変わらず」


「は?あの頃ってジムで最初に出会ったときのこと?ってまだ3ヶ月くらいしか経ってないし、その時も大の大人なんですけど」


ジムで出会ったあの日は、雪乃と共に一通りのレクチャーを受けたのだが、帰り際……

雪乃が御手洗に行き2人きりになった瞬間のことだ。


「一花」


「えっ?」


いきなり呼び捨て?!

何このガキ?!とか思ってしまったのは仕方ないとして……


「また会ってくれる?このジムには通ってくれるよね?」


ちょっと待って。

なになに?ていうかジムのインストラクターってタメ口普通なの?

それとも今どきの10代ってこういうノリ普通?

だったらあんまり驚いてちゃダサいかな。

こっちもノッてあげないと。


「えーと……まだ分からないかなぁ私は。でも雪乃は絶対入会すると思うよ」


「一花にも来てほしい。いや、ジムはどうだっていいから、とにかく俺とまた会ってほしい」


「は、はい?」


「連絡先教えて!」


あれよあれよと私は彼にスマホを奪われ、互いの連絡先を登録されていた。


うーん……最近の子のノリって凄いんだな……

ジムだろうとどこだろうとこんな感じなのかな……


「一花……よかったよ本当に……会えて……」


「え、えぇ?!ちょ、ちょっと?!」


突然、涙をボロボロと流し始めた。

これもノリ?!

なわけないだろう、さすがに。

だとしたらこの子は相当ヤバい男子だ。

薄々気付いてたが、ちょっとこの子は普通じゃない。


「どっ、どうしたの、落ち着いてよ先生っ」


「ぐすっ……名前で呼んでよ…っ」


「え、あぁ…えっと、誠くん…ハイ、ハンカチ…」


「ブワァッ……!」


「えっ?!なんで更に泣く?!ほっ、ほらっ、とりあえず涙拭こ?」


私は彼の大きな目から溢れる涙を拭きながらハッとした。

どうしてこんなに懐かしく感じるのだろう……

どうしてこんなに落ち着くのだろう……

その黒くて丸い、美しい瞳の奥に、形容しがたい何かを感じるのだ。

まるで私の心が、凪のように心地よくなり、穂のように軽くなり、光に包まれるように暖かくなる。



帰ってきた雪乃は当然、目を丸くして私たちの光景を見つめていた。



「それより一花は今日も可愛いね!」


とびきりの笑顔を向けてくる誠。

彼は会う度必ず、この言葉を口にする。

可愛いなんて……今迄の恋人にすらあまり言われたことがない。


「…か…可愛いって、たとえば?」


「顔も仕草も、声も髪も、ぜんぶ!」


カッと顔が火照ったのが自分でもわかったが、歳上としてのプライドでなんとか無表情を貫く。



「……で、今日はどこに行きたいの?」


あれからというもの、なぜだかやけに懐かれてしまって、誠はいつも私と遊びたがった。

毎日連絡をしてくるし、週末は必ず会う約束をする。

私も私で、10も年下の彼となぜ2人でしょっちゅう会っているのか……なんだか自分でも理由がつかなくて、とにかく彼といることが心地よく、不思議な感覚だ。


「どこでも!一花の行きたいところ行こう!」


「またそれ?たまには誠が提案してよ。じゃないとまたいつもと同じパターンになっちゃうよ?」


週末はたいてい買い物をする。

一人暮らしだけど料理することが好きだから、食材を週ごとに購入している。

そして最近は毎週末、必ず誠がうちに来て一緒に食事をし、ゲームをしたり映画を観たりしてダラダラ過ごす。


「うんもちろんいいよ!俺それを楽しみに一週間頑張ってるんだから!」


「……若いんだからさぁ、もっとあそこ行きたいあれしたいとかいろいろあると思うんだけど?」


「ないない!一花といられるだけで俺は大満足!それに外は危険だからなるべくいたくないし」


なぜだか誠は、あまり外でアクティブなことをして過ごすことを避けている。

ジムのインストラクターやってるくらいだから身体は人一倍丈夫で体力もあるはずなのに不思議だ。


「危険って……ここは日本だよ?世界一安全と言ってもいい場所なのに」


「安全な場所なんてないよ、一花。」


たまに彼の声色も表情も大人になる時がある。

私からしたら、大学生の18歳なんてまだまだ子供のはずなのに、たまにこうして、こちらがゾクッとするような雰囲気を醸し出す。


「ほら」


「っ!」


はしゃいでいる若者たちに当たりそうになったのを、誠が私の肩を抱いて避けてくれた。


「一花はこうしてさ、俺にずっと守られてればいいから。」


そしてこんなふうに、たまに意味のわからないことを言うのだ。



「今日は何食べたい?」


スーパーの中を歩きながら私がそう問いかけると、カゴを持った誠が間髪入れずに


「俺はキュウリあればあとは何でも!」


と言いながら嬉しそうにキュウリを入れた。


「よくそんなにキュウリばっか飽きないね」


「一花のキュウリ料理はバラエティ豊富でめちゃめちゃ美味しいし!」


人生で一番食べ盛りの10代が、ほぼカロリーのないキュウリばかり食べているっていうのがとても不思議なのだが、まぁ好物なんて人それぞれだ。

私は人生で初めてこんなにキュウリのレシピを考えた。

なるべく飽きないように工夫するのが難しい食材だと初めて知った。

うちにはキュウリの漬物や、自家製で作ってみた数種類の味噌などが常備されている。

しかし……


「うーん…味噌も漬物も私が飽きちゃったし……

そうだ。今日はバーニャカウダにでもしてみようか。他にもいろいろ野菜を買って。」


「わーい!バーニャカウダって食べてみたかったんだァ〜!」


「食べたこと無かったんだ?

そしたらイタリアンにしよっか。パスタとピザも作っちゃおっかな〜」


「いいねいいね!楽しみ〜っ!」


なんだかんだ、誠の笑顔は、私の癒しになっている。

というより、彼の存在自体がなぜか、私の心を温かくしてくれる気がする。

この感覚が、どうにも懐かしいのも不思議だった。


「ねぇ見てあの人ってほら、アレじゃない?」

「ホントだ!プラチナジムのマコトさんだ!」


なにやら黄色い声が聞こえ、視線を移すと、数名の女性がこちらを見て明らかに目をハートにしていた。

ちなみにこういった場面は今まで数え切れないほどある。

誠はもはや、有名モデルやタレント並みの知名度だ。

それもそのはずで、なぜなら誠は定期的に雑誌やCMなどのメディアにも出演するようになっている。

そんな彼が、私のようなどこぞの馬の骨とも知れぬ歳上女といるなんて知れたら大変だと思い、なるべくサングラスをかけさせたり帽子を深く被らせたりしているのだが……

高身長な上に特徴的な髪とオーラでよくバレてしまう。


「あの人誰かな〜?もしかして彼女さん?」

「え、そんなぁ。年上っぽいし、お姉さんとかじゃない?」


私は急いで誠にだけ聞こえるように言った。


「ほら、だからもっと変装するようにいつも言ってるでしょ!」


距離を取ろうとしたのだが、逆に誠に腰を引き寄せられ、呆気に取られる。


「ちょっ……まこっ」


「一花といることをなんで他の奴に邪魔されないといけないわけ?」


私の頭に手が移動し、また更に女性の黄色い声が聞こえた。

きっと誠の睨むような視線が飛んでいることだろうと想像しながら私は小さくため息を吐いた。


「はぁ…もう……。変な噂たっちゃうよ?」


「どうだっていい。他人がどう思うかなんて関係ないだろ」


少しだけ、私の鼓動が乱れるのがわかった。

他人からの目線ばかりを気にして生きてきた私とは対象的なのがきっと、黒井誠という人間なのだろう。

周りを気にせず素直な自分の本能のまま、感情に正直に、好きに生きる。決して自分や周りを騙したりしない。

私が憧れる生き方そのものを生きている。

だから私はどうにも、彼に惹かれてしまうのかもしれない。

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