2.男の娘は男性器を持つ女の子ではない

 前回の講義では、『羞恥が大事なら女体化の方が良くね???』という疑問が上がりました。今回はその点について考えていきます。


 みなさんは男の娘と女体化、どっちが好きですか?

 本音を言えば、私は女体化が好きです。


 いや、ここまで男の娘の魅力を熱弁しといて何言うとんねん! という感じだと思いますが、女体化を求めてしまうのは実は当たり前です。

 だって私たちは幼い頃、大きくなったらウルトラマンになる!とか、プリキュアになる!とか、メロンパンナちゃんになる!とか言ってたじゃないですか。(最後のは私です。メロンパンナのメロメロパンチは、珍しく相手を状態異常にできるパンチ技ですからね。最強です。一撃で倒せるアンパンチ方が強いだろ、等のアンチの意見は受け付けません)


 自分が好きなものになってみたい、それは人の持つ根源的な夢です。

 で、あるならば。私たちが好きな可愛い女の子になりたいと願うのも、当然の感情なのです。つまり女体化は最高。


 では男の娘は何がすごいのか。それは彼らが男であるという点です。

 大事なのでもう一度言います。


 !!!


 ──いや、前回の男の娘と女装との比較で、男の娘の精神に女がいるって言ってたじゃん!と、突っ込んだ方。とても良い指摘です。

 男の娘の心には女がいる。だからこそ羞恥が生まれる。これが男の娘の魅力でした。


 しかしながら、どんな男の娘も男性器を持つ限り、彼らが本当の意味で女の子になることはない。

 女体化は違いますよ? 彼女たちを男に留めるものは何もありません。そのため、彼女たちの女性おんなせいが強まり、男性おとこせいが弱まるほどに、羞恥は薄くなってしまう。そんな不安定な足場に立たされているのが女体化なのです。



 整理しましょう。

 女体化は女を受け入れることが許される、しかし男の娘には許されない。それが両者の決定的な違いです。男性と女性のギャップにこそ魅力があるという点を踏まえると、どちらが優れているかは自明でしょう。


 ではここで、今日の講義のタイトルに戻ります。 

 

 『男の娘は男性器を持つ女の子ではない』


 この前提は正しいのでしょうか。

 仮に男の娘が単に男性器を持つ女なら、これまで羞恥を生んだギャップはなくなってしまいます。

 加えて、男性器を持つ女性というのもおかしな話ではない。だって尻尾が生えた女の子や、角の生えた女の子が普通に受け入れられているのです。男性器だけ例外という方がおかしな話でしょう。


 しかし私はここで一言申し上げたい。


!!!、と。


 だって可愛いことによる恥ずかしさを感じられるのって、男の特権ですよ。女の子にしてみれば、可愛いは喜ばしいことですからね。

 可愛い恥ずかしい。その男の娘の魅力を、男性器を持った女論は消し去ってしまう。

 だからこそ、男の娘は男であるべきなのです。


 以上で今日の講義は終わります。しっかり復習してください。

(酒飲みながら書いたような文章ですが、お付き合いいただきありがとうございました)

 

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小説における男の娘の魅力について、哲学的に考えてみよう 薬味たひち @yakumitahichi

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